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【徒然】感情があることを認識する
自分の中に、いろいろな感情がある。


喜怒哀楽の話を昨日書いたけど、うまくいかないことがある時や、自分ではどうにもならないことがある時って、どうしても感情のふれが大きくなる。


これ、昔は良くないことだと思ってた。


理性的に、冷静に。
感情に流されず。
そんなこと。


これが良いこと


それで、
感情的である
思いに任せて物事を行う
感情を爆発させてる


みたいなことは悪いこと


そんな区分け。


昨年の秋頃、NVCという概念の基礎を勉強してみた。


そこで言われていることは、今まで感じてきたことと全く違っていて

感情を無視する社会では立ちゆかないんだと言う。


そうか、そうかもしれない。


そうかも知れないを、「そうなんだ!そうだったんだ!」にかえる8回だった気がしてる。


でも、簡単に引き戻される。
現実は、やはり「感情優先」は認められないし、そもそもそういうことでもない。


アドラー心理学が一時期流行ってて、今はどうかわからないけど、とにかくその頃、アドラーさんの本を読んで、「そうだな」と納得して、その後。


アドラーさん曰く
概念を知ってから自分の中に定着するまでに20年はかかると言っていた気がする。


おいおい、60歳になっちまう。


と思った。


でも、なんでも「概念」ってのはそういうものな気がする。


わかった
という状態から
それらが常に自分とともにあって、常にそんな考え方ができるようになる。


そこまでには何年もかかるんだ。


不思議でもないけど、それは事実よね。


かっこいいことを書いてみたり、かっこいいことを喋ってみたりして、そういう在り方をしているとなんかできてるような気がするけど、そうじゃない。


自分ではコントロールできないことですぐに引き戻される。


そんなもんなのかも。


でも、それはそれで、
むしろ「それも、あること」として
そこからまたはじめればいいかな?


それが浸透させるプロセスんだろうな。


なんとなく今の「モヤモヤ」も、抜ける時には、なんとかなるんじゃないかな?


うーん、、、


書いてて思ったけど、やっぱり疲れてるなぁ。。。
寝るか、休むかした方が良さそうだわ。。。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:21
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【徒然】喜怒哀楽は絶対値が大きい方が、人生は絶対楽しい!
悩まず生きる人はいないわけで、私も、悩んでいます。
でもそれって、実はいいことかもっていうか、悩むことが、じゃなくて、悩めることが起こることがいいことかも!


もっというと、そういうことが起こることについて、悩むことすら実はあんまり意味がないかも!って話。


今日Facebookにこんなのをアップしました。




辛いこと悲しいことは幸せになるための必要事項!


そっか、そうかも!


そしたら、友達が教えてくれました。
出口さんの言葉
『喜怒哀楽の絶対値が大きい方が、人生は楽しいのでは』


そう、イベントと、絶対値。


負はないのよ。


これ、凄いね!
嬉しいことも
怒ってることも
悲しいことも
楽しいことも


ぜんぶおっきい方がいいんだな。


そう考えたら、何が起きても大丈夫だなっ。


考え方はいろいろあって、今、ものすごく辛いって人もいるだろうと思う。
自分の経験を省みると、そういう時にいろんな人にかける言葉を持っている。
それはたんに「頑張れ」っていうことじゃなくて
かといって「辛いんですね」と同調したり共感したりするだけでもなくて
ある種の体験は、まるで自分のものであるかのように感じることができる。


これは、辛かった過去の経験によるところが大きいのかも。


その時は、やりきれないし、深い闇の中にいるようにも思うけど、そこから這い上がるだけだ、と気がついた時から、変わっていく。


そうするとまた、ちょっとした楽しいことが、すっごく楽しいになる。


そういうことがあっても最後には大丈夫ですよって、辛い人にほんの少し手を差し伸べたりできる。
(実際にやってるかどうかは別の話だけど。あっ、それじゃダメか?)



人は生きてる間に全部を経験することはできないから、先人の失敗に学ぶことはもちろん大事なことだけど、やはり経験して語ることは、自分の血肉になり、自分の芯の部分に流れるような気がしてる。


それがいいことか?悪いことか?


という尺度ではなくて


ぜんぶあってオッケーで
しかもそれは大きければ大きい程、自分の命全体を使って立ち向かってるわけで、そりゃそりゃ、尊い経験だわ。


そんなわけで、
『喜怒哀楽の絶対値が大きい方が、人生は楽しいのでは』
きっとこんな感じなんだな。



一つ言えるのは、大抵、ネガティブな方にシミュレーションしてたり、相手は自分を嫌いかもしれないなんて、ストーリーを作り上げてる時は、体力がなくなったり、調子が悪かったりする。


そんな時は、寝たほうがいいな。


大抵、シミュレーションしてるストーリーにはならないし、もしも、いつもなるってんなら、凄いパワーじゃん。
呼び込んでるわけだから。


それと一緒に今日はステキな言葉をもう一つ教えてもらったよ。

『人帥真好』『人漂亮真好』
かっこいい人(綺麗な人)はステキなことが(いっぱい)起こる
みたいな感じ。


もちろん、本当にかっこよかったり、綺麗だったりしたら、良いことがいっぱいあるかもしれないよね?


でも、物理的にかっこいいってだけで、いつもしかめっ面の人にはあんまり呼び込めない、、、というか、たぶんニコニコしてたらもっと呼び込めるのよ。


たいして容姿に自信がなかったとしても、ニコニコしてたら、きっと良いことがいっぱい起こるよ。


そんな感じで、勝手に解釈しまして、日々を過ごしていこっかなぁと、思ってます。


いやー、良いか悪いかは置いといて、イベントがいっぱいあるってことは、それだけ経験が増えちゃうわけだから、人生は面白くないはずないだろうってことよね。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 19:04
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【徒然】モチベーションなる怪物
本日、日曜日ですが、なぜだか安定の「加班」
いわゆる「自主休日出勤」です。
自主ってところがポイントで、まーtool使い放題で仕事すすめたいもんで、行くわけですわ。
(締め切り迫ってるなんて事情も実はあります。そうでなければそこまで頑張らないかも。)



まー、そんなことは置いといて
いやいや、置いといて、でもないか。


会社に命令されるわけでもなくて、会社に休日出勤する
というのにも、実はなんとなく「モチベーション」なるものが存在するわけです。


そいつは何か?
多分今日の場合は、tool使い放題というのですね。


計算機、されど計算機なので、時間がかかるんですよね。やっぱりいろんなことにね。


人がいっせいに計算機に、プログラムを投げる平日よりもCPUも使えるし、計算も早く終わるというわけ。


そこが魅力なのね。
だからこそ、休日、えっちらと、台北からはるばる一時間半以上もかけて、新竹まで出かけるというわけ。
(余程でなければ、休日に自主出勤などしないレベルには遠い。。。)


毎日通ってますけど、休日は遊びですら全く行きたいと思わないので、そこにはなんらかしらの行きたい、やりたいみたいなもんがないと、常に根が生えちゃってるぷぅねーさんの腰は上がらないというわけなのね。


さて、そんなモチベーションなるもの。


考えてみると、なにやらモチベーションというのがあれば、「カラダは動く」ようである!ということが一つある。


普段の生活を曲げて、押して、変えるので、平日、特に今日から始まる今週どんな影響が出るかは置いといて、とりあえず、動くということ。


それを他のことにも応用したら、もっと動く?ような気もする。


そこで、何かにこのモチベーションを使えないかと考えるんだな。



うまくいかなそうだなぁ、、、というのはモチベーションの方向が負の方向な場合かな。


今日の場合だと締め切りが迫ってるというのがあるので、これがモチベーションというか、絶対的な理由で、負の方向だな。


なので、単発でしか発揮できないのよね。


もし、ツールが使い放題という理由だけで、毎週通うってのを考えると、私が独り身の立場で、かつ、家が近かったら、その理由(ツール使い放題)は正のモチベーションかも。



だけどさ、人生はとにかくいろいろあるわけで、完全にそれだけでOKなんて、家族も持たない若者にしか許されないのよね。


いやいや、やったっていいけど、そこまでかけるほどでも、やっぱりないよね。


そうなると、負のモチベーションは負のエネルギーに押し出されているために、単発でしかきかないし。


強烈な魅力やモチベーションがあったとしても、それだけに情熱を傾けるのはいかがなものか?ってこともある。



モチベーションってのは、とても便利だけど、もしかすると、なにかを「継続する」ってことにおいては、たいした仕事をしてくれないかもしれない。


そうなのか?そんなもんなのか?
その割には世の中には「モチベーション最高!」みたいな本、いっぱいあるよ。


どう捉えたらいいんだろうなぁ、そこは!
って思ったとき、ちょこっと参考になる本を今読んでるので、また、ブログで報告しまーす!

author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:33
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【徒然】とりあえず書いてみるか
ここ、一、二年サボりまくってましたが、台湾に来るその前あたりは、ずっとブログ毎日書いてました。


毎日書くって決める前、どうしてもかけない日が月に一日か二日あって、「結構書いてるのに毎日じゃない!これいかに?」と、思ってました。


これね、余計なことを考え過ぎてかけないとかじゃ全然なくて、なんというかな?体調?みたいなので落ち込んで、ブログサイトなど開きたくもない。。。そんなことになるんだね〜〜。


で、実際開かない、だからかけない。


それをある日、「毎日書く」って決めたの!
それで続けて来て、台湾に来たら、それもしんどくなって、「毎日書くをやめる」ことにして、不定期にしたんだな。


そうすると元来怠け者なので、書かなくなって、それって素敵じゃなーい!
ってなる。




それで、今、なんだけど。
「毎日書く」何を書く?
それって簡単じゃないんだよね。


時には、ブログなんだから、多少徳のあること書きたいじゃない?って思ったりもするし。


台湾にいるんだから旅行記ではないけど、「台湾生活記録」みたいなブログも書けそうじゃない。


でも別に、わたしの中では特別なことしてないから書けない、というか書けなかったのよ。


だって、旅行好きってわけじゃないから、観光地もあんまり行ってないし。(それでも、友達と一緒にいろいろ連れて行ってもらったり、ボチボチしてるんだけもね。)


会社の仕事も英語で、今年こそは中国語にシフトしたる!って思ってるけど、もちろん、「昨日決めて、明日そうなる」とかじゃ全然ないから、時に聞き取れず、わからんちんのまま進めたり(あっ、それでも問題とかは起こしてませんよ!むしろ頑張ってまっせ(笑))、中国語で喋ったら意味が通じないってのは、最初のフェイズで、それはなんで意味が通じないかというと、もともと声がちっちゃいとか、わたしが英語で喋ってる間に中国語挟もうとするから、中国語だと認識されないとか、今は、中国語と認識されるんだけど、今度は普通の速さで返答が返ってきて、キャッチできないとか、今は、、、一瞬考えて、あ、そーゆーことか?ってなって、小気味好い会話はできないとか。


その過程を経てる感じ。
いやー、いつですかね、多分、今の会社に入った頃ですかね。
英語も全然でさ、いやほんとに、わかんねーってなってた時に似てるんだよね。

だから、きっと、中国語にシフトできると思うのよね。


ちょうどあの3年前わからんちんのだった頃の英語よろしく。


だけど、それも必死だったわけでしょ?

今は英語で伝えれば何だかんだ伝わっちゃうという「楽さ」もあるけど、それに甘んじることなく進みましょうよ。


できんのか?


ってのが今かな?


それで、えっと、何の話でしたっけ?


ブログの話だ。


とにかく、小さな目標として、ブログアプリを毎日開くことにしたんだな。

「小さな目標」
ですよ。



開いてみると、ダラダラと、、、とまでは言わないけれど、書きたいことは見つかるのよ。



だって、日本語に飢えてるからね〜。

そんなもん。


その積み重ねが明日の私になってくれるのかもね。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:02
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【日々の記録】人に話を聞いてもらうこと
なんでかわからないのだけれど、いつのまにか【日々の記録】ってカテゴリーを作ってて、びっくらこいたぷぅコッコです。
(いつ、このカテゴリー作ったんだか記憶にないわ〜)



ここのところ、自分的にはショック!ってなことが結構あって、まだ続いてるけど、まーまーいろいろあるのよ。


自分のことならコントロールできることもあるけど、他の人のこととか健康面とか「おいおいこれ、どーすりゃいいんだよ?」ってことも人生だからいっぱい起こるわけ。


その度に、決断を迫られたり、いろいろある。
で、それを誰かに相談したりするわけ。
抱えきれなくなってね。


その間もなんか気づきをもらうと、時には「ハッとしたり」、「二重のショック」になったり、またある時は「涙が止まらなくなったり」そんなことも結構ある。(結構、あるのか?大丈夫か?)


それってさ、「うつ」とかなんじゃん?
って思ったりもするけど、プチうつだろうが、本格的うつだろうが、不安症だろうが、どーでも良くって、そういう時があるってことね。


で、それを、ただリフレクションしてもらって、そこからフィードバックしてもらう(これ、あのAL講座ってやつで出てくるエンパシーって手法というかなんだろう、です。)


最初は、モヤっとしてたのが、数回聞いてもらって、やっぱりいろいろが、ちと今回は大きすぎてわモヤモヤっとしてて、それでもまた丁寧に拾ってもらうと、あるフィードバックで「ハッと」させられる。


私が今、欲しがってることは「これ」かもしれない!!


そういうことなの?不思議だけど、そういうことなの?
なんか続けてもらうと、いきなりわかる。


「この感覚がすごいなぁ」、とちょっと思ってしまった。


これは、一人だとできないんだよね。
そういうことをすごく感じる朝なのです。


エンパシー体験、重要だなぁ。。。
author:ぷぅコッコ, category:日々の記録, 06:17
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【日々の記録】人間関係と仕事のな話
人間関係と仕事の話


なんというか仰々しい題名だなぁ。
台湾で仕事を始めて丸3年ですかね。


外国で仕事をすることというのは、色々な不自由がやっぱりあります、やっぱりありますけど、それとは別に仕事の本質は変わらないのだと思います。


人が、人と仕事をする。
ということ。


外国だからどうのこうの
日本だからあーだこーだ
文化の違い言葉の問題そりゃ色々あるよ。


それらはプラスの作用があるだけで、マイナスはないのよ。


なんでマイナスがないかというと、「もっとこっちの方がいいだろう」みたいな選択はあって、それを知ってるならシェアすればいいし、相手のやり方が優れていると感じたら、それを取り込めばいい。


選択はあるけど、マイナスはない。逆に卑屈になる必要もない。


という感じの取捨選択というのは何も外国だから起こるわけではなくて、ずっと一つのところで仕事をする、みたいなことがない限りにおいて、どこでもあること。


そんな気がしています。


さて、話は変わり、上司の皆さんを思う時、上司である時代というのはなかなかこう、仲良くなれないというか、時には対立したりもする(え?するんですか?するんですよ)


そういう時って悩むでしょ?


何がいけないんだ?
なんでわかってくれないんだ?
なんであんなこと言われるんだ?


何だかんだ、あーだこーだ。


考えてみるに、まー、たまには「仕事感が合わない」とかそんなのも少なからずあるかも知らないけど、それなりにあっちにもこっちにもいろんな事情があってなりたってることで、絶対はないのよ。


でもまー、直接対峙すると見えないことがいっぱいある。


そんな上司の皆さん、同僚の皆さんも含めて、場所が変わったり、会社が変わったりすると、一歩引いて見られるようになって、逆にあんがい、いい感じに仕事できるようになったりもするから不思議。


一緒に仕事してなにかをぶつけ合って、その上で、知ってることがある。


例えばなにかのプロジェクトだとして、「あの人なら、こうやってくれるだろう」
「あの人ならこう伝えればスムーズだ」
全部経験のなせる技。



人間性はまた別の話だけど、なんとなく次に会っても、仕事ができる!


それって実はすごく楽しいことなのかもね。


人間関係というのは、仕事だけじゃないけど、そうやって「ゆる〜く繋がる」もんかもしれないなぁ、としみじみ思うのです。


author:ぷぅコッコ, category:日々の記録, 06:27
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【徒然】マルチタスクが苦手でござる
考えすぎなのか、そうでもないのか、昔から、マルチタスクが苦手でござる。


いやいや、そもそもマルチタスクの定義の問題なのか?
会社で集中して仕事、、、もやっぱりできてない気がするし。
なんか仕事だからもちろんいろんなプロジェクトが平行で走ってるはずなのに、あたふたして、落ち着かない。


そもそも、がっつり言い訳しますけど、母語で喋らない時点で、すでにマルチタスクよ。


伝えたいことを外国語で伝える。
アホちゃうか?
みたいなね。


ま、とはいえ、選んだのは自分でしょって事で、泣き言祭りだけど仕方がない。


こんな時、手帳術とか読むと時間管理をきっちりとって書いてあるんだけど、集中すべき時間に集中できてないから、なんか困っちゃうんだよね。


それはそれで、仕事できてるから問題ないじゃんってのもあるし、改善したいじゃんってのもあるし、そんなことを続けてもうサラリーマンも長いことやってるなぁ〜。


マルチタスクの罠
実は根深いんじゃないかと思っております。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 19:45
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【徒然】大波、小波の話
ここ一週間、人生の大波がやってきて、っていうか毎年やってきてる気がしますが、生きてる実感ありすぎてビビるレベルですわ。


順風満帆に行かないなぁ〜
外国だからか?
いや、違うと思うなぁ〜〜。
思い返してみると、色々だけど、いっつも大波、小波に晒されてるんだよね。


ふと考えてみると、そういう波は誰にだってあるんだよなぁ〜
波と気がつかない人もいるし、私が思う小波が、むしろ嵐のように感じちゃう人もいる。


いいか悪いかではなくて、人それぞれに同じものがないんだね〜〜。


慰めの言葉と励ましの言葉
ってのがあって、
慰めるって意味を調べると、こんなのが出てくる
さびしさ・悲しみ・苦しみなどをまぎらせて、心をやわらげ楽しませる。憂(う)さを晴らす。


励ましの方はこんな感じ
元気をつけてやる。奮い立たせる。


この二つ、こうやってみると全然違うんだよね。


それで、私の友人が「励ましはどんどんするけど、慰めはしない。」って言ってて、慰めは、ともすると、相手と一緒に自分も悲しみや苦しみの中にひきづりこまれたりちゃったり。


おーこわい。


逆に励ましはどんどんやればいいと。元気づけることに終わりはないのよね。


それらを深く深く意識するようになったの。


特にこんな大波の時に、他の人に慰めの言葉とかかけてると、自分もひきづりこまれちゃうんだよね、をすごく実感する。


友人の言葉もまた、彼の人生の中から紡がれたことなんだと思うけど、人それぞれに違う波があって、たとえ同じ波でも感じ方も違っていて、軽やかに乗りこなす人がいるかと思えば、うまくできない人もいて、全部同じじゃない。


うまく乗りこなせないことにも嘆かないし、うまく乗れてるモノを意識して自分を褒めるというか、励まそうかな。


そんなゆるっとした一週間の始まりでいいかなって。


まとまらないけど、そんなこと。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:06
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【徒然】全部あっていいんですよ
人は平気で嘘をつく生きものです。
他人に対しても、そして、気づいてはいないけど、自分に対してもです。


「嘘ついてます」
という自覚がある時ってそれはそれでいいんです。
自覚してますからね。


他人に対しても、自分に対してもですけれども、「嘘ついてます」を自覚せずに嘘ついてる時、実はそんなことのが多いけど、自覚がないから厄介です。


何かに反発する
何かに反応する
何かを人のせいにする
何かにひどく動揺する
と、まーいくらでもあるんだけど何かが起こって、それに対して感情が動く時ってのは、自分の中に何か「偽り」が形成されてたり、何か「無視」してことを進めなくてはいけなかったり、そんなことを自分に課してる時かもしれません。


それってね、自分に「嘘」ついてることじゃない?
無自覚に。


「〇〇しなければならない」
「こういう時は、こうするはずでしょ?」
「常識的に言って、ありえない」
「そういうことで、満足するなんて、嫌悪感を覚える」


こういう類の「ねばならない」「常識で」「ありえない」って誰が決めてると思います?


全部自分ですよ。


ある事実から頭で考えて、「捏造」するの。
たまにはあってることもあるけど、何かを言ってるのが他人だったら、残念ながら真実は100%わからないから、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
相手が言ったことの一文だけをみて、あれこれ考えずに、その時にどう思ったのか、どう感じたのかを味わってみる。


その時に感じた感情
例えば、「泣きたいくらい悲しい」なのに、「男の子は泣いてはダメだ」と育ってきたから「泣いてはダメだ」と決まっている。

うーん、決めたのは誰?
社会的に?そう習ってきたから?常識として?


そうですか、じゃーそれを受け入れたのは誰?


そう誰あろう自分なのよ。


どんな法律もどんな人も人の心まで縛ることはできないからね。


というのはヴィクトールフランクルはじめとした著名な心理学者も言ってますやね。



傍目からみたらどんなに酷いことになっていたとしても、笑って生きてる人たちがいる理由は、自分の中でそれを受け入れるのか受け入れないのか?自分で決めているからなのかもね。



それでね、常識だということを受け入れて、本当は悲しいのに、悲しくないというか、その感情に蓋をして、自分に嘘をついてるのは誰か?


これも自分。


なんてことだ、自分は自分に嘘ついてるのか?そんなことあるのか?
納得できないぞ。


そーでしょうそーでしょう。


だってそんな感情存在するはずがないもん。
そーですか?どーですか?


蓋をしてるだけで、あなたの中にそれはあるんじゃないですか?


いろんな意味で認めてこなかっただけで、本当はあるんじゃないですか?


ぜーんぶ自分の中にあって、ぜーんぶん自分で選べるのに、全てはないもののように振舞って、そんな感情は存在しないかのように生きていく。



それは、自分に対する大きな嘘だよね〜〜。



どうしよう、あーしよう、こうしようの前に
今、私は感じているのか。
それはどうしてそう思うのか(大抵の場合はそういう感情もあなたの中に存在するからというのが答えな気がする)
そして、それを受け入れるのか否か?

それは全部、私たち自身が持ってること。
それから目をそらしたり、嘘ついたりしない。



そういうことを自覚したら、自然と自分自身に「ありがとう」を言える日がやってくるんじゃないかなぁ。



そんなことをジンワリと最近考えてます。


全部あっていいんだよ。


ステキな自分も、感じ悪い自分も、誰かに嫉妬してる自分も、誰かから感謝されて嬉しい自分も、全部あって、全部に「ありがとう」そんなことかなぁと。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:34
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【徒然】変化に対応する者
変化に対応する者が勝つというのは世の常ですね。


それを実感するようなことはいくらでもある。生きていればね。


軽やかに、息を吸って吐くかのように変化に対応できる人もいるし、そうでない人もいる。


私はきっと、そうでない方だと思うけど、それでも変わらないわけではなく、また、現状に固執したいわけでもない。


その歩みは決して早くなかったとしても、変化に食らいつこうとすることの先に変わっていく何かがあるのだと思う。


簡単ではないけど、簡単ではないからこそ、やりがいもあるのよ。


そう言い聞かせる日々。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 23:08
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