- 【徒然】拙い日本語、拙い英語、拙い中国語
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2018.10.26 Friday語学は才能か?努力か?才能はなさそうだけど自分なりに努力してますぷぅコッコです。
拙い日本語
日本人なのになんか文書を書くとき、「すみません、日本人なのに文章が上手くなくて、それでもお付き合いください。」なんてことを書いてはじめてしまったりする。
そう、自信がないのよね。
とか、
例えば、ブログとかでもそうだけど、「こんな感じで書いてるけど、この文書恥ずかしいと思わないのかしら?」と思われるんじゃないか?と、自分が思って予防線を張るように書いてみたり
なんていう、心理状態かなと思うわけ。
そうやってはじまった文章が、はちゃめちゃだったり、読めなかったりすることは日本人が日本語書いているという状態ではあんまりなかったりするんだよね。
でも、冒頭にそう書いてあれば、なんとなく「あー、自信がないのかな?」とか「あー、うまくないと思ってるんだね」という、ことが刷り込まれて読みはじめるのよね。
どんなにステキな文章を書いたとしても、受け取り方は相手次第だというのに。
どんなに言葉を尽くしても、自分の伝えたいことが100%伝わることはないのに。
それなのに「私の文書は拙いです」と、先入観を与えている。
昔は全然気にならなかったし、なんなら謙虚さの証、ぐらいなことを思っていたんだけど、最近はちょっと違和感があるなぁって思う。
一方で外国語、第2外国語なんてのを思った時、そもそも「日本語の拙い」なんてことがレベルにならないくらい「拙い」のだ。
いつも、伝わったか?
ということに気を配らなくてはならない。
そもそも意味が通る文章を書けるかどうかだってかなり怪しい。
本当のところは、それが「拙い」文章なんだと思う。
それで、「英語うまくないから」「中国語、ほんのちょっとしか話せないから」と言い訳してたけど、そんなことは相手も織り込み済だし、そんな理由で何も話さないよりバリバリはなした方がよほどよい。
そして、拙かろうがなんであろうが喋らなくてはならないときはいくらでもある。
「どういうこと?」ってなる場面もいくらでもある。
そこではじめて「英語うまくなくてごめん」「拙い英語ですみません」の出番なのよね。
ある程度できるようになっても「やっぱり拙い」「拙い言い回ししかできない」から卒業できる日はやってこない。
だったら、いいじゃないか。
「拙い」ままで。
英語も中国語も加えて日本語も、あえていうなら母語ってやつも。
そのままの「拙い」で、それでも伝えたいことがあって文章を書くなり話しはじめるなりする訳だから。
わざわざ、「私は拙い日本語しか書けないですから」って言い訳しなくていいじゃないか。
伝わるかどうかなんて、「拙い」とは全く別のところにあるんだよ。
拙くない文章が書ける日はやってこないし、拙くない文章でも伝わらない文章なんていくらでもある。
本当に大切なことは、「拙い文章云々」ではなくて、「できるだけ自分の思いを伝えられるか」ってことよね〜。
なので、「私の文章は拙いです」からは脱出しよう!
とはいえ、宣言する必要はないけど、「拙い文章」であると言う謙虚さは忘れずに、忘れないけど大胆に!
そんなことかなぁと思ったりする。
日本語難しいなぁ、何書いてるかよーわからくなってきた。
これも、「私の文章が拙いからです。」ということで、お許しを!
- 【万年筆初心者さん向け】太字をはじめたい方へペリカーノJr.のススメ2
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2018.10.23 TuesdayペリカーノJr.いいっすよ!ぷぅコッコです。
ペリカーノJr.ですよ。
今、ペリカーノJr.を買うとこんなかわゆいカートリッジが付いてくるのです。
別にキャンペーンとかではなくては、多分これが今今の通常運転のはずですので、欲しい方はお急ぎください!みたいなものではないです。
いつやめちゃうかはわからないけど。
それで、ペンと、カートリッジはこんな感じ。
ひとまず、購入したら、こんな感じで分解しましょう。
カートリッジは通常そのままではささらないムキにしまわれて、売られています。
無理やり入れようとすると壊れますからね。
んで、この向きにします。
このまま、さします!
結構強めにささないとダメなので気をつけてね。
こんな感じにできたら、準備オッケー!
そのまま書けたらいいんだけど、、、
って続きはまた今度ね。
カートリッジうまくさしましょう!
- 【万年筆初心者さん向け】太字をはじめたい方へペリカーノJr.のススメ
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2018.10.22 Monday万年筆が大好きです!ぷぅコッコです。
たまーに、「太字使ってみたいけどおすすめは?」
とか
「いっつも国産の細字ばっかりなんですけど、太字ってどうですか?」
というご質問を受けることがあります。
あのー、はじめて万年筆というのは、パイロットのカクノ
これね
をオススメしているんですけど、このカクノという万年筆
細字(F)と中字(M)がラインナップされていますが、おっと、極細字(EF)もだね。
このカクノ、そもそも国産な上、国産の中でも細い出来上がりなので、太字へのステップアップにはちょっと別のを使いたいところです。
ちなみに、初心者さんはカクノの中字を選ばれることをオススメします。
カクノの中字をいい感じに細めに書けるようになったらカクノ卒業しましょう。
それで、細字への移行ならもんの凄い高い素敵万年筆を自分のために購入してもなんら問題なく書けると思う(カクノで練習してるからね)
でもね、もうちょっと太字を使いたい!という時のおすすめは、ペリカーノJr.です!
無駄にキュートでしょ?
もともと、ドイツの小学生がはじめて万年筆を練習するために作られている万年筆で、字幅といかペン先にはAという記号のニブ(ペン先)が付いてます。
Aニブって初心者用ニブって事で、外国産のMと同じくらい、国産ならB(太字)と同じくらいなんだけど、許容範囲が広めに作られているのね。
要するにちょっぴりなら変な持ち方してもかけるよんってことね。
ほら、初心者さんにピッタリでしょう?
持ち方も矯正できるし、素敵なのよぉ〜
ということで、太字好きになってもらうために、しばらくこのネタ書きまーす!
次は、インクカートリッジをさしてみるよ〜
- 【読書】美味しいごはん
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2018.10.20 Saturday
先月くらいから本格的に足揉み先生やってます、ぷぅコッコです。
このご本は私の友人でもある足揉みのお客様からいただきました。
ありがとうございました。
その方に足揉みをはじめてやらせていただいた日
その方は、ある食のイベントを行って、その後に来てくださったのよね。
施術の後、そのイベントで出された「手で握った塩おにぎりと、少しのおかず、そして舟和のあんこ玉」がほんとにちょうど一人分、計ったように用意してくださってて、頂いたんですよね。
いやはや、白ご飯のおにぎりとやら、なんでこんなにも美味しんだろうか?
そう、思うだけではなく、口から「なんで?これなに?特別なおにぎりなの?」と、口に出して聞いてしまったくらい。
「特別なことはなにも、、、お塩と手で握っただけのおにぎりだよ。」って。
いやいや、魔法でしょうよ。
そもそも最近、こんなに美味しいおにぎりは食べたことないぞ。
その時は、それでおしまい。
だったんだけど、その超絶美味しかったおにぎりを握った彼女が、今日ご紹介するご本をくださったのね。
深くは知らないけど、応援してるんだね。「ゆにわ」の「ちこさん」のこと。
さて、このご本に出てくる「ゆにわ」さん。
いくつかあるみたいですけど、レストランなんですよ。 うん。大阪?にあるのかな?
近くないから行かれないけど、書いてあることを読んでみると、ものすごく「ゆにわ」の「ちこさん」のご飯が食べたくなる。
実際にそういう方が多いそうで、中には惚れ込んで近くに引っ越しちゃう人とかね。
書かれている食への姿勢というのは、日本の伝統だったものを守ろうという強いメッセージと「食べること」それ自体を楽しくするという熱意にあふれているね。
そういう彼女や彼女たちを作るにいたった北極老人との出会いとその思いと伝えたいことに溢れてるご本なのよ。
時に彼女の描く食との関わりに、「私はそこまで食に向き合っているだろうか?」と、深く問われたり。
なんでも選べる時代なのに、選べていない自分に少し苛立ったり。
彼女たちが手にした北極老人との素晴らしい出会いを思い、また、北極老人から学んだ全てを彼らが感じたと同じように伝えたいという気持ちを受け取ったりするご本なんだよね。
これは、近くだったら絶対食べに行くよね。
と、読みながら何度も思ったのですね。
ご本自体を眺めてみると、食に対しての素晴らしい姿勢とか、いわゆる成功した人にありそうなストーリーとかって、語るべきこともいろいろあるけれども、それは是非ご本を手にとって確認いただきたいわって思う。
この本を読みながら、「ゆにわ」の「ちこさん」に関して、一番強く感じたことは「ご縁」についてなのよね。
先日、出口さんの古典のご本を読むって言うセミナーに出た時に、出てきた「運と適応」の話を思い出す。
生き残る種ってやつだけど、偶然なのよ、何もかも。
ちこさんが北極老人に出会って、食に目覚めたことはほんとに偶然。
そんなのちこさんしか起こらないよ
って言ってしまえばそれでおしまい。
いやいや、そこじゃないんだよ。
心動かされた出会いに適応して生きるかどうかと言うことが、一番重要なというか、学ぶべきことなんじゃないだろうかと。
食に対してだけではなく、そういう姿勢こそ、見て学ぶべきではないかと、強く思ったのよね。
ともすると、食べ方とか、何食べたらそんな幸せにって思っちゃうけど、そうじゃないなって。
いや、まぁ、そりゃー同じことができればいいけど、そりゃ、そもそも無理な気がするし。
ご本の中でも出てくるけど、食だけではなくて、生きる姿勢含めて、「当事者」になることかなぁって、思ったりする。
縁は偶然
で、それを生かして、ステキな生活のための糧にできるかは、それらに適応して、当事者になる覚悟があるかどうかと言うことなんじゃないかなぁってね。
そんな姿勢にみんなが共鳴して、きっと「ゆにわ」は拡大してるのかもねってなことを思ったり。
それで、そういう食への姿勢は、「ゆにわ」でなくても実は味わえるんだと思うんだよね。
冒頭の超絶美味しかった「白ご飯おにぎり」はまさに、「ゆにわ」で出されているような、「食べる相手を思って握られた」おにぎりだったからだなぁって、妙に納得してしまった。
今に生きる人たちは、食に関して、こだわってる人も多いと思う反面、手を伸ばせば考えずにお腹を満たすことはできる。
どちらを選ぶか?
食にこだわってる人は、ともすると自分の食べ方は間違ってはいない!なんて意固地になっちゃったりするけど、
方法の正しさとかじゃなくて、誰かのために心を込めて作るってので超絶上手くなる食べ物は、自分のために、自分自らチョイスすることによって何倍も美味しいものに変化してくれるんじゃないかなぁと思ったりして。
あー、食べたいものをコンビニで買うって話じゃなくて、自分のために食材の声を聞き、作るみたいなことだけど。
うーん、やっぱりあんまり簡単じゃないかも。
今更ながらではあるけど、食って大切なんだよね、ってのをまた再発見?再確認させてくれるご本でした。
ゆにわが近くにあればね〜行くのに(笑)
まぁ、まぁ、お近くである方は、ご本でチェックした上で、ご飯を食べに行ってみてはいかが?
お近くでない私たちは直接は行かないかもしれないですけど、志を同じくするお店さんや人たちはきっと近くにいるから、それを自分の舌で幸せを感じつつ探すのも良いかもね。
(簡単ではないと思うけど。)
ってなことで、食にご興味のある方、ぜひ読んでみてね。
- 【セミナー】出口治明 連続講義「古典を読めば、世界がわかる」第一回に参加しました。
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2018.10.09 Tuesday久々のセミナーで、ワクワクしましたぷぅコッコです。
あ、久しぶりだと思ったけど、そんなことないなぁー、ブログにし損ねたセミナーでたわ、なんてことも思い出しつつ、ツラツラ書いています。
どのくらい前でしたかね、出口さんがFBのTLでご紹介されていたんですよね。
日本に帰ってきちゃったこともあり、これは行かなくちゃねってなわけで、勇んで申し込んだのでした。
こちら光文社さんが、最終的にご本にされるみたいで、録画?もされてたりするし、おそらくライターさんも入ってる感じのセミナーですので、きっときっと、5回目まで終わったあかつきには、素晴らしいご本になるものと思われます。
ってなことがあるんで、わたくし、ブログにしなくても、そのうち、もっと洗練された形で、世に出てくれるものと思いますが、せっかく参加したし、参加記録をブログにするのは趣味みたいなもんだし、つい最近、ブログの良さというか、ブログ書きたいわーみたいなのにも目覚めたので、書いていきたいと思います。
私の務めている会社から、護国寺という光文社さんのあるところまで行くのって結構時間かかりまして、それは問題ないんですけど、定時に出ればギリ間に合うか?と思ってましたが、幸か不幸かグループミーティングは長引き、安定の遅刻となって、10分くらい遅れて会場入りでした。
会場に入りますと、まぁ、すでに講義はじまってるわけでした。
まず、何故、今、古典なのか?
というそもそもの話につながる話題がなされていました。
その前に、「おいしい生活」ってのを考えるとき、あー、ここでいうおいしい生活ってのは、お金もあって、仕事もあって、ハッピーラッキーみたいなものをざっくり想像すればいいかな?
そういう生活をするために必要なものってのを考えると、
「知識」×「考える」
で、成り立ちそうだな、と。
イノベーションってやつは、いわゆる既存知の掛け算みたいなものだけれども、ここでいう、既存知ってやつ、知ってるのはいいけど、誰でも思いついちゃうようなものだと、あんまり意味がなくて、イノベーションではないっしょ?ってことになる。
そう、このイノベーションを生み出すために必要な既存知は、その距離感ができるだけ離れてる方がいい。
そんな「知」を達成するには、ダイバーシティよね〜なんて話が飛び出すんですね。
私ごとですけど、つい3、4ヶ月前まで台湾で暮らしておりまして、ダイバーシティと言うよりは、彼らにとっては私が外国人でしたけど、まー、日本だと得られない「知」が私の中に溜まったと思いますね。
これを掛け算してなにかを起こせば、おいしい生活か?
とか思うけど、それはまた別の話で、そのイノベーションを起こすためには、「既存知」ってのだけでもダメで、「考える」ってのも重要だよ。
じゃー、知識はいいけど、「考える」の方は?いわゆるセンスってやつですか?
いえいえ、そうじゃないのよ。
これまで散々、人間は考えてきてて、それこそ数多の天才たちがその方法を後世に伝えてくれているわけ。
そう、それが古典から学べることで、その「考える」を真似るところからはじめてみましょうよ!ってオススメね。
知識はちょっと距離の遠いところからも取り入れ、考えるは、先人の真似っこで、ってのの先にイノベーションがありそうだ。
あー、なんかすごい天才ってことじゃなくても、なんか生み出して「おいしい生活」できそうじゃない?
まーまー、それはさておき、その「考える」の先生が古典だということなんですね。
そして、この古典というやつ。
素晴らしいことに世界中で読まれてますから、読んでるだけで、世界中の人と世間話が弾んじゃうかもしれないというステキなおまけ付きです。
これは、既存知の距離をとるという意味でも、重要ですよ。
共通の言語を持つことはすごく重要だけど、同じ日本語を喋る日本人だって、なんも話すことないよね〜って人いるでしょう?
逆に、共通なのは、どちらも第2外国語で学んだ英語だけだよってなっても、趣味のことなら、ものすごく盛り上がっちゃったり!
私は万年筆を趣味にしてるけど、そんな話題でがっつり世界とつながりますからね。
まっ、そんなもんです。
これが下地で、これが古典を学ぶ理由なんだな。
さて、古典というと、難解だというイメージが強いですよね。
ごめんなさい、今回、光文社さんのダーウィンの「種の起源」が1回目の題材だと知ってたんだけど、読んでません。
でも、今回のご本は
「今、息をしている言葉で」翻訳されているそうでして、読みやすい?のかもしれないです。
(すみません、よんでないのでわからないです。)
古典というのは昔からあるわけですけども、日本のものであっても、なかなか文語体のものを読むのはしんどいです。(日本語を学んでるんだから、読めばという話もあるかも知れないですけど。。。日本語学者でもあるまいし、そんな事こだわらなくてもいいでしょう。)ましてや、海外のもので、格式高い昔の日本語にされてるものというのは、なかなかに厳しいかもしれない。
と、考えると、「今、生きてる言葉で」訳し直してくださってるというのは、とても素敵ですよね。
それでもわからないところは出てくるかもしれないけど、ま、それはそれとして、エッセンスをいただこうじゃないですか。
なかなか本題のダーウィンの「種の起源」に入らないですけど、この辺りから行きましょうか。
出口さんが曰く
ダーウィンさんという方、大変立派な人であるという印象を受けたそうです。
遺伝子学等がない時代の話ですので、証明されてないことも少なくはなかったはずです。
でも、「わからんものはわからん」と、きちんと言う姿勢と、それはそれとして、膨大な実験データからのロジカルシンキングにより、真理に近づくわけです。
いやー、サイエンティストですね。
頭が下がります。
そんなダーウィンさんが言う自然淘汰は正しいそうですし、進化の過程を考えたとき、生き残るものってのは。。。
強いものでも、大きいものでも、賢いものでもなくて、「変化によく適応したもの」だ。
ってことなんですね。
ぶっちゃけ
「運と適応」
ってことなんですね。
え?そんな偶然な?
そうそう、そんなもん。
あー、でも、運って引き寄せられるとも言われるしー、なんて思ってみたりもしますが、そんな運を引き寄せられるなんて、そりゃー少々傲慢な考えではないですかね?
ってなことも思うわけです。
とはいえ、この「運と適応」ってやつ
所詮偶然だから、なにをしなくても、来る人にはくるし、来ない私には来ないんだわ!
って決めるのもいかがなものですかね。
棚からぼた餅
ってありますけど、あれって、ぼた餅の落ちてくる棚の下にいないと、ぼた餅には有り付けないわけ。
もしかしたら、ぼた餅の落ちてくる棚の下には他にもライバルがいて、ぼた餅は一個かも知れない。
いち早くぼた餅を手に入れるためには、素晴らしい瞬発力で、誰よりも口を大きく開けて、取りに行く必要があるのかも知れない。
そういう「運とか適応」って、前を向いてるだけでもダメで、後ろの棚にあるかも知らないから360度警戒して、見つけ次第動けるように、体が出来るだけ自由に動く、もっといえば、考えなくても動いちゃうみたいに環境を整えとくってのも大事ってことなんだね。
そう思うと、先行き不透明でも、それって、そもそも今、どーのこーのではなくて、生物の進化そのものが先行きなんていつも不透明なんだよね。
その中で、今に適応していく力を持ってるものになりましょうよ!
って事で、現代でも、驚くほどマッチする不変の真理なのかもしれません。
他にも、話は盛りだくさんでしたが、とりあえず、今回のセミナーの話はここまで。
まずは光文社さんの種の起源、、、を、、、と言いたいところですが、出口さんが合わせて読みたいと推薦してくださった薄くて優しいご本があるので、そっちから読もうかなっと。
- 【日々の記録】日本橋クルーズ行ってきました
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2018.10.08 Monday日本に帰ってきたけど、日本は堪能してないぷぅコッコです。
日本橋ですよ!
川の方から写真撮ってます。
日本橋のところから出る「日本橋クルーズ」に行ってきました。
たまたま、日本に一時帰国してらっしゃる台湾仕事の頃の先輩と行ってきました。
そういうアクティビティに疎いわたくし、先輩のオススメのまま、連れて行っていただくことに。
とうの先輩の方は4年越しで乗れたとのことで、ご満悦でした。
こんなご時世なので、外国の方が多いのかと思いきや、そんなことなくて、がっつり日本人ばっかり。
それも驚きでしたね。
プラス、バスガイドさんならぬ、船ガイドさんがいらっしゃるんですけど、正味1時間、喋りっぱなしで頭が下がりました。
今話題の築地市場から豊洲市場にうつるための2号線を見てみたり、東京タワーもレインボーブリッジもスカイツリーも、海と川で繋がってるのね〜
と、ちょっと感心しちゃいました。
たまにはこんな日々の記録も悪くないかなぁって思います。
皆さんも是非、機会あったら試してみてください。
意外と楽しいですよ。
- 【徒然】笑顔の練習
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2018.10.06 Saturday日々の忙しさに、大暴発、、、まだしてません。ぷぅコッコです。
私、多動な人なので、自分からも引き込んでいろいろ忙しくなっちゃうこともしばしばですが、それだけではなくて、疲弊した日々を送ってます。
そうすると、笑顔が失われるんですね。
困ったもんです。
笑ってる場合じゃない時は、笑えなくてもいいじゃないか!
たしかにそんなことも言えるような気もしますけど、なくなっちゃうと、どんどん疲弊しちゃって、余計にダメージがたまってきます。
日々の忙しさもさることながら、昨今の台風銀座も体調に悪影響。
ついには耐えられず風邪を引きました。
どーなってんだこれ。
ってことなんですけど、こんな時、ずずーんと落ちていかないために、やってみよう!
というのが笑顔の練習です。
文字通り練習
笑顔になれるアクティビティをしましょう、とか言うんじゃなくて、あくまでも練習。
人は1日に何度か鏡見るでしょ?
その最後に、口角を少し上げて、笑顔を練習してみる。
それだけでOK。
そんなんじゃ気分も晴れないし、変わらないんじゃない?
まーまーまーまー
騙されたと思ってやってみてよ。
一説には、口角を上げてにっこり顔を作るだけで、脳が騙されてくれるって話もある。
ってことは、にっこり笑顔を練習するだけで、ちょっとしあわせな感じに思えちゃったりする、、、かもしれないってことね。
とは言っても、今の忙しさも大変さも変わらないじゃない。
うん、おっしゃる通りだね。
変わらないと思う。
それでも、大変さが変わらないなら、笑顔で乗り切った方がいいと思わない。
だって、同じなんだもん。
仏頂面で乗り越えても、笑顔で乗り越えても。
お、鏡だ、よし、笑顔の練習だ!
って思うだけで、1日は明るくなるかもよ!
今、大変なのー
(お天気に反応しちゃうタイプの人はまさにそうだと思うけど)
って人
鏡見てる顔は結構怖い顔してるので、「笑顔の練習」
効きますよぉ〜
- 【徒然】オフ会で教えてもらったこと
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2018.10.04 Thursday万年筆で書くことと、万年筆で書く楽しみをみなさんに伝えたいぷぅコッコです。
この間、万年筆好きさんのオフ会に参加しました。
これはその時に食べたローストビーフとローストポーク
いやー、最近ね、個人的なことでいろいろ疲弊してまして、オフ会とか大丈夫かいなと思ったんですけど、楽しいことって体にいいのね。
とてもリフレッシュさせてもらっちゃいました。
覚えてくださってる方もいらっしゃると思うんですけど、万年筆初心者さんのためのブログを書いてたんですね。
で、まぁ、最近は書いてなかったと。
今回のオフ会で、一緒に参加してくださった方の中に、太字の万年筆に挑戦することにしたけど、うまくかけないことがある〜
っておはなししてくださった方がいたの。
別に万年筆の講座とかではなくて、ただのオフ会の流れで聞かれたことに答えてた感じなんだけど、書かせてもらうとすごくするする書ける。
でもご本人はかすれる時があってってお話になる。
そして、あまりにもうまく書けないから、調整してもらった方がいいのかなぁって。
こんなお悩み
私も昔持ってたなぁって思い出しました。
ペン先が紙にあたって、インクが流れ出す。
そうやって書けるようになるって本当に単純なことなんだけど、できないって時がある。
万年筆というのはワガママな筆記具なので、出荷検査してるはずでも、ちょこっといろんな部分、いろんな部品が噛み合ってなくて、うまくかけないってのは存在するのね。
で、万年筆好きさんだと調整に出すって言ってペン先を診てもらうことがあるんだけど、そういうことでなくても、上に書いたインクの供給がうまくいかないってことはあるのよ。
紙にペン先がうまくあてられてないんだね。
細字の万年筆というのは紙に当たるところが小さいので、割とおこりづらいけど、太字になればなるほど、うまくいかない時はあったりするのよね。
そこで私は思う。
その一番最初の悩みにアプローチできないだろうか?
そう、万年筆の書き始めは、ペン先が紙にあたってインクが出てることを確認すること。
当たり前に出来そうなそんなことをちょっとだけやる余裕の3秒
それだけで格段に良くなるし、癖のようなものも少し強制されたりする。
それは、当たる部分がうまくわからない万年筆初心者さんにしかおこらないこと。
(ここでいう万年筆初心者さんって万年筆をいっぱい持ってるって人でもいるんだよぉ〜)
でも、これで万年筆がつまらなくなってしまうなんて、寂しいじゃない?
でもそれは調整してもらえばなおるものでもなく、また、調整してもらってもおこっちゃうのよ。
だって、最初の3秒を知らないから。
ひねって書いてる自分の癖をわかってないから。
そんなもん。
太字の3秒とはそんなこと。
こういうことをちょっと3年くらい前まで、結構書いてきたんだよね〜私。
でも、その役割って実は終わらないのかも。
だって、新たに万年筆の魅力に引き込まれる人たちはあるわけだから。
そうだったなぁ〜
って、そんなことを思い出させてもらったんだよね〜。
すごく良い会だよね〜。
私も太字がうまく使えなくて、困ったことがあった。
インクがうまく流れでなくて書けないペンでなんとかして書こうとして、強く押し付けたりしてた。
そうじゃないのよ。。。
その昔、仲良くなった万年筆の大ベテランさんが「私は基本どんな角度でも書けるよ。手が勝手に合わせに行く感じだね〜」
っておっしゃってたのを聞いて、「すご〜い!!」って思ってたけど、今は私もそれできるなぁ〜
とかね。
書くことが好きで、伝えることがあるならば、それがどんなに小さくても、どんなに些細なことでも、どんなに小さな範囲にしか届かなくても、書いたらいいかもね。