- 【徒然】イヤホンありがたいです
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2019.04.28 Sunday満員電車が苦手です。ぷぅコッコです。
いやいや、得意な人なんていないでしょ。全くもってその通りです。
ここで言ってる満員電車ってピチピチぎゅうぎゅうのじゃないです。
座っている人はちゃんと座ってて、スキマはあるけど、うっかり真ん中になっちゃうとつり革もポールも持てなくて、急なカーブでバランス崩して、人の足とか踏んじゃったりするくらいの込み込み度。
ギリギリパーソナルスペース保てるかな?くらい?
をイメージして貰えば良いと思います。
空気うすく感じたりじゃないくらいの量ですね。
身を預ける場所がなくて踏ん張らなきゃいけないので、みんなイライラしてます。
そして、今日!
時はゴールデンウィークです。
ちびっこも容赦なく乗ってきます。
そのちびっこっていうのも、やっと一人で歩けるかな?ってくらいの小ささです。
そういう子たちにとって、なんか混んでる電車でおとなしくしてるってのは結構大変。
それで、まぁ、ギャン泣きとかされるとビビるわけだけど、それ自体は、あんまり気にはならない。
むしろ、そのギャン泣きにびびってどうしたらよいかわからないお母さん(これ経験したことあります)と、なんか怒っちゃってるおっさんとか、おにーちゃん。たまにはおねーちゃんにびっくりします。
そう言う人が、必ず文句言うとかそう言うことはないんだけど、迷惑そうにしてる感じがビシビシ伝わってきます。
いや、わかりますよ。
気持ちは、混んでるしね。
みんな笑顔で乗ってよってのが無理なのはわかってますよ。
だけど、その子供の声で、みんなイライラのボルテージが上がってくる。
勘弁してよ。
子供って泣いたり、訳のわからんこと言うもんでしょ。
目を細めて微笑ましいって大人はどこ行っちゃったんだろうか。
そういうことになると、だんだん気持ち悪くなってくるんですね。
その気持ちの渦みたいなものでね。
そういうところには出来るだけ行かないようにするんだけど、それでも街歩いてるだけでも、そんなこと結構いっぱいあって。。。
辛いのよ。。。(からくないよ、つらいのよ)
そう言う時は申し訳ないけれども、iPhoneとイヤホンが頼りです。
イヤホンで物理的に遮断です。
音楽を聴きたくてというのもゼロではないですが、どちらかというと、ほんわかもイライラも、どちらの感じも全然知らない人からの感情的ななにかを遮断したい気持ちの方が強いです。
気のせいかもしれない。
気にしすぎ。
かなぁと、自分思ってましたけど、気のせいとかじゃないよ。
人の怒ってるは伝わるんだよ。本当に。。。
もうそんなのうんざりなので、今日も電車だけでもなくて、町歩きするときも、一人だと音を遮断するために音楽やら音読やらがかかってる。
かかっていながら、また別ことをしている。
でも、それが私のスタイルになっているんだと思う。
上に書いた「怒ってる人」の気持ちが流れ込んできちゃうというのは別にスマホがなくてもイヤホンがなくても起こっちゃうんだよね。
ずっとそんな感じだったんじゃん
と言われてみればそうだね。
それで出かけるのが苦痛だってのは、実は今までもいっぱいあったんだな。
そう思うと、イヤホンがある今に生きられてることで、ほんの少しだけ、生きるということに対応できてる気がしている。
それはそれでお行儀は良くないかもしれないけど、こんな感じにしかできないのよね。
- 【読書】一緒にいると楽しい人、疲れる人
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2019.04.26 Friday
悟りを開いてるんじゃないかというように常に笑っていて、怒ったところを見たことがない方とお仕事を一緒にさせていただき、心がほっこりしたぷぅコッコです。
私もあんな風になれたら、とちょっとは思いますが、私はあんな風にはなれないです。
時には笑い、時には笑わせ、時には泣いて、時には怒って、時にはイラついて、それをあらわにしながら仕事をしています。
どんなに攻められても、いや、責められても笑っているとうのは私にはできないです。
できないので、何もしないのか?
という話になるんですけど、完全にこれを受け入れて生きてるわけでもないです。(受け入れないと生きていかれないし、根っこは変わらないし、変わらないなぁと思ってます。)
だから今日ご紹介するご本も買ったんですね。
他の本を買いにいって、書店のディスプレイにやられた感じで買いました。本屋さん好きなので、そういうのはよくあります。
一緒にいて、楽しい人ってどんな人?
一緒にいて、疲れる人ってどんな人?
ってのを実例も交えて語ってくださる語り口はとても読みやすいです。
本当にね、全く意味がわからないけど疲れさせてくれる人がいるなぁとか
特定の誰かは一緒にいると、いつも楽しいけど、なんでだろ?
ってことが、気になる方は読んで下さると良いと思うんです。
あっ、〇〇ちゃんはこうやって盛り上げてくれてる。だからすごく楽しいんだねとか
そんな気づきがあると思うのです。
じゃーぷぅねーさんはどうなるかって言うのを考えてみると、やってることも書いてあるし、あーそうなるよね〜ってことは結構あるわけです。
それで、もちろん私がやってないような提案ももちろんある。
だからといってそれが明日の人生にすぐさま役に立って、感じいい人になっちゃう!という瞬発力と体力はもう残っていません。
残っていないのはあくまでも私の瞬発力と体力ですから、 20代、いや30代ならまだいけますから!
ぜひ試してみて。
そういう瞬発力はもうないのに、じゃー読んでもあんまりかな?って思うでしょ。
違うんです。
私はご本の中に、私の糧となるパワーフレーズを探してるんです。
今回もちゃんと見つけてます。
人の目を気にしすぎる人
「人が自分のことを気にしている」と考えるのは、"思い過ごし"なのです。
「自分がどうしたら好かれるか?」と我が身を心配するよりも、「相手をどう好きになるか?」と人のいい部分を見ようとするほうが、よっぽど関係性は良くなります。
人の目を気にしすぎる。
これね、昔から癖なんです。
あっ、でも、これ、なおらないけど、極力気にしないようになることはできます。
「人は自分(あなた)を気にしている」なんてほぼほぼ起こりません。
自分を考えてみてください。
誰かに恋をして見つめてしまうって経験は、おそらくだれにでもあるけど、それが一度に20人とか30人とかなったりしないでしょ?
そんなの気になりすぎたら生きていかれないし。
(そういう方もゼロではないかも知れないですが、それはまた別の話。)
そう思ってみると、「普通」に何かご一緒する方のことでも案外なーんにもみてないです。
あなたがジャニーズに所属するアイドルだというなら別かもしれませんが、そんなことない普通の人だったら、大丈夫!意外とだーれも気にしてません。
だから誰かに見られてるかもしれないという妄想、そこは克服できるんですよ。(努力はもちろん必要ですけど。)
それでも、好かれたい!と思うのが人の常です。
だけど、その部分を「相手をどう好きになるか?」に注ぐってすごく良くないですか?
これは好きな人はもちろんだし、ふつうに接してる人ももちろんそうだし、 気に入らないって人のこともです。
そう、好きにはなれないかもしれないけど、 いいところ探すこと はできます。
人間ですから、どんなに嫌な奴でも、尊敬できるところ、良いところ、良い意味で自分には真似できないところを持ってます。
だから そこをみる、そこを探す、そこを褒める。
そうだよ。
そうしているうちにあなたは 楽しくて感じのいい人 になっていくんですよ。
そんなもんじゃない。
あぁそうだなぁって思わせてくれる言葉を見つけると嬉しくなりますよね。
それがご本を読む醍醐味だなぁとまた、しみじみ思ったりするんです。
人ですから全員を好きになるなんて無理です、でもちょっとだけ、ほんのちょっとだけ人の良いところを見る!って決めたら人生は何倍も何十倍も幸せになります。
と、まぁ、これだけによらずいろいろステキなことが書いてあるので、チェックしてみてくださいね。
特に悩んでる方は参考になると思いますよ。
- 【徒然】クリスタルボウルを聴く
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2019.04.21 Sunday
いま、結構クラクラしてる中で、ブログ書いてます。
お友達がFBにアップされていたのを見て、行きたいなぁと思ってたんですけど、なかなか時間なくて、ということで、ついにクリスタルボウル参加してきました。
クリスタルボウルとは何なのか?
あー、それね、私もよく分かってないです。
水晶の粉を固めて作られたクリスタルボウルを演奏する方がいらして、それをみんなで聴く。。。
と言うくらいの知識で参加しました。
結構、適当です。
行ってみて初めて知ったんですけど、結構常連さんのが多くて、皆さん、リラックスするためにいろいろ自由にしてらっしゃる感じでした。
なるほどこれはリラックスできるタイプのなにかだったのか。。。
演奏を聴く前に思ったことは、それです。
実は今日は、いや、今日もですが、ここ数日、首の神経痛に悩まされて、左肩から腕、指の先にへんな痛みが走ってました。
まぁ、それで、そう言うこともあって、睡眠が足りない感じだったんですね。
行きしなの電車の中で、座れたのもあって、寝ましたよ。それも、結構な感じで寝てたらしく、いわゆる頭がカクーンって落ちる感じを二度ほど経験しました。
これね、普段は、「あー、首、カクーンってなったー」ってびっくりくらいでいい訳ですけど、もうね、なんだかわからないけど、そんなことになると首がね、持たない訳ですよ。
びっくり激痛です。
「痛ぇー」ってなって目が覚めて、それでも起きれない。。。ボロボロじゃないか。。。
演奏会に参加するわけだから、こんなでは、寝てしまうやん!と、思いまして会場に着く前にコーヒーを飲んで、ちょっとだけ気合を入れていきました。
ところがですね、実はクリスタルボウル、みんな横になって、なんなら眠っちゃって、聴くんですね。
(行ってから知りました。)
座って聴かれる方も中にはいらっしゃるそうですが、なんというか自由な感じです。
しかも演奏中に寝ちゃっても、オッケーな会だったのです。
マジかー!
でも、せっかくだから起きてた方がいいじゃん、とか、小心者のぷぅねーさんは思うわけです。
初めての場所はあんまりゆったりできないもんで、なかなか、そんなことにはならないだろうとか思いつつ、周りをキョロキョロ見ながら、ゆったり過ごす皆さんを見ておりました。
ちょっと、初めての場所って話をします。
私ね、顔がほんわかしてる割に、本人はそんなにほんわかしてないので、初めての場所は大抵緊張します。
それだけじゃなくて、隠れた能力として(ほんとは要らないんだけど)その場の雰囲気を感じ取るんですよ。
その場の空気が緊張しているのか?
それとも緩んでいるのか。
それは、その場を構成するすべての人が出してる何かで多分構成されていて、緊張する人が多いと当然、その中の空気は張り詰めてきます。
まぁ、そういうのはビジネス系のセミナーとか、パーティーとかにありがちで、緊張というか、「もう何か、なんでもいいけど、例えば人脈を増やしたいとか、ビジネスに繋げたい」とか、とにかくガツガツしてる人がいると、重たくなってくるわけです。
帰ろっかなぁって思うことも少なくないです。
そんなぷぅねーさんの今回の聴く前の感想は、「全体を包み込む暖かいものが流れてるなぁ」でした。
これ、なかなかないので、多分主催者さんと、演者さん、そして、何度も参加されてる方々がこれから行われることに対する雰囲気そのものなんですね。
「ほー、リラックスできるようになってるなぁ〜」
そんなことを思いました。
さて、どーやって聴くもんかな?と思ったら、さっきも書いたように「みんな横になって寝て聴く」らしいんですよ。
スタジオでの演奏で、一人一人にヨガマットが主催者さんから用意されていて、そこで、座って聴くのかな?
と思ったら、横になって、寝て聴く、と。
先に書いた雰囲気がないと横になって、寝て聴くってのはなかなか厳しくあるわけですが、みんな横になって寝るみたいだし、私も、寝るか。。。
と思ってるあたりで、主催者さんのご説明から会が始まりました。
こちら演者の蔵田 聡子さん
と、クリスタルボウルたち
この演奏のために、山口県からこのクリスタルボウルたちとともにやってきてくださいました。
ご説明によると、クリスタルボウルはなにやらデトックス効果があるらしく演奏中にトイレ行ってもいいですよ〜、お水飲んでもいいですよ〜寝ちゃってもオッケーです!皆さんの寝息(イビキ)あると思いますが、気にせず聴いてね〜
とのことで、では、皆さん寝ましょうみたいになるわけです。
クリスタルボウルに近い位置に陣取った私、クリスタルボウルにより近い方に頭を向けるか、足を向けるか、3秒悩みました。
前に陣取った皆さんは、私以外クリスタルボウルに足を向けていたと思います。
でもさ、デトックス効果あるっていうし、今日痛いのは首だから頭向けるかって事で、クリスタルボウルの方に頭を向けて横になりました。
演奏が始まると、その音が、身体に染み渡ります。
これは!
聞いてたよりも(と言っても今日数分前に聞いて何となく想像した)何倍も体の芯に響いてきます。
多分同じような体験をしたのは、はるか昔、生の太鼓演奏を聴いた時以来です。
いろんな音楽とかはもちろん生演奏がいいと思いますが位置によってはなんか音源で聴いた方が良くない?
ってのあると思うんですけど、太鼓と、このクリスタルボウルに関しては断然生で聴くのをお勧めします。
こんなに技術が発達しても、そこに流れる波動を表現できないです。
うわー、体の芯に響いているなぁ〜
ってなことをボヤーっと思ってたら、知らず知らずに目から涙が。。。
マジか!?
ってなりました。
デトックスするとは聞いていたけれども、流れ出るのはこっからなのか!?
と驚くばかり。
感動したとかじゃなくて、なんでかよくわからない涙って出るんだなぁ〜
ってね。
それだけじゃなくて、なんか目の前に道の映像が出てきたり、他にもなんか出たものがあった気がするけど、気がついたら演奏は終わってました。
多分、寝てたんだな、後半。
なんだこれ!
すごいなぁ。。。
演奏終了して、そのあとですが、演者さんが最初に言われたことを思い出しました。
すべては幸せにつながる。
悩みとかもすべて幸せにつながる!と思う。強く思う。
家族のことについては逃げられないけれども、向き合って幸せになるように。
乱さないで!
ではなくて、幸せにつながるためのちょっとしたしょうがいかな?
くらいの気持ちで。
おお、そうね。
普段小さなことを気にするわけだけれども、クリスタルボウル、聴いてみるともっと大きなものに抱かれる感じになるね〜
なんとも不思議な空間は、私に少し歓びを与えてくれました。
首が痛かったんで、いやー、ちと遠いし、行くの悩むよね〜
みたいなこと演奏聴く前には、実はよぎりましたけど、参加してよかった!
ぜひ機会あれば多くの方に参加して頂きたいです。
いろんな人がいると思うんですよ。
なんか一見スピリチュアルっぽいからダメとかね。
そういうのはそれでいいと思うけど、なんとなくピンときたら行ってみると良いと思うのよね。
すべての人がデトックスするわけでもないし(まぁ、ちょっとクリスタルボウル音の特性から何もないってことはあり得ないと思うけど)反応することでもないかもしれないけど、体験するってのは、明日への第一歩として、貴重です!
まぁ、そんなわけで、機会あったら聴いてみてね!
ちなみに、このブログ帰りしなに書いてるんですけど、クリスタルボウルのデトックス効果がすごいおかけで、終わってから何回もトイレに行ったことか。。。
参加すると、あなたも体験できます!
- 【読書】仕事で「敵をつくる言葉」「味方ができる言葉」ハンドブック
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2019.04.16 Tuesday
友人がSNSで紹介してたので買っちゃいました、ぷぅコッコです。
私、実は社内に敵だらけなんですよ!
って自覚してる人っています?
ちなみにぷぅコッコさんは全員敵だとも思わないし、まぁ、でも私のやり方とか嫌いな人は一定数いるよねって思ってる感じです。
そう、「会社は敵だらけだぜっ!」って自覚してる人に読んでほしいよね、こういう本。
って思うわけです。
そうなんだけど、結局のところこういう題名のご本を手にしちゃう人というのはどういう人かというと
「敵を作るかも知れない」
と 思ってビクビクしちゃっている人 です。
そう、「自分でそう思ってる人」が購入するんじゃないかと思います。
でもね、実際に手にとってくださる方というのは、そういうことを気にしてるくらいだから、敵を作る言葉を言っちゃってる人というのは実は少ないです。
読み終わると「私、6割くらいはちゃんとできてる、よかった」みたいなことを思ったりする。
どちらかといえば、言われちゃったことがあって、それを言った人のことを「ずっと恨みに思ってるぜ」って人はいるかも。
敵を作る言葉の項目を見て
「あー、これ言われて傷ついたわー」
って思う項目もあるかもね。
私、だいたいできてるし、 むしろ、読んでほしい人にはなかなか伝わないものである。
と思っちゃうわけです。
なんともスッキリしないじゃないか。
じゃーどうすればいいんだ!
そう思いながら、もう一度ご本を眺めてみると、このご本の中でこんな図が出てきます。
なるほど、この本で言うところの目指すところはこの真ん中のところってわけ。
そこで、ふっと思う。
私はビジネスパーソンとして、この真ん中を目指しているのかな?
とね。
中庸でバランスのとれている人
というのはとても仕事しやすいですよね。
忖度とまでは言いませんが、配慮してくれるわけですから。
まぁ、そうなんだけど、まるっと全部読んだところで思い返してみて、そこそこやってるけど、これ以上にガツガツ知識をあげてって、そこを目指すと、果たして幸せになるだろうか?ってことを考えちゃいました。
それで、私はこの著者さんとはちょっと考え方が違っていて、ここを目指すってのは、なんというかいかにも日本的だなぁと思っているんです。
だからこの本読まなくて良いって話ではないです。
実はこのご本の使い方
別にあると思ってます。
そう、「敵をつくる言葉を言ってしまっているかもしれない」と思って買ったあなたです。
自分が言っている表現の中で「敵をつくる言葉」に分類されているものがあったら、その項目を熟読してみてください。
あなたが使う言葉によって、いろんな人から、「そう思われている」ということを客観的に知ることができます。
例えば、、、 「僭越ですが、、、」
と、結構使ってるなぁって思いあたったとします。
すると、その項目にはこんなことが書いてあります。
「私は組織の中で立場をわきまえています」という体裁を整えるためにこんな言い方をするのでしょう。
立場が低いという劣等感、でも実は自分のほうが実力派ある、という屈折した優越感、なのに自分の意見は十分に反映されていないという不満、しかしこれが得意で誇りを持っているというひそかな自信・・・複雑な感情がミルフィーユ状に重なった結果、非常にねじれたコミュニケーションの形となって現れるわけです。
こういったストレートでない言い方でなされた提案に対して、「あなたのおっしゃる通りです。ぜひそうしましょう」という前向きな合意形成は、なかなか得られません。
なんとまぁ。
私、そんなことを思って使ってないです。
私が思ってるか、思ってないか。
そこが問題ではないんです。
どんな言葉も聞き手が、発信者の意図を100%組んでくれるなんてありえません。
ここで重要なのは、「そんな感じに受け取ってしまう人がいる」という事実です。
マジか、思ってないのに。
と、後からどんなに説明してもわかってもらえません。
そういうラベルをその言葉によってつけてしまったからです。
自分を決めるラベルというのは、自分でもつけてしまいますけど、発した言葉から相手がつけるものもいっぱいあります。
そして、自分がつけるラベルと他人がつけたラベルは必ずしも同じものではないのです。
ということで、何も考えずに発言して、勝手に恨まれたら困るよね、だから中庸にって話ではないんじゃないかなぁって。
無下に他人を傷つける必要はないですが、発言することによって相手にある印象を与えて、仕事を円滑に運ばせるということも可能性としてはあるわけです。
先に挙げた「僭越にながら」という言葉でも、必ずしもダメだとは思いません。
組織と場合によるんじゃないかと思ってます。
でも、それがマッチする組織にいないんだったら、もしくは、そう発言して、本書に書かれるようようなメッセージを受け取っちゃう可能性があるならば、発言する前に、ほんのちょっとだけ考えるってのが重要です。
本書に関して言うと、発言する前の心構えのようなものの部分が最初に出てきますが、そこを参考にしてほしいなって思いました。
「私、あんまり該当すること言ってないわー」
って安心するんじゃなくて、 項目の一つ一つにある言葉と、そこから与える印象を読んで、「自分が考えることが全てじゃないわー」という感じ取ってほしいです。
敵を作らないために言ってるのにうまくいってないぞってのが、きっと見つかるはずです。
とは言え、大抵の場合、この手のご本は読んでほしい人には読んでもらえないです。
敵をつくる言葉を頻繁に言っちゃう人が思い当たるし、周りにいるからプレゼントしよう、、、
とかじゃなくて、
それを聞いたとしても、無駄に恨んだり、落ち込んだりしないように、脳内変換レベルとかになると良いよね〜
なんてことを思ったりします。
明日から実践
というよりは、
今一度、自分の使ってる言葉が与える印象を再確認するのに使ってください。
というのを踏まえて読んでみると、また別の風景が感じられるかもしれませんよ。
- 【日々の記録】介護の話8 父の介護について深く考える1
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2019.04.05 Friday介護という言葉が重くのしかかったぷぅコッコです。
前回の介護の話7で「介護についてのセミナー」のことを書きました。
それで、あれは、介護にまだ向き合わなくても大丈夫だけど、介護ってのも考えなくちゃね。。。と思うきっかけになってくれたら良いなということで、介護が始まる前の予備の予備知識の話でした。
さて、セミナーを受けた時、私の父は入院してました。
9月だったんで、まだ一人で車椅子にも乗れません。
多分、看護師さん二人がかりだったのが、看護師さん一人に手伝ってもらえれば、車椅子に、、、乗れない、くらいだったと思います。
リハビリは本人、すごく頑張ってました。
足のリハビリ、上半身のリハビリ、言語のリハビリを週に7日間、そう、毎日やってくださるリハビリ病院でした。
そうだったので、出ない言葉も少しずつ出るようになってました。
漢字書く練習したり
本当に頑張ってた。
足揉みもしました。
反射区への刺激は脳梗塞に非常に有効でしたので、土日のどちらかは私が、週中の1日は母が、やってました。
週二回体制です。
それでも、それでも、それでも、父は何も変わらない状態で家に戻ってくるかも知れない。
どこまで回復するかはわからない状態で参加したセミナーでした。
先にご紹介したことはセミナーで話されたことの一部で、自分の家のことを考えると、参考になったことは別にあります。
うちには、私以外に母がいます。
でも、母は介護人、介護のプロではありません。
しかも上に書いたような状態。
家族として、介護というやつと向き合う必要が絶対にあったわけです。
このセミナーで、私がそこの場に引き上げてもらい、「母に任せていてはダメなんだ。」「自分が主体的に動かないとダメだ。」ということを思わせてくれる内容でした。
ただ単に、何かの流れに乗れば、幸せに暮らせるわけじゃないんですよね。
父の状態、家族で出来ること、それらを照らし合わせて「介護マネジメント」しなくてはいけない。
介護保健があって自動的に乗っかれるのではなく、能動的に向き合うことが、父だけではなく、家族の幸せにもつながるということを思い知らされました。
セミナーで出てくるエピソードで一番印象的だったのは、
「ケアマネージャーさんは選ばなくてはいけない」
ということ。
ケアマネージャーさんが、ひどかったって話ではないです。
(いや、まぁ、そういえなくもないか。とにかくいろんな人がいるってことです。)
もちろん地域包括支援センターや市役所に行けば紹介してもらえるわけですけど、紹介してもらった人があなたの家族の幸せを全部わかってやってくれるわけではないということなんだよね。
いやいや、やってくださる方もいるかもしれなあですけど、それはラッキーなことであって、待っていてはいけないということでした。
家族にとってはどういう形態がいいのか、棚卸したうえで、希望を伝えなくてはいけないんです。
もちろんその中には、介護保険でカバーされるされないとかもあります。
でもね、そこはケアマネージャーさんに考えてもらうところで、自分は、どんな感じまでなら出来るのかすり合わせないとダメなんです。
正直「マジかよ。。。」
が口から出る唯一の感想で、それにも増して、「仕事じゃないけど、仕事並みのマネジメント求められるじゃん!」ってことを思い知らされるのでした。
ここから、私の
「介護と向き合う」
が始まるのでした。
そのスタート地点に立たせてもらったセミナーはとても意義深かった。
改めて、感謝です!
- 【徒然】会いたい人にはあっておけということ
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2019.04.04 Thursday会いたい人にはあっておけというのをご本に書かれていたのは、林文子さんだったなぁというのをおぼろげながら思い出したぷぅコッコです。
昨日なんですけど、一日お休みをいただき、ソウルメイトとも言うべき友人に会いに行きました。
彼女の言葉で
「私たちがであったのは平成元年でしょ!」
「あれ、そうだっけ?」
え、高校の時に平成になったんじゃなかったっけ?
「いやいや、平成元年入学ってのを覚えてるもん」
と、友達。
そう、自分経歴すら改ざんしちゃうレベルのはるか昔、30年前に私たちは出会ったのでした。
そして、平成最後の4月、会いに行きました。
ずっと会いたいと思っていて、それでも「台湾に住んでるから」
「お互いに時間が取れないから」
自分に言い訳してました。
たしかに彼女は4人のお子ちゃまのお母さんで、一番下の子は3歳です。
文字通り私の短い帰国に合わせるには厳しかったかもしれない。
と、おもいかえしてみる。
台湾に住んでるから〜
みたいのはあったけど、いろいろあって私は日本に戻ってきたんですね。
今、ここ、会うべきだよね。
まぁ、ちょっと帰ってきてしばらくは忙しすぎて、なかなかに難しかったんですけどね。時間取るのが。
しかもなかなかに遠征しないと行けないと言うね。
それでも、会いたい人には会いに行こうよ。
だって、人生はいつ終わりになるかわからないから。
わからないことだらけだから、、、
だからこそ、今、その時間を作る。
まぁ、それで会いに行ったんですね。
高校生の頃からですけど、彼女はとてもキュートな人で、それが1mmもブレてなかった。
あの日、あの時、私たちは、まだまだうら若き乙女で、
高校生の頃はそんなこと思わなかったけど、高校生なんて実はみんなそうだと言うことに、気がつくのに30年とかかかるわけ。
それでも私がソウルメイトだ称する彼女は、あの頃と変わらず、キュートなままだった。
4人のお母さんで、大変じゃないわけないのに、私の話を、孫の話でも聴くかのような熱心に聞いてくれて、高校生の頃のように私のくだらない話に笑ってくれた。
昔に戻ったように、全然会っていなかったとは思えないと言うようなことは、話には聴くけれど、あるんだろうかと思っていた。
(いやいや、あるんだけどさ。他のところで体験したこともあるわけで、こわなドラマチックな表現にする必要もないんだけど。)
まぁ、ちょっと不思議な体験なのよ。
出会って話すことというと、高校生の時に戻って思い出話ししたわけでもない。そもそも、先生たちの名前も一部を除いてわすれちゃってるくらいだから。
(ちなみに共にお世話になった先生以外で彼女が覚えている先生は、私が頻繁にネタとしてモノマネしていた先生たちで、おそらくそれは先生ではなく、私のモノマネを覚えてくれているんじゃないかと言うレベル。
ネタとしてやってること高校時代も、今もあまり変わらない自分!グッジョブ!と思った瞬間である。)
昨日も話したんじゃない?
ってなくらい、緊張するでもなく、気負うでもなく。
そんなことあるだろうか。
そんなことが起こるって、高校生の頃に想像できただろうかと思う。
それで、彼女とは確かに知り合って30年なわけだけど、芯に流れているものが変わらないからこそ、そう言う素晴らしいことが起こるのかもしれないなぁと思う。
それは、高校の時の友達ならみんなそうなるってことではなく、彼女だからそうなるだろうなと。
高校の時も、大学の時も、大学院の時も、その後の社会人になっても、どこかで出会って「また会いたい人」というのは現れる。
そして、それは、もっと早く会っていたら、もっと濃密になるとかではないし、会えなかった時間があるからと言って変わるものでもなく、同じ年代である必要もなく、必要な時に必要なところで出会っているんだと思う。
全ては偶然であるわけだけれど、「私はあなたに会いたいです」というのを表現して、会いに行くってのを引き寄せないと出会えないんだよね。
今、出会う人も、もしかしたら30年後、こんな体験をする候補かもしれないわけだから。
そうやって知り合って、会いたかった人と、会ってすごす時間はものすごく短く感じられて、時間が足りないよっていつも思う。
笑わせるだけでもなく、全然違ったところで起こっていることに共感したり、人それぞれ起こってることは違うから想像力も必要なんだけど、そんなの感じさせないくらいに。たまには、刺さること言われて心で泣いたり。
(ちなみにそういう時は、帰りの電車やら、数日後の電車やらで泣いたりするので、だいぶ恥ずかしい思いしたりしてます。)
彼女にだけ教えてもらったわけじゃないけど、やっぱり、会いたい人には会いに行かなきゃね!
- 【徒然】時間は多分解決してくれない
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2019.04.03 Wednesday友人と話をしながら「時間が解決してくれるよ」といいかけて言葉を飲み込んだぷぅコッコです。
「時間が解決してくれる」
なんとなく都合よく使ってるけど、よくよく考えてみるとそんなことあるか?
って思う。
何かうまくいかないことがあるとき、ほおって置いたら、解決するか?
と言われたらそんなことないよね。
ただし、何かを今すぐ解決できないことはある。
でも、解決できない何かについて、そいつを解決すべく、何かやっていたんじゃなかろうか?
それこそ、白鳥が見える部分は優雅でも、足元は必死で、それは人には、ほかの白鳥にも見えないものがあるように。
その結果は、大学受験ぐらいなら自身が頑張ったとか頑張らないとかでいろいろあるかもしれないけど、ほかのことに関すると、人生においては、かなり運要素が強い気がしている。
運がいいとか悪いとかそう言うことじゃなくて、言いたいのは
「自分ではコントロールできない」
ということ。
自分でコントロールできないからといって、そのままなにもしなければ、時間が解決してくれるわけじゃない。
そこまでにやった全てが乗っかって、その上に運も乗って、時間も乗って、解決したりしなかったりする。
時間は解決してはくれないけど
時間がかからないと結果のわからないことは人生にいっぱいある。
その時々で、決めたそのことが、結果に繋がってるかもしれないだけで、それが全てでもない。
その瞬間瞬間を一所懸命に生きるしかないじゃん。
と、思いついて、冒頭の言葉を飲み込んだ。
時間がかかったとしても、かからなかったとしても決めるのは自分で、自分で決められないことは日々の自分を信じて、サムシンググレートに任せるしかないじゃない。
案外、そんなことで成り立ってるんだよって、自分に言いたいだけなのかもしれないけどね。
- 【日々の記録】介護の話7 知らないけど知らないじゃダメなこと
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2019.04.03 Wednesday介護の話、最近書いてなかったじゃんと思ったぷぅコッコです。
父は脳梗塞で、大学病院からリハビリのための病院に移ったのは2018年7月18日のこと。
移動すらままならない
(当時、屈強な看護師さん二人掛かりで車椅子にのせてもらわなくてはいけないレベル)
そんな中、大学病院少し離れた大学病院系列のリハビリ病院に転院。
大学病院からその病院までは連絡バスが用意されていて、それに乗ってあっさり退院、入院は完了したのでした。
(私は仕事だったので、母が頑張ってくれました。母の頑張りはわからないけど、そもそもその頃みんな疲弊してるからね。)
これまで考えてもいなかった介護のこと。
介護保険ってのがあってだな、、、みたいなことなんだけど、そもそもどうしたもんかもわかんないなぁ
と思っていたところに、友人主催のイベントで、介護の話をしてくださる先生が登壇すると言うものがあり、2018年の9月の初めのころに参加させていただきました。
主催者の友人曰く、毎年開催しているそうで、先生もお話もわかりやすかった。
介護が必要ってなったらどこに行ったらいいのか
知ってます?
普通はあんまり知らない気がするけど。
市役所かなぁって。。。
まぁ、市役所でもいいんだけど
地域包括支援センターってのが
各地域にあって、そこでも相談にのってもらえるんだね。
親御さんが遠くに一人で住んでたらどうする?
お隣さんに声をかけるとか
お知り合いに見に行ってもらったりとか、なんとか本人がちょっと変だなぁと思った時に、連絡してくれる人をちょっとちょっと作っておくこと。
変化は本人の気がつかないところで少しずつ起こって、それを逆手にとって悪事を働く輩もいる。
一人暮らしのおじいちゃん、おばあちゃんの家に黒いスーツを着た人が頻繁に出入りするとかそんなのおかしいことで、高額商品を買わされちゃったりする例があるみたいだけど、そういうのは、遠くにいると察知できない。
ご近所さんが、「なんか最近おばあちゃんのところに黒いスーツの人がいっぱい来てるよ」ってのを教えてもらえるように自分を覚えてもらうこと。
もしも徘徊とかになっちゃって
最初はそうじゃなくて、道をふっと忘れてしまってということかもしれないけど、本人が対処できなくなった時、対応してもらえるように、顔写真を近くの交番に預けておくこと。
そんなことは、言われたら「そうだよね〜」って思うけど、自分では思いつかないんだよね。
うちの父みたいにいきなり脳梗塞になるってのは待ったなしだけど、いつどうやって何が進んでいくのか?本人には気がつけないものなんだよね。
もちろん、たまにしか会わない家族もね。
何かが起こる前の一歩として、今できることをしなくちゃいけない。
その覚悟のためにも、介護のセミナー利用してもらえたらいいかなぁと思います。
でも、ピンと来ないでしょ?
そう、ピンとこないのよ。
だから、避難訓練と同じで聞いておくことがとにかく大事なんだね。
それで、介護のセミナーで私自身がためになった話ってのはほかにあって、その話は次のブログで書きますね。
介護の始まりは本当、簡単ではないのですよ。