- 【読書】AI vs 教科書が読めない子供たち
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2019.02.22 Friday
天才というのは、時代時代で偶然に生まれるものだなぁと思っているぷぅコッコです。
AIの可能性という意味で、東大に合格するというのを目指して学習を続けていたAIというかプロジェクトがありまして、その話が綴られているご本です。
東ロボくんというこのAI(と呼ぶのが適当なのかはよくわかりませんが、その辺の厳密な定義もご本に出てくるので、チェックしてね。)は、東大に受かるレベルには達しなかったもののmarchレベルであれば、合格点に達したものも学部によってはあったみたいなので、すごいですよね。
おっとこれは、AIに仕事が奪われる時代か?とか、AIの方が人間より賢くなっちゃうというシンギュラリティが起こってしまうという話なのか?と、ちょっとSFチックにもすぐ思ってしまうわけですけれども、少なくとも今の技術の上でのシンギュラリティはあり得ないというのが数学者であるところのこの著者さんの主張なわけです。
なんでそうなのか?ってのは、ぜひご本を読んでほしいわけですけど、学習させて正解を導き出すという現在の方法を用いると
「バナナが好き」
と
「あなたが好き」
の「好きの違い」をどこまで言っても認識できないというわけ。
人間ならわかるよね、常識だよね?と曖昧に思ってることについて、
では「常識とは何か」というのを教え込まなくてはいけないわけなので、たしかにことは簡単ではないですね。
とはいえ、AIがものすごく得意なことある。
ほんとは人間が得意なこととAIが得意なこととかをすみ分けて、共に生きていく未来を描きたいわけだけど、そうはいかないわけで、、、総合的にそういうことが人間の仕事を奪っていくわけです。
たとえある種の仕事が奪われたとしてもそれでも、人間にしか出来ることを仕事すればいいじゃないという話なんだけど、どうやら、ことはそんなに簡単じゃない。
現代の子ども?いや、大人もじゃないかと思うけど、教科書の文章が読めていないというではないですか。
いやまぁ、それがどう繋がっていくのか?って聞きたいと思うけど、まぁまぁ、はやまらないで!
この先生、そういう調査もやってらっしゃるらしいです。
そして、調査に使われたのは、全て、文章をきちんと読んで、考察すれば、わかる問題です。
間違った答えを導き出す出すのは、
読んでないか
読めてない
ということになる。
きちんと読めばわかる!といのは、たしかに、間違いないです。
でも間違える子ども(大人もですが)いっぱいいます。
そして、全ての問題に、正しく正解できるかってところだけを取り上げると、東大、京大、旧帝大と言ったかなり偏差値の高い大学の学生に限っては、正解率の分布が、その他の大学や高校生やら中学生と比べて特徴的に違うことがわかります。
まぁ、それで、このご本の中では、読めない子供たちが、いわゆるペーパーテスト受けずに大学入ってなんてことで、心配はしてるわけですけど、読解力をあげる方法については解がないってな感じで、、、
それでも訓練をすれば正しく読めるようになると書いてあったり実例も出してくれているんですけど、なんともすっきりしない。
本の中で、明言されているわけではないですが、個人的には、旧帝大に余裕で入っちゃう系統の人しか生き残らない未来じゃんと言われているようで、なんか寂しい感じになってしまったわけです。
教科書を読めない子どもたちの章を読みながら思っていたことがあります。
あー、これ、TOEICで長文読むときの私の実力に似てるなぁって。
何かっていうと、ちょっと文が複雑になると理解できなくなるってやつですね。
ある特定の単語を知らないがために、その文の全体像がつかめない。
だから正解できないんです。
正しく読めてないっなことです。
あー、それが、日本語でも起こっちゃってるというね。
母国語まで読めてなかったらダメじゃんって思うわけだけど、そういうことになっちゃってるのかもって思います。
かといって、昔の人が必ずしも読めてたとは言えないんじゃない?ってことも思ったりして。
少なくとも読解力のためには、精読が必要だし(日本語の話しね、まぁ、英語だって一緒だけどさ。)みたいなことが書かれていたけど、それでもAIと対して変わんないところでつまづいちゃう人がいて、そういう人たちはAIに仕事奪われちゃうねって暗に言われているような気分になりました。
現状で、この本を否定するわけではないんだけれども、AIに関して言えば今の延長上にシンギュラリティはないのかもしれないけど、、、
これまで世界にはいつの時代も偶然に天才が生まれています。
そのまだ見ぬ天才が今、まさにその問題を別の角度で解く方法を確立しつつあるかもしれないので、シンギュラリティは絶対には起こらないとは言えないかなぁというのが一つ。
「バナナが好き」というのと
「あなたが好き」というのを
正しく理解して解答できるAIが現れたら、そりゃー世界はひっくり返るよね。
読解力の話も実は、AIが常識を理解する方法が鍵で、その方法を使えば人間の読解力も上がるって相関があるんでないかなぁと思うわけ。
ただ、そこに相関があったとしても、そこを分岐点として、AIの方が先に進んじゃう気がしてますけど。
そして改めて思うわけです。
読解力は多読と精読の組み合わせよね〜。。。みたいな。。。
- 【徒然】わからないことばかり
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2019.02.18 Mondayわからないことが多いぷぅコッコです。
月曜日の朝一、ニュースで最初に見たものは、「人身事故で(自分が乗るべき)電車が運転見合わせ中」だというお知らせでした。
自宅勤務に切り替えようかと、会社に連絡のメールを出した。
終日自宅勤務にとも思ったけど、やっぱり今日の会議はFto Fでやりたいから「午前中だけ自宅勤務にして、午後から行きます。」
そうこうしているうちに、運転見合わせ区間が変わり、少し遅れるか?くらいで行けそうだとわかった。
またメールを出して、「見合わせ区間が変わったから、やっぱり行きます」とメールを書いた。
一連の流れのように会社に向かってるのが今。
月曜日、朝一の人身事故。
事故かもしれないけど、月曜日、会社に行きたくなくて、自分で選んじゃったのかな?
実際のところはわからない。
でも、自分にできることは会社に向かうかどうかみたいなことで、それ以上に思いが至らないんだよなぁって。
ファクトフルネスという本を読んだ時、思っているより、世界は良い方向に向かっているということに思いをはせることができた。
日本を含めたいわゆる先進国はファクトフルネスの世界ではレベル4と呼ばれる。
うろ覚えではあるけれど、全てをひっくるめて、一日、32ドルは使える人たち。
1ドル110円として、3520円、一ヶ月を30日とすると、105600円。。。
うーん、最高レベルだと言われてる。
(これ以上の生活をできているということで、ここから先は青天井なのです。)
けど、日本だったら、この値段で全て賄うのは結構厳しいよね。
でも、それは世界で言うところの貧困ではないから、相対貧困と言われるらしい。
いろんなことが発達して、便利になってるはずなのに、「生きづらい」のはなんでなんだろう。
先日読んだ記事、「なぜ弱者を助けなくてはいけないのか?」というヤフー知恵袋への質問だった。
ヤフー知恵袋の回答は見事で、
人類は成長戦略の一つとして、「繁栄する(子を産み育てる)」を選択していて、今後適者生存を考えた時、出来るだけ多くの種を残すというのが繁栄につながるということで、今は弱者に見える人でも多く残していくという戦略を社会としてとっているというわけ。
実際のリンクを貼った方が納得感が高かった気はするけど、すでにどこのリンクか、わからなくなっちゃって。
まぁ、要するに強者が生存するのではなく、適者が生存するというのは間違いないんだな。
いま、弱者に見える人が将来にわたってどういう風に適応していくかはわからないし、今、強者に見える人も、いつ、そうで無くなるかはわからないのね。
これはダーウィン先生も言ってくれておられます。
まさに適者生存!ですよ。
そこで、私は考えた。
弱者を生かすためとかそういうことでなくて、社会はより多くの人を残すということを行なっているんだなぁって。
そうか、それはわかったけど、じゃあ、「社会が良い方向に向かった」としても、「私が幸せ」とか「あなたが幸せ」には繋がらないんだなぁって。
すると、どんなにステキな社会だとしても、「私の幸せ」とは関係ない。
ほんとは関係あるんだけど、だって、少なくともレベル4の生活をしているわけだから、それが幸せというもんだろうと言えなくもない。
戦争もとりあえずは今のところないし、(これから先、ないかどうかはわからないけど。)
暖かい布団で眠れて、温かい食事がとれて、水を汲みに行く心配もない。
それで、満たされないのは、もはや「自分の心の問題」じゃない。
あるもので満足できなくて
なにかと比べて自分を卑下して
自分は無力だと嘆くのは
全部自分じゃないか。
今、感じるのは、いかに「自分を自分で傷つけている」のかってこと。
それは、誰に何を言われたとしても、誰に何をされたとしても、誰が何をしていなかったとしても。
「自分の中で、自分を傷つけてるんだなぁ。」
もう、そういうわからないことと戦うのはやめたらいいとすごく思った。
でも、どうやってやめたらいいのか、わたしにはまだわからないんだよね。
- 【徒然】大丈夫って言葉が好きだ
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2019.02.13 Wednesday大丈夫って言葉について、なんとなく何回も書いてる気がするぷぅコッコです。
私は、「大丈夫」って言葉が好きです。
何か他の人に悲しいことがあった時、言葉をかけるのが苦手なんです。
いや、そんなの得意な人はいないかも知れないけど、気の利いた一言とか、言えたらいいじゃないって思う。
でも、うまくいかないんだよね。
特にカッコつけようとかするとね。
うまくいうより、むしろ失敗を恐れてしまう。
なんて言葉をかけたらいいのか、「正解は何か」そんなことを思ってしまう。
いやー、そういう声かけに、実は正解なんてないんだよ。
もしかすると誰かが悲しいときは、そばにいてあげるだけで十分かもしれないと思うわけだけど、なかなかそうもいかないよね。
だから、「大丈夫」だよ。
って伝える。
悲しいとか、辛いとか、嬉しいとか、楽しいとか全部あっていいし、そういうことに苦しんでる人がいると、なんとなく「大丈夫」だよって伝えてる気がする。
もしかすると私の口からうまくでてないかも知れないけど、実は、「大丈夫だよ」っていつも思ってる。
そしてこれは、自分にも。
強がってるというわけでもなく、結局最後は「全部うまくいくようにできている」と思うから、「大丈夫」
最近は昔に比べるとずっと人に頼るのがうまくなったと思うんだよね。
あっ、ぷぅコッコさんに頼られてわーって思った方、
いつもありがとう!
もっと頼っていいのに!って思った方!
いつもありがとう!
まぁ、そういうの関係ないわ
と思った方。
まぁ、それはそれで、とにかく大丈夫です(笑)
とにかく色々あるけど、大丈夫!
んー、まとまりないねー。
まーいいや。
とにかく、大丈夫です。
(いっぱい書いてたら、なんかダメな気がしてきた(笑))
- 【読書】これなら書ける!大人の文章講座
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2019.02.11 Monday
たしかにこれなら書けるかも知れない!と思わせてくれました!
一気読みしちゃったぷぅコッコです。
このご本を知ったのは上阪さんのFBのポストでした。
発売になってるかどうかもわからず、「買います!」とコメントして、アマゾンで予約しました。
あっ、これから買う方はぜひ街の本屋さんで!
そういうことはさておき、アマゾンで予約すると、当たり前ですが、ご本が届いてくれるわけですよ。
ありがたい時代です。
「湧き出る何かを文章にしたい!」という人は意外といっぱいいるんですよね。
ぷぅコッコさんはブログ書いてるのに、そういうのないんですか?と聞かれたら、きっと、あるんですよ。
まさに湧き出るという感覚で。
それで、それこそ、ブログなんて書いてるので、書くことに抵抗感はないんですね。
でも、書くことに抵抗感がある人と言うのはいらっしゃるわけです。
書くことに抵抗感はあるけど、「湧き出る何か」を書きたいと思ってる人ってのは実はいっぱいいるんですよね。
構成を考えて、何度も読み返して、それで、ブログにアップしないというかできないという話を何度も聞きました。
大人が文章を書く。
例えばweb媒体に載せて読んでもらう。
それはどういうことなのか?
そういうことに困ってる人には、どんなものを勧めたらいいのか?
そんなことの答えが詰まってるご本なんですよ。
このご本を読んで、「そうか、みんなは整った素晴らしいものを書きたい」と思っていたのか!
と、思いました。
私は自分のブログを書く時に、整った素晴らしいものを書いてるつもりはありません。
多分、そんなことを意識したら書けなくなっちゃう。
それでも、例えばご本の感想だったら、この本をどんな人に読んで欲しくて、どんなご本なのか、刺さる部分はどこなのかということを「伝えたい」と思って書いています。
いろんなほかの記事もそうですが、「伝えたい」という思いがあって書いているわけです。
実はカッコいい文章でもないし、語彙も豊富ではないことは自分で十分にわかってるわけです。
そんなことを思いながらこのご本を読むと、
おわりにで書かれている通り
「文章は単なる道具でしかない」「うまく書く必要なんてない」「話すつもりで構成」すればいい
というメッセージが書かれているわけです。
「そうは言っても、書けないんだよ!」
って言いたくなるあなたに、全ての答えが用意されています。
この本の中にね。
日本語として文章が洗練されていて、素晴らしい小説家のような惹きつけるものを書ければ、それはそれはステキなことかもしれない。
でもね、それは時として必要ないかもしれない。
「なんだよ、稚拙な文章だなぁ」と思われたとしても、ポイントを押さえて書くあなたの文章が、あなたの想定した読者に届くかもしれない。
その時、そうやって読者にとどけたいとと思ったとき、必要なことがこのご本の中に詰まっています。
誰に聞かなくても、読めば「書くということへの」勇気がもらえるかもしれないし、
「そうか、ここに気をつければ、書けるのか!」
と思って欲しい。
サラリーマンっていうか、大人って、文章で伝えなくてはいけないことっていっぱいあるんですよ。実は。
でも、学校の時に習った作文って役に立たないんですよ。
400字詰め原稿用紙二枚の誰が書いたか分からん文書って、人は読んでくれません。
そして、仕事なんかでは、書かなきゃいけないシチュエーションにおいて、下手くそでも、泣きながらでも書くわけです。
でも、それ以上に、ビジネスとか関係なく伝えたいことがあるのに、
「うまくできない」とか
「カッコいい文にならない」
って人にぜひ読んで欲しいんです。
今はSNSの時代なんで、自分のことを全く書きたくない人って、もしかするとこの時代、いないんじゃないかな?って思うんですよね。
誰にも言わないけど、「いいね」が欲しいって人、結構いますよね?
どうせ書くなら、カッコよく
って思っちゃうけど とかそういうことは取っ払って、たとえカッコ悪くても、伝えたいと想定した「あの人」に伝えるためには、書くしかないんですよね。
もどかしい思いを持っている人ほど、今一度、このご本を開いて、自分の今と比べて欲しいと思います。
きっとあなたが欲しいと思っている答えがこの中にありますから!
というわけで、「書けない」ってことに悩んでる人がいたら、教えてあげよう!って思ってます。
さて、このブログは「書けないあなた」に向けたブログで、私自身がこのご本でで刺さったことはまた別のことです。
(上に書いたことも、そうか、みんなはこのことに困っていたのか、という意味で刺さりましたけれども。)
まぁ、その話は別のことで、別のブログが書けそうです。
そうやって伝えたいことがあったら「書いてみる」ということのキッカケに、このご本がなったらいいなぁって思ってご本を閉じました。
書きたい人も
そうでもない人も
一度読んだみると、ヒントがいっぱいですよ。
- 【日々の記録】介護の話6 覚えてないの
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2019.02.09 Saturday突然起こったことを飲み込む時、記憶がすっぽり抜けてることありますよね。ぷぅコッコです。
私が台湾から日本に帰ってきたのは去年の5月です。
6月から仕事を始めました。
父が脳梗塞になったのは6月30日です。
そこから7月18日まで大学病院にいて、そのあと父はリハビリ病院にうつりました。
大学病院にいる間、母はほぼ毎日大学病院に見舞いに行っていて、その頃、父は看護師さん2人がかりで車椅子に移動してもらって、それでもまだトイレはオムツでやる感じでした。
父は言葉が出てこないので、会話が噛み合わないことも少なくなく、母の疲弊も大きくなっていったのをかすかに覚えています。
母まで倒れてはダメなので、毎日通うのは無理だと説得し。(母が来ないというと、父が寂しがるため、母は無理していくわけですが、行ったところで、言葉の出ない父とあまりうまくコミュニケーションもできないって感じだったです。)
その2人の間に入ってひとまず母が倒れないように数日は休もうよって説得して、父にも伝えたのを記憶してます。
その頃、まだ試用期間だった私。
でも、いろんなことがあるとどうにもなりませんよね。
体がボロボロで
ある日、会社からの帰りに立っていられない感じになって、なんとか電車を待って座った帰りました。
次の日、起きたら、手が震えて「こりゃいかん」ってなりましが、試用期間だったんで、ひとまず会社に。
会社に着いたけど、どうにもおかしいので、上司に話して、会社近くの近くの大きめな病院に。
血液検査をされ、生まれて初めて点滴されました。
結果出たら、一つを除いて異常はないと。
その一つの異常は、炎症反応というやつで、病院の先生曰く、「これから熱が出るかもね〜」
うーん、その宣言困るなぁ。。。
とにかく、体の中で、なんか戦ってるのはわかったけどね。
その日は大事をとって、家に帰りました。
とんでもないことが起こって、体にいろんなことが出るってのは2、3ヶ月経ってからですからね。
そんなことを身をもって体験する感じになっちゃいました。
いやはや、困るね。
気を張るって言ったってずっとは無理だよってことを身をもって体験した感じです。
誰かが病気になったら、周りの人も普通ではいられない。
できるだけ、自分を保ちつつ、サポートしなきゃね。
- 【読書】人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている
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2019.02.03 Sundayなんかいろいろちぐはぐしちゃってて嫌だわ、ぷぅコッコです。
いつだったか、テレビで紹介されたとかで、気になっていたんですけど、買ってなかったんですね。
私にしては珍しい。
というか、日本に戻ってきて、リハビリみたいなところもあるんで、まぁ、本屋さんにも行ってなかったと。
それで、まぁ、本屋さんにたまたま行く機会があって、見つけたんで買ったんですけど、なんか乗れなくて、読めてなかったんです。
年末時間もあったんで、せっかくなのでサラリっとでも読もうかと思ったらハマってしまった一冊。
表紙には
「え?まだ実力で勝負とか言ってるの?」って
ちょっと挑発的なイラストが。
これね(笑)
そして帯には「なんであんな奴が評価されるんだ!?」の謎を解く!
ってある。
おお、いるよね。
あんな奴がっての。
で、どちらかというと私なんかも、人のことをって言うよりは、自分が「あんな奴がって思われてるんじゃないか?実力なんてないのに。。。うぅぁ」とか思っちゃうタイプで。。。
実力ないから勉強しなきゃ
みたいななんだか、どこ向いて歩いたんだかみたいになっちゃってるんだね。
それって、実力社会になった今だから、なんか「実力あれば」、、、なんとなく「世間に認められる気がする」と思うわけで。
でも、現実はそうでもなくて、「あんな奴がって」のがいる。
なんともモヤモヤするものはなんなのか?
それで、この本は「実力あれば世間に認められる」のところに切り込むではなくて、「気がする」にフォーカスして謎を解いてくれているわけなんだな。
この間ご紹介したファクトフルネス読んでくださった方はいらっしゃるかしら。
紹介記事はこちらから
【読書】ファクトフルネス
この中でも人間がいかにファクトと向き合ってないかってことが書いてあるんだけど、そんな大きな枠じゃなくて、個人単位でも、バリバリそんなことが起こっているってのが、今日ご紹介してるご本かなぁと思う。
政治家を選んだりするときもそうだけど、まさか「彼がイケメンだから選んだ」って人は、中にはいるかもしれないけど、あんまりいないよね。
というか公言する人もあんまりいない。
でも、実際には、イケメンだから選んじゃってるというか、好ましいと思ってる部分があるから、全部好ましい感じに見えちゃうってこと。
そんな「錯覚」が起こってたりする。
でもこれって、無意識だから、どーにも出来ないんだな。
どんな素晴らしい社長さんや部長さんにだって、入り込んでるものなのね。
この間読んだネットの記事で、グーグルの履歴書には名前以外、国籍、性別、写真も載せないってのが確か書いてあったと思うのね。
これは、余計な情報で「錯覚」を起こさないようにということだと思うんだよね。
彼らに必要なことは、国籍やら性別やらましてや人種でもないという、実力で、まぁ、とるよと言ってるわけだけど。
これってすごい試みというよりは、なんか情報がくっついてたら、簡単に「錯覚」させられちゃうってことの表れでもあったりするんだね。
あのすんごそうな人が集まってる、グーグルの人事ですらそうらしいということで。
実は世間はこの錯覚ってやつにまみれてるわけよね。
その「錯覚」というか、「勘違いさせる力」ってのを使って、うまく生きていきましょうよってことですね。
読んでいるとわかるけど、別に「詐欺」を働こうというわけでもないだよね。
例えば、東大卒とかいうと「なんでも出来ちゃう優秀な人」って感じするけど、誰でも知ってることだけど、東大卒の全員が全員、別にそんなことはないわけ。
それでも東大を出た人全員は
「なんでも出来ちゃう優秀な人」
という印象を大学を卒業した後すぐなら世間に植え付けることができるわけ。
え?東大生はそもそも頭いいし、仕事もできるからそれは錯覚じゃない?って。
あー、でもさっきも言ったけど、全員じゃないんだよね。まー割合は多いかも知れないけど、全員じゃない。
ましてや、たまたまついた仕事が、本人の適正に合わなければ、能力を発揮することはできないってのは冷静に考えればそうよね。
そんなことは世間の人が誰だってわかってることなんだけど、そんなの冷静にどうとかってできる人は「実はいないんだぜ」ってか、簡単に勘違いしちゃうし、錯覚起こしてるし、なんとなく確からしいって事で思い込んで暴走するのよ。
それで、そういうことはまずいから、そんな世の中を直しましょうとか言ってるわけじゃなくて、そういう風に世の中は出来ているということを踏まえた上で、人生を優位に進めましょう。
ということを説いてる本なわけ。
賛否両論あるのはあると思うけど、
そういう「それはなんか賛成できないとか」「言ってることはわかるけどモヤモヤする」という思いは持ったままで、ダーウィン先生の言うところの「適者生存」を思うと、賛成するかしないかは置いといて、利用しない手はないですよね。
ってのが趣旨かなぁと思うわけ。
それで、一旦その勘違いさせる力でたどり着いた場所で、のんびりできるかというとそんなこともなくて、そこでも、努力するとか実力つけるとかってことはあって、その上で、人生を回していくってことになるんじゃないかなぁと本を読みながら思ってました。
そうすると、最初に実力つけてって、、、なんか目が出ないわって言ってた人よりも何倍も力がついてて、いつのまにか追いつけないところに行っちゃったりしてるってわけだ。
にわかには信じられないけど、そんなもんなんだよね。
そこで重要なのは、それって自分の実力で出来たってことじゃない場合がほとんどだから、謙虚さを忘れないとか、自分のことについては、自分がとにかく勘違いしないようにしないといかんわけなんだな。
(他人を色眼鏡で見ないようにしようとかは無理だからね(笑))
ファクトフルネスとほぼ同時期に読むことになったこのご本なんだけど
この二つの本によって、「人はいかに勝手に勘違いして生きてるか」ってことに気が付かされたりするのよね。
これは、ちょっと驚いたというかなんというか。。。
まぁ、なんにせよ、「気がする」ってところがいかに怪しいのかってのを、嫌ってほどわかる感じの構成になっているので、知っていると知らないとでは大きく差がつきそうだねって話でした。
ご興味湧いちゃった方はぜひに読んでみてね。
あんまり教えたくない気持ちもするので、強いオススメはしないですけれどもね。
少なくとも私はどハマりして、何度も読み返しちゃってます!
- 【徒然】言い方が嫌だと思う時
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2019.02.01 Friday日本語はわかりすぎてつらいわって、たまに思うぷぅコッコです。
「あー、あの人の言い方気になるわー」
そんな時、大抵は嫉妬の感情が湧いてるとか、何か自分の中にできないことがあってあたかもそれを指摘されてるような気がしたり、ともすると人格を否定されてるような気がしてしまったり。
ここで、わかっていることは何か。
多分一つくらいしかない。
それって、嫉妬してるとか?
相手が私を攻撃しようとしてるってこと?
いやいや、私のことを思って言ってくれたのよ。
違う違う全部違います。
わかっていることは
「相手がなぜそういう言葉を選んで、言ったのかは、本人以外に誰もわからない。」
ということです。
想像するのは勝手です。
そもそもそういう喋りの人なんだ。
いやいや、きっと今日機嫌が悪かっただけだ。
ほんとは私のことが嫌いだ。
いえいえ、私のことを心底思って言ってくれたのだ。
そうそう、そうやって思って悩むのよ。
でも必要ないですね。それ。
彼か、彼女かわからないけど、彼らは、何か伝えたいことがあってその言葉を選んで私に話した。
ということ。
どーでもいいですが、相手が何を思っていったかはこちらには全くわからないことです。
なかなかできないですけど、
「言い方嫌だなぁ」と思ったら、まぁ、私にとってはなんか嫌なことがあるわけですよ。
それはそれで、「なんで嫌だと思ったのかなぁ」って、嫉妬な話の時も書いたけど、立ち止まるのね。
それで、相手の方について思うことだけど
何かいいこと、悪いことを探そうとするんじゃなくて。
「相手にも好きに私に喋っていい権利がある」と思ってみる。
何かをお願いして、
相手は嫌だと思った。
そしたら「嫌だと言っていい」んです。
こんなに丁寧に頼んだのに。
そんなに忙しいはずないのに。
そんなの関係ないんです。
断ってもいいし、どんな表現使ったって良いんです。
あ、それを受け入れろって話じゃないっすよ。
どんなに頑張っても変わりませんから。
そういう人とは、ちゃんと距離をとってください。
あなたのため思っていってるとは限らないってことです。