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【徒然】会いたい人にはあっておけということ
会いたい人にはあっておけというのをご本に書かれていたのは、林文子さんだったなぁというのをおぼろげながら思い出したぷぅコッコです。


昨日なんですけど、一日お休みをいただき、ソウルメイトとも言うべき友人に会いに行きました。


彼女の言葉で
「私たちがであったのは平成元年でしょ!」

「あれ、そうだっけ?」
え、高校の時に平成になったんじゃなかったっけ?
「いやいや、平成元年入学ってのを覚えてるもん」
と、友達。


そう、自分経歴すら改ざんしちゃうレベルのはるか昔、30年前に私たちは出会ったのでした。


そして、平成最後の4月、会いに行きました。


ずっと会いたいと思っていて、それでも「台湾に住んでるから」
「お互いに時間が取れないから」
自分に言い訳してました。


たしかに彼女は4人のお子ちゃまのお母さんで、一番下の子は3歳です。


文字通り私の短い帰国に合わせるには厳しかったかもしれない。
と、おもいかえしてみる。


台湾に住んでるから〜
みたいのはあったけど、いろいろあって私は日本に戻ってきたんですね。
今、ここ、会うべきだよね。


まぁ、ちょっと帰ってきてしばらくは忙しすぎて、なかなかに難しかったんですけどね。時間取るのが。


しかもなかなかに遠征しないと行けないと言うね。
それでも、会いたい人には会いに行こうよ。
だって、人生はいつ終わりになるかわからないから。
わからないことだらけだから、、、
だからこそ、今、その時間を作る。


まぁ、それで会いに行ったんですね。

高校生の頃からですけど、彼女はとてもキュートな人で、それが1mmもブレてなかった。


あの日、あの時、私たちは、まだまだうら若き乙女で、
高校生の頃はそんなこと思わなかったけど、高校生なんて実はみんなそうだと言うことに、気がつくのに30年とかかかるわけ。


それでも私がソウルメイトだ称する彼女は、あの頃と変わらず、キュートなままだった。


4人のお母さんで、大変じゃないわけないのに、私の話を、孫の話でも聴くかのような熱心に聞いてくれて、高校生の頃のように私のくだらない話に笑ってくれた。


昔に戻ったように、全然会っていなかったとは思えないと言うようなことは、話には聴くけれど、あるんだろうかと思っていた。
(いやいや、あるんだけどさ。他のところで体験したこともあるわけで、こわなドラマチックな表現にする必要もないんだけど。)


まぁ、ちょっと不思議な体験なのよ。


出会って話すことというと、高校生の時に戻って思い出話ししたわけでもない。そもそも、先生たちの名前も一部を除いてわすれちゃってるくらいだから。
(ちなみに共にお世話になった先生以外で彼女が覚えている先生は、私が頻繁にネタとしてモノマネしていた先生たちで、おそらくそれは先生ではなく、私のモノマネを覚えてくれているんじゃないかと言うレベル。
ネタとしてやってること高校時代も、今もあまり変わらない自分!グッジョブ!と思った瞬間である。)


昨日も話したんじゃない?
ってなくらい、緊張するでもなく、気負うでもなく。
そんなことあるだろうか。


そんなことが起こるって、高校生の頃に想像できただろうかと思う。


それで、彼女とは確かに知り合って30年なわけだけど、芯に流れているものが変わらないからこそ、そう言う素晴らしいことが起こるのかもしれないなぁと思う。


それは、高校の時の友達ならみんなそうなるってことではなく、彼女だからそうなるだろうなと。


高校の時も、大学の時も、大学院の時も、その後の社会人になっても、どこかで出会って「また会いたい人」というのは現れる。


そして、それは、もっと早く会っていたら、もっと濃密になるとかではないし、会えなかった時間があるからと言って変わるものでもなく、同じ年代である必要もなく、必要な時に必要なところで出会っているんだと思う。


全ては偶然であるわけだけれど、「私はあなたに会いたいです」というのを表現して、会いに行くってのを引き寄せないと出会えないんだよね。


今、出会う人も、もしかしたら30年後、こんな体験をする候補かもしれないわけだから。


そうやって知り合って、会いたかった人と、会ってすごす時間はものすごく短く感じられて、時間が足りないよっていつも思う。


笑わせるだけでもなく、全然違ったところで起こっていることに共感したり、人それぞれ起こってることは違うから想像力も必要なんだけど、そんなの感じさせないくらいに。たまには、刺さること言われて心で泣いたり。
(ちなみにそういう時は、帰りの電車やら、数日後の電車やらで泣いたりするので、だいぶ恥ずかしい思いしたりしてます。)


彼女にだけ教えてもらったわけじゃないけど、やっぱり、会いたい人には会いに行かなきゃね!


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 18:48
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【徒然】時間は多分解決してくれない
友人と話をしながら「時間が解決してくれるよ」といいかけて言葉を飲み込んだぷぅコッコです。


「時間が解決してくれる」
なんとなく都合よく使ってるけど、よくよく考えてみるとそんなことあるか?
って思う。


何かうまくいかないことがあるとき、ほおって置いたら、解決するか?
と言われたらそんなことないよね。


ただし、何かを今すぐ解決できないことはある。


でも、解決できない何かについて、そいつを解決すべく、何かやっていたんじゃなかろうか?


それこそ、白鳥が見える部分は優雅でも、足元は必死で、それは人には、ほかの白鳥にも見えないものがあるように。


その結果は、大学受験ぐらいなら自身が頑張ったとか頑張らないとかでいろいろあるかもしれないけど、ほかのことに関すると、人生においては、かなり運要素が強い気がしている。


運がいいとか悪いとかそう言うことじゃなくて、言いたいのは
「自分ではコントロールできない」
ということ。


自分でコントロールできないからといって、そのままなにもしなければ、時間が解決してくれるわけじゃない。


そこまでにやった全てが乗っかって、その上に運も乗って、時間も乗って、解決したりしなかったりする。


時間は解決してはくれないけど
時間がかからないと結果のわからないことは人生にいっぱいある。


その時々で、決めたそのことが、結果に繋がってるかもしれないだけで、それが全てでもない。


その瞬間瞬間を一所懸命に生きるしかないじゃん。


と、思いついて、冒頭の言葉を飲み込んだ。


時間がかかったとしても、かからなかったとしても決めるのは自分で、自分で決められないことは日々の自分を信じて、サムシンググレートに任せるしかないじゃない。


案外、そんなことで成り立ってるんだよって、自分に言いたいだけなのかもしれないけどね。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 20:21
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【徒然】頑張ったママさん、パパさんへ
今年、息子2号が小学校を卒業しまして、小学生ママを卒業したぷぅコッコです。


自分の息子2号が卒業したこともありますが、卒業、卒園などが気になる季節です。


それぞれに子どもたちは頑張った。


そして、『おめでとう』


そう、どうであれ、めでたいのだ。
どんなことがあっても、なくても、本人にとってはあんまり良くない時間だったとしても、素晴らしい時間だったとしても、いずれにしても何かを『卒業』するというのはすごいことなんだと思う。


まぁ、そういうことは、大人になってしかわからないことで、子どもたちは無事に『卒業』『卒園』を迎えて、多くの方に『おめでとう』と言われて、それで良いのだと思う。


そこで、まぁ、子どもはそうなんだけど、ここに至るママさんやパパさんも実は『卒業』だし、『卒園』なのだ。


日本はいろいろある、いろいろあるから、実は一筋縄でいかなかったことは、子どもたちだけではなく、親にもあったはず。


それは自分の子どものことだけではなく、そこに属することで、友人になった人がいたり、それとは別に対立したり、勝手のわからない組織に翻弄されたり、素晴らしい先生方との出会いがあったかと思ったら、「そりゃないよ」って先生にもであったかもしれない。


それも、これも、実は子どもがどこかに入学、入園して、経験して、積んできたことだと思う。


子どもが卒業する、卒園するだけの時間、そこに至るまで、同じだけの時間を、費やしてきたんだと思う。


仕事をしてたり、仕事をしてるわけじゃなかったり、そんなに子どもに対しても学校に対しても何をしたわけでもない。
そんなことを思ったりするかも知れない。


それに、子どもが卒業したからって、ママやパパを「頑張った」って言ってくれる人はいないと思う。


自分で考えたら、
『こうもできたかもしれない』
『こうしたほうが良かったかもしれない』
『あの時、こうしておけばよかったのかもしれない』
のオンパレードか、それを超えた上での、『ほっ』とした感なのかもしれない。


でも、それについて、『頑張ったね』
って言ってくれる人はいない。


いいじゃないか!
言われても。
『頑張ったね』って。


何に使うともわからない資料に、子どもの名前を書きまくって
それなのに、持っていかない子どものランドセルにそれらを突っ込んだり


「明日、習字で新聞紙いるんだよね」
ってめっちゃ夜中に言われて、コンビニまで新聞紙買いに行ったことも


子どものことで、自分よりも明らかに一回りは下ではないかと思われる先生に怒られたり


書き始めたらきりがない。


そんな伝説が終わって『ほっ』とするだけではなくて、それだけ、頑張ったんだと思う。


形はみんな違うかもしれない。
男の子なのか女の子なのかでも悩みは違ったかもしれない。


自分が思ってるほど、子どもに手をかけられなかったということもあるかも知れない。


いっぱいの思いがあるけど

褒められることなんて一つもないのかもしれないけど、
『頑張ったん』 だよ。


だから、一日くらいは
子どものためだけでなく
ママやパパ自身のために
『卒業おめでとう』
『卒園おめでとう』
『とっても、とっても頑張ったね』
って言おうよ。


ということで、頑張ったママさん、パパさん!


『卒業おめでとう!頑張ったね』




まー、そうなんだけど、終わりじゃないんだよね。
少なくともうちの子どもはまた入学するんだわ。

さて、また、何に使うかわからん書類に名前書きからはじめなきゃ(笑)
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 21:21
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【徒然】見えないもの
アレルギーって目に見えないんだぜ!って思ってるぷぅコッコです。


いやいや、思ってるっていうか見えないから(笑)


最近は花粉症に悩まれてる方もいらっしゃると思うんですけど、まぁ、花粉も目に見えない(見えるほどのこともあるけど、そりゃそれでエライコッチャ)もので、でも花粉症になったことない人にとってはなんで常にマスクしてるのかなんてわからないくらい感じないこと。


私には食品にアレルギーがあって、食べたから死ぬわけではない(アナフィラキシーショックなどで速攻倒れたり、いきなり気道が腫れまくって息ができなくなったりはしない)とは言え、遅延型のアレルギー検査で反応のあった食品をたべると、ものすごく具合が悪くなる。


次の日に一日中寝込まないとダメなレベルと思ってもらうと、だいたいそんな感じ。


この遅延型のアレルギーで出た物質が全部食べられないわけではないし、反応のないものもある。


それで具合が悪くなるとか不調が出るのかどうかは、私が、私自身の身体をはって実験しなくてはいけない。


実験は簡単!
該当食品を2週間口にせず、その後、また食べてみるというのをやって、不調になるかどうかを確かめる。


概ね結論は出ていて、遅延型のアレルギー検査でかなり危険(たまには振り切ってるやつもある(笑))な物資を食べなくなって、しばらくして、「もしかしたら大丈夫かも」と、思って口にして、ことごとくひどい不調に襲われることになった。


慢性的に食べていた時は、慢性的に不調だった。
いつも眠かったし、いつも頭がぼーっとしてた。


そういうものが晴れてくるのを感じた。
アレルギーのある食品を取らなくなって。


そのかわり、口にすると一回一回の不調はとんでもなくひどいことになった。


でもそれは、私が知ってるだけで、表には見えない。



食べられないものがある。
それでも食べられるものもある。
ほんの少しだけなら、自分に不調が感じられないレベルで抑えられるものもある。


でも、それを知っているのは私だけで。
それは私のことだから当たり前だけど、他の人には当てはまらない。


どんなに聞き知った症状が同じだとしても、他人がアレルギーだ言ったら、「ここまでは大丈夫だ」なんて言えない。


その「ココ」は、私の、検体一人の結果。
それでも、その結果は、唯一私にとっては、絶対的な結果なのだ。



なんで、こんなことに!!っていつも思う。


「食べられなくて大変だね〜」
なんだけど、「食べられなくて大変」は食べなければいいので、別にいいんだけど、出されたものが食べられるものなのかどうか見極められない時の方が困ったことになる。



さて、あら、ぷぅコッコさんアレルギーで大変なのね〜
ってことを訴えたくて書いたわけじゃないんだな。


ご存知の方もいるので、「あー、ぷぅコッコさん、この食品食べられないよね」って、読みながら思ってくれた方もいるかもしれない。


でも、気がついたかも知れないけど、私は何が食べられないのかこのブログで書いていない。


実はアレルギーの話をしたいわけじゃないんだ。
そこを詳しく書きたいなら、検査の内容やら、なんやらかんやらを書き込むところだけど、それはしてない。


遅延型アレルギーってのがあるから気になる人はやってみてねって話でもない。(そういうブログ書いてもいいんだけど、そういうのはまた今度ってこと。)


ここで書きたいことは、「どんな人にも見えないことがある」ということ。


そして、その見えないことは、私の、そして、あなたの想像をはるかに超えているかも知れないということ。


自分の経験、ちょっと読んだネットの記事、そういうものでわかった気分になってはいけない。


そんなこと言われなくてもわかってる?


でも自分が経験したことは、経験として話しくなったり、経験として、人に教えたくなったり、ともすると決めつけてしまったりしてない?


同じ病気だったとしても、人はいろいろで、感じてることや、考えてること、辛さみたいなものは「見えないもの」なんだよ。


そういう「見えないもの」をすべての人がもっていて、その見えないものを抱えたまま世の中を生きている。



ちょっと嫌だなぁ
と思った時、決めつけてないだろうか
ちょっと面倒だなぁ
と思った時、本当にみんな見えているだろうか?


そんな見えないものに溢れていると、ほんのちょっとみんなが考えたら、ほんの少しだけ世の中は良くなるんじゃないだろうか。


仮にそんな世の中になったって、私のアレルギーは治らないけど、例えば友人が、私の「見えない」アレルギーのことを気にかけてくれて、いろいろ考えてくれていることを知っている。


見えないけれど、気にかけてくれようとしている。
それがとてもよく伝わる。
とてもありがたい。


それとは別に、たまには、そういう「見えないこと」が「理解できない人」いることもわかってる。


そういう時、憤るのではなく、それは悲しいことだと捉えて、それでも必要なことは伝える。


そして、今言った「見えないことが理解できない人」であると自分から見たら見える人にも、私の「見えないこと」がいっぱいあると、想像してみたらいいのかも知れない。


今日はきっとそんなことを考える日なんだなぁ、うむ。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 18:28
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【徒然】わからないことばかり
わからないことが多いぷぅコッコです。


月曜日の朝一、ニュースで最初に見たものは、「人身事故で(自分が乗るべき)電車が運転見合わせ中」だというお知らせでした。


自宅勤務に切り替えようかと、会社に連絡のメールを出した。
終日自宅勤務にとも思ったけど、やっぱり今日の会議はFto Fでやりたいから「午前中だけ自宅勤務にして、午後から行きます。」


そうこうしているうちに、運転見合わせ区間が変わり、少し遅れるか?くらいで行けそうだとわかった。


またメールを出して、「見合わせ区間が変わったから、やっぱり行きます」とメールを書いた。


一連の流れのように会社に向かってるのが今。




月曜日、朝一の人身事故。
事故かもしれないけど、月曜日、会社に行きたくなくて、自分で選んじゃったのかな?
実際のところはわからない。




でも、自分にできることは会社に向かうかどうかみたいなことで、それ以上に思いが至らないんだよなぁって。


ファクトフルネスという本を読んだ時、思っているより、世界は良い方向に向かっているということに思いをはせることができた。


日本を含めたいわゆる先進国はファクトフルネスの世界ではレベル4と呼ばれる。
うろ覚えではあるけれど、全てをひっくるめて、一日、32ドルは使える人たち。

1ドル110円として、3520円、一ヶ月を30日とすると、105600円。。。


うーん、最高レベルだと言われてる。
(これ以上の生活をできているということで、ここから先は青天井なのです。)


けど、日本だったら、この値段で全て賄うのは結構厳しいよね。



でも、それは世界で言うところの貧困ではないから、相対貧困と言われるらしい。


いろんなことが発達して、便利になってるはずなのに、「生きづらい」のはなんでなんだろう。


先日読んだ記事、「なぜ弱者を助けなくてはいけないのか?」というヤフー知恵袋への質問だった。


ヤフー知恵袋の回答は見事で、
人類は成長戦略の一つとして、「繁栄する(子を産み育てる)」を選択していて、今後適者生存を考えた時、出来るだけ多くの種を残すというのが繁栄につながるということで、今は弱者に見える人でも多く残していくという戦略を社会としてとっているというわけ。


実際のリンクを貼った方が納得感が高かった気はするけど、すでにどこのリンクか、わからなくなっちゃって。
まぁ、要するに強者が生存するのではなく、適者が生存するというのは間違いないんだな。
いま、弱者に見える人が将来にわたってどういう風に適応していくかはわからないし、今、強者に見える人も、いつ、そうで無くなるかはわからないのね。


これはダーウィン先生も言ってくれておられます。
まさに適者生存!ですよ。



そこで、私は考えた。



弱者を生かすためとかそういうことでなくて、社会はより多くの人を残すということを行なっているんだなぁって。



そうか、それはわかったけど、じゃあ、「社会が良い方向に向かった」としても、「私が幸せ」とか「あなたが幸せ」には繋がらないんだなぁって。


すると、どんなにステキな社会だとしても、「私の幸せ」とは関係ない。


ほんとは関係あるんだけど、だって、少なくともレベル4の生活をしているわけだから、それが幸せというもんだろうと言えなくもない。


戦争もとりあえずは今のところないし、(これから先、ないかどうかはわからないけど。)
暖かい布団で眠れて、温かい食事がとれて、水を汲みに行く心配もない。


それで、満たされないのは、もはや「自分の心の問題」じゃない。


あるもので満足できなくて
なにかと比べて自分を卑下して
自分は無力だと嘆くのは
全部自分じゃないか。



今、感じるのは、いかに「自分を自分で傷つけている」のかってこと。


それは、誰に何を言われたとしても、誰に何をされたとしても、誰が何をしていなかったとしても。



「自分の中で、自分を傷つけてるんだなぁ。」



もう、そういうわからないことと戦うのはやめたらいいとすごく思った。


でも、どうやってやめたらいいのか、わたしにはまだわからないんだよね。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 07:49
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【徒然】大丈夫って言葉が好きだ
大丈夫って言葉について、なんとなく何回も書いてる気がするぷぅコッコです。


私は、「大丈夫」って言葉が好きです。


何か他の人に悲しいことがあった時、言葉をかけるのが苦手なんです。


いや、そんなの得意な人はいないかも知れないけど、気の利いた一言とか、言えたらいいじゃないって思う。


でも、うまくいかないんだよね。


特にカッコつけようとかするとね。


うまくいうより、むしろ失敗を恐れてしまう。
なんて言葉をかけたらいいのか、「正解は何か」そんなことを思ってしまう。


いやー、そういう声かけに、実は正解なんてないんだよ。


もしかすると誰かが悲しいときは、そばにいてあげるだけで十分かもしれないと思うわけだけど、なかなかそうもいかないよね。


だから、「大丈夫」だよ。
って伝える。


悲しいとか、辛いとか、嬉しいとか、楽しいとか全部あっていいし、そういうことに苦しんでる人がいると、なんとなく「大丈夫」だよって伝えてる気がする。


もしかすると私の口からうまくでてないかも知れないけど、実は、「大丈夫だよ」っていつも思ってる。


そしてこれは、自分にも。


強がってるというわけでもなく、結局最後は「全部うまくいくようにできている」と思うから、「大丈夫」


最近は昔に比べるとずっと人に頼るのがうまくなったと思うんだよね。


あっ、ぷぅコッコさんに頼られてわーって思った方、
いつもありがとう!


もっと頼っていいのに!って思った方!
いつもありがとう!


まぁ、そういうの関係ないわ
と思った方。
まぁ、それはそれで、とにかく大丈夫です(笑)


とにかく色々あるけど、大丈夫!


んー、まとまりないねー。
まーいいや。
とにかく、大丈夫です。


(いっぱい書いてたら、なんかダメな気がしてきた(笑))
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 20:23
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【徒然】言い方が嫌だと思う時
日本語はわかりすぎてつらいわって、たまに思うぷぅコッコです。


「あー、あの人の言い方気になるわー」
そんな時、大抵は嫉妬の感情が湧いてるとか、何か自分の中にできないことがあってあたかもそれを指摘されてるような気がしたり、ともすると人格を否定されてるような気がしてしまったり。


ここで、わかっていることは何か。


多分一つくらいしかない。


それって、嫉妬してるとか?
相手が私を攻撃しようとしてるってこと?
いやいや、私のことを思って言ってくれたのよ。


違う違う全部違います。


わかっていることは
「相手がなぜそういう言葉を選んで、言ったのかは、本人以外に誰もわからない。」
ということです。


想像するのは勝手です。


そもそもそういう喋りの人なんだ。
いやいや、きっと今日機嫌が悪かっただけだ。
ほんとは私のことが嫌いだ。
いえいえ、私のことを心底思って言ってくれたのだ。


そうそう、そうやって思って悩むのよ。


でも必要ないですね。それ。
彼か、彼女かわからないけど、彼らは、何か伝えたいことがあってその言葉を選んで私に話した。


ということ。
どーでもいいですが、相手が何を思っていったかはこちらには全くわからないことです。


なかなかできないですけど、
「言い方嫌だなぁ」と思ったら、まぁ、私にとってはなんか嫌なことがあるわけですよ。
それはそれで、「なんで嫌だと思ったのかなぁ」って、嫉妬な話の時も書いたけど、立ち止まるのね。


それで、相手の方について思うことだけど
何かいいこと、悪いことを探そうとするんじゃなくて。


「相手にも好きに私に喋っていい権利がある」と思ってみる。


何かをお願いして、
相手は嫌だと思った。
そしたら「嫌だと言っていい」んです。


こんなに丁寧に頼んだのに。
そんなに忙しいはずないのに。
そんなの関係ないんです。
断ってもいいし、どんな表現使ったって良いんです。


あ、それを受け入れろって話じゃないっすよ。


どんなに頑張っても変わりませんから。
そういう人とは、ちゃんと距離をとってください。


あなたのため思っていってるとは限らないってことです。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 16:20
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【徒然】考えるのやめればいいよ。
嫉妬の感情は醜いのか!?という疑問に一つの答えを!ぷぅコッコです。


嫉妬って、どうですか?


なんか、嫉妬してるとかってカッコ悪いですか?


女性の嫉妬
男性の嫉妬
質が違うそうです。


ぷぅねーさんがもうちょっと若い時の話ですけど、たいそう人間関係に悩んでいた時、ある先輩から言われたことです。


「それってさ、嫉妬されてるんじゃない?」


まじか?私は嫉妬の対象になるような人間と自分では思ってなかったので、ものすごく驚きました。私に嫉妬してるであろうと、想定されて方は男性でしたので、むしろわからない感じでしたわ(笑)


意識的になのか、無意識でやってたのかは知りませんけど、とにかく「嫉妬」で読み解くと、その人の行動が妙に納得いくものであり、私ではどうにもならない。要するに私が悩んでも無駄だということに気がついて、「あー、くだらねー」って気分になったのを思い出しました。


それで、御多分に洩れず、自分も嫉妬するんですよ。


すんごいくだらないことで。。。
「隣の芝生は青い」と言いますけれども、まぁー、隣の芝生だろうがなんだろうが、すげーよく見えるじゃない?


それこそ、「あの人の鼻が高いのが気に入らない!」レベルのしょうもない嫉妬に、今日も明日も襲われるんだな。


そうなると、もう、鼻だけが嫌だったのに、喋りが嫌だ、生き方が嫌だ、あの人だけ幸せでずるいだ何だかんだ。。。
探せばいくらでもですよ。


でも、そこで、賢明な大人なあなたは、思います!


「これは、もしかしたら嫉妬かもしれないわ!嫉妬するなんて、、、嫉妬するなんて、、、大人としてカッコ悪いじゃない!?醜いわよ!
嫉妬なんて、ダメ!
嫉妬禁止ってことにしよう!
よし、これを習慣に!!!」


おっ、素晴らしいですね。
嫉妬することをやめるわけですね。
そう、それをね、習慣に!
そして素敵な大人に!
いいじゃないですか、素敵じゃないですか。


あーでもさ、生体反応レベルの嫉妬って、大人だろうが子供だろうがあって、そんなの無意識に出てくるんだよね。


大人に至っては、子供の頃から競争に晒されて、無意識の中に常識という名で積み重ねた嫉妬のタネがわんさかあるわけ。


そういうことを感じさせたくないから、子供には競争をさせないように。。。
と、やっといて、社会に出るといきなり嫉妬の渦に。


競争しないなんて社会は実はないわけです。
いつから晒されても、それなりに傷つく人は傷つくし、嫉妬の感情も芽生えますよ。
そんなもん。


子供の競争の話はまた今度ってことにして。


とにかく大人で、嫉妬で、なんて、かっこ悪くて、なんか嫌だから。。。


嫉妬を感じることを「やめることにする」


それね、できないですよ。


有名な話ですけど、「ピンクの象を想像しないでください。」


あっ、いま、皆さん頭にピンクの象浮かんでますよね。
言われた瞬間にそうなっちゃうんだな。
ってことで、「しないようにする」ってのはそもそもできないんだな。


意識してできることなんて、無意識に進んでることに比べたら、全然無力だわよ。
と、打ちのめされるわけ。


それでも嫉妬したくないんですけど。


わかります!
それ、すごくわかります。
でも、無理です。


だから、なんかイライラしてる。。。
よくわからないけど、すごく嫉妬してるみたい!


ってわかった瞬間に「考えるのをやめます。」
考えるのをやめるってのは、実はできます。


え、でも、嫉妬の感情がなくならないんですけど。
そう、それは当たり前です。
嫉妬しようと「考えてる」んじゃなくて、嫉妬という感情、、、ほんとはもっと分解すると、悲しいとか、虚しいとかそういう感情をその瞬間に感じているんです。


だから「大人だから嫉妬するなんてやめなきゃ!」って考えるのを「やめます」


そして、いま感じてることを、味わってください。
全身で。
なんか気がつくと酸っぱい味がする。
手が冷たくなってる。
なんか惨めな感じがする。


そういうのを全部感じてください。


そこが入り口。


なので、最近は「あーこの人の声を聞くと、イライラするんだよなぁー、あぁこれ嫉妬か。。。」


と、思い当たった瞬間に、考えるのをやめて、ひとまず静かになってみる。


感じるって言われても、「感じる」がよーわからんっていう場合は、自分が呼吸してるなぁーってことに集中してみる。


椅子に深く腰掛けてるなぁ、腰が椅子にあたってるよ、とか、いま自分がどうなってるかを観察する。


などで、考えるのをやめます。


あ、こんな話をすると、嫉妬するのは所詮無意識だから受け入れろとかいうのかしら?と思うでしょ。


いや、できればそーすればいいけど


そもそも「しなきゃいけないこと」は存在しないので、なんというかな「あー嫉妬してると私はこうなるんダァ〜」って「わかるだけ」でいいんじゃないかなぁ〜。


「考えちゃダメ」も考えない。
「受け入れなきゃダメ」も考えない。


あー、そーかーって観察するだけ。


自席でうまくいかないなら、ちょっとトイレに立ってみるとか、そういうのを試してもいい。


今、この瞬間、考えるのをやめる。


そういうことね〜。


嫉妬の感情は醜いのか?ってのに答えを出すとしたら
醜いとかじゃなくて、「ある」ってだけだね〜。


もうちょっと感じ続けたら、さらに正体がわかるかもね〜。


ゆるーく生きましょうよ!


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 14:16
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【徒然】気が置けないということ
ふと、思い立って、プレゼントしたくなることないですか?


お世話になってるからとか、なんか持ってった方がいいかなぁとか、慣習だとか、まぁ、いろんなプレゼントの形は有ると思うんだよね。


それはそれでいいと思うんだけど、なんか自然とあげたくなっちゃう人がいるんだよ。


もちろんお世話にもなってるし、いろいろよくしてもらってるんだよね〜ってのはあるけど、その人たちの顔を思い出し、喜んでくれるんじゃないか?しか考えてない。


そんなプレゼント。


そんなプレゼントを渡したくなるような友達と会う。


その時に、「あっ、最近、めちゃめちゃお世話になってる方になにもしてないや」って思い出したりして。
それはそれで、その人を思い浮かべながら、思い出させてもらったことに感謝しながら、またプレゼントを選んでみたり。



そうやって、プレゼントを渡したくなるなる友達と会うと、すごくエネルギーをもらえたりする。


なんの力なのかわからないけど、自分の中の、凝り固まっていた部分がほぐされているのを感じるんだね。


一緒に食べたご飯が美味しかった
話した話が面白かった


そういうこともあるのかもしれないけど、そうじゃなくて、
いろんなことが
「楽しかったなぁ」
って、思うのではなくて、そう感じる。


それこそ、帰りの電車でふと、自分のことでもないのに、スッゲー幸せ
って思ったり。


そんな瞬間に思う。


あー、これだ!
これが「気が置けない」ってやつだ!


そういうことに気が付けるって、実はとっても贅沢なことなのかもねって思ったりね。


自分の感情が「楽しい」とか「ホッとする」ってのをもっと大切にしなくちゃいけないなぁーとかね。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 23:03
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【徒然】泣きたかったのか、私は。
ブログ更新してないなぁ〜ぷぅコッコです。


ネガティブでもないんだけど、ネガティブっぽいネタを書いて、シェアするとみんなに心配されちゃうなぁ、と思ったりしてます。


まぁ、それで書けないというより忙しすぎて、書けなかったというのもあるかなと思ったりしてます。


それは置いといて。


今日、FBを見てたら、高校時代からの友人、いやいや、友人というよりもソウルメイトのような人なんだよね。その子は。


だって、高校時代から知ってる友達で、しかも1人目の息子を取り上げてくれた人ですからね。


息子からしたら第二の母ですよ。
まー、そんなこと刷り込んだことはないけどね(笑)


その彼女がブログを最近はじめて、記事をアップしてFBでシェアしてくれたんだよね。


彼女が助産師さんになった理由。



昔、そう、高校の頃から、彼女の夢が助産師さんで、それに向かって努力というか、全てが、彼女の全てがそれに向かっていたように思うんだよね。


少なくとも私はそう思ってた。


だから、、、だけじゃないけど、自分が妊婦になったとき、彼女に我が子を取り上げて欲しいと思ったのよね。


私の記憶にある彼女の顔はいつも、本当にいつも笑っていて、本当にそれしか思い出せないんだな。


どちらかというとネガティブ満開な高校時代の私から思うと、なんとも、大変なこともあるだろうにってのが想像できないくらい、パワフルでいつも笑ってる人だったの。


その彼女が高校時代に助産師さんになろうとした理由は、私にとってあまりにも衝撃で、その場で号泣。よんだ途端に号泣だった。


あの笑って、いつも笑っていて、励ましてくれていた彼女は、きっとその当時、誰に相談することもせずに、決断して、1人抱えて、でもそれを誰に見せることもなく、ずっと笑ってくれていたんだなぁ。


そんなこと、一ミリも知らなかった。


こういう話を書くと、「水臭いなぁ〜言ってくれればよかったのに〜」なんて思ったのかしら、ぷぅコッコさん?なんてことを思う方もいるかもしれないけど、そういうことじゃないのよね。


なんと言ったらいいかな。


彼女が抱えていた問題は、そんな気軽に話せることでもなく、今、それらをシェアすることは、きっと彼女が、これから人生でやっていきたい活動にきっとプラスになると思って書いてくれたことだと思うんだよね。


私は、彼女の笑顔しか思い出さないって書いたけど、たしかにいろんなことはあるけど、きっときっと幸せなんだと思い込んでたんだよね。
(いや、実際、不幸だったわけではないと思うけど。)


自分の尺度で、「幸せそうだなぁ」って。


助産師さんになるって話だって高校時代に聞いたと思うけど、「将来、なりたいものをちゃんと見据えてて偉いなぁ」くらいなことしか思ってなかったんだと思う。


まー、過去のことで、記憶も私のいいように改ざんされてますから、ほんとんところはどうかわかりませんが、少なくともそんなイメージを持ってたと思う。



時は過ぎて
もうだいぶ大人になって、それでもウジウジしてる頃。
いやいや、実は今でもウジウジしてるかもしれない。まぁ、それは置いといて、そんな頃。


今ではとても好きな名言に出会ったのよね。


あっ、ちなみに、好きな名言は他にもいっぱいあるけどね。


Be kind, for everyone you meet is fighting a harder battle.


親切にしなさい。あなたが会う人はみんな、厳しい闘いをしているのだから。


プラトン


出会う人がみんな厳しい闘いをしてるなんて、想像もしてないし、できない高校時代だったというわけ。


なんなら、私はちょっぴり不幸で、みんなは私よりちょっぴり幸せみたいなね。


それでも現実には、みんな厳しい闘いをしているんだよ。



それで、そのFBの投稿に、すかさずコメントをしたのよね。


そのコメントにすぐに彼女は返してくれたの。
長らく会ってなかったので、会いたいよねって言ってくれる彼女は、コメントの最後に


「(ぷぅコッコさんからも話聞きたい。ぷぅコッコさんも)いろいろ頑張ってきたじゃん」


と、書いてくれたのよ。


また、号泣ですよ。
ほんとね、彼女のブログも、コメントも会社で読んだもんだんだから、号泣も、会社でですよ。


トイレに駆け込んで、トイレットペーパーで涙を拭うというね。


そんなに涙を流したら、なんというか、目も真っ赤になるわけで、誰にも聞かれなかったけど、聞かれたら
「ひどいかすみ目で涙が」
って言おうって、言い訳を考えたくらいだよ。


どーなってんだか。


「いろいろ頑張ってきたじゃん」


そう、ここのところ日本に戻ってから、いや、戻る前もだけど、有形無形に頑張ってきたのよ。


人様の評価は置いといて、自分としてはそうなのよ。


でも、そういうのブログには書けなかった。


いや、まぁ、書けばなんというかな、役に立つこともあるかなと思ったりもするんだけど、これ。


実際にはそんなにうまくいかないなってね。


それで、そういうの気がついてくれてる人も実はいっぱいいて、ほんとありがたいなって思う。
そうかと思うと、今回の彼女のブログじゃないけど、とても近しいソウルメイトなのに気がつかないことがあって、などなど、心の中はぐちゃぐちゃで、涙が止まらないのよ。本当に。
その時、「はたと気がついた」のよね。


私、多分、ずっと、泣きたかったんだなぁって。


そして、そのきっかけをもらった。



それ以外にも思いはたっくさんあるけど、その涙で、その自分から流れ落ちる涙で、ここんところ数ヶ月のなにか、何かにもならない、いろんなものが落ちていったなぁって。


ぶっちゃけ、泣きセラピーしたいですわってくらいてんてこ舞いだったんだけど、これね、なかなか1人だと泣けないのよね。


裏を返すと、そんぐらい疲弊してるのね。


泣くのもこれでいて、パワー要るからね!うん。


そんなことを思っていると、まぁ、そうなのよ。


遠くにいても、なにをしててもやっぱり彼女はソウルメイトで、私の中では、どんなことがあっても、パワフルでいつも笑って、太陽みたいな人だなぁって改めて思ったのよね。


そんな彼女に!
「いつもいつもありがとう!私はあなたをずっとずっと応援してるよ!」


と、ブログで伝えてみる。


そして、ブログ読んで、ぷぅコッコさん、大丈夫って聞きたかったって皆さんに。


「いつもいつも本当にありがとう、また、私のシェアできることを増やすので待っててね!」

と、書いてみたりする。


会社でやるとかなりかっこ悪いけど、泣けてよかった!


みんなみんなありがとう!!

author:ぷぅコッコ, category:徒然, 17:49
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