- 【勉強会】基礎編 Authentic Leadership講座 第7回 に参加しました。その3
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2017.11.30 Thursday【勉強会】基礎編 Authentic Leadership講座 第7回 に参加しました。その3
本日は感想などなど、書いていきます。
そうか、リクエストはある必要(ニーズ)を満たすための一つの手段(ストラテジー)なんだな。
だから「NO」と言われてもいいし、当然「NO」と言われることもある。
うんうん、そうね。
今回の講座でのワークは、「実際にNOと言われてみる」ってやつだったんだけど、ちょっと時間切れで自分は体験できなかったんだよね。
その前に、主催者さんのみーちゃんとけんちゃんによるデモが行われまして、実際にNOと言われる場面を見せていただきました。
ざっくり言えば、ある週末のイベントに参加してほしいというお願いをして、断られるという場面なんだけど、その中心にあるニーズというのは、「週末のイベントに参加してほしい!!」ではなくて、「自分が成長した姿を見てほしい!!」ってのが本当のニーズなの。
だから、週末のイベントに参加してって言われて、断られた〜、、、、、「がーん」もうこの世の終わりだよ。。。みたいにはならず、でも、「でも自分が成長した姿を見てほしいから、別の時でもいいから時間をもらえないか?」とまたリクエストする。
相手も、週末いきなりは無理だけど「あなたが成長した姿を見せてもらう、そういう繋がりを作ること自体は全然OKだし、それなら別の時間でならできるよ。」ということを感じさせる受け答えをするんだな。
この時、漠然と、「このNO」は言われても大丈夫というか、日常やってるなぁって思ってたんだよね。
要求されたことに対して、全部YESって言って生きてるわけじゃない。
それでも、相手から言われた「NO」に無茶苦茶ダメージを食らうこともあるし、その差はなんなんだろうと、考えていたんだな。
すると、主催者のけんちゃんから「いきなり世界平和を求めちゃう人」になっちゃうって話があったと思う。
そう、なんかNVCを学んでると、相手のニーズも自分のニーズも満たしあえて、シェアしてる!しかも、全てはジョイ(喜び)から発生している、なんていう超理想な世界を想像しちゃう。
だから、「明日にでも世界平和を実現できるんじゃないか?」ってな錯覚ぐらいの勢いで、私のこともわかってもらえてるんじゃないか?みたいに思っちゃうけど、、、めちゃくちゃ当たり前だけどそうじゃない。
明日の世界平和という目標(別に世界平和ほど、壮大な夢じゃなくていいんだけど、)を達成するためには、一歩一歩進んで、慣れないとダメなんだよね。
そのために必要な感覚として
まず相手の喋ってること、そのものだけにフォーカスしないこと。
「NO」と言われた、もう終わりだよ!
ではなくて、「NO」は「NO」として、聞いといて、その「NO」の裏にある相手のニーズはなんだろう?
そこで、自分のフィーリングとニーズを返す。
「週末来られないんだ。それはとても残念だよ。それでも自分の成長を見てほしいから、時間をとってもらえないかな?」
感じたことと、自分のニーズを言葉にする。
そうやって、やりとりすることで、相手のニーズも探る。
もしかしたら、相手は別の時間をとってほしいと問いかけても、「それはちょっと難しい」なんて言い方で、いやだといってくるかも。
だから、「私は否定された」ではなくて、「いやだ」と言った相手のニーズは「何?」
「いやだ、やりたくない」とわたしに伝えることで、「相手のどんなニーズが満たされるのか」ということがわかったら、
別の解決策、いやいや、解決しなくてもその気持ちをシェアして、納得できる何かがあるのかも。
これがストラテジーは無限ということなのかも。
その場合、「自分の成長をあなたに見てもらいたい」は満たされないかも知らないけど、他の形、例えば同じようにアドバイスしてもらえそうな他の人に見てもらうとか、そんなことで満たすことは可能なのかも。
そうすればそこまでの一連のことに対しての納得感は「ただNOと言われた」と、何とは無しに受け取るだけより全然いい気がする。
と、ここまで書いてきて、
いやいや、いつも相手のことも考えてるし、満たせるようにと、なんなら先回りしちゃうぐらいで生きてるのよ。
って思ってきたけど、そこに焦燥感があったり、
ありゃ、私の気持ちはどーなるんだろうって置いてけぼり感があるのは、
きっと、「自分のニーズを自分の感情とともに伝えることができてないし、そもそも試してもいないのかも。」
そして、「本当に達成したい自分のニーズがわかってないのかも」というところに行き着くというか、行き着いたかな?
「あなたのニーズはよく分かりました。あなたのニーズを満たすことが私の喜びです!」って、無理やり思うというか、無理やり私のニーズにすり替えようとしてるけど、実はそれ、私のニーズじゃないから置き換えられないし、何か満たされないニーズがあるから体に支障をきたしたり。。。
そんなことなのか?
明日、世界平和を達成できなくても、何かに反応する時、自分はどう感じたのか?そして、自分はどうしたいのか?それは「わたしにもあなたと同じようにNOという権利があるんだからねっ!」とかではなく、例えば、「「休息したい」というニーズがあるから、〇〇はしたくない。」と伝える。それについて相手はどう思うのか?また問いかける。
やはり、かなりめんどくさいコミュニケーション方法だ。
でも、NVCの本を読んだ時に感じためんどくさいとは、だいぶ違う。
そのために、わたしに必要なことはなんなのか。
ニーズではないもの(あなたのニーズを満たすことがわたしのニーズです、みたいな感じ)をニーズと勘違いしないために、自分のニーズはなんなのかもっとクリアーにすること。
そのニーズをわかった上で、感情とニーズをそのまま相手に伝える努力をすること。
世界平和と一緒でいきなりできるできないとかで判断せずに、続けること。
自分のニーズも相手のニーズもどちらも、諦めないこと。
まーまー、とはいえ、全部が全部そうできるかいって言われると、難しいんだけど、そういう世界観に身を置いて、今、やっていることを見直して見てもいいのかも。
ま、そんなわけで、今回はこのフィーリング、ニーズを伝えながら、リクエストするってのが課題として出されてるわけですので、やってみよっかなぁ〜
と思ってます。
考えてみると、やってるシーンもゼロではないのよね〜〜
じゃー、できてる時とできてない時の違いはなんじゃろ?とか、意識するってのは重要なのかも。
- 【勉強会】基礎編 Authentic Leadership講座 第7回 に参加しました。その2
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2017.11.29 Wednesday【勉強会】基礎編 Authentic Leadership講座 第7回 に参加しました。その2
今日のお題「リクエスト」
お、リクエストとはなんぞや
前回かきましたけど
O observation 観察
F feeling 感情、感覚(その時のきもち)
N needs ニーズ(心から欲しているもの、こと)
R request リクエスト
のリクエストですよ。
ひとまず自分だけでなんとかなるニーズは、いくらでもなんとかすればいいけど、人が介在してはじめて「満たされる」っていうニーズというのは、いーっぱい存在して、そいつをなんとかしたいと思ったとき、他の人に「リクエスト」しなきゃいけない、いけなくないけど、やらなければ永遠に満たされないニーズってのは、それぞれの人の中に存在するんですね。
でも日頃「要求」として、人にお願いしてるでしょ?
そもそもその「要求」ってのと「リクエスト」何が違うのよ。
って思う。
「要求」ってなんとなくわかる気がするし、いつもやってるよね。
どんなものが「要求」で、どんなやり方をとっているか?
ってことなんだけど、社会に席を置いてある限り、子供であれ、大人であれ、なんらかの上下関係に晒されてると思うんだよね。
この上下関係の中で上から言われることって、まーまー要求だよ。
ときには
「脅したり」
「へりくだりつつも、脅してたり」
「ロジカルに正しさを解いたり」
「悲しんだり」
「恐怖で支配したり」
とにかく、形は違うけど、全部要求だわね。
どうであれ、「相手をコントロールして自分の意のままに操る(ことによってわたしのして欲しいことを相手にさせる)」
でも、だ、
こういうやり方は相手にとってももちろんだし、いうことを聞かせたはずの自分についてさえも、このやり方は
いのちを生き生きとさせることに寄与しない
んですよ。
え?なんか支配欲的なものは満たされてるじゃん。
そりゃそーなんだけど、やらされた相手にしてみたら「ちっ、いつか覚えてろよ!」が溜まってる状態
この上下の関係はNVCではpower overと呼ばれるそうですが、世の中はこんな感じで出来てる。
だから、いつも誰かの不満は解消されないし、それが蓄積するから最終的に暴力で解決しようというところに行き着いちゃう。
それは一回一回において、何かは満たされるけど、その代償として何かは満たされない。ってことがあって、上下の関係なら、いつも下の人は満たされないってなる。
じゃー上の人は満たされるのかってことだけど、それもちょっと違うよね。
どーであれ無理やりやらせてるわけだから、どんな方法をとったとしても、命の代償を払うんじゃないかなぁと思ったりする。
んじゃ、リクエストってなんじゃよ?
結局のところ、やって欲しいことはやって欲しいことなんだし、それをやってもらうためのリクエストじゃん。
命が満たされるって、どうなんだ!
と、疑問が湧く。
このとき、リクエストが「要求」と違うところは、「NOが言えるところにある」と私は理解しました。
これが一番理解しやすい。
上司から言われたから「言われたことはやらねばならない」
社会規範として決まっていることには「したがうべきだ」
そういう力ではなくて、自分の中に達成したいなんらかのニーズがあって、それを相手に伝える手段としてのリクエストがある。
当然相手の中にも、生きていく上でのニーズがあって、それを満たしてあげるための手段として、リクエストされたことに対するNOが存在する。
リクエストも相手からのNOもどちらもストラテジー(手段)でしかないということ。
「要求」というと、もう、ニーズそのものな感じがして、そいつにノーを言われたら、自分全否定な感じがする。
講座の中で、「命がけのプロポーズ」ってな表現をしてた人がいたけど、まさに、橋の欄干に立って「結婚してくれなきゃ死ぬ!」って言ってる相手と、「その命を握ってる自分。」断ったら、こいつ、死ぬんかいな?それは嫌だから、どうであれ「イエス」という。
命がけのプロポーズしてる側は、ノーと言われたら、橋の欄干に立っちゃってるわけだし、もう飛び降りるしかないの、、、そんなー。。。生きる価値がないかのように感じちゃう。
でも、本来は、何が満たしたいこと、ニーズが自分の中にあったとして、それを伝えるという手段としてのリクエストがあって、それに対して、相手にもノーと言う手段があって、このストラテジー(手段)どおしのやり合いであって、どっちのニーズが偉いとか、自分のニーズが優先されるべきだからNOはないって関係ではないんだな。
自分が持ってるニーズはニーズ
相手もそれと同じようになにかのニーズを持っている。
これは生きている上で、親であろうが子供であろうが部下であろうが上司であろうが、存在してて、それは対等。
そこに立ったとき、
リクエストするのも自由だし、
そのリクエストにたいして「NO」というリクエストも全然あり。
なるほどねー、NOっていうことによって、あなたは、こんなことが満たされるんだね。
ってのをリクエストした側の自分が理解したら、NOと言われても、受け取り方が変わるんだよなぁ、とか。
逆にNOといった相手側にしてみても、ほんとのところ、私のニーズがなんなのか?がきちんと伝われば「今、言われたことはすぐにはできないけど、別の方法でなら解決できるかもしれない」と、心が動いたりする。
そんなやりとりが多分リクエストなんだなっ。
さて、そう思ったときに、一番重要になるのは何か?
そう、なにかを要求するというかお願いしてる自分が本当に必要としていること、自分の中に本当にあるニーズはなんなのか?という、自己共感をしっかりやらないと、そのリクエストだって、無限にあるはずのストラテジーだって見つからないだよ。
いま、ここで、相手にやって欲しいと頭で考えていること!
これが全てだと思って生きているのに、実は頭で考えている、、、ことも繋がってると思うけど、その奥にある、生命のエネルギーが欲しているニーズはなんなのか?
それがわかってないと、やっぱり頭で考えてることに支配されちゃう。
んー、言われてることはだんだんわかってきたが、これは難しいなぁ。
だって、これまで生きてきて、自分の感情に自分がアクセスして、本当に望んでいるニーズを探るなんて考えたこともなかったもんな。
さて、とはいえ、なんかこんなことを学んでいる人たちとのコミュニケーションでない場合、なにか「要求」されたら「カチン」と来ることはある。
それが、全部なくなるわけじゃないけど、まずは、オートで、反応するんじゃなくて、「この人はなぜ、この要求をしている?この人のほんとのニーズはなんじゃろ?」って、一旦溜めて、考えてみるだけでも、明日からのコミュニケーションは変わるかもね〜〜。
これは覚えといた方がいいなぁ〜って思ってることがちょこちょこあるので、明日は、全般的な感想などなど。
- 【勉強会】基礎編 Authentic Leadership講座 第7回 に参加しました。その1
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2017.11.28 Tuesday【勉強会】基礎編 Authentic Leadership講座 第7回 に参加しました。その1
気がつけばもう7回目。
そもそも8回しかない講座なので、あと一回かなぁ、なんかちょっと寂しい感じします。
え、ええええ、終わっちゃうのぉ〜
みたいなイメージ。
さてさて、本日の初めは「エンパシー」のデモから。
エンパシーする
エンパシーされる
共感する
共感してもらう
私はカウンセリングとか専門では習ってませんが、そこここのカウンセリング等において、「傾聴」が重要と言われているわけで、それは専門家かどうかに関わらず、一般知識として、なんとなく知ってる人は多い。
それでもAL講座の中だと、傾聴とか共感は一般にイメージするそれとはちょっと違うかな?と言うのが、私の率直な印象。
それで、昨日の講座は、けんちゃんの「エンパシー」デモから。
エンパシーされる方が、一生懸命に自分の今をお話しされるわけです。
ざっくり言うと、結構抱えてる仕事もあって、それは自分が他人をケアしたりサポートしたりする仕事で、どうやら、普段はいっぱいいっぱいみたい、だけどそれにいつもは気がつく余裕もなくて、ある日、大失敗をやらかしたという夢を見たという話。
けんちゃんは一つ一つの話にリフレクションするわけではないんですね。
例えば「ほうほう、それは寝過ごしちゃって、連絡もとらなくて、そりゃー大変だ、それでそれで?」
「あー、なるほどね、それは夢だったんだ。ふんふん」
みたいにいちいち聞き返すというわけでもない。
これは、もちろんエンパシーされてる人がAL講座に参加されていて、「これらエンパシーされるぞ!」という心構えなどあってってのも大きく影響してるとは思うけど、感覚的には、とにかく、この人が喋ること、自分にはどんなことがあって(この場合だとものすごい焦るような夢を見た)、そもそも夢で大失敗をやらかし、どうしようなんて見てる時点で、すごい疲れてるし、でも、いつもは疲れてるなんて考えたこともないし、あれ、私、もしかして自分ケアできてないのなぁ、とか、でも、普段はそんな余裕ないし、こんなにいっぱいいっぱいなのに、さらに外国行っちゃう同僚もいて、どうにもこうにもなんだよ〜。
それに気がついて、自分ケアできてないから、そうだ自分の感情にアクセスしなきゃと、思ったら悲しくなって、夜中においおい泣いてると、パートナーが起きてきて、「なんで泣いてるの?」って聞かれるもんだから、「いやいや、なんでもないよ」って気遣って欲しいのはむしろ私なのに取り繕っちゃって、むしろいっぱいいっぱい。
こんな話だったと思うけど、それをぜんぶおうむ返しにするでもなく、けんちゃんは、その人の感情が動いたんじゃないか?と言うところを整理して言葉にしていくんですね。
私の拙いノートメモによりますと
「普段自分のキャパを超えてるくらいやることととか仕事があって、自分のケアができていないと感じている。
そんな状況なのに、さらにパートナーさんだけじゃなくて、いろんなことに配慮している自分がいるんですね。」
こんな感じかな?
(AL講座に参加されてる方は録画で確認して見てね。むしろ確認しなきゃあかんのは私だけど(笑))
なんとなくリフレクション(おうむ返し)とか言っても、「大変だったね〜〜」とか「それこそ、旦那さんに話したらいいんじゃない?」なんて、自分の解釈を入れてしまいがちだけど、そこは一切なし。みーちゃんによれば、これがNVCの特徴だそうです。
書いてて思ったことだけど、けんちゃんは何か、それが仕事の話だとか、夢だったとか、パートナーにも聞いてもらえない現状とか、同僚の仕事まで来ちゃってパニックだよ!と思ってる気持ちとか、その言葉一つ一つについて、かえそうとしてるんじゃなくて、その奥に存在する感情、そして、その人のニーズを聞こう、感じようとして、話を聞き、そこから拾い上げた感情とニーズに完全にフォーカスして、リフレクションしようとしてるんだなぁって。
いつものコミュニーケーションとか、それこそ「傾聴」とか「聴くこと」って、なんとなく字面をだけをとってしまって、「なんか大変そう、それってこうすれば、良いんじゃ?」みたいな解決策を提示してあげなきゃに躍起になる気がするけど、もしかしたら、同じ字面でも、「そんなわけて、超パニックなんだけど、実は自己実現できてて、これこそが私のニーズだったんだと確信した!」なんてシーンもあるかもしれない。
そう、起こったことは起こったこと。
だけど、私たちがエンパシーと呼ばれることでやろうとしてることは、その先、その時、相手はどんな感情が動いて、どんなニーズがあるのか。
そこを一生懸命にさぐりにいくことなんだろうなぁ。
だからこそ、一切の自分の解釈や思いをフィードバックしなくていい、ってことかな?
もちろん、フィードバックはするんだけど、相手がくれた情報(話してくれたこと)と、そこに動く感情(もちろん話してくれたことだけではなくて、その時の顔の表情だったり、言葉のトーンだったりからも?かな?)を、どう感じ取り、それを相手に「こう言うニーズなのでは?」と、フィードバックする。
するとまた、反応が返ってくるし、相手は自分の感情について集中してくれてる相手に一種の安心感を覚えるのかもなぁ。
おうむ返しとか、まぁ、テクニックはいろいろあるんだと思うけど、実は人間は、「話を聞いてもらえている」と思う時、聞いてくれてる相手が、自分の感情やニーズを一生懸命に感じ取ろうとしてくれていると言うのを体感のレベルでわかるんじゃないかなぁ。。。
と、まぁ、そんなことを思いながら、昨日は聞いておりました。
さて、昨日のメインのお題は「リクエスト」だったんだけど、これは、簡単ではないなぁ。
すでに何回か、リクエストについては講座内でも言われて来てるけど、その理解と、実際にできるかどうかと言うのが実は私の中では非常に乖離しているところなんだよね〜〜。
ってところで、ひとまず、今日はのここまで、
「エンパシー」
言葉を追うのではなく、感情、ニーズを追うと言う感覚が、伝わるなぁ。
ってのと、エンパシー体験、自分がやってみたいのもあるし、やってもらいたいのもあるなぁと、じわじわ思ってました。
- 【AL講座】ニーズ体感ワーク4「挑戦(challenge)」
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2017.11.23 Thursday
挑戦(challenge)のニーズ
ちょうど体の中で心臓をイメージする場所にあってデフォルト10cmくらいの丸い黄色いもので、マリモのように毛が生えています。
手で掴もうとしても、手がすり抜けちゃう感じです。
満たされると20cmくらいの大きさになって体からほんのちょっと出る感じ。質感とか色は変わらないけど、大きくなっていて、なんでもできそうな感じがあります。
何しても大丈夫なイメージ。
やろうと思ったことはなんでもできる感じ。
満たされないと、ちっちゃくちっちゃくなって黄色いが少し濃くなりますが大きさは3mmくらい。
すごく気をとられるし、いるかいないかものすごく心配、心配すればするほど探せば探すほど、見えないし、ずっと満たされないです。
満たすために必要なことは、もう気にするのをやめること。
気にするのを諦めて、気をそらしていると、いつのまにか元の大きさに戻っています。
気まぐれな猫ちゃんみたいな存在で、もし、他の人が満たすのを助けてくれるとしたら、文字通り気をそらしてくれる人、「まー、考えてもしょうがないじゃん、とりあえずケーキ食べに行こう」みたいにそらしてくれる人がいると、そのことを忘れるので、元に戻ります。
- 【読書】PDCA手帳術
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2017.11.23 Thursday
仕事が速くなる! PDCA手帳術 (アスカビジネス)
こちらのご本は著者さんから、いただきました。
ありがとうございます。
わざわざ台北まで送ってくださるなんて、ありがたい限りです。
さて、最初にお断りしておかなくてはいけないですが、こちらのご本の著者さん、だいぶ昔から存じ上げておりまして、とてもとても、この本にと言うよりは著者さんご本人に対して、思い入れがあるので、なかなかこう、上手いこと感想が書けないだろうなと思うんです。
その意味で、いつものぷぅねーさんの感想よりグッとこないわ!
とか
そもそも、ぷぅねーさんの思いが強すぎて、結局良くわかんなかったわ〜。
なんてことになってしまうやも。
そうだとしても、とても良いご本ですので、ぜひ本屋さんで立ち読みしてみてくださいませ!
これはぷぅねーさんからのお願いです。
さてさて、著者さんである谷口さんを思う時、私はこの「成功曲線」を描こう。 夢をかなえる仕事のヒントを思い出します。
で、その感想ブログはこちらから
そうだよ!このカズさん(谷口さんね)とぷぅねーさん、一緒にブロガーズイベントとかやっちゃってるわけよ。
んで持って、そのブログでも書いてるけどさ、成功曲線を描くかのように成功してるなぁって人がゴロゴロいて、さらにこのブロガーズイベントのあとも、どんどん増えてるのね。
そんなカズさんが、ご本を出したんだから、そりゃあ熱くもなると言うものなのよ。
全然関係ないですが、ブロガーっていいわよね。
ブログってストック型のメディアだと思うんですけど、「あー、カズさんといえば、成功曲線を描こうだよなぁ、感想書いてたよねぇ〜私」って、自分のブログ内を検索するだけで、出てくるわけよ。その時の気持ちごと。
なんかもう目頭が熱くなるじゃない。
先のブログにも書いてますけど、人によって成功なる定義は違うと思うんですよ。でもね、それをずっと心に抱いて、色々と思考錯誤していたカズさんが、本を出されたって、これね、成功と言わずになんと言うのか?ってことですよ。
その間に、ぷぅねーさんはなにやってんだって感じだけど、この際、それは一旦置いときましょうよ。
そんなわけで、きっとカズさんは成功曲線を描いてるなぁと思いつつも、「まだまだやりたいことがある」とお考えなんじゃないかと思っているんです。
さて、このPDCA手帳術
ちょっと先に宣伝?しますけど、このカズさんの考案された手帳、高橋書店さんの手帳大賞、商品企画部門の優秀作品に選ばれているのね。
手帳大賞と高橋書店の新戦略
1200人以上の応募がある中での、優秀作品(商品企画部門はカズさん一人だから、選ばれたの!)に選ばれるわけだから、ものすごいですよ。
そのエッセンスも、ご本にはモリモリなはず。
そこは実際にはよくわからないけど(笑)
そんなことが起こるとは知らない、今年の春ごろかな?
実はカズさんの手帳セミナーというか朝活というか、そういうものに、とにかく参加させていただいたんですね。
ちょうど手帳の使い方に悩んでた時でもあって、、、
元来、脳みそが割と晴れ渡ってるぷぅねーさんなので、あんまりいろんなことを思い悩んだりしないんだけど。
世の中には、ステキな手帳の使い方をしてる人がいっぱいいて、万年筆好きさんとしては、いろいろと、紙にこだわりもあったりするんですよ。
それで、手帳自体はもちろんいっぱい持ってるし、使いやすさにもこだわってるわけ。
で、相談する相手も結構いる、と。
カズさんはその中のお一人でもあるわけだけれども、特筆すべきはその手帳の使い方なんだよね。
万年筆大好きで、文具マニアの端くれでもあるので、ノートの性能自体の良し悪しはもちろん知ってるんだけど、そういうことじゃなくて、その手帳に「何を書くのか?」そして、それをどう「未来に繋げるのか?」というのはテクニックがやっぱりいると思うんですよね。
そのヒントを求めて参加させてもらったんだけど、今回ご紹介する本の内容そのものをカズさんの実際の手帳を見せていただきながら、お話しさせていただいたのね。
いやいや、凄いよ。
特筆すべきは、高橋書店さんで賞をとったことしかりだけど、自分の中の「PDCA」を回すところだよね。
あっ、PDCAって、Plan Do Check Action の略で、このサイクルを回すことで、効果的にビジネスを展開できるという考え方だけれども、これをビジネスだけじゃなくて、人生でも回そうよ!というわけ。
そもそも手帳なんで、「P:Plan 」の一翼というか、「Plan したものを書き留める」、まさに「予定を書いておく」というのに、みんな使ってると思うんですよね。
それって、単に、予定を確認するためであって、その後「D:Do」、まぁ、実行よね。ミーティングでも飲み会でもなんでもいいけど、実行して、ひとまず手帳の役目はおしまい。
これ、とても普通よね。
あー、そこ、使ってるなぁって感じ。
でも、これだと、チェックしたり、次に行動を起こしたりはないわけでしょ。
ここですよ!
ここね!
何がここなのか?
そうよ、人生はミーティングと飲み会の予定だけじゃないのよ。
惰性で仕事してて、遅くまでってやっちゃってたら、一生かかっても、その惰性の仕事は一ミリも速くならないし、早くならないわけ。
いやいや、それは、プロジェクトの忙しい時期だったから、繁忙期でなければ、大丈夫なんだから。そもそも仕事ってそんなもんで、うちの会社はみんな残業してるから。ってか、残業したっておわんないのに、どうしろっていうのよ。
っていう人生を後20年、30年くらい続けたら、順風満帆で、引退です!って人生は実は終わりを告げちゃったんだよね。
そんな生活を続けてたらある日突然リストラされた。さて、困った。私は会社でやってきた課長業務しかできないよ。ちょっと専門的なことは部下がやってくれてたし、管理ならできるんだ。
え?自分もがっつり残業してたのに?
次の会社にアピールするための材料すら存在しない。
ってなことにもなりかねない。
その時考えても、遅い。
って現実と、
とはいえ、今を変えるって言ったって仕事はなくならない。
という現実がある。
だから結構みんなビクビク暮らしてるんだけど、それを「手帳を活用することで、改善できますよ!」
って教えてくれてるのがこの本なのよ。
すごいっしょ?
自分の人生に「C:Check 」と「A:Action 」を持ち込んで、PDCAサイクルを、手帳というものを使って回そうというわけなのよ。
意外と壮大なプランよ。
それをやってのけたというカズさんの経験からどのようにチェックして、次に改善するのか?ってことが具に書かれているんだな。
あー、そういう風にやれば日々の仕事に追われないのか?とか
たしかにこの本の言う通り飲み会の日は定時に終われるよな?
普段の日との違いは何だろう?
そんなことを漠然と考えているところから、どの仕事がどれだけの時間で終わるのか、自分の身に「感覚ではなく、実績値」として積み上がっていく、その一翼を手帳が担ってくれるのよ。
わたくし、このご本に先駆けて、お話を聞きましたので、やってみました!
ぶっちゃけますと、挫折しました(笑)
「ううううっ、カズさんのように美しい手帳にならない。。。油断するとまたスッカスカに戻ってるよぉ〜」
泣きそうになりました。
いやいや、ほんとは泣いていたかもしれません。
でもね、知ることというのは偉大で、三日坊主では終わらず、「三日坊主、100回続けりゃ1年間」ぐらいに思ってるぷぅねーさんはしつこく、できない時があったとしても、続けてみてるわけ。
そうすると、カズさんは例えばレフト型の手帳を使ってるけど、自分は1日1枚型のが使いやすいな!とか、実務時間を書くなら、このくらいのサイズがいいなとか、たまーにまじめに付けた日を思い出して、「このくらいの仕事ならこの時間で終わるな」と、思ってる感覚と、実際の時間がずれてるな?自分は仕事がかかる時間に対して過小評価してるんかな?とか、気づきがあるわけ。
そう、やってみるってことは偉大なのよ。
カズさんの本を読んだって
「いやいや、知ってることばっかりじゃん」(ぶっちゃけ、そーでもないと思うけど)って思う人がいたとして、カズさんほどに「実行してますか?」と問いたいし、「それなのになぜあなたは残業しておられるのですか?」みたいな問いには答えられないわけ。
だって、知ってるだけだもん。
「まだ本気を出してないだけ」って言いながら、死ぬまで生きるのもいいと思うんだよね。そりゃそれで。
でも、そんな人生イヤじゃない?
少なくとも私は嫌だから、泥臭く、手で何かを書き、足で何かを掴みにいこうとしてる。
そのための方法を教えてもらえるなら、ウェルカムだし、うまくいかないなぁということで、行き詰まったら、この場合ならカズさんに直接連絡してもいい。
それはぷぅねーさんがカズさんの友達だからということではなくて、本を開けば彼の連絡先は書いてあるし、連絡すればいいわけよ。
それも一つの人生におけるプランだし、行動を起こせば、チェックの部分はカズさんが手伝ってくれるかもしれない。
そういう「正のスパイラルを回すこと」で人生をより良いものにしたいというのが、人の願いではないかと思うんだな。
そんなわけで、たかが手帳ではない、手帳術!
紙質だけでない、フォーマットだけではない、「書く中身自体にこだわったPDCA手帳術」
一読の価値があります!
カズさーん、ステキなご本をありがとうございました。
拝読したら、また、「よし、これでいこう!」と思ってた来年の手帳選びに迷いが生じて困ってます(笑)
多くの人が、このご本で「人生のPDCAサイクル」を回せるように、たくさん売れることを祈ってますです〜。
- 【AL講座】ニーズ体感ワーク3「生命・生活の維持」
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2017.11.22 Wednesday【AL講座】ニーズ体感ワーク3「生命・生活の維持」
俄然面白くなってきている、ニーズ体感ワークということで、今回はなんとなく、これ知ってる気がする?な生活・生命の維持のニーズをメンバーさんと一緒に探っていただきました。
「生命・生活の維持」のニーズ
透明なプラスチックのような質感で半球型をしていて、頭の上、ちょうど脳の上に防止のように乗っかっています。
色はなくて、硬いです。
それ自体は動いたりしませんが、そこに存在して、なんらかの(身体の?)バランスを取るという役割があると感じます。
満たされている時
側面が質感は変わらないまま、厚くなります。
頭のてっぺんのくっついている部分の厚みはそのままで、下に行けば行くほど側面の厚みが増して、もっと硬く、しっかりするイメージです。
この時、とても安心していて、なんでもできるような万能感を感じています。
満たされない時
側面はプラスチックの質感のまま薄くフニャフニャになります。
そとフニャフニャなものは波打っていて、ところどころ脳みそを直接押されている感じを受けます。
この時、非常に不愉快で不快です。ずっと満たされないのを想像していると、吐けない時の吐き気にも似た感覚を覚えます。
不安感とは違う、とにかく抑えつけ感がものすごくあります。
この「生活・生命の維持」というニーズが満たされるためには、身体の休息。睡眠を取るなど、とにかく身体を休める必要を感じます。
これは、心の平安的な意味合いはなく、文字通り、「身体」を休める必要を感じます。
というところまで、たどり着いて、どうやら、このニーズ、身体のバランスを取る役目があるらしいというのを理解しました。
いやー、最初はもっと違うもんかと思ってましたが、なるほどそういうことなんだ。
ちょっとびっくり。
こちらは昨日お相手してくださった方が書いてくださったサマリーです。
ぷぅねーさんの”生命・生活の維持”のニーズは、
頭の上のあたりに、帽子のように半球の形で在って、色は透明、質感はプラスチックのようで硬いものです。
そのエネルギーは動くことはなく、そこに”ある”感じ。
役割としてはバランスをとっている役割がありそう。
満たされていると、その皮が厚くなり、半球がラグビーボールの楕円のような形に変化します。
気持ちは、ゆるぎない安心感を感じ、何をしても大丈夫という太鼓判を押された気持ちです。
逆に満たされないと、皮は薄くなり、硬い質感もボールの空気が抜けたようにふにゃふにゃになります。
形もいびつに崩れてしまい、脳みそに張り付く、絞られるような感覚になります。
気持ちも不愉快、気持ち悪い、わずらわしい、憂鬱、押さえつけられているという感覚です。
生命・生活の維持のエネルギーは身体のバランスをとるのかも!満たされていない時は、フィジカルに休む必要を教えてくれ、満たされているときは生命・生活の維持ができる生き生きとした状態なのかもしれませんね。
- 【AL講座】ニーズ体感ワーク2「動き」
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2017.11.20 Monday【AL講座】ニーズ体感ワーク2「動き」
ニーズ体感ワーク、動き!やりました〜
前回の受容とは全然違う感じでびっくりしました。
私の中の「動き」というニーズは左膝にあって三角形の黄色い折り紙のような薄いペラペラのものだそうです。
それは左膝だけじゃなくて、両肩の付け根とか足首のところにもあって同じような形をしています。
骨とか筋肉とかにくっついてて、エネルギー自体は動きはありませんが、周りを動かず役割を担っています。
このエネルギーが満たされているときは、三角形は分厚く硬くなり、周りの繋がってるものを速く動かすことができます。
満たされているときはちょっと驚きに似た感じで、こんな風になるだね〜と、びっくりします。
満たされていない時はデフォルト状態とあまり変わらず、黄色くて薄くて折り紙みたいです。
エネルギーに集中してると、これまでにあまり満たされたことはないらしいと感じられます。
この「動き」というエネルギー
まわり(骨とか筋肉)を動かすと満たされるらしいです。
でも、あまり満たされたことないという諦めの気持ちがものすごく強いのが特徴でした。
まさか、こんな結果になるとは。。。
驚きです。
ちなみにこちらは、ワークをお相手してくださった方が書いてくださったものです。
とっても臨場感がありますね〜
ぷぅねーさんの動きのニーズ 左膝 そして、両肩の骨と骨の間にある。(もしかしたら足首にもあるかも) 黄色で、折り紙みたいにペラペラとした正三角形。関節の中に収まる大きさ。 それ自体は動かない。
役割は、骨と骨をつなげていて、体を動かす役割がある。
満たされると、三角形が厚くてしっかりとして、体を早く動かせることができる。
周りがうまく動いてくれる感じ。
その時の気持ちは、すごいな!やるな!感嘆!
満たされないと、三角形がうすくて頼りなくなって、動かすのをやめる。動かす気がなくなる。今、いいっす、無理っすって言っている感じ。
その時の気持ちは、やっぱりね、納得。諦めている。
満たすためにできることは、
「動けばいい」
筋トレの筋肉みたいに動くと厚くなって満たされる。
でも、満たされていないことが当たり前で、「やる気がないの、ご存知なかった??」と寂しそうにしている。
ニーズに感情があった!!
- 【徒然】「ちぇ」って思うこと
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2017.11.19 Sunday日頃、どこまで行っても、上手くならない気がする中国語に「ちぇっ」って思いを抱えています。
できるできないの感覚は、自分の中のもので、もはや人にどう言われるなどは関係ないのです。
中国語を習ってなくても、操ってる先輩方はいるし。
中国語はできないんだと言いながらも、ガンガン友達を作って飲みに行ってる人もいる。
そんなのをみたり聞いたりするたびに「自分に足りないもの」を探してしまう。
そう、その足りないものってやつ。
それは、性格だから語学云々ではないんだよ。
何語でなくても、どこにでも入り込めるその性格
すぐに仲間を作って楽しそうにしているその人間力
羨ましがってもしょうがないのね。
ある日、スポーツがものすごくできるようになったり、ある日いきなり、旅好きになって、そこらへんにいる人といきなりハグする人間には、なれないし、ならないのよ。
スポーツができない自分にイライラする、人見知りな自分に嫌気がさすけど、それが「私」だからそれでいいじゃない。
それに比べたら、語学なんて、大したことないし。
その人たちにできることとは違うことでできることがあるんだと思うし、そっちに注力!
それはそれで大切にすればいいんだよ。
さて、ちっとも上手くならない中国語に「ちぇ」って思ってるけど。
まっ、コミュニケーションの仕方に難があれ、性格に難があれ、ま、来年の今頃には完全にペラペラだから、まーみててよ。
そうなってるっていうか、そうでないはずがないからね。
なんでもできるほど器用ではないけど、確実にできるようになってますから!
このブログ来年思い返す頃には、一段高い場所にいるのよ!
- 【AL講座】ニーズ体感ワーク1「受容」
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2017.11.19 SundayAL講座で行われる「ニーズ体感ワーク」に関するアップです。
自分のための覚書要素が強いため、公開とはしてますが、なかなか説明するのは難しいです。
読んでいただいて、なんじゃこりゃって思われるかもしれないんですけど、そのへんはご勘弁を!
でも、ま、軽く説明。
AL講座では、NVCの基本的な概念の一つとして、「未完成の109のニーズ」というものが存在して、その109のニーズというのは全てカラダの中に感覚として宿している!とのこと。
その感覚を取り戻すために、ペアになって、それぞれの言葉はカラダのどんな感覚なのを探るというワーク
この感覚が分かると、次にこの感覚(感情を伴う、もやっと感)に出会った時に「これは、〇〇というニーズが満たされていないぞ!」というのが感覚値として理解できるということになります!
すごそうだけど、なんのこっちゃでしょ?
109個あるんで、気長にやってみたいと思います。
んで、今回は、ペアになってくださったお相手さんと、「受容」というニーズについて、一緒に探ってもらいました。
「受容」
ことばからイメージしていたもの
→ 自分だけはなく他者からの働きかけがあって「受け入れる」とか「受け入れてもらう」というアクションを伴うもの。
ワークにてわかったこと
私の「受容のニーズ」は手のひらの上にある。
それは、無色透明で、真っ黒クロスケのようなもふもふしたもので、両手をくっつけていると、その上に乗っかってて、一部手と一体化している。
満たされている時
手のひら全体に広がってうすーいグローブのようになっていて、手をくっつけていなくても、大丈夫だし、手を開いて自由にすることができる。
満たされていない時
手は二つとも固く結ばれて、それ以外はできないし、指先から手にかけてものすごく冷たいので、カラダにくっつけてないとダメな感覚。
このニーズの役割は何?
手を自分のカラダから離して、動かせるようにすること。
このニーズを満たすために必要なもの?必要なことは?
すでにそのニーズはいつでも手のひらに存在するので、ただ手を広げればいい。手を広げる(指先を伸ばしてパーにする感じ)ということをやれば良い。
ワークが終わった後の感想
最初に考えていた「受容」のイメージとは異なり、「すでにそのニーズは手に存在している!」というメッセージがものすごく強いことに驚く。
ワークにご一緒してくださった方からのコメント。
ドリカムの吉田美和がミッキーマウス着ぐるみを着て、ものすごくキレッキレで踊ってる感じ。
スーパーでスペシャルな右手の感覚ね〜〜。
と言っておられました。
おお、確かに。
すごい手にはなってる気がする。