- 【読書】死にがいを求めて生きているの
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2019.05.28 Tuesday
これは小説なので、ビジネス書のカテゴリーにはできないなって思ったぷぅコッコです。
この間、朝井リョウさんのインタビュー記事を読んだんです。
インタビュー記事リンク
ゆとり世代のゆとりゆえの苦しみ
みたいなことなのか?とか。
でも、彼の記事に惹かれて、小説を買うことにしました。
彼の小説
読んだことがなかったんですよ。
そもそもあんまり小説読まないし、読めない。
最近、読めるようにやってきたんですね〜。
大人になったんだね(笑)
小説とかフィクションを読んで人の人生をなぞる。
そうすることによって、自分とは違うものに触れる。
ってことがひどく苦手で、そういうものを自分から遠ざける、、、いやいや、必要ないとして近づけなかっただけなんだね。
その意味では、たしかに歳を重ねたのだろうと思う。
話題のものを読んでるとか読んでないとか、小説に関しては全然なかったし、高校の頃、やっとの事で完読した夏目漱石の「こころ」は、残念ながら、私に小説を読む楽しさは教えてくれなかっただなぁ。
こころに残ったのは苦しみだった。
その後も、友達がどうしても「良いから読んで」と言った村上春樹の「ノルウェーの森」も読んだけど、継続的な小説への興味にかられることはなかったのね。
まぁ、それで、そういうのはたくさん小説読んでる人にとっては、「もっとこっち本なら」って思うところもあるんだろうけど、そういう知見はなくて、ここまできてしまったと。
それで、この本を読んだキッカケはさっきの記事なわけです。
もちろん朝井リョウさんのことは知ってたんだけど、流行ってるからといっても読むでもなく、ここまできて。
この記事を読むまで、彼が書いてるものどころか、彼のインタビュー記事すら読んだことがなかったのね。
それで、この記事を読んだ時
この作家さんは非常に興味深いことを言うなぁって思ったんだよね。
言葉にすると平たくなるけど
素晴らしき多様性の影にあるものに注目している。
それは、第三者としてではなく、彼自身がまた、その影に絡め取られるように観察者であり当事者である。
というところに非常に惹かれたんですね。
うん、この人の本、読んでみようかなぁって。
そんな記事のことを友達と喋っていたら、小説が好きで、自身も人を引き込む短編小説(彼の短編はいつも楽しくて読んじゃうの。)を書く友人が「朝井リョウとかはうまいよね」って。
こんな面白いものを書く人が
「うまい」という作家さんなら、これはイケてるんじゃなかろうか。
ということで、その友達と会った当日、本屋さんに寄り、買って帰りました。
まぁ、それにしてもさ、分厚いんですよ。
もちろんまだ文庫もないし。
もぉ。。。
って思ったんだけど、たまたま少し時間が空いた時に開いたら、読み始めてしまった。
そしていきなり泣かされるわけです。
その涙が、また深く突き刺さるように、偽りではないけど、偽りであるかのような衝動にかられる。
ゴリゴリと音を立てるように心が揺さぶられる。
そんな感覚に、読みながら何度もおそわれます。
「待ってくれ、わたしは平成生まれじゃない、昭和なんだ。昭和だから、揺さぶられるはずない。」
そう思いながら、グワングワン、心を揺さぶってくる、言葉。
対話と対立を繰り返し、それでも逃げられない世界
若き才能を前に、私は最後の方、泣くことも出来ず、「私を生に動かすものは何か」そんなことを考えてしまった。
そして、先の友人が朝井リョウ氏を「うまい」と表現したことに、なんとも深くうなづいてしまった。
小説だから、全ての人が同じ感想を持つわけではない。
ビジネス書じゃないから、明日から使えるhow-toは一切書いてない。
フィクションだから、ありえないことが書いてある。
全部そうなんだけど、分厚い小説を閉じて、またその表紙を静かに眺める。
表題は私に生を突きつけてくる。
そういう隙間がたっぷりとある小説で、参ったなぁ。。。
ちょっと前にカズオイシグロの「私をはなさないで」を読んだ。
これも、近未来の私とは全く違う人たちの話なのに、心を小刻みに揺さぶられた。
普段、小説は読まないからわからない、わからないけど、もし、小説をたくさん読む人が「他人の人生をなぞるかのように」読んでいたとしたら、人生はもう少し豊かに、そしてもう少し人を思いやる人になるんじゃないだろうか。
いやいや、小説とは読む人の自由にできるもので、感想も人それぞれにあるの。
だから、誰が何を感じたのかは、また別だし、同じものを読んでも同じ感想にはならない。
むしろ、私はここまで生きてきて、この時、この小説を読んだからそう思うんじゃないだろうか。
とかね。
サクッと読んで、サクッと売るつもりだったのに、その小説はまだ家にある。
もしかしたら、もう一度、全てを知った上で読んでしまうのかもしれない。
素晴らしき出来上がりであったと思う。
- 【徒然】大人の遠足のススメ
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2019.05.20 Monday
大人の遠足!ありだよね。ぷぅコッコです。
昨日、ちょっと静岡まで文具店めぐりに行ってまいりました。
SNS上では繋がってるけど、実際にお会いしたことはないお二人と関東近郊にお住まいで、ちょこちょこご一緒してくださる三人プラス私という布陣です。
今回お会いするまでSNSのみで繋がってたお二人は、西の方の方なので、普段は簡単にはお会いすることができません。
そんな方にもお会いできるちょっとだけ遠出した感じの遠足でした。
ある友達は、おにぎりと唐揚げを作って持ってきてくれました。
『ぷぅねーさんはゴマが食べられるか、わからなかったから、ゴマはつけてないんだ。あと、唐揚げは素揚げにしたよ。』
と言ってくれました。
私、大人になってから食べられないものが増えまして、例えば唐揚げは小麦粉がつけてあったり、卵で繋いであったりすると食べられません。
『おにぎりと唐揚げを持っていくね』という話はもともとご本人からしてお聞きしていましたが、唐揚げは無理だろうなって思ってました。
そんな事情があるので、お気遣いに大変大変感謝したのです。
SNSではお知り合いの、昨日、初めてお会いしたまた別の方は、ものすごくいっぱいのお菓子と、先日病に倒れて、今はリハビリを頑張っている別の共通の友達のためのメッセージ帳と、さらに別の友人(画伯)が描いたA3の重たい原画集、そしてプレゼント用に小瓶に詰めたインクをいっぱい持ってきてくれました。
ものすごくいっぱいの量で、細身の彼女が持ってくるには多すぎるんじゃないかと思うくらいでした。
そこには、彼女の優しさだけではなく、彼女に託された沢山の思いが詰まっていました。
画伯の絵
気に入ったものがあれば持って帰っていいって言われたのですが、「いやー、もらえないわー」と思ってたんですけど、『プーと大人になった僕』には抗えなかったです。。。
ぷぅコッコに、ぷぅさんの絵。。。
素敵すぎます。
さらに、またまた昨日初めてお会いしたお友達は、5歳のちびっ子ちゃんを連れていらしていました。
そのちびっ子ちゃんが、また可愛くて。
うちのちびっ子は、すでにちびっ子というには大きすぎる。。。(中3と中1の男子ですからね。。。)ため、そんな天使ちゃんに会えるだけで、舞い上がっちゃいますよね。
昨日はまさに遠足だったため、結構な距離をあることになったんですけど、5歳の男の子にはなかなかに長い距離、抱っこをせがむちびっ子を抱っこしながら歩く彼女の姿がすごく眩しかった。
ふんわりとした中に、とても強い雰囲気を纏う彼女感じがとても好きでした。
(ん、告白なようになってるが、(笑))
もうお二人いらっしゃいまして、その彼女たちには、いろいろ感謝してもしたりないことがあります。
昨日だけじゃなくて、ご一緒できる時間が、それは直接会う時間だけじゃなくて、SNSを通した時間もです。
このように楽しく過ごせたのは、みんなのおかげなんだよね。
前にブログに書いたかもしれないけど、人見知りだとかいろいろあるわけだけど、やっぱりその場所の雰囲気を作ってくれるみんながいて、そこに参加できるってのがすごくいいのよ。
そういうのってすごく素敵じゃない?
欲しいと願ったからと言って手にできるわけではなく、お金を払ったからと言って買えるものではなく、だからこそ尊いよね〜と、改めて思うのでした。
今朝はとても疲れていたけれど、それは、肉体的な疲れであって、精神的にはこんなにも満たされるものかと思ったのでした。
こういう贅沢な体験の第一歩はどこにあるのか?SNSだからと、特別なことするのではなく、丁寧にお付き合いを重ねることかなって思うのでした。
いやー、まとまらないな。
でも、大人の遠足が楽しかったてってのが伝わればいいや。
大人の遠足!オススメです!
- 【徒然】言語能力は年とともに落ちるものらしい
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2019.05.17 Friday言語能力は年とともに落ちていくらしいということを聞いてぐったりした、ぷぅコッコです。
適切な言葉選びというのは、何かを論理的に説明する際に重要です。
そういうことは文節にしてしまえば簡単ですが、実践することは非常に難しい。
なぜなのか。
一つには、発信者の意図は必ずしも相手に伝わるとは限らない。
ということがある。
伝わらないなと感じた時、あなたならどうしますか?
私は説明を加えてしまうタイプです。
文章が冗長になります。
それらは実は少しの努力で改善することはできます。
その辺はテクニック的なことになるわけですが、時間があるのならば(時間は作るものですけれども)1日置いて、自分の文章を読み返すと、漢字の間違いから冗長感も含めて、リフレッシュされた状態でよく見えるようになってくるのです。
それはテクニックで、そうすれば見やすい文章を書くことは可能です。
と、よく言われるわけですが。。。わかりやすいってのは実は日々変化しているのではないかと、考えるわけです。
言語能力の衰えは経年変化による『劣化』のようなもので、新しく言われることがわからないとかそういうもの。
最近のことをどんどん忘れてしまうこと。なんてこともあるのかもしれません。
一見すると、「あー、新しいこと覚えられないよね」ってだけに思えるけど、それだけじゃないんじゃないかな?
文章の組み立てだったり、話の中で使うたとえであったり、その辺りから劣化しているんではないかと思います。
言葉は生き物なので、その時代にあった話し方、人それぞれに理解しやすい形態、ピンとくるたとえ、そういったものが全て日々刷新されてるサイクルが著しく落ちていると思う。
私の文章が伝わらないとしたら、それは、受取手の問題ではなく、やっぱり私の問題で、それは経年変化を考慮するとどんどん悪化することはもはや止められないのかもしれないです。
ここまで考えて、、、
「あー、ぷぅコッコさんが考えてることよくわからなんなぁ」
となった時、そういうものなんだろうなぁ。。。
自分でも何言ってるかわからない。
どんなに説明を加えても分かり合えないということは完全にあって、さらにそれが年を経るごとにひどくなっちゃうんじゃないかなぁ。。。
なんだか残念だが、そういうの食い止められないもんですかね。
- 【インク】Endpaperさんの『蛇腹deいろあつめ』でインク遊び
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2019.05.14 Tuesdayインクと戯れて、大満足すぎるぷぅコッコです。
友人が持っていた『蛇腹deいろあつめ』ノートなるものがめっちゃかっこよかったので、購入しました。
購入させていただいたのは、Endpaperさんの『蛇腹deいろあつめ』です。
んで、そのお店はどこにあってなんなんなのか?ってことなんですけど、それはこちらのリンクから
職人が生み出すノートは、星空から紡がれる(Endpaperさん)
そうなんです。セミオーダーでノート作ってくださるお店です!
お店さんのブログはこちら
Endpaperさんのブログ
私は友人から教えてもらった通り、ツイッターでお店の方に連絡させていただきました。
ツイッターって昔は相互フォローしてないとDM送れなかったけど、最近は受け取り側がフォロワー以外からも受け取るよ!!!って設定にしてると、フォロワーでない方もDMが送れるそうで、なんだか10年前くらいからツイッターを使っているぷぅねーさんはそんな変更についていかれないんでございますよ。これ。
まーまー、それはどっちでもよくて、とにかくDM送らせていただきました。
すると、すぐに返信がありました!
ありがたやー
『蛇腹deいろあつめ』というノートは、セミオーダーということで、このノートたち、実はいろいろ選べます。
代表的なのは
表紙
中表紙(あってるかしら?)
中身のノート(蛇腹と普通)
それで、数あるものの中から、選ぶわけです。
選択肢、実はいっぱいあって、その見本たちもDMでやり取りしてくださいます。
ぷぅねーさん、残念なことに7個以上の選択肢があると頭がフリーズします。
ということで、選べないので、
『蛇腹deいろあつめなら何でもいいんですけど、在庫ありますか?』
と、非常に雑な質問させていただいたところ、在庫はなかったんですけど、お任せで作ってくださるというではないですか。
今回2回目のありがたや〜ですよ。
どんな色味か選べば、オススメで作ってくださるとのことで、
『きっ、黄色系で!!』
(実際はテキストベースのDMなので、言いよどんだりはしてませんが、気持ちはこんな感じ。)
そんなやりとりの後届いたのがこちら!
ジャジャーン
何で私のイメージカラー(ひまわり)をご存知なのですか?
ってくらいのぴったり度。
届いた瞬間に小躍りしました。
さて、インクをいっぱい持っているであろうぷぅねーさん。
これまでインク見本帖なるものを作ったことがないんです。
え?なぜか?
万年筆の数を数えたこともないし。
インクももちろん数えたことはない。
友達の見本帖やらまとめたものを見ては、『みんな、マメだなぁ〜』
と、思ってました。
だがしかしですよ、こんな素敵なの来たら、作りますよね。見本帖!
なので、珍しくちゃんと作りましたよ。
完全に途中ですけれども。
青系でまとめたはずのインクたちです。
だんだん楽しくなっちゃって止まらなくなって一気にここまで、、、ん?1ページ足りないわよ。
まー、そこはご愛嬌で。
とにかく昔のインクやら出てくるわ出てくるわ。。。
ということで、青系でしか終わってません(笑)
次は緑系か紫系を頑張ります(笑)
ぷぅねーさんとおそろのインク見本帖
気になっちゃった方は
ツイッターアカウント
Endpaper1496
さんにDMしてね!
ぷぅねーさんのブログ見たー
と伝えていただいても、ひとまず何も出ませんが、店主さんが喜んでくださいまふ。(いやいや、ぷぅねーさんのブログ見たーって店主さんに伝えていただいても、ほんとに何も出ませんし、ぷぅねーさんにはわかりません(笑))
このブログきっかけで『蛇腹deいろあつめ』オーダーされたら、ぜひ
ツイッターアカウント
pukokko
に教えてね!
- 【徒然】自分の中のイジワル
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2019.05.07 Tuesday長い休みで身体が錆びついてます。ぷぅコッコです。
意図的なイジワルというのはね、わかってやっているから、底意地が悪いけれども、自覚があるわけなんだな。
自覚があるってことは自分で選んでるわけで、まぁ、そこまで大げさでないとしても、「わたしは今からイジワルします!」ってのを感じて、イジワルしてるわけです。
うわー、こうやって書くと、とてもイジワルな人よね。
でも、自覚があるってのは良いことです。
なんで?
なんでかというと、いつでも止めることができるからです。
もちろんね、イジワルしてるぜってわかって、イジワルしてるってとても性格悪いでしょ。
やめたらいいじゃないってことはあるかもしれないけど、そうわかっていても優しできない、ともすればイジワルしちゃうってことはあるわけですね。
いつしか、「これは自分にとってよくない事だな!」と、止めることができる。これが自覚してるってことの強みです。
さて、実はもっと恐ろしいタイプのイジワルもあります。
自覚なしってやつね。
自覚がないってのは恐ろしくて、どこまでもエスカレートするし、止めることが自分では難しいというのが特徴です。
ちなみに自覚があると思ってたイジワルが無自覚なものに変化してしまうこともあります。
それが一番やばいやつか?
いやいや、イジワルすると思ってやってたから気が付けるかもしれません。
この、無自覚なタイプのイジワル
いろんなところで顔を出します。
無意識の差別意識
無意識の優越感
逆に無意識の劣等感
無自覚に自分を攻撃してることもあります。
その手のイジワルはなかなかやめられません。
えー、そんなことないよぉ〜。
あ?そう?
たとえば、日本語が上手な外国の方に見える人に「日本語お上手ですね〜」って言っちゃったりしません?
その人、実は日本人で小学校から日本の学校で日本語しか喋れない人かもしれないですよ?
少なくとも、日本人に見える方で、どんなに日本語が上手くても、「日本語お上手ですね〜」なんていいませんよね?
言ってもいいけど、褒められてると捉える人はいないかなぁって。
別にイジワルするつもりではないけど、それってイジワルになっちゃうこともあるってことです。
だから言っちゃダメか?
っていうと、そんなこともないかもしれない。
でも、そういうの頭にあるかどうか?
そういう全てが無自覚のイジワルにつながっているかもしれないわけです。
わたしはいつも感じがよく、そんなことは無いはず!
って思ってるとしたら、それは違うんだよなぁって思う。
どんな発言でもどんな言い方でもイジワルになってしまうことなんて、いくらでもあるんだよ。
そして、それは知らないうちに自分の中にもね。
だからほんのちょっとだけ、立ち止まって、「これって無意識のイジワルかなぁ」なんてことを考えてみる。
そういうことを考えられることが実は重要かもねってこと。
- 【徒然】ゴールデンウィークって、長くない?
- 【徒然】私はお酒が飲めない。だけど、楽しく生きてます。
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2019.05.01 Wednesdayお酒が飲めないぷぅコッコです。
とはいえ、お酒を飲んだら倒れるわけでもありません。(今はわからんなー倒れるかも。。。)
でも、美味しくないし(美味しいのをのでない問題はあるが)飲んでも気持ち悪くなる方が強いです。
それでも若いときはなんか「若さでアタック」的に飲んだりしました。
30代を過ぎると、子供を育てるのに忙しかったというのもあって、飲み会自体に参加できなくなりました。
最近はぼちぼち参加できるけど、飲みません。
お酒の楽しみよりも、お酒を飲んだ瞬間からの苦しみの方が大きいので、天秤にかけたら飲めないってことです。
わたくし、小麦粉、卵、牛乳にも遅延型アレルギーがあるため、食べられません。
ケーキ(小麦粉、卵、牛乳が入ってます)はケーキを食べる楽しみよりも、その後の調子悪さが圧倒的につらいので食べません。
米粉だと大丈夫?
米粉は大丈夫だけれども、昔ケーキを作ってた者として考えるならば、卵も牛乳もなしでというのは簡単ではないので、米粉だというだけでは飛びつけません。
そんなわけで、信じられないことですが、ケーキはもうかれこれ2年くらい食べてないです。
お酒も同じくらいは飲んでないかな?
お酒飲めないと、なんかいろいろ人生目減りしちゃう気がするけど、あんまりそんなこともないです。
お酒は飲めないけど、参加したいときは飲み会に参加します。
食べる担当としての地位を確立してるのです。しかも酔っ払ってなくても、ある程度はっちゃけることは可能です。
まぁ、その食べ担当の方も判明したアレルゲンたちのおかげでかなり大変にはなってるけどね。
全く知らない人と、食べられないものしかないお店には流石に行かなくなったかな(笑)
そういうわけで、楽しく過ごしてるけど、ひとつだけ、羨ましいなぁって思うことがあります。
それは、お酒の力を借りて、『酔っ払って楽しい』という、踊り出しちゃうような感覚にはなれない
ってことです。
踊ることはできますが、気分が良くなって「自然と」みたいなことはないです。
そういうのちょっとやってみたいなぁっていうかなってみたいなぁ
と憧れます。
それはそれです。
私は私の持ってるモノで楽しみます。
それにご一緒してくれる友達もたくさんいます。
ありがたいし、得難い体験です。
そういうのは、手を伸ばさないと得られないことなんだけど、すごく素敵じゃんって思ってます。
憧れてることのほとんどはもしかしたらいろんな理由でできないことかもしれないけど、問題はそこにはないんです。
今持てるもので最大限に楽しむ。
そして、それは、『そうしたい』って気持ちを前面に出してると、声をかけてくれる人が現れます。
なんなら自分から声かけちゃってもいい!
行動することで掴むことです。
元号は令和に変わりました。
令和から頑張るはダサいなんて言われちゃったりしますけど、ぜんぜん、どっから始めてもいいです。
令和が本当にキッカケになるならそれでもいいじゃん。
ダメなのは、憧れてるだけってやつだから。