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【徒然】年末年始なはずなんだけど
世の中は年末年始というやつで、今日が仕事納めだったよ!って方も少なくないはず。


少なくともこれを読んでくださる日本の方や日本に在住して、日本語で仕事してらっしゃる方はとにかくこういう方が多いかなと。


さて、私はどこいるかというと、台湾でして。


この年末年始、日本には戻りません。
ついでに春節も戻りません。

ということで、どっぷりお仕事で、明日まで会社行って、一月一日は流石にお休みで、二日からまた会社、、、と。


なんだかハッピーマンデーというか、たった三日の休みだもので、年末年始感は残念ながらゼロ。


それでも去年まではちゃんと日本における年末年始を意識してたのに、、、今年はその意識すら遠のいております。


なんかめちゃめちゃ不思議なんですけど、「年末年始でお忙しいところ、申し訳ないです。」みたいなことを見かけてはじめて、「あー、日本、年末年始だ。ありゃーみたいな。」


環境が変わると、こんなことになるのか。。。


もちろん時計が狂わない人もいるんだと思うけど、私はそういうのが簡単に書き換わるタイプなのね。



たった3年、されど3年ですよ。


そういうもんかなぁと思うと、日頃、「できない!」って思い込んでるいろいろなことも、実は視点を変えたらできたりしてね。


ちょっと不思議な体験というのはきっとチャンスなんだよね。


自分が変わっていくチャンス、そういうのは、どんどん捉えていかないとね〜〜。


人生はそんなに長くないけど、人の感覚が変わるのにも高々3年くらいしかかからない。


だから、まだまだいろんなことができるなぁと改めて思ったのでした。


年末感は薄くなってますが、粛々と進めていきましょう!
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 20:02
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【読書】町工場の娘



町工場の娘



こちらのご本は日経BP社様より頂きました。
ありがとうございました。


いやー、久しぶりに泣かされました。
いわゆる台湾新幹線で読んでたんですけど、人目もはばからず(いやいや、ほんとははばかってるわよ。でも、止まらないのよ)泣きましたわ。


読む人によって
突然の主婦からの2代目社長奮闘記
とも読めるし、
女性の目線での経営
みたいなこともあるだろうし。
サクセスストーリーな感覚が強いんじゃないかなぁ、と予想するんですよね。


それの、どれもがこの方の要素であるし、正しいと思うんです。


すごい、素敵!、もっと活躍して欲しい!


それはもちろんそうなんだけど、なんというかな、わたしは「この人はなぜ、これをやり遂げられたのか?」ということを思いながら、ずっと読んでいたんですよね。


ただの主婦が、経営者に転身して、成功するストーリーというのは、世の中に「ある」と思うけど、この本に関して、果たしてそういう読み方が正しいのだろうか?と、問いながら読んでました。


それでまぁ、結論が出るかっていうと、出ないんですけど、率直に言えば、「タイミングやと「ご縁」と「ご恩」と「才覚」みたいなことを感じたかな?


時折、ブログにも書きますけど、わたし自身エンジニアをしているというのは、時に、流されてるように感じることのがあるんだけど、うちから湧き出る「信念」みたいなものも確かにがあると、最近、思ってるんですよね。


さて、この話でいくと、いきなり先代のお父さんが亡くなって、社長をやると決心する場面がありますが、そこはたしかに相当ドラマチックであるわけだけれども、布石として、「いずれ私が、継ごう」という思いは、育てられ方にもある。社長になる直前、旦那様の渡米に合わせて、経営について学ぼうとしていた姿勢からもそれは現れている。

やっぱり「信念」がある!
と思うんです。


時々の決断は、もちろん、時に厳しいこともいっぱいあるわけだけど、「常に考えている」いや、もしくは思考してるんじゃなくて、「常にシミュレーションしている」「常に感じている」何かに突き動かされているというのがポイントになるんじゃないかなぁ、とね。


それで、たまたまタイミングがここになったと。


ドラマチックに語るには、あまりあることではあるけれども、そのドラマは「タイミングがバッチリあった」というだけで、実はむしろ、いろんなことが整っていたんじゃないかなぁ。なんか歯車が噛み合うようなそんな感覚ね。


いや、もちろん、経営が行き詰まっていたとか、順風満帆で引き継いだわけじゃないのは、本を読めば十分にわかる。

でも、だからこそ、精神的な位置付けとしての準備が、2代目社長の方にはやっぱりあって、先代の中にも、合理性だけではない、「言葉にはできない思い」があって、そういうことのすべてで、このタイミングというのは、やはり大きいと思う。


また、2代目社長というのは、逆境の時に変わるのが、絶好のタイミングだと私は思ってます!これ絶対そうよ!


なにやったって、先代と間違いなく比べられるわけだから。


人間は、これまで続けてきたことの方がどんなに苦しいことであれ、「楽である」ということもある。


だから、変わった時期が、順風満帆の頃なら、きっと何も進まない。


社員とぶつかるみたいなことって、なんかひどく大人として間違ってる気がするけど、実はそんなことなくて、「私がやりたいと感じていることのエネルギー」と「相手がやりたいと感じていることのエネルギー」双方の交換みたいなことなんだよね。


それは最終的にお互いが納得できるところに、行きつくための過程の一つで、とにかくだ、命のやり取りみたいなことなんじゃないかな、と。


んで、この「命のやり取り」ができる相手

ほんとは誰だって、誰とだって、できるんだけどさ、いきなりポッと出てきた2代目社長に、上からをモノを言われたら、「そうですか、やりましょう」みたいになる人は皆無で、とにかく面白くない。


ましてや、アメリカでMBA取ってきましたみたいな人に「経営が合理的ではないですね、今すぐ、こうしましょう!」と言われて、すぐに「それは素晴らしい」なんてなるはずもない。


そこが「ご縁」だと思うのよね。


先代から引き継いだいろいろは、2代目の中に脈々と生きている。それとは別に社員にも脈々と生きていて、それをみんなが失いたくなくて、2代目社長をすえるとなった時に、どちらも「会社を存続させたい、この生きていく場所を守りたい」という思いがあって、はじめて「命のやり取り」ができるかなぁって思う。


だから、やっぱり「ご縁」で、どこまでいっても、根っこでは「同じ目標に向かっている」というのがなければ、きちんと成立しないんじゃないかなぁ。。。


そうして、進んだエネルギー同士の交換の末の「ご恩」というのがあると思う。


それは先代の築き上げた縁故でもあるわけだけど、人間は、誰しもバカではないので、銀行であれ、取引先であれ、「親の七光りで良くなってるだけだよ」みたいなことを仮に思ったとしても、その先に、「何があるのか」というのは感じ取れる能力があると思っている。


ま、もちろん、そんなことを後先考えずに言えちゃう人は、あんまり考えてないかもしれない。


そういう人が「ご恩」を返してくれるわけでもないので、そこは放っておいていい。


本の中で出てくる2代目の具体的な行動、それらは、リストラだったり、工場の効率化だったりということがある。そういう行動は目立つと思う。目立つけども、縁もゆかりもない誰かが来て、「それをやれば経営が立ち直ります」というやり方だけでは、実は立ちゆかないところに現代はきてるんじゃないかと、私自身は思っていて、そこも含めた、エネルギーを感じ取るから、「ご恩」を返そうという気にもなるんじゃないか。


時間的スパンや経営のことはわからないけど、「解散、買収」などをせずに、させずに、時間をくれるという背景には、そういうことも知らず知らずにあると思う。


「ある時期までに改革します!!」という約束をして、それを果たす。それらの成果は、もちろん「目に見えるので評価される」はずだけど、その目に見えるものだけで人は動いてないよなぁ、と、つくづく思う。


そして最後に「才覚」


この2代目社長の決定の仕方、物事の進め方は、「才覚」というのにふさわしいと思う。


講演会等で、MBAを取ったのか?とか経営学を生んだのかという質問をよく受けるようだけれど、それに対して彼女は「そのようなことをしていない」と答えている。


主婦だったんだから当たり前よね〜〜みたいなのは、実は、間違いだと思う。


本の中でも語られていたけれども、そんなこと学んでいなくても、実はやらなきゃいけないことは変わらない。


いろんな言い方はあるんだと思う。


理系だったからロジカルシンキングできたんだろう。
そういう面もゼロではない。
ちゃんと数字ど向き合う癖をつけるようにとなる。
だけど、私は彼女が成し得たことの主要因がこれだ!というわけではないと思う。


やらなきゃいけないことはMBAを取っていようが、いまいが、コンサルタントがついていようが、いまいが、変わらない。


いや、ヒントをもらえるという意味ではそうかも知らないけど、最終的には収入に対して支出を減らせば、儲かるように出来ている。


それをどう実現するかというのについては、もちろんそうだけど、私が一番思うことは、「やると決めたことをきっちりと確実にやる」という才覚かなって。


結局のところ、どんな場面でもそうだけど、やることが決まってたって、なかなか出来ない。


ましてや望まれてなった社長ではない(ほんとは、望まれてたけど、誰もそこまで望んでなかった)場合、きっちりやると決めたことを貫けるかというのは、これまで言ったタイミング、ご縁、ご恩、そして、才覚がなければできない。


だからこそ、セレンディピティのようにうまくいったことがたくさんあったんだと思う。
ある意味お父様からのギフトだったのかもしれない。


彼女真似をすることが、万人に効く成功の道でもなければ、彼女が運にだけ恵まれていたわけでもない。


それを「周りも巻き込んで一緒になって成した」というところに意味があるんですよ。


そんなわけで、わたし自身、日本にいた時は、会議室で女性一人なんてことは気にも止めないレベルで、あったわけだけど(まぁ日常っすね。)おかげさまでいい意味で、差別されることもなく、がっつり仕事させてもらった自分の環境にも感謝し、まさになんか外国にまで来ちゃってる自分を思い、わたしにも、こんなセレンディピティはないもんだろうかなぁ、と思ったけど、、、わたしもこの著者さんとは全然別のところで、勝負してるし、もらってんだよなぁ。。。とかね。


いろんな思いが去来して泣けたんだなぁ。
全く関係者でもないのにね。


この素材をドラマでどう料理するのかは大変気になるところだけど、それよりも、ご本人にお会いしたいですよね。
機会があればお会いしたい方がまた増えましたね。


と、じんわり思いつつ、本を閉じるのでした。


自分で決めたことは最後まで「やる」って言う勇気が、ポイントかもね〜〜。









やっぱり日経BPさんはいいご本作るよね〜〜。
編集者さんを見て、二重に納得してしまったのは、内緒です!

author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 06:12
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【勉強会】基礎編 Authentic Leadership講座 第8回(最終回) に参加しました。その1
【勉強会】基礎編 Authentic Leadership講座 第8回 に参加しました。その1


いやー、この基礎講座ってやつ、8回で終わりなんで、これで最後なのね〜〜。


なんか寂しいじゃないか!
と思ってしまう。


まぁ、これまで、NVCの世界観というやつに触れてきましたが、これは私のブログなので、私のバイアスが入っていることは今一度、書いておこうと思います。


実際に世界観を知りたい人は、ちゃんと講座受けてね!


さて、この講座緩やかに、瞑想から入るんですけど、その後、今回のフィーリングとそれに対するニーズが聞かれてました。


私の場合は、フィーリングはワクワクで学びというニーズが満たされてんのかなぁと思ったけど、実は参加のニーズじゃないかなぁ。
もうね、ここにいるだけでいいじゃないみたいな感覚ね。


他にもいろんな方のフィーリングとニーズがあったんですけど、私はオンラインでやらせてもらっているので、なんというかな、みんなを俯瞰してみることができたりするところもあって、いやー、こう言っちゃなんだけど、日本人が集まって話をしてると、真面目だよね。


みーちゃんも言ってたけど、
「まだ、何々ができない。」
「また、...できていないと思う。」
つー、なんだろうな自己批判みたいのがすごいよね。


日頃、台湾で仕事してまして、まぁ、そろそろ3年ですよ。
大して、なにもできるようになってない(あー、日本人的思考)んですけど、台湾人の皆さんと3年働いたという実績はあるわけ。
(もうね、それだけで、あたい頑張ってるよ!うんうん!)
で、その「できる、できない」に関していうと、学んだ3年間ですよ。


日本人からすれば「出来てる」というレベルが、まー、率直に言って低い。

そんなんで出来てるって言って叱責を受けた過去、笑われた過去とかあるぞ、みたいなね。

つーか、恥ずかしくて言えなかったよ。みたいな。
え?それで「出来てる」って言う?みたいなことは日常にゴロゴロある。

だけど、その後、出来ていない部分を指摘する(あっ、頭ごなしにはダメですよ。完全にタブーよ、やんわりとね!プライドあるから。)と、次にまたクリアーしてくる。そのサイクルが早いからいつのまにかすごくできるようになってる。これほんとだよ。


なので、出来たことをまず「認める」ってすごく重要だし、自分の行きたいところに、自分を責めるより、早く到達させてくれるんだね。多分ね。


まっ、そんなことを踏まえて
一緒に学んだ皆さん
「まだNVCがうまく使いこなせない。」
にフォーカスするというかどっかでそう思ってる。実際そう私も思うけど、そこは、まー、まだ、いいんじゃないかな?


たった8回では、新しい言語学んでるみたいなもんだから出来んよね。
(と、日々自分を慰めてる。)



それでまぁ、世界観の話になると、
昨日は男性性と女性性という話がありまして(これはNVCとは直接関係ないけど、メタファーとして出てきた感じ。)


NVCは「感覚の世界」で、自分の中の感覚と繋がろうとしてる。


この時の自分というのは一つの空間で、土台みたいなもんで、エネルギーとしては空間を表す女性性みたいなもんだと。


対して世の中は、「まず動け!」「まず行動」な男性性なエネルギーで回っている。


例えば植物で言えば、伸びようとするエネルギーが男性性で、そこに育っているという土や水という、その植物が所有してる空間から、養分を吸収するみたいなところの「この空間」の部分が「女性性やと言われるエネルギーだもんで、要するに土も養分も無視しておりますと、どんなに吸い上げる能力が高かろうが、伸びる力が強かろうが、もう立ち行かないじゃない。



それは、もっともっと複雑そうに見える社会に対しても、基本はシンプルで、そういうことでしょう。


と、ね。


だから、内面の世界
あるのに無視し続けてきたその世界に目を向けて、そこを無視しない状態に立ち返ろう。


というわけ。


実際、ここのところを無視してるってのは実は人間くらいかもね〜
その辺は今、読んでるサピエンス全史にもつながると思うけど、
人間だけがなぜ、ものすごい早さで食物連鎖の頂点に立てたのか!?とかね。


それはまぁ、また、別の機会に書くので、今は、置いといて。


それで、NVCには未完成のニーズ表ってのがあるんだけど
それが、どうだこうだということではなくて、なんらかの感じられるエネルギーが身体にあって、それをまず感じる。

それはいいけど、体が感じていることを脳は理解できないので、なんとなく近い用語、頭の中にその概念はあるという用語のラベルを貼ってみる。


そうすると、「エネルギーというやつが発してたのはこの概念なのか?」


と、脳が理解できるように翻訳することができる。


そうやってみたら、どんな行動をとれば(ストラテジー)、最終的に、そのエネルギーが発してる信号が、満たされてる、平常運行だわーになるかを脳が考えることができる。


ってわけ。


だからニーズ表にあるものに対して、自分のエネルギーとして繋がったものが、必ずしも完全にマッチしてる翻訳とは限らないけれども、頭で理解するためにはなんらかもうすでに知ってるものに置き換えないといけない。それがまぁ、強いていうならこれ?みたいな感じでなされているということなのね。



もちろん、完全にこの翻訳ばっちり!
もうそのものズバリだぜって用語もあれば、
あえて、いうならばそんなことと思ってもいいかもしれない!
くらいのものまである。

と考えれば良さそうかな?

翻訳ってことだと思えば、翻訳本って読むと違和感があったりするけど、まさにあの感覚。


そう、最終的には感覚が握るというかな。


今まで考えてきたこととは全然、逆のプロセスだし、新しい考え方であると、まずは理解しようというところ。




今日はひとまず、こんなところまで!

やはり、新しい言語だというのは大きい。
使いなれるのに時間もかかる。
納得である。


そこに行き着いた、私!
グッジョブ!!
author:ぷぅコッコ, category:セミナー・勉強会, 06:24
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【AL講座】ニーズ体感ワーク5「守る(protection)」
【AL講座】ニーズ体感ワーク5「守る(protection)」


守るprotection の ニーズは喉の下、食道のあたりあって、丸くてトゲトゲがはえています。
色は銀色で、金属の質感のものです。動きはありません。


役割は守ることです。


満たされると、トゲトゲや丸の形は変わりませんが、同じ比率のまま全体に大きくなります。


トゲトゲが際立つイメージです。
満たされるととても安心します。
満たされている時や、普通の時は何が外から刺激を受けても大丈夫です。そもそもトゲがあるので、外からは触らないだろうという自信もあります。


満たされていない時は、周りのトゲトゲがなくなり、黒い墨のようなります。
ものすごく脆い感じになります。

満たされてない時はとてもは不安です。壊れそうな感じがします。


このニーズを満たすために必要なことはわからないけれど、満たされていない時は、外から刺激をうけると、脆くて壊れそうなので、1人になりたいです。1人になって満たされるかはわからないとにかく満たされない時は1人になりたい。


そんなエネルギーです。
author:ぷぅコッコ, category:セミナー・勉強会, 22:43
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【台湾】タクシーの運ちゃんとの心温まる話
私、台湾に住んでおりまして、色々な事情から台湾新幹線で会社に通う日々を送っております。


新幹線駅から会社まで、ちと距離があるもんで、朝はタクシーで、帰りは、新幹線駅まで送ってもらえる日もあるけど、タクシーの日もある。


会社から新幹線駅のまでのルートはいくつかあるんだけど、流石にこんだけ乗ってると、どのルートが一番早いかは熟知しちゃってる。
ただし、道の名前とか中国語でとっさに出てこない(ちゃんと覚えてない(笑))


そんなわけで、毎日通ってる道と違う方向にいきなり曲がられたりすると、結構ビビるものでございます。


さて、昨日はざっくりそんな日で、「え?なんでここで曲がるん?」みたいなところで、曲がられ、、、


油断してました。


心の中では、「なんだよー、遠回りするのか?ぶーぶー」穏やかではありません。


もちろん気がついた時点で
「Uターンしてよ」
ってことも可能だったけど、Uターンしても、反対側の道もめっちゃ混んでる。こりゃ、ダメだな、無理だな。


悶々としつつ乗っておりましたが、先に書いたように、一番遠いルートを通られたんでは、流石に合わないやん!と思いまして、、、言ってみました。


「どの道を使おうとしてます?
ってか、あの橋行った方が早いっすよ。」


あー、中国語で言いましたんで、あの、これは私が伝えたイメージでございます。


すると、運ちゃん!
「なにっ!橋の方が良かったのか?」的な感じで。
「ごめん、でも、、、」


そうです、すでにここはその最短ルートはとれない位置。
それは私も分かってます。


「あーいいよ、いいよ。」


そう答えて、まぁそんな日もあるぜ。
と思ってました。



すると、一番遠いルートよりも手前で運ちゃんが「橋の方がいいんだよね!」
というので。


「そうそう!」


おっ、なんか文句じゃないけど、言ってみた甲斐があるじゃん、ちょっとだけそれでも早い方を通ってくれたわよ。


ちょっとほっこり。


でも、油断しちゃいかんな、変なところで曲がる運ちゃんもいるんだな、よしよし普段から気を抜いちゃダメだな!うん。


なんて、1人反省会をしてると、運ちゃんが私に話しかけてきました。


ん〜なんか言ってるけど、なんだ、よくわからんぞ。

中国語は全部聞き取れるわけではないのです。

いくらがいくらか?、ん?いくらか?は?なにが?へ?

え?俺、外の人間だから?


あー、
「いつもはいくらくらいで駅に着くのか?」って聞いてるんだ。


そうかなぁ?
とか、ちょっと考えて、えっと、いつもはこんぐらいってなんていうんだっけ、と中国語を考えて、言ってみました。


「んー、いつも払ってんのはこんなもんかな?」


そうすると、運ちゃん、
「遠回りしちゃったの分かってるから、その値段でいいよ。」


と言ってメーターを止めたのです。


すでにメーターは提示金額を過ぎていたのですが、びっくりしました。


まじかー、こんないい人いるんだー。

なんだよ、遠回りかよぉーとか思ってごめん!!


と、いう一連の流れではあるものの、実際、中国語でのやり取り部、完全に分かり合えてるわけではない(単に私の中国語能力の問題)なので、最後の最後でどんでん返しがあるかもしれない(いやいや、メーターすでに止めてっからそれはないよ。ぷぅねーさん。)
とかなんとか、ぐるぐる考えてるうちに駅につきまして、提示した値段で降ろしてくれました。


すごい、なんかすごいよ。


文句ってほどじゃないけど、文句も言ってみるもんだ。


結局、遠回りされたとしても、私にそこまでの中国語交渉能力はないので、
「あーぁ、いつものあっちの橋行ってたら、このくらいの値段だったのに、遠回りやん!」


みたいなことは言えないわけです。
(仮に言えたとしても、言ったかどうか?)


とはいえ、言ってみる、やってみる、コミュニケーションとってみるってのはいつも機能するわけじゃわないけど、機能することもあるなぁって思ったりなんかしたりして。


結局のところ得したわけでもなく、提示した値段ぴったりを持ってなかったので、小銭なところの細かいところは、お釣りを渡してくれようとする運ちゃんに「お釣りはイイっすよ」みたいな感じで渡してきちゃった。
いやー、だってほら、気持ちよく乗せてくれたし、まー、なんだかんだで、あれなんだけど。


いろんな意味で心の持ちようが違うもんなのね〜〜。


いやはや、いろいろあります。


そんなわけで、台湾のタクシーの運ちゃん、悪い人は少ないです。


残念ながら臭いタクシーは多いですが(笑)
それはまた別の話。


昨日のタクシーはそんなことなかったよ。
って事でこの話はここでおしまい。


author:ぷぅコッコ, category:台湾, 06:18
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