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【読書】9月1日母からのバトン



最近、本の感想がうまく描けないなぁ、と、手を止めたくなるぷぅコッコです。


9月1日に亡くなる子が多いって知ってました?


私の友人はこの9月の悲劇を止めるべく、立ち上がり活動をされています。


命を守る週間を勝手に作りました。


そして、今回読んだご本も、子どもたちの命を守るために書かれたものです。


9月1日に亡くなる子が多い理由は
その日が、学校が始まる日だからです。


大人だって、ゴールデンウィークやお盆のお休みなど、長くとることができる会社なら感じたことがある「行きたくない」


場所に違和感を感じちゃう。


そういうことはある。


それで、子どもたちは、苦しい大人もだけど死を選んでしまう。


樹木希林さんは生前、「どうせみんないつかは死ぬんだから、若い今じゃなくてもいいじゃない」って趣旨のことを言われていました。


でも、今じゃなきゃ!
と思わせる何かは存在するんだと思う。


どうしてそうなってしまうんだろうかって思う時、なんとも不都合な自分の周りの世界が全部だと思ってしまうんだろうなぁ。


大人もそういうものに落ち込むことはあるし、抜け出せない人も抜け出せなかった人も知ってる。


だから、簡単に「死なないで」って言えない。


「行きたくなかったら学校は行かなくてもいい。」
これは一定の規格に当てはまれない子どもに言えることで、それはいじめとも限らないんだなぁってなことも思った。


giftedと呼ばれる一種の天才の子達も居場所はないのかぁ、とかね。


学校が人生の全てになってしまっていて、そこに合わないというのは死活問題になっちゃってる。


例えばそこがサバンナの真ん中のコミュニティだったら、そこから抜け出すと死んでしまうので、まぁ、生きるためには抜け出さないという選択しかないんだけど。
人の思考はあたかもサバンナの真ん中にいるように動いてしまっているなぁ、と思う。


実はそんなことないのにね。


でも、人生にはいつも、「期待と諦め」が伴う。


そこを出てもいいことがあるとは限らない。だから、「簡単に出ていいよ。」って大人が言えない、大人でも言えない、大人だから言えないのかもしれない。


ある時、死を選ぶというのはすごく重い決断だと思う。


でも、ずっと死にたいと思ってるのも、しんどいから、本当なら今日死のうと思っていた子は、今日誰かの一言で死ななかったら、死ぬって選ばなかったら、もしかしたら明日から生きられるのかもしれない。


だから、冒頭つけたリンクや、このご本を応援する。


応援するけれども、どうやったらいいのか、ほんとはよくわからない。


それを止めるものは、言葉なのか?


ほんとは、子どもの話を聞いてくれる大人が、ほんとに普通に仕事している大人が増えたらいいんだと思う。


社会は、大人と子どもに別れちゃってる錯覚を覚えるけど、ほんとはそんなことないよね。


親でもなく、学校の先生でもなく、学校にいるカウンセラーでもなく、ふつうにいる大人。


いろんな大人に無防備に話をすると、トンチンカンな答えが返ってきたり、たまには怒られたりする。
これはハズレだ。
でも、世の中は半分くらいハズレでできてる。


そこの先を抜けると、ものすごく理解してくれる大人が現れたりする。


そういう場が教育現場だけじゃなくて必要だよね〜とか、やんわり考えるのでした。


実はこのブログ、書くのをトライするのは2回目。


前回のもきっと描きたかったメッセージは一緒だけどうまくいかなかった。


だから、全部消して、書かないでおこうかと思った。


私が書いたって、あまりにも無力じゃんって思うから。


それでも、このもやもやした気持ちのまま、この本終わらせてはいけないと思っている。


何もできないかもしれないけど、私は、まず活動を始めた人たちを応援したい。


author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 06:59
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