昨日は、日本に帰ってきてお久しぶりの先輩にお会いしておりました。
私、台湾に3年住んでたんですけど、いろいろ質問されることに対して、多少考えること、伝えたいことみたいなことが出てくる。
そうわずか3年だけど
されど3年なんですね。
「3年なんて、あっという間すぎて、何か自分の中に残ってるんだろうかと思うことがありますよ。」
すると先輩は答えます。
「仕事が変わって、悩んで「もう嫌だ、もう無理だ」って言ってた時に、「3年頑張ってみなよ」って言ったでしょ?」
そうだ、「そうだ!それだ!言われたーたしかになんだかわからないけどなんかなった気がするわ」
そう、その仕事を私は今もメインでやっている。
近年は、若い人に「3年頑張れ」なんてナンセンスだと言われる。
時代の流れもはやいし、そもそも頑張ったところで何にもならないかも。
とかね。
そう、何にもならないかもしれないし
望んだ結果は得られないかもしれない
しかも「3年頑張らなくては『いけない』」訳では決してない。
何が正しいとか
何が間違っているとか
選択しない誰かを正しいか間違っているかの二元論で『さばく』ようなことはあってはいけない。
でも、まー人間のコミュニケーションはそうなってて
「言うことを聞かない」
とか
「伝わらない」
といっては嘆くわけ。
だけど、ここに一つ事実がある。
3年間やってみたと言う実績
それを誰かに伝えることはできるんじゃないだろうか?
そこから先、相手が続けるか、やめるかみたいなことを含めて、それは「相手のチョイス」なのであって、私は責任を持たなくてもいい。
そんなことかなぁと思った夜でした。