RSS | ATOM | SEARCH
【セミナー・勉強会】ストレングスファインダーのセッションを受けたよ。
ストレングスファインダーセッションのあとね、ピアノコンサートに行きまして「心洗われた」ぷぅコッコです。


そう、この話は多分、私の強みにつながる。思いっきり思いつきで申し込んだピアノコンサート。


「蜜蜂と遠雷」って映画でさ、松坂桃李演じるピアニストの吹き替えをやった人のコンサートが近くであるってんで申し込んだんだな。かれこれ4ヶ月くらい前。


その思いっきり思いつきの行動が「私の強み」というわけなのだが。。。


それって、どうなのよ。。。という気もしますけど、ブログ読んだら、なるほどって思うかもよ。


ということで、本日、受けたセッションの話ね。


ストレングスファインダー
ご存知かな?


私が説明をこねくり回すよりも、ググって、コピって拾ってこよう。


「ストレングスファインダー」とは、アメリカのコンサルティング会社「Gallup社」が開発した自身の強みを明らかにする自己分析ツールで、今では一般的な自己分析ツールとなっています。


ということでね、自分の強み!明らかにするのよ。
え?自分の才能?みたいなもの?


うーん、セッションやってもらってはっきりしたけど、才能というかどうかは言葉の定義によるよね。


在り方、どうであれ、自分のあり方が詳らかにされるイメージだね。


それで、まぁ、これね、今回よりも前に受けたことがあるんだけど、、、だいたい読んで、ふーん。。。って。。。


ちゃんとこのストレングスファインダーについて勉強した人とかコーチングとかしてもらうとか、そういう勉強でもすれば、活かし方がわかるんかなぁーって、前にやった時は思ってました。


今回、セッションを受けるにあたって、講師の先生から、「前の結果を共有して」って言われたんだけど、前の結果なんて、あなた、どんなだったか覚えてないし、そもそもストレングスファインダーのサイトへの入り方すらも怪しいとあって、「もう一度受けたい!」と、お願いしまして、受け直したんだね。


そうこうしてたら、前の結果も見られるようにはなったんだけど、まー、なんかめんどくさいや(よくよく考えたら170問以上ある質問にもう一回答える方がよっぽどめんどくさい。)と思って、質問に答えましたよ。


んで、まー、受けると結果が出てくるんで、素直に読んで、静かに仕舞いました。


これじゃー、強みが活かせないじゃないか!


いや本当に。


ストレングスファインダーというのはお金払って受けると、34個の項目について、ちゃんと「強み」がある順番にレポート出してくれるから、「こんなふうに見られてるんだー」とか「こういうところに気を付ければいいんだねー」って単発なことはわかるよ。


レポートも丁寧だしね。


それで、この34個はその特性から4つに分類されるんだね。


この4つを見ながら、こういうところが強みですねー、みたいな分析になるんだと思うんだけど、まぁ、読んでも、へーみたいなーって感じで。


これね、日本語に「訳」してあるんだよね。。。英文のものが。


別に訳が下手だとか言ってるわけじゃなくて、母語じゃないから、その熱量みたいなものは、伝わってこないわけ。


いや、訳してあるから母語なんだけど、そこで、何に注目すべきなのか、そんなところかな。


言葉には力というのがあってだなっ、みたいなことを問いたくなる。


いや、むしろそういう偏見を与えないための平易な文章なのか。。。


文章だけでは、なんともね。


そんな感じだから、もしかすると、セッションみたいなのを受けてもコーチ、コーチで考え方が違って伝わり方と違うかもね。


実際はどうなのか?そんなことが知りたくて、ストレングスファインダーの一つの考え方として、今回コーチングしてもらったということね。


まぁ、ビジネス書で言えば
原書と
解説本


この組み合わせ、ブログでもたまに書くけど、解説本っていいのよ。


「解説本で分かった気になる奴はアホだから!」とか「原書とあたらないとか、マジないから!」って意見があるのも重々承知だし、解説本と原書、読んでみたら、言ってることってか解釈違くない?って思うことはあると思うよ。


でもね、まずは、それでいいじゃないかって私は思う。


入り口は、解説本で、そのあと原書にあたりなおすというやり方もあると思ってる。(まー、ぶっちゃけ解説本のみってのは、最終的には避けたいけどね。)


手に取るか、取らないか
のゼロサム判定なら、
ゼロより全然いい!


で、熱く語ってるけど、ストレングスファインダーだよ。


さっきの例でいくと、先に質問の方はやってみて、読んでるから、原書のぞいちゃったけど、それだけでよーわからんから、コーチングしてもらう、とね。


その流れでのセッションを今日受けたんだけど、これがめっちゃよかったのよ。

34個の項目を4に分けてあるって話を上に書いたけど、端的に言うとこの4つはゆるーくつながりつつも、34個から順番をつけたものが散らばっていくと、自分として得意分野とか、自分として「強い」というのが際立って出てくる。


それらはさっきも言ったけど、有機的に繋がってるから、例えば特性が「ない」というか強みではないって出てきたものに対しても、実は強みと思ってる方からのアプローチは「ある」のよ。


私の場合だったら、成功したいとか、達成したい、成果出したい、というのが行動のトリガーにはならないんだけど、じゃーいつでもそういうことと無縁で生きてていいですねーみたいな生活を送ってるかって言えば、そんなことはないわけ。


私だと、チームで一人一人の個性を生かして、なにかを達成するみたいなのに強みがありそうなんだけど、その個別の人たちが成果に向かって気持ちよく仕事してもらいたい!そのためにどんなコミュニケーションができるか?とかが、私が動く動機になってて、それが軌道に乗っていったら、当然その上で、「成果も出るっしょ!」って思ってるみたいなこと。


もちろん成果を出すことは今、生きてる中ではとても重要だけど、成果が出ればなんでもいいわけじゃないじゃん。


いやいや、ここ!ここだ!
成果出ればいいじゃんが強みの人もいるってことなのよ。


それでうまくできるとか、うまく回るが「ある」


でも、私はそうじゃないってこと。


仕事してれば、仲良しな人だけってわけにはもちろんいかないけど、そんな人たちがいろいろいて、それぞれに合わせて、働いて成果が出るっね構図がとても私のハッピーなのよね。


そのハッピーの「在り方」を模索して、生きてきたから、それらが私の「強み」だということなんだね。


えー、そんなのさー、ずーっと長い時間かけて、ずっとこんな癖で生きてきてさー、強みとか言われても、どっちかっていうとそういうことがあるから嫌味言われてきたりもするわけじゃん。


「成果に貪欲でない!」
とかね。


嫌なことも言われてきたじゃん!と、言いたくなる。でも実はそれらが、「あなたが後天的にコレクションして生きていくために使ってきたサバイバル方法」というわけ。


セッションしてくれたコーチは言ってくれました。


「ストレングスファインダーで出てくるものというのは、いつでもポジティブにやってれば、才能が開いてハッピーにみたいなことではなくて、まさにそれぞれの人のサバイバルの方法が現れるのだ」と。



強みなんて生優しいことではなく、「その武器で、これまで生きてきました!」というのが現れる。


そして、強みとして出てきた項目の中には、子供の頃から持っているCoreなものもある。


それがまさに、自分の生きる環境で生き残るために身につけた「強み」なのだ。


大袈裟に聞こえるかも知らないけど、そういうこと。


だから、あまりにもありふれていて、自分にとっては無自覚になんでもないことだから、「強み」だと言われてもわからないし、才能だと言われて、受け入れられるものでもない。


才能だったとして、それでギリギリ生きてきたってだけで、そこから抜け出す何かにはならないじゃない?ってことも思う。


それで、才能とはとても思えないような項目たちは、いつ、その真価を発揮するかというと、「自分に困ったことが起こった時」ってことなんだよね。



まさにサバイバル
文字通り死ぬわけじゃないかも知れないけど、人生の選択の中には少なからず、「どうしたらいいだろうか」って、「あの時の選択が私の人生の転機だった」みたいのがあるじゃん、その時あなたが使って生き残った方法が、その「強み」って奴らなんだよね。



これ、良いか悪いかって話ではなくて、いやでもなんでも困れば困るほど、そういう方法で生き残ろうとするってことなの。


そういうことがわかったらなにがいいのかな?って聞きたくなるよね。


それがあなたにとっても、一般的にも素晴らしくいい方法なら、そのまま、また同じふうに進んでいけば、きっと才能が開くよ。


あー、そうじゃなくてって場合ね。


その時、同じ方法を辿る!
ということがわかっているとして、危機がきたらどうだろう。


ちょっと関係ないけど、地震が起きたときに逃げられるかどうかを分ける一つとして、一年に一度避難訓練をしていたかどうかってのがあるらしい。


何かあったら、この方法で逃げよう!をおさらいしてるか、してないかの違い。


何かあったらこの方法で乗り切ろう!というのはすでに「あなたの中にある」それが、普通にはわからない。


その方法を知っていたとしたら?


それをブラッシュアップすることはできる!のよ。


きたきた、これだ!いつも困ったことがあると、これだよ!って思い至ったら、違う方法を試せる。


そうやって、能力を手に入れられるチャンスが巡ってくるわけだ。


これだよ!


「強み」ってのはそういうことなんだな。
有事の際に、そいつを乗り切れる能力のことだ。


それは確かに才能かも知れない。


イメージする才能ではないとしても、人として生まれて生きてる、今、生きてるってだけで、だいぶすごいことなのよ。そう思えば、身について離れない「強み」が自分を生かしてくれていたとしたら、そりゃ確かに才能だわ。


と、ちょっと納得した?


ストレングスファインダーという題材から、そこまで有機的に2時間でコーチしてもらった感じだけど、すごいよね。


一つ一つの項目を有機的にくっつける作業ってのがまずできないし、それらがいつどこでどんなふうに役立ってるのかってのを「伝えてもらえる」ってのはすごいことなんだよ。


得だ!本当に。


ということで、皆様もお試ししてくださると、面白いことが起こると思いますよ。


特に私が今日やってもらったコーチの方を推薦。。。


コーチのFBの連絡先

そんな極上体験の後、ピアノコンサート。


どっちもすんごい思いつきで、受けてたり、聴きに行ってたりする。(あ、コーチング受けるといいよって書いてるけど、すげー悩んで申し込んだんじゃないんだ。だからこそ、お得感満載!コーチングもコンサートももらい事故くらいの適当さです。)


でも、この、「今」を「楽しそう」にするために私は思いついたことをいきなりやったりできる「強み」を持ってる!


これでサバイブしてるわけだ!


人と違うところって、こうでなくちゃね!


author:ぷぅコッコ, category:セミナー・勉強会, 16:40
comments(0), -, - -
【セミナー】CILフォーラム ”Inclusive Leadership: Key For Future Japan”に参加しました
なんかうっかり申し込んじゃったら、深く考えさせられるセミナーだった、ぷぅコッコです。


CILフォーラム ”Inclusive Leadership: Key For Future Japan”
というやつに参加してきました。


APU 立命館アジア太平洋大学が20周年を記念して、フォーラムをするってのの1回目だそうです。


あまり何もわからず、東大の入学式で祝辞を読まれて話題になった上野先生の話を生で聴けるということにワクワクしながら申し込んでしまった。


なので、内容に期待してたということもなく参加しちゃったもので、入り口で登録する際に、名刺を求められてタジタジしたりして。
(奇跡的に持ってたので、お渡しできました。)


あー、社会人としてというか、名刺を出さなきゃならんようなセミナーであったか。。。と、ちょっとドキマギしたりして。


部屋は予想していたよりも小さくて、その中に満員の人となりました。


ダイバーシティーやらインクルーシブ リーダーシップやらということが叫ばれるわけなのですが、いろんなことにラベリングしてきたのは「人間たちそのもの」で、うまくいかないいろんなことは、「人間たち」が勝手に常識としてコレクションしてきたものよね。

なんてことを思う。


ダイバーシティーみたいなことを体現できるAPUという大学の取り組みの話から、会スタートしたのでした。


でも実のところ、それもわたしはふんわりとしかわからなくて、ボケーっとしてました。


そうこうしているうちに、上野先生の話がはじまりました。


上野先生は今回
基調講演 「超高齢社会日本の課題:官民協私の連携へ向けて」


という講演をしてくださったわけですが、上野先生はそもそも、介護という社会通念を通した超高齢化社会の課題を研究されてる先生だったのですね。


恥ずかしいながらなんの先生なのかもわかってなかったので、まさか超高齢化社会から介護保険を取り巻く社会の話になっていくとは。。。びっくりしてしまいました。


介護というと、今、リアルタイムで父の介護に向き合わなくてはいけなくなりまして、去年はそれらを軌道に乗せるため、大変だったなー。


ってなこともあって、現場側として知ってることがいろいろあるわけです。


上野先生の話の中で、「介護保険は団塊世代が作った最大の功績」という話がありましたが、いやーね、これ、利用してみると、本当そうよね、と思うわけ。


社会学を学んでいるわけではないけれど、自分が社会と関わってる歴史を見るだけで、日本という国の老人というのは恵まれてるのよね、ということを感じるわけです。


介護保険で言えば、官民が連携して、地域で包括的になんて言葉で、なんとでもなんだけど、そんな言葉を使わなくても、その制度に乗っかれるような者に父がなって、実際に利用してみると、やっぱりよくできてる。


ケアマネさんがついて、月に一度、家族と話をする。


リハビリやデイの人たちは迎えに来て、連れて帰ってきてくれる。


持ち前の人間力もあるかもしれないけれど、最初は嫌がっていた父ですら、その取り組みに乗り、デイやリハビリで人と繋がり、それなりに楽しく過ごす方法が見つかる。


すごいことなのだ。


これだけ手厚くプロに見てもらえる。


やっぱりすごいことだ。


わたしは子供を保育園に預けて仕事をしてきたわけだけれど、ケアマネさんのような人がいるわけではなく、保育園選びやすべての便利な情報は自分でとりにいかなくてはならなかった。


当たり前?


そう当たり前。
でもさ、子供を産んだお母さんたちにもしもケアマネさんみたいな人が国の取り組みとしてついてくれて、月に一度でも話を聞いてくれたとしたら、何か困ったことがあったらいつでも相談できる人がいたら、と思えてならない。


その意味でも、介護保険は優れていると思う。



まぁ、そんな介護保険の話から、死ぬことの在り方の話が展開される。


みんな最後は死ぬのだということを考えた時、自分の親が自分とは別のところで元気に生を全うする。
そういう仕組みに社会がなっていければ、一人で死ぬ(当たり前だけど)、それも望んだように一人で死ねる社会となってきたというか、そういう意識改革が進んだ介護保険20年だったという話に引き込まれ、深く納得してしまった。


最後は自分の家で死にたい高齢者が施設に入って、最後は病院で死ぬのが当たり前のように思うけど、それは本人の望みではなくて、本当は家族に迷惑をかけまい、地域に迷惑をかけまいとすることの現れで。。。


家族の都合


なのだ。


でも、「高齢者がその家族と一緒にいる」というのを「望んでいるか」というと、実はそうではなくて、一人で気ままに生きていた時のままを持続できる仕組み(食事が届いて、見届けてくれて、必要な介護が受けられる)というのがあれば自分の家で、家族を気にすることなく最後を迎えられるということなんだろう。。。



なんてことを思う。


まぁ、人間は勝手なもので、元気な時のままの家に戻りたいということなんだけど、元気な時のままの家というは、「自分も元気そのもの」という前提だったりする。


そりゃそーだ、介護が必要なほど身体が効かなくなるなんて、なってみなけりゃわからない。


なってみなけりゃわからないが緩やかに楽しくできるためには、なった人をたくさん見てきた人たちがプロとして介入し、それぞれの人に合わせた「自分の死に方」の在り方を体現する以外にはないのかなと思ったりする。


そこに家族という素人は要らないのかもしれない。


それでも家族には、また別の役割がまだある。


その人となりを知り、愛情を持って接するという気持ちの部分だ。



いずれにしたって、介護でヘキヘキとしてしまった家族では愛情もへったくれもないもので、疲れきらないためにも、社会で、地域で人を「看取る」という取り組みが必要だし、そういうことに向かってやってきたんだなぁ、としみじみ思ってしまった。


こういうことを考えるきっかけとなるセミナー。。。


たまには頭をフル回転させるためにセミナーに参加してみるってことは尊いことだと思ったりした。


皆さんも是非機会があれば聴いてみてくださいませ。
author:ぷぅコッコ, category:セミナー・勉強会, 07:35
comments(1), -, - -