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【徒然】ゴールデンウィークって、長くない?
台湾にいる頃はゴールデンウィークありませんでした。ぷぅコッコです。


ご存知の通りで、この時期のゴールデンウィークってのは日本だけでございます。


4月に入社した人だと入ってちょっとして、5月のはじめには休みと。。。


もちろんお休みない業種の方もいらっしゃると思いますが、今回は即位の日なんてのがあって、みんなでおやすみ。


うむっ。
長いよね。


昔は休みたくてしょうがなかったけど、あれはなんだったんだろ。


もうそろそろ会社行ってもいいなぁってか、仕事しても良いなぁって気分でおります。


なんでこんなにみんなで一斉に休む日が多いのか。


要らなくない?


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 12:18
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【徒然】私はお酒が飲めない。だけど、楽しく生きてます。
お酒が飲めないぷぅコッコです。


とはいえ、お酒を飲んだら倒れるわけでもありません。(今はわからんなー倒れるかも。。。)
でも、美味しくないし(美味しいのをのでない問題はあるが)飲んでも気持ち悪くなる方が強いです。


それでも若いときはなんか「若さでアタック」的に飲んだりしました。


30代を過ぎると、子供を育てるのに忙しかったというのもあって、飲み会自体に参加できなくなりました。


最近はぼちぼち参加できるけど、飲みません。
お酒の楽しみよりも、お酒を飲んだ瞬間からの苦しみの方が大きいので、天秤にかけたら飲めないってことです。


わたくし、小麦粉、卵、牛乳にも遅延型アレルギーがあるため、食べられません。


ケーキ(小麦粉、卵、牛乳が入ってます)はケーキを食べる楽しみよりも、その後の調子悪さが圧倒的につらいので食べません。


米粉だと大丈夫?
米粉は大丈夫だけれども、昔ケーキを作ってた者として考えるならば、卵も牛乳もなしでというのは簡単ではないので、米粉だというだけでは飛びつけません。


そんなわけで、信じられないことですが、ケーキはもうかれこれ2年くらい食べてないです。


お酒も同じくらいは飲んでないかな?


お酒飲めないと、なんかいろいろ人生目減りしちゃう気がするけど、あんまりそんなこともないです。


お酒は飲めないけど、参加したいときは飲み会に参加します。
食べる担当としての地位を確立してるのです。しかも酔っ払ってなくても、ある程度はっちゃけることは可能です。


まぁ、その食べ担当の方も判明したアレルゲンたちのおかげでかなり大変にはなってるけどね。


全く知らない人と、食べられないものしかないお店には流石に行かなくなったかな(笑)


そういうわけで、楽しく過ごしてるけど、ひとつだけ、羨ましいなぁって思うことがあります。


それは、お酒の力を借りて、『酔っ払って楽しい』という、踊り出しちゃうような感覚にはなれない
ってことです。


踊ることはできますが、気分が良くなって「自然と」みたいなことはないです。


そういうのちょっとやってみたいなぁっていうかなってみたいなぁ
と憧れます。


それはそれです。
私は私の持ってるモノで楽しみます。


それにご一緒してくれる友達もたくさんいます。


ありがたいし、得難い体験です。


そういうのは、手を伸ばさないと得られないことなんだけど、すごく素敵じゃんって思ってます。


憧れてることのほとんどはもしかしたらいろんな理由でできないことかもしれないけど、問題はそこにはないんです。


今持てるもので最大限に楽しむ。


そして、それは、『そうしたい』って気持ちを前面に出してると、声をかけてくれる人が現れます。


なんなら自分から声かけちゃってもいい!


行動することで掴むことです。


元号は令和に変わりました。
令和から頑張るはダサいなんて言われちゃったりしますけど、ぜんぜん、どっから始めてもいいです。


令和が本当にキッカケになるならそれでもいいじゃん。


ダメなのは、憧れてるだけってやつだから。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 07:26
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【徒然】イヤホンありがたいです
満員電車が苦手です。ぷぅコッコです。


いやいや、得意な人なんていないでしょ。全くもってその通りです。


ここで言ってる満員電車ってピチピチぎゅうぎゅうのじゃないです。
座っている人はちゃんと座ってて、スキマはあるけど、うっかり真ん中になっちゃうとつり革もポールも持てなくて、急なカーブでバランス崩して、人の足とか踏んじゃったりするくらいの込み込み度。


ギリギリパーソナルスペース保てるかな?くらい?
をイメージして貰えば良いと思います。


空気うすく感じたりじゃないくらいの量ですね。


身を預ける場所がなくて踏ん張らなきゃいけないので、みんなイライラしてます。


そして、今日!
時はゴールデンウィークです。


ちびっこも容赦なく乗ってきます。


そのちびっこっていうのも、やっと一人で歩けるかな?ってくらいの小ささです。


そういう子たちにとって、なんか混んでる電車でおとなしくしてるってのは結構大変。


それで、まぁ、ギャン泣きとかされるとビビるわけだけど、それ自体は、あんまり気にはならない。
むしろ、そのギャン泣きにびびってどうしたらよいかわからないお母さん(これ経験したことあります)と、なんか怒っちゃってるおっさんとか、おにーちゃん。たまにはおねーちゃんにびっくりします。


そう言う人が、必ず文句言うとかそう言うことはないんだけど、迷惑そうにしてる感じがビシビシ伝わってきます。


いや、わかりますよ。
気持ちは、混んでるしね。
みんな笑顔で乗ってよってのが無理なのはわかってますよ。
だけど、その子供の声で、みんなイライラのボルテージが上がってくる。


勘弁してよ。


子供って泣いたり、訳のわからんこと言うもんでしょ。
目を細めて微笑ましいって大人はどこ行っちゃったんだろうか。


そういうことになると、だんだん気持ち悪くなってくるんですね。


その気持ちの渦みたいなものでね。


そういうところには出来るだけ行かないようにするんだけど、それでも街歩いてるだけでも、そんなこと結構いっぱいあって。。。


辛いのよ。。。(からくないよ、つらいのよ)


そう言う時は申し訳ないけれども、iPhoneとイヤホンが頼りです。


イヤホンで物理的に遮断です。


音楽を聴きたくてというのもゼロではないですが、どちらかというと、ほんわかもイライラも、どちらの感じも全然知らない人からの感情的ななにかを遮断したい気持ちの方が強いです。


気のせいかもしれない。


気にしすぎ。


かなぁと、自分思ってましたけど、気のせいとかじゃないよ。
人の怒ってるは伝わるんだよ。本当に。。。


もうそんなのうんざりなので、今日も電車だけでもなくて、町歩きするときも、一人だと音を遮断するために音楽やら音読やらがかかってる。


かかっていながら、また別ことをしている。
でも、それが私のスタイルになっているんだと思う。


上に書いた「怒ってる人」の気持ちが流れ込んできちゃうというのは別にスマホがなくてもイヤホンがなくても起こっちゃうんだよね。


ずっとそんな感じだったんじゃん
と言われてみればそうだね。


それで出かけるのが苦痛だってのは、実は今までもいっぱいあったんだな。


そう思うと、イヤホンがある今に生きられてることで、ほんの少しだけ、生きるということに対応できてる気がしている。


それはそれでお行儀は良くないかもしれないけど、こんな感じにしかできないのよね。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 09:24
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【徒然】クリスタルボウルを聴く


いま、結構クラクラしてる中で、ブログ書いてます。


お友達がFBにアップされていたのを見て、行きたいなぁと思ってたんですけど、なかなか時間なくて、ということで、ついにクリスタルボウル参加してきました。


クリスタルボウルとは何なのか?
あー、それね、私もよく分かってないです。
水晶の粉を固めて作られたクリスタルボウルを演奏する方がいらして、それをみんなで聴く。。。
と言うくらいの知識で参加しました。


結構、適当です。


行ってみて初めて知ったんですけど、結構常連さんのが多くて、皆さん、リラックスするためにいろいろ自由にしてらっしゃる感じでした。


なるほどこれはリラックスできるタイプのなにかだったのか。。。
演奏を聴く前に思ったことは、それです。


実は今日は、いや、今日もですが、ここ数日、首の神経痛に悩まされて、左肩から腕、指の先にへんな痛みが走ってました。


まぁ、それで、そう言うこともあって、睡眠が足りない感じだったんですね。


行きしなの電車の中で、座れたのもあって、寝ましたよ。それも、結構な感じで寝てたらしく、いわゆる頭がカクーンって落ちる感じを二度ほど経験しました。


これね、普段は、「あー、首、カクーンってなったー」ってびっくりくらいでいい訳ですけど、もうね、なんだかわからないけど、そんなことになると首がね、持たない訳ですよ。
びっくり激痛です。


「痛ぇー」ってなって目が覚めて、それでも起きれない。。。ボロボロじゃないか。。。


演奏会に参加するわけだから、こんなでは、寝てしまうやん!と、思いまして会場に着く前にコーヒーを飲んで、ちょっとだけ気合を入れていきました。


ところがですね、実はクリスタルボウル、みんな横になって、なんなら眠っちゃって、聴くんですね。
(行ってから知りました。)


座って聴かれる方も中にはいらっしゃるそうですが、なんというか自由な感じです。


しかも演奏中に寝ちゃっても、オッケーな会だったのです。
マジかー!
でも、せっかくだから起きてた方がいいじゃん、とか、小心者のぷぅねーさんは思うわけです。


初めての場所はあんまりゆったりできないもんで、なかなか、そんなことにはならないだろうとか思いつつ、周りをキョロキョロ見ながら、ゆったり過ごす皆さんを見ておりました。


ちょっと、初めての場所って話をします。
私ね、顔がほんわかしてる割に、本人はそんなにほんわかしてないので、初めての場所は大抵緊張します。


それだけじゃなくて、隠れた能力として(ほんとは要らないんだけど)その場の雰囲気を感じ取るんですよ。


その場の空気が緊張しているのか?
それとも緩んでいるのか。


それは、その場を構成するすべての人が出してる何かで多分構成されていて、緊張する人が多いと当然、その中の空気は張り詰めてきます。


まぁ、そういうのはビジネス系のセミナーとか、パーティーとかにありがちで、緊張というか、「もう何か、なんでもいいけど、例えば人脈を増やしたいとか、ビジネスに繋げたい」とか、とにかくガツガツしてる人がいると、重たくなってくるわけです。


帰ろっかなぁって思うことも少なくないです。


そんなぷぅねーさんの今回の聴く前の感想は、「全体を包み込む暖かいものが流れてるなぁ」でした。
これ、なかなかないので、多分主催者さんと、演者さん、そして、何度も参加されてる方々がこれから行われることに対する雰囲気そのものなんですね。


「ほー、リラックスできるようになってるなぁ〜」


そんなことを思いました。


さて、どーやって聴くもんかな?と思ったら、さっきも書いたように「みんな横になって寝て聴く」らしいんですよ。
スタジオでの演奏で、一人一人にヨガマットが主催者さんから用意されていて、そこで、座って聴くのかな?
と思ったら、横になって、寝て聴く、と。


先に書いた雰囲気がないと横になって、寝て聴くってのはなかなか厳しくあるわけですが、みんな横になって寝るみたいだし、私も、寝るか。。。


と思ってるあたりで、主催者さんのご説明から会が始まりました。




こちら演者の蔵田 聡子さん
と、クリスタルボウルたち
この演奏のために、山口県からこのクリスタルボウルたちとともにやってきてくださいました。


ご説明によると、クリスタルボウルはなにやらデトックス効果があるらしく演奏中にトイレ行ってもいいですよ〜、お水飲んでもいいですよ〜寝ちゃってもオッケーです!皆さんの寝息(イビキ)あると思いますが、気にせず聴いてね〜


とのことで、では、皆さん寝ましょうみたいになるわけです。


クリスタルボウルに近い位置に陣取った私、クリスタルボウルにより近い方に頭を向けるか、足を向けるか、3秒悩みました。


前に陣取った皆さんは、私以外クリスタルボウルに足を向けていたと思います。


でもさ、デトックス効果あるっていうし、今日痛いのは首だから頭向けるかって事で、クリスタルボウルの方に頭を向けて横になりました。


演奏が始まると、その音が、身体に染み渡ります。


これは!
聞いてたよりも(と言っても今日数分前に聞いて何となく想像した)何倍も体の芯に響いてきます。


多分同じような体験をしたのは、はるか昔、生の太鼓演奏を聴いた時以来です。


いろんな音楽とかはもちろん生演奏がいいと思いますが位置によってはなんか音源で聴いた方が良くない?
ってのあると思うんですけど、太鼓と、このクリスタルボウルに関しては断然生で聴くのをお勧めします。


こんなに技術が発達しても、そこに流れる波動を表現できないです。


うわー、体の芯に響いているなぁ〜


ってなことをボヤーっと思ってたら、知らず知らずに目から涙が。。。


マジか!?
ってなりました。
デトックスするとは聞いていたけれども、流れ出るのはこっからなのか!?
と驚くばかり。


感動したとかじゃなくて、なんでかよくわからない涙って出るんだなぁ〜
ってね。


それだけじゃなくて、なんか目の前に道の映像が出てきたり、他にもなんか出たものがあった気がするけど、気がついたら演奏は終わってました。


多分、寝てたんだな、後半。


なんだこれ!
すごいなぁ。。。


演奏終了して、そのあとですが、演者さんが最初に言われたことを思い出しました。


すべては幸せにつながる。

悩みとかもすべて幸せにつながる!と思う。強く思う。

家族のことについては逃げられないけれども、向き合って幸せになるように。

乱さないで!
ではなくて、幸せにつながるためのちょっとしたしょうがいかな?
くらいの気持ちで。



おお、そうね。
普段小さなことを気にするわけだけれども、クリスタルボウル、聴いてみるともっと大きなものに抱かれる感じになるね〜


なんとも不思議な空間は、私に少し歓びを与えてくれました。


首が痛かったんで、いやー、ちと遠いし、行くの悩むよね〜
みたいなこと演奏聴く前には、実はよぎりましたけど、参加してよかった!


ぜひ機会あれば多くの方に参加して頂きたいです。


いろんな人がいると思うんですよ。
なんか一見スピリチュアルっぽいからダメとかね。
そういうのはそれでいいと思うけど、なんとなくピンときたら行ってみると良いと思うのよね。


すべての人がデトックスするわけでもないし(まぁ、ちょっとクリスタルボウル音の特性から何もないってことはあり得ないと思うけど)反応することでもないかもしれないけど、体験するってのは、明日への第一歩として、貴重です!


まぁ、そんなわけで、機会あったら聴いてみてね!


ちなみに、このブログ帰りしなに書いてるんですけど、クリスタルボウルのデトックス効果がすごいおかけで、終わってから何回もトイレに行ったことか。。。

参加すると、あなたも体験できます!

author:ぷぅコッコ, category:徒然, 16:18
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【徒然】会いたい人にはあっておけということ
会いたい人にはあっておけというのをご本に書かれていたのは、林文子さんだったなぁというのをおぼろげながら思い出したぷぅコッコです。


昨日なんですけど、一日お休みをいただき、ソウルメイトとも言うべき友人に会いに行きました。


彼女の言葉で
「私たちがであったのは平成元年でしょ!」

「あれ、そうだっけ?」
え、高校の時に平成になったんじゃなかったっけ?
「いやいや、平成元年入学ってのを覚えてるもん」
と、友達。


そう、自分経歴すら改ざんしちゃうレベルのはるか昔、30年前に私たちは出会ったのでした。


そして、平成最後の4月、会いに行きました。


ずっと会いたいと思っていて、それでも「台湾に住んでるから」
「お互いに時間が取れないから」
自分に言い訳してました。


たしかに彼女は4人のお子ちゃまのお母さんで、一番下の子は3歳です。


文字通り私の短い帰国に合わせるには厳しかったかもしれない。
と、おもいかえしてみる。


台湾に住んでるから〜
みたいのはあったけど、いろいろあって私は日本に戻ってきたんですね。
今、ここ、会うべきだよね。


まぁ、ちょっと帰ってきてしばらくは忙しすぎて、なかなかに難しかったんですけどね。時間取るのが。


しかもなかなかに遠征しないと行けないと言うね。
それでも、会いたい人には会いに行こうよ。
だって、人生はいつ終わりになるかわからないから。
わからないことだらけだから、、、
だからこそ、今、その時間を作る。


まぁ、それで会いに行ったんですね。

高校生の頃からですけど、彼女はとてもキュートな人で、それが1mmもブレてなかった。


あの日、あの時、私たちは、まだまだうら若き乙女で、
高校生の頃はそんなこと思わなかったけど、高校生なんて実はみんなそうだと言うことに、気がつくのに30年とかかかるわけ。


それでも私がソウルメイトだ称する彼女は、あの頃と変わらず、キュートなままだった。


4人のお母さんで、大変じゃないわけないのに、私の話を、孫の話でも聴くかのような熱心に聞いてくれて、高校生の頃のように私のくだらない話に笑ってくれた。


昔に戻ったように、全然会っていなかったとは思えないと言うようなことは、話には聴くけれど、あるんだろうかと思っていた。
(いやいや、あるんだけどさ。他のところで体験したこともあるわけで、こわなドラマチックな表現にする必要もないんだけど。)


まぁ、ちょっと不思議な体験なのよ。


出会って話すことというと、高校生の時に戻って思い出話ししたわけでもない。そもそも、先生たちの名前も一部を除いてわすれちゃってるくらいだから。
(ちなみに共にお世話になった先生以外で彼女が覚えている先生は、私が頻繁にネタとしてモノマネしていた先生たちで、おそらくそれは先生ではなく、私のモノマネを覚えてくれているんじゃないかと言うレベル。
ネタとしてやってること高校時代も、今もあまり変わらない自分!グッジョブ!と思った瞬間である。)


昨日も話したんじゃない?
ってなくらい、緊張するでもなく、気負うでもなく。
そんなことあるだろうか。


そんなことが起こるって、高校生の頃に想像できただろうかと思う。


それで、彼女とは確かに知り合って30年なわけだけど、芯に流れているものが変わらないからこそ、そう言う素晴らしいことが起こるのかもしれないなぁと思う。


それは、高校の時の友達ならみんなそうなるってことではなく、彼女だからそうなるだろうなと。


高校の時も、大学の時も、大学院の時も、その後の社会人になっても、どこかで出会って「また会いたい人」というのは現れる。


そして、それは、もっと早く会っていたら、もっと濃密になるとかではないし、会えなかった時間があるからと言って変わるものでもなく、同じ年代である必要もなく、必要な時に必要なところで出会っているんだと思う。


全ては偶然であるわけだけれど、「私はあなたに会いたいです」というのを表現して、会いに行くってのを引き寄せないと出会えないんだよね。


今、出会う人も、もしかしたら30年後、こんな体験をする候補かもしれないわけだから。


そうやって知り合って、会いたかった人と、会ってすごす時間はものすごく短く感じられて、時間が足りないよっていつも思う。


笑わせるだけでもなく、全然違ったところで起こっていることに共感したり、人それぞれ起こってることは違うから想像力も必要なんだけど、そんなの感じさせないくらいに。たまには、刺さること言われて心で泣いたり。
(ちなみにそういう時は、帰りの電車やら、数日後の電車やらで泣いたりするので、だいぶ恥ずかしい思いしたりしてます。)


彼女にだけ教えてもらったわけじゃないけど、やっぱり、会いたい人には会いに行かなきゃね!


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 18:48
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【徒然】時間は多分解決してくれない
友人と話をしながら「時間が解決してくれるよ」といいかけて言葉を飲み込んだぷぅコッコです。


「時間が解決してくれる」
なんとなく都合よく使ってるけど、よくよく考えてみるとそんなことあるか?
って思う。


何かうまくいかないことがあるとき、ほおって置いたら、解決するか?
と言われたらそんなことないよね。


ただし、何かを今すぐ解決できないことはある。


でも、解決できない何かについて、そいつを解決すべく、何かやっていたんじゃなかろうか?


それこそ、白鳥が見える部分は優雅でも、足元は必死で、それは人には、ほかの白鳥にも見えないものがあるように。


その結果は、大学受験ぐらいなら自身が頑張ったとか頑張らないとかでいろいろあるかもしれないけど、ほかのことに関すると、人生においては、かなり運要素が強い気がしている。


運がいいとか悪いとかそう言うことじゃなくて、言いたいのは
「自分ではコントロールできない」
ということ。


自分でコントロールできないからといって、そのままなにもしなければ、時間が解決してくれるわけじゃない。


そこまでにやった全てが乗っかって、その上に運も乗って、時間も乗って、解決したりしなかったりする。


時間は解決してはくれないけど
時間がかからないと結果のわからないことは人生にいっぱいある。


その時々で、決めたそのことが、結果に繋がってるかもしれないだけで、それが全てでもない。


その瞬間瞬間を一所懸命に生きるしかないじゃん。


と、思いついて、冒頭の言葉を飲み込んだ。


時間がかかったとしても、かからなかったとしても決めるのは自分で、自分で決められないことは日々の自分を信じて、サムシンググレートに任せるしかないじゃない。


案外、そんなことで成り立ってるんだよって、自分に言いたいだけなのかもしれないけどね。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 20:21
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【徒然】頑張ったママさん、パパさんへ
今年、息子2号が小学校を卒業しまして、小学生ママを卒業したぷぅコッコです。


自分の息子2号が卒業したこともありますが、卒業、卒園などが気になる季節です。


それぞれに子どもたちは頑張った。


そして、『おめでとう』


そう、どうであれ、めでたいのだ。
どんなことがあっても、なくても、本人にとってはあんまり良くない時間だったとしても、素晴らしい時間だったとしても、いずれにしても何かを『卒業』するというのはすごいことなんだと思う。


まぁ、そういうことは、大人になってしかわからないことで、子どもたちは無事に『卒業』『卒園』を迎えて、多くの方に『おめでとう』と言われて、それで良いのだと思う。


そこで、まぁ、子どもはそうなんだけど、ここに至るママさんやパパさんも実は『卒業』だし、『卒園』なのだ。


日本はいろいろある、いろいろあるから、実は一筋縄でいかなかったことは、子どもたちだけではなく、親にもあったはず。


それは自分の子どものことだけではなく、そこに属することで、友人になった人がいたり、それとは別に対立したり、勝手のわからない組織に翻弄されたり、素晴らしい先生方との出会いがあったかと思ったら、「そりゃないよ」って先生にもであったかもしれない。


それも、これも、実は子どもがどこかに入学、入園して、経験して、積んできたことだと思う。


子どもが卒業する、卒園するだけの時間、そこに至るまで、同じだけの時間を、費やしてきたんだと思う。


仕事をしてたり、仕事をしてるわけじゃなかったり、そんなに子どもに対しても学校に対しても何をしたわけでもない。
そんなことを思ったりするかも知れない。


それに、子どもが卒業したからって、ママやパパを「頑張った」って言ってくれる人はいないと思う。


自分で考えたら、
『こうもできたかもしれない』
『こうしたほうが良かったかもしれない』
『あの時、こうしておけばよかったのかもしれない』
のオンパレードか、それを超えた上での、『ほっ』とした感なのかもしれない。


でも、それについて、『頑張ったね』
って言ってくれる人はいない。


いいじゃないか!
言われても。
『頑張ったね』って。


何に使うともわからない資料に、子どもの名前を書きまくって
それなのに、持っていかない子どものランドセルにそれらを突っ込んだり


「明日、習字で新聞紙いるんだよね」
ってめっちゃ夜中に言われて、コンビニまで新聞紙買いに行ったことも


子どものことで、自分よりも明らかに一回りは下ではないかと思われる先生に怒られたり


書き始めたらきりがない。


そんな伝説が終わって『ほっ』とするだけではなくて、それだけ、頑張ったんだと思う。


形はみんな違うかもしれない。
男の子なのか女の子なのかでも悩みは違ったかもしれない。


自分が思ってるほど、子どもに手をかけられなかったということもあるかも知れない。


いっぱいの思いがあるけど

褒められることなんて一つもないのかもしれないけど、
『頑張ったん』 だよ。


だから、一日くらいは
子どものためだけでなく
ママやパパ自身のために
『卒業おめでとう』
『卒園おめでとう』
『とっても、とっても頑張ったね』
って言おうよ。


ということで、頑張ったママさん、パパさん!


『卒業おめでとう!頑張ったね』




まー、そうなんだけど、終わりじゃないんだよね。
少なくともうちの子どもはまた入学するんだわ。

さて、また、何に使うかわからん書類に名前書きからはじめなきゃ(笑)
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 21:21
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【徒然】見えないもの
アレルギーって目に見えないんだぜ!って思ってるぷぅコッコです。


いやいや、思ってるっていうか見えないから(笑)


最近は花粉症に悩まれてる方もいらっしゃると思うんですけど、まぁ、花粉も目に見えない(見えるほどのこともあるけど、そりゃそれでエライコッチャ)もので、でも花粉症になったことない人にとってはなんで常にマスクしてるのかなんてわからないくらい感じないこと。


私には食品にアレルギーがあって、食べたから死ぬわけではない(アナフィラキシーショックなどで速攻倒れたり、いきなり気道が腫れまくって息ができなくなったりはしない)とは言え、遅延型のアレルギー検査で反応のあった食品をたべると、ものすごく具合が悪くなる。


次の日に一日中寝込まないとダメなレベルと思ってもらうと、だいたいそんな感じ。


この遅延型のアレルギーで出た物質が全部食べられないわけではないし、反応のないものもある。


それで具合が悪くなるとか不調が出るのかどうかは、私が、私自身の身体をはって実験しなくてはいけない。


実験は簡単!
該当食品を2週間口にせず、その後、また食べてみるというのをやって、不調になるかどうかを確かめる。


概ね結論は出ていて、遅延型のアレルギー検査でかなり危険(たまには振り切ってるやつもある(笑))な物資を食べなくなって、しばらくして、「もしかしたら大丈夫かも」と、思って口にして、ことごとくひどい不調に襲われることになった。


慢性的に食べていた時は、慢性的に不調だった。
いつも眠かったし、いつも頭がぼーっとしてた。


そういうものが晴れてくるのを感じた。
アレルギーのある食品を取らなくなって。


そのかわり、口にすると一回一回の不調はとんでもなくひどいことになった。


でもそれは、私が知ってるだけで、表には見えない。



食べられないものがある。
それでも食べられるものもある。
ほんの少しだけなら、自分に不調が感じられないレベルで抑えられるものもある。


でも、それを知っているのは私だけで。
それは私のことだから当たり前だけど、他の人には当てはまらない。


どんなに聞き知った症状が同じだとしても、他人がアレルギーだ言ったら、「ここまでは大丈夫だ」なんて言えない。


その「ココ」は、私の、検体一人の結果。
それでも、その結果は、唯一私にとっては、絶対的な結果なのだ。



なんで、こんなことに!!っていつも思う。


「食べられなくて大変だね〜」
なんだけど、「食べられなくて大変」は食べなければいいので、別にいいんだけど、出されたものが食べられるものなのかどうか見極められない時の方が困ったことになる。



さて、あら、ぷぅコッコさんアレルギーで大変なのね〜
ってことを訴えたくて書いたわけじゃないんだな。


ご存知の方もいるので、「あー、ぷぅコッコさん、この食品食べられないよね」って、読みながら思ってくれた方もいるかもしれない。


でも、気がついたかも知れないけど、私は何が食べられないのかこのブログで書いていない。


実はアレルギーの話をしたいわけじゃないんだ。
そこを詳しく書きたいなら、検査の内容やら、なんやらかんやらを書き込むところだけど、それはしてない。


遅延型アレルギーってのがあるから気になる人はやってみてねって話でもない。(そういうブログ書いてもいいんだけど、そういうのはまた今度ってこと。)


ここで書きたいことは、「どんな人にも見えないことがある」ということ。


そして、その見えないことは、私の、そして、あなたの想像をはるかに超えているかも知れないということ。


自分の経験、ちょっと読んだネットの記事、そういうものでわかった気分になってはいけない。


そんなこと言われなくてもわかってる?


でも自分が経験したことは、経験として話しくなったり、経験として、人に教えたくなったり、ともすると決めつけてしまったりしてない?


同じ病気だったとしても、人はいろいろで、感じてることや、考えてること、辛さみたいなものは「見えないもの」なんだよ。


そういう「見えないもの」をすべての人がもっていて、その見えないものを抱えたまま世の中を生きている。



ちょっと嫌だなぁ
と思った時、決めつけてないだろうか
ちょっと面倒だなぁ
と思った時、本当にみんな見えているだろうか?


そんな見えないものに溢れていると、ほんのちょっとみんなが考えたら、ほんの少しだけ世の中は良くなるんじゃないだろうか。


仮にそんな世の中になったって、私のアレルギーは治らないけど、例えば友人が、私の「見えない」アレルギーのことを気にかけてくれて、いろいろ考えてくれていることを知っている。


見えないけれど、気にかけてくれようとしている。
それがとてもよく伝わる。
とてもありがたい。


それとは別に、たまには、そういう「見えないこと」が「理解できない人」いることもわかってる。


そういう時、憤るのではなく、それは悲しいことだと捉えて、それでも必要なことは伝える。


そして、今言った「見えないことが理解できない人」であると自分から見たら見える人にも、私の「見えないこと」がいっぱいあると、想像してみたらいいのかも知れない。


今日はきっとそんなことを考える日なんだなぁ、うむ。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 18:28
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【徒然】わからないことばかり
わからないことが多いぷぅコッコです。


月曜日の朝一、ニュースで最初に見たものは、「人身事故で(自分が乗るべき)電車が運転見合わせ中」だというお知らせでした。


自宅勤務に切り替えようかと、会社に連絡のメールを出した。
終日自宅勤務にとも思ったけど、やっぱり今日の会議はFto Fでやりたいから「午前中だけ自宅勤務にして、午後から行きます。」


そうこうしているうちに、運転見合わせ区間が変わり、少し遅れるか?くらいで行けそうだとわかった。


またメールを出して、「見合わせ区間が変わったから、やっぱり行きます」とメールを書いた。


一連の流れのように会社に向かってるのが今。




月曜日、朝一の人身事故。
事故かもしれないけど、月曜日、会社に行きたくなくて、自分で選んじゃったのかな?
実際のところはわからない。




でも、自分にできることは会社に向かうかどうかみたいなことで、それ以上に思いが至らないんだよなぁって。


ファクトフルネスという本を読んだ時、思っているより、世界は良い方向に向かっているということに思いをはせることができた。


日本を含めたいわゆる先進国はファクトフルネスの世界ではレベル4と呼ばれる。
うろ覚えではあるけれど、全てをひっくるめて、一日、32ドルは使える人たち。

1ドル110円として、3520円、一ヶ月を30日とすると、105600円。。。


うーん、最高レベルだと言われてる。
(これ以上の生活をできているということで、ここから先は青天井なのです。)


けど、日本だったら、この値段で全て賄うのは結構厳しいよね。



でも、それは世界で言うところの貧困ではないから、相対貧困と言われるらしい。


いろんなことが発達して、便利になってるはずなのに、「生きづらい」のはなんでなんだろう。


先日読んだ記事、「なぜ弱者を助けなくてはいけないのか?」というヤフー知恵袋への質問だった。


ヤフー知恵袋の回答は見事で、
人類は成長戦略の一つとして、「繁栄する(子を産み育てる)」を選択していて、今後適者生存を考えた時、出来るだけ多くの種を残すというのが繁栄につながるということで、今は弱者に見える人でも多く残していくという戦略を社会としてとっているというわけ。


実際のリンクを貼った方が納得感が高かった気はするけど、すでにどこのリンクか、わからなくなっちゃって。
まぁ、要するに強者が生存するのではなく、適者が生存するというのは間違いないんだな。
いま、弱者に見える人が将来にわたってどういう風に適応していくかはわからないし、今、強者に見える人も、いつ、そうで無くなるかはわからないのね。


これはダーウィン先生も言ってくれておられます。
まさに適者生存!ですよ。



そこで、私は考えた。



弱者を生かすためとかそういうことでなくて、社会はより多くの人を残すということを行なっているんだなぁって。



そうか、それはわかったけど、じゃあ、「社会が良い方向に向かった」としても、「私が幸せ」とか「あなたが幸せ」には繋がらないんだなぁって。


すると、どんなにステキな社会だとしても、「私の幸せ」とは関係ない。


ほんとは関係あるんだけど、だって、少なくともレベル4の生活をしているわけだから、それが幸せというもんだろうと言えなくもない。


戦争もとりあえずは今のところないし、(これから先、ないかどうかはわからないけど。)
暖かい布団で眠れて、温かい食事がとれて、水を汲みに行く心配もない。


それで、満たされないのは、もはや「自分の心の問題」じゃない。


あるもので満足できなくて
なにかと比べて自分を卑下して
自分は無力だと嘆くのは
全部自分じゃないか。



今、感じるのは、いかに「自分を自分で傷つけている」のかってこと。


それは、誰に何を言われたとしても、誰に何をされたとしても、誰が何をしていなかったとしても。



「自分の中で、自分を傷つけてるんだなぁ。」



もう、そういうわからないことと戦うのはやめたらいいとすごく思った。


でも、どうやってやめたらいいのか、わたしにはまだわからないんだよね。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 07:49
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【徒然】大丈夫って言葉が好きだ
大丈夫って言葉について、なんとなく何回も書いてる気がするぷぅコッコです。


私は、「大丈夫」って言葉が好きです。


何か他の人に悲しいことがあった時、言葉をかけるのが苦手なんです。


いや、そんなの得意な人はいないかも知れないけど、気の利いた一言とか、言えたらいいじゃないって思う。


でも、うまくいかないんだよね。


特にカッコつけようとかするとね。


うまくいうより、むしろ失敗を恐れてしまう。
なんて言葉をかけたらいいのか、「正解は何か」そんなことを思ってしまう。


いやー、そういう声かけに、実は正解なんてないんだよ。


もしかすると誰かが悲しいときは、そばにいてあげるだけで十分かもしれないと思うわけだけど、なかなかそうもいかないよね。


だから、「大丈夫」だよ。
って伝える。


悲しいとか、辛いとか、嬉しいとか、楽しいとか全部あっていいし、そういうことに苦しんでる人がいると、なんとなく「大丈夫」だよって伝えてる気がする。


もしかすると私の口からうまくでてないかも知れないけど、実は、「大丈夫だよ」っていつも思ってる。


そしてこれは、自分にも。


強がってるというわけでもなく、結局最後は「全部うまくいくようにできている」と思うから、「大丈夫」


最近は昔に比べるとずっと人に頼るのがうまくなったと思うんだよね。


あっ、ぷぅコッコさんに頼られてわーって思った方、
いつもありがとう!


もっと頼っていいのに!って思った方!
いつもありがとう!


まぁ、そういうの関係ないわ
と思った方。
まぁ、それはそれで、とにかく大丈夫です(笑)


とにかく色々あるけど、大丈夫!


んー、まとまりないねー。
まーいいや。
とにかく、大丈夫です。


(いっぱい書いてたら、なんかダメな気がしてきた(笑))
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 20:23
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