- 【勉強会】エンパシー・スーパービジョン
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2018.03.28 Wednesdayあらかじめお断り、本日のブログ、割と自分の備忘録のために書いているために、途中、理解できない部分や、共感できない部分が存在すると思われますが、そちらは、あまり深く考えずにスルーしてください。
昨夜、authentic leadership講座に付随するエンパシー・スーパービジョンのエンパシーされる人をやってきました。
エンパシー、、、どこかで説明を書いたかもしれないですけど、人に話を聞いてもらい、共感を得ながら、深く自分の命とつながるということです。
それってなんだ?
イメージしやすいので、書きますが、カウンセリングの被験者で、まぁ、話を聞いてもらう側をやりましたって話。
(実際はもっと、すごいんだけど、伝わりづらい。。。(笑))
わりと頭でっかちなので、authentic leadership講座の基礎編で、「よし、理論は理解した!」「ん、ならできるはずだ」みたいなことを思うんですけど、何事も、練習しないとうまくなりません。
それは洋の東西を問わず、authentic leadershipの大天才がいたとして、そんな人でもです。
で、昨日のは上級コースのみ方々の練習の場みたいなところで、私はエンパシー体験の方を積むためにエンパシーしてもらう側として参加しました。
このエンパシーというやつ。
実は上級コースに友人がいるので何度となくお願いしていて(この場合は自分も練習したりしてる)その度に発見はあるのね〜〜。
でも、昨日のは、講座主催者の方が実際にエンパシーしてる様子を見ながら、アドバイスしてくれる会で、私はもちろんエンパシーする側ではなくてされる側なんだけど、とにかく、これまでの経験から自分の「命」に向き合いたいと思って参加したのよね〜〜。
まー、それで詳しく書くのはどーなんだって事で、詳細は明かしませんが(ブログ読者には、私のくるしい胸の内はダダ漏れな気もするけど(笑))いろんな問題があって、雇用だったり、家族だったり、で、自分的にはやってるつもりなのになんかモヤモヤするんだよね〜〜。
ってところから話が始まりまして、おあいてしてくださった方が、私が言ったことから必要な部分を繰り返してくれて、こういうことが欲しいんじゃないか?というのをひたすらフィールドバックしてくれるわけです。
お相手さんは初めておはなしした方ですが、すごく心地よく引き出してもらった感じあります。
もうね記憶がないくらい喋りまくった気がして、正確には覚えてないですが、問いかけられることに対して、自分がどう反応したか、感情が動いたかってのは覚えていて。
例えば、「それってもっと主体的にしたいってこと?」とか「配慮かな?」と問いかけられるんだけど、頭で考えてたら、そうかもって思うことに、体が、体の内側がNOを出すんだよね。
「いや、主体的ではあると思う」とか「うーん、自分で決められないことが多いけど、配慮はされてるんだと思う」とか、、、でも、もやもやするんだ。
そうすると、どんなタイミングだったか覚えてないけど、「怖いから近づきたくない」って感じる、、、を多分口に出したのよね。。。
それをリフレクションされる
「怖いから近づきたくない」
そうなんだよ。
時間があれば、自分につながってって言う、そんな時間が欲しいとかじゃなく。
もしも時間が欲しいなら裂けばいいのよ。
時間なんてどんなに大変な時でも作れるのは知ってる。
じゃーなんでだ?
ってなった時に、怖いから近づきたくないんだよね。
そのなんらかしらある、自分の中のエネルギーにね。
だから、「こんなこともあんなこともあるから、大変でしょ〜だから近づけないんだから〜」って言う言い訳を必死にやってるんだね。。。
回遊魚のようだ(笑)
生きるために必死に泳いでますからね、中心部のほんとは近づきたいエリアに近づかなくても、私は頑張ってますから、うんうん!みたいな。
それで避けてきた物は何か?
と言うところで
「それは感情的な安全ですか?」
って問いかけられたんだと思うけど
(どう言われたかは覚えてない)
「あ、それだ。。。」
と体が反応するんだね。
不思議なんだけど、
「そーかも知れない」
「そーゆー考え方もできますよね」
とかじゃなくて、
完全にそれ!
ってのが体の内側からくる感じ。
今回はその言葉を言われた瞬間に文字通り「胸熱」になりました。
(きっとこの辺にエネルギーあるんだね。)
で、すごく気分が良くなって
なんと言ったらいいかな
内側にあるエネルギーの方が「やっと見つけてくれたー」みたいな興奮状態でしたね、これ。
(そのあとしばらく遠足前の子供みたいに眠れないみたいな感じ)
で、私の回のエンパシーは終わり。
でもすごく貴重な体験をさせてもらった。
もうずっと、体からは呼びかけられてた気がする。
でも、自分だけじゃ繋がらなかった。
そんな意味でもすごくありがたかったなぁって思う。
おあいてしてくださったゆうくんが「なんかシャブみたいな感じで」って繰り出してくれた細かいジャブが効いてきて核心に。
面白すぎるね。
さて次は、「感情的な安全」というニーズと実際につながらないとなぁ〜
一人じゃ怖いんですけど、これ。
ってなってるのが今。。。
主催のみーちゃん、エンパシーしてくれたゆうくん、そしてエンパシー・スーパービジョンに参加してくださった皆様に感謝です!
- 【徒然】皆様に感謝を!
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2018.03.27 Tuesday今日は
2018年3月27日
私、誕生日です。
すごい時代で、朝、わたしがSNSを開いたら、誕生日メッセージを下さった方がいらして、それで誕生日だと気がつきました。
年末からここまで
いろんなことがありまして、今も続いてるけど、こんな年になるとそんなもんかなぁって思ったり。
先日、日本にちょこっとだけ帰って、エネルギーをもらったり。
思うことは、変化は自分で起こさなきゃねってことですかね?
世の中は変化が早いので、なんともかんともですけど、その変化についていくみたいなことだけじゃなくて、自分から積極的に変えることが必要なのかも。
そんなわけで、今日という日を味わうことにします。
色々なことに気がつかせてくれるステキなみなさんに、感謝を!
いつも読んでくださってありがとうございます。
- 【徒然】当たり前と常識を疑う
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2018.03.26 Monday当たり前と常識を疑う。
この手の話は、人によっては耳タコですよね〜。
だって、素晴らしき成功本とか、素晴らしきビジネス習慣本をざっくり10冊も読めば、半分くらいのにはそれっぽいことが書いてあるもの。
元来、私、素直な性格なもので。。。
そうか、常識を疑うのか?
ふむふむ、当たり前を疑う、なるほどね〜
やってきました。
そうね、今、台湾にいるってあたりで、なんというかな、その常識ってやつとは戦ってきたかもね。
それを人は「波瀾万丈」と呼ぶのかもしれないし。
わたしのことを「破天荒」だと思ってる人もいるかもね。
それがあってるとか、間違ってるとかそういうことではなくて、そう感じた人がいたなら、そうだろうと思う。
世間的には、「常識だ」と言うことを疑ってみるというのはいいことだし、そのままの解釈でやってきて、ここまできたんだと思ってはいる。
思ってはいるけど、実はその「常識を疑う」というのは、もっともっと深いところだったのかも、思い始めているんだなぁ。
Authentic leadershipの基礎講座に出た時からだろうか、わたしの中でちょっと変わり始めているのね。
当たり前のことだけど、「人の考えていることはわからない。」
話を聞いたらわかるのか?
話を聞くと、わかった気になるでしょう?
例えば、家族が病気で大変だ。
という話を、詳しく聞いたりすると、すごくわかった気になって、「辛い時があるよね」って励ましたり、「そういう時はこんな食品がいいらしい」と、自分の経験をシェアしてみたり。
そんなことをしてみると、なんだか「ものすごくわかった気になる」んじゃないかなぁ。
少なくともわたしはそんな風になってたのね。
それら、「傾聴」であり、「共感」(ここでいう共感は一般的な意味での共感で、実はこれって同調に限りなく近いね。)
でもどんな病気の人でも、どんな状況にあったとしても、本人が思っていることを100%知ることはできないし、知れたとして、どの感情がどう動いて、相手がどう感じるかというのは相手のものであって、わたしのものではないのね。
だとすると、「相手の考えていることを理解する」なんて所詮無理なのね。
そこにたって、「当たり前」や「常識」を疑わなきゃいけない。
さて、当たり前だけど、外国は日本とは違う「常識」の中にあって、その中で、わたしは外国人というわけ。
そこはまー、いいんだけど、日本で言われる忖度とは、また違った忖度は存在する。
それがいわゆるここでの常識
そこはわたしのわからない世界で、一から学んだいろいろがある。
まさに、わたしにはわからないことだらけ。
それで、このどこかの「常識」
どっちが正しいとか、どちらが絶対的に間違ってるとか、そういうのはないんだね。
文字通りない、と思う。
日本だったら、、、
と思うのと同じくらい
台湾だったら、、、
がもうすでにわたしの体に刻まれてるし、どっちにもいいところとうまくできないなってところがある。
そういうことを比べても意味ないのね。
さらに、そこを理解しないまま、走って生きてきたので、これまで一時帰国等で日本に帰る際に、台湾に戻りたくないなぁという感情が湧いたこともなかったんだな。
(生きるのに必死すぎてそんなことを言ってる時間もなかった。)
今回、日本に一週間ほど帰ったんですけど、
「あー、台湾戻りたくないわー」
って最終日に思ったのね。
自分でもびっくりなこの感情は何か一つの理由があってそれが嫌でとか、そんな単純なことではなくて、本当にお初でお目にかかった、うちから出るもので。。。
これが、もしかして、いわゆるホームシックなのか?
と思っちゃったくらい(笑)
と、ここでいろいろ書いてるけど、「そうかぁ、外国で暮らすって、そういうのもあるよね〜〜、わかるぅ。」とかは違うんだよ!と言いたいのね。
冒頭の「当たり前」と「常識」を疑うはまさにここ。
100人の人が外国に行ったら100人の人の獲得する「当たり前」と「常識」が生み出される。
100人の外国に行かない人たちが持ってる「当たり前」や「常識」はある面で似ているかも知れない(国民性とか地域性みたいなものからね)
そこをでなければ、その「当たり前」と「常識」をある程度みんながわかってくれるはず。
だから、そこから外れるとイライラしちゃうのね。
でも、それだって、人それぞれで捉え方は違っているからやっぱりお腹の中にある「当たり前」や「常識」は異なるんだよ。
本当に疑わなくてはならないのは「世間で言われるところの常識」ではなく、「自分が持ってしまった常識」なのよね。
それを疑う。
疑った上で、それに従うもよし。
気が乗らなければ、新たなる「常識に身を委ねる」もよし。
その上に立つと、人はいつも変化してるのねってことに気がつかさせられるんだな。
まーそんなわけで、ビジネス書どれだけ読んでもここに立つまでにものすごい時間がかかって、かつ、その全ても「わたしが経験したことから総合的に展開すると、、、」ということで、どんなビジネス書にも載ってないわけだわ。。。
困ったもんだ。
今回、また台湾に戻るにあたって、結構深く感じたことでした。