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【読書】入社一年目からの絶対達成入門
入社1年目からの「絶対達成」入門






この本の表紙には題名である「入社一年目からの絶対達成入門」という言葉とともに、こんなことが書いてあります。


世の中が大きく
変化し続けるこの時代に
一生食べていくのに困らない人
どこへ行っても「活躍」できる人

に共通している
「あたりまえの基準」とは?



見ていただいてわかる通り、この文の一番伝えたいところは
「あたりまえの基準」
です。


でも、私がこの文章を見たときに、まず目に入って来たのは
一生食べていくのに困らない人
どこへ行っても「活躍」できる人

の部分で、「なになに?なにをやれば、一生食べていくのに困らないの?どこへ行っても「活躍」できるの?」
って答えが知りたくて、知りたくて、思わず買ってしまった。。。


絶対達成の人、横山さんのことはずいぶん前から存じ上げていたと記憶しています。
一度お話を聞いた際、それも横山さんのセミナー等ではなく、どなたかの出版記念パーティのようなものだったと思うんだけれど、スピーチされた横山さんは、「何が何でも達成する。絶対達成ということで、絶対達成することを外すことはない!」という感じで、ものすごい勢いで、しかも細身の方なのに、その周りに赤いオーラでも纏っているかのように、周りの温度が高くて、周りの歪んでるんじゃないか?くらいの印象を受けたのを覚えています。

これは横山さんのパーティじゃないのに、なんて「あつい」んだろう。。。

それと同時に、無理そうな達成できそうな目的を常に立てて、それを絶対達成するって、あなた、、、それはまぁいいけど、私には無理じゃん?と思ってました。


当時は、子供もまだ小さく、残業で成り立ってる半導体業界において、定時で仕事をあげて、成果を出すという無理ゲー中で、とはいえ、十分に成果はあげてたし、今、考えれば、絶対達成だった訳なんですけど、なんか「残業さえできれば、仕事に全てを捧げられたら、もっともっとやれるはずなのに。。。」と、要らぬ煮え湯を飲んでいたように思いますね。

まぁ、そもそも絶対達成の意味を履き違えてるねぇ、お嬢さんみたいな。

そんなわけで、白状しますけど、横山さんの「絶対達成」はものすんごく、苦手な感じが勝手にしてたのでした。

いやー、ほんとすみません。
全く、間違ってた。。。
ということを今回、このご本に出会うことで知ることができました。



世の中はとかく、「自分のやりたいことができない」とか「こんなはずじゃなかった」といって3ヶ月くらいでやめちゃう若者がいるって話を聞きます。

これね、今に始まったわけじゃなくて、おおよそ就職氷河期と言われた私たちの時期にも某大手電機メーカーで、1年後には新入社員1/3は辞めてたわよ。

ですから、不思議ではないの。

でもね、すごく勿体無いんだよ。



それで、先人は色々な言葉を尽くして、「はやまるな!」「そもそもつまらん仕事にも意味はある」って諭したり、なだめたりするの、そんな本もいっぱいある中、私が新入社員前の学生に勧めるのは入社1年目の教科書と、決めています。


これね、とにかく「早く」、「やる」、そして「上司に可愛がってもらう!」が詰まってるご本!


この本に並ぶ本はこれまでなかったんですけど、やっと、この本に匹敵する、新入社員に勧められるご本が完成したなって、すごくすごく途中からものすごく嬉しくなったんですよね。


あー、私のやって来たことはこれだったのかもって。
私の「あたりまえ基準」は上司や先輩方に食らいつく中で引き上げられたんだ。
本当にありがたいと。しみじみ思ったのです。



前職は日本の大手半導体メーカーでしたけど、ちょうど会社に入った頃はまだ総合電機メーカーでして、そこに入社し、一年目から半導体ライン内で、欠陥検査を担当することになったんですね。


私はエンジニアとして配属されてますので、決まったプログラムを走らせて、欠陥の仕分けするって仕事じゃなくて、決まったプログラムというか装置設定をして、工場の方がきちんとお仕事できるように整備するのがお仕事だったんですね。


入社当初は、工場の方が、正しく欠陥検査ができるように、必要なエラーは検出し、いわゆる擬似欠陥という、装置上発生してしまうエラーのようなものを極力減らすってな仕事を担当してました。


始めたばかりのころ、上司が私に言ったんです。
「ぷぅコッコさんは、この会社の中で、一番欠陥を見た(確認した)人になりなさい。そのために毎日、毎日ウェハーの検査して、毎日、毎日、欠陥を確認して!」

うぉっ!これを言われた時に、私は素直ないい子だったので、「やったろうじゃん!!」と思いました。


その後、人が諦めるような数の欠陥の分類(10000個、人の目で見て確認して、区分けするみたいなこと)をやったりしてですね、「まーそんなことするアホタレは私くらいしかいないだろうな」と、思ってました。
「そんなもん、ランダムに300くらい見とけば大丈夫じゃない?傾向つかめるし」ってな声を無視して、やりたいだけ、やりました。

まー、やらないと
「なんで、やらないんだっけ?」
って、上司に怒られるわけですよ。

理論武装するためには、まずは敵を知らなくてはいけないですからね!
徹底的に見まくりました。


そうやると、まず上司に
「どうしてこの数の検査でいいのか」ということだったり、「装置の設定はなぜこれでいいのか?」がっつり説明できるようになります。

んでもって次は仕事を任せてもらえるようになります。
信頼を勝ち得たね!

その頃には、ちゃーんと一目置かれるようになるから、話をちゃーんと聞いてもらえるようになる。


この過程がまさに、「絶対達成」であり、「あたりまえ基準」だったんだなと。ご本を読みつつ、なんだか懐かしい気分になるとともに、上司に感謝の気持ちがこみ上げてくるのでした。



さて、本書の中にもう1つ
上司の意外な一言(含む無理ゲー)に
「そうきたか!」
と呟いて、対策を練る!!


この「そうきたか!」
日本にいる時より、むしろ台湾に渡ってからのが、呟いてる機会が多いです。


考えてることがわかんないんだもん。


とはいえ、いろいろやってみる。
自分の仕事には意地があるから、クオリティは落とさない。
指摘されたことは素直に聞く。
たまには、英文法まで直される(ありがたいことです)


そうやって2年
なんか爆発的に忙しくなって、死にかけてます。



おお、そうか、これでいいんだ。


なんかいろんなことに大きな丸をもらった気がしてます。



絶対達成って、あたりまえ基準って、
こういうことだったんだ。


なんだ、ちゃんとできるよ。


そして、そういう「あたりまえ基準」を教えてくれた前職の上司並びに先輩方に本当に感謝!


そういう上司がいた人はいいですよね?じゃなくて、そのやり方はみんなこの本に書いてあるから。

もしもロールモデルがいないと言って嘆くなら、横山さんのこの本を読んで、わかんないところは質問ぶつけて、それでも納得しなかったらアポとって本人と話をすればいいと思う。


そういう働きかけの1つ1つが、全て、自分の「あたりまえ基準」に繋がるんだろうな!


そういうこと!


今年新入社員になる若い諸君!!
買おう!この本!










お買い忘れはありませんか?



author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 18:22
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【徒然】万年筆でこころのさけびって話
実は、FBにある非公開の万年筆グループで、「#万年筆でこころのさけび」ってハッシュタグや、「#万年筆のある日常」というハッシュタグで、本や、名言などを日々ノート(ライフログ)に書き連ねています。



それは、私の今日に必要な言葉だったり、私が今日感じたことだったり。



もちろん非公開なので、グループに入ってない人は読むことができないんだけど、ブログにも公開しようかなぁって思います。



わたしのブログを楽しみにしてくださってる方に、お願いしたいです。



わたし、今年の初めはうじうじ悩んでましたけど、なんかもっと、自分のブログ育てたいなって思ったんですよね。



それを形にできるように、頑張ります!!



ってなわけで、感想、コメント、メッセージ!ぜひぜひ教えてください!
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 23:06
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【徒然】凡人であり、凡人でなし。英語なんて好きでもなし、嫌いでもなし。
英会話学校というのは、練習の場ですから、あくまでも基礎練習が大切です。

英語はツールですから、使えることに対して、好きも嫌いもないんです。


英作文は、お隣さんの真似っ子でいいじゃない?


一回聞いてわからない単語は、必ず辞書引くでしょ?
次に出てきた時もコミュニケーションするために。


日々の積み重ねが大切です。


毎日続けることが必要なんです。


単語は覚えて当たり前でしょ?


あーーーーーーー


日本にいる間、英語に悩んでいた。
真面目に勉強すれば、TOEIC、会社が必要とする点数、取れるはずでしょ?
必要とされる点数は730点

真面目に勉強すれば、きっと可能だろうとアメリカ帰りの上司が言ってた。

そう、対策すれば、、、 でも、そもそも対策ってなんだろう。
点数取らなきゃ、ダメなのか?
正直、その意味がわからない。
出世するために必要だった。
まー、そういう事情はもちろんあったけど、そんなの、私には重要じゃなかった。

勉強のための勉強みたいですごくイヤだった。
そんな風に勉強しても点数なんて上がらない。
当たり前だと思う。


TOEICをゲームか何かのように捉えて、おもしろがってできる人はいいと思う。でもさ、面白くなかった。


私には日本にいながら英語力を伸ばすことはできなかった。

その理由、今ならわかる。

生きる上で一ミリも必要なかった。


そもそも、日本人の前で英語を喋りたくなかった。。。



あーーーーー、、、、、
そんな過去がある。


「英語が苦手でも、TOEICで点が取れる」
ってなキャッチーな言葉を見るたびに憧れた。

ものすごく憧れた。

でも、今は思ってる。


苦手と、好きじゃないとか、関係ない。

これは、コミュニケーションするためのツールなんだよ。


台湾にいて、仕事をする。
ほんとは中国語のほうがいいんだろうけど、それはまだまだまだまだだから、会社では英語なの。


苦手だとか言ってられない。
いやっ、ネタとして言ってるけど、「ひどい風邪を引いたから、会社を休みます」って連絡ひとつするのに英語を使わなくちゃいけないの。


気取ってる暇も、恥ずかしがってる暇も、もはやない。


そして、そうやって、追い込まれないと、自分はやらないだろうなと思ってたけど、その通りだったなぁ。


珍しく自分のことがわかってるなって褒めてあげたい。自分を!


今だって、褒められた英語は喋ってないと思う。


でもそれでいいじゃん。


ここでは使わなくてはならないわけだから。


ここ数年ずっと思ってたことがある。
私はカリスマにはなれない。
普通の人
凡人なんだ。
でも、台湾にさくっと渡って仕事しちゃうとか、あんまり普通じゃなく聞こえる。

それでも私は凡人で、だけど凡人じゃない。


今は英語、好きでも嫌いでもない。
それこそ、中学校くらいの頃に、教科書で、「世界の人とコミュニケーションできるので、私は英語が好きです。」
みたいな結論には至らない。


でも、日本で某学園のことだけ報道される中、フランスの特派員が拾って、英語で流れてくる日本の閣議で決定されたことを読んで驚いたりする。


そこに気負いはない。


別に英語が好きなわけじゃないけど、気になる見出しだから読む。

ただそれだけ。


英語が好きですか?嫌いですか?って問いたて。。。
本当に好きじゃない。


だって、ツールだもん。

日本語のが100万倍好きだよ。

だって操れるもの。


好きじゃないけど、私の言いたいことを的確に伝えるために、必要だから、わかんない単語ノートに書いて、眺めるの。

次に出てきた時に、その彼の意図を汲むために!


次は私がその単語を話の中で自由に操れるように。


そういう環境を作らずに、英語を勉強するってのは、どういうことなんだろう。


私にはできないけど、他の人はできるのかも。


その意味だと、普通の人にもなれないのか。

変な感覚だなぁ。


そんなわけで、私はあしたも、英語で仕事をするらしい。






ちょっと、徒然にてしばらく思いの丈を書いてみようかなって思ってます。

やっぱり日本語書くのは楽しいからねぇ〜。

しみじみ、そう思う。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 23:36
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【徒然】3月27日だけど27日じゃ無い時間
3月27日はさくらの日なんですって。


記念日リンク



本日、初めて知りました。
そして、今日は私の誕生日。



台湾はまだ27日だけど、日本はすでに28日。
このなんとも言えないハザマの時間がとてつもなく愛しいです。



今日は友人がこんな言葉をくれました。

「静かな中に気持ち沸き立つ楽しい出来事起きますよ」


気持ち沸き立つ楽しい出来事
は、きっと求めなくても降ってくる。
そんな気がしてます。



年度末、ちょっと来期の目標を考えようかなと、思いました。



ということで、今年も一年、ブログ読んでくださってありがとうございます。


また一年、少しでもお役に立てる記事を書けたら良いなと思います。



私のブログが皆様の気持ち沸き立つ楽しい出来事のきっかけとなりますように!


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 23:45
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【読書】原因と結果の経済学


「原因と結果」の経済学―――データから真実を見抜く思考法



原因と結果の経済学
真実を見抜く思考法
と題されたこの本の大きな命題は
「相関関係と因果関係」の違いを正しく認識させることにあるようです。


この「相関関係と因果関係」と話
私は今から二十うん年前、高校の先生が口を酸っぱくして言っていたことを思い出します。


相関関係というのは、
見かけ上、「なんとなく同じ傾向がある」
けれども、その二つはどちらかを積極的に変化させた場合、その結果として、相手側が同様の傾向を示すという関係には「ない」ということを意味します。
つまり、二つの間に、関係はないってこと。


例えば、景気が上向いているときに、自社製品を売るために「広告をうった」すると、見かけ上、去年よりも売り上げがあがった。
という事実があったとして、
このとき、「広告をうったこと」と、「自社製品の売り上げが上がったこと」の関係は?

「相関関係」なのか?

それとも、広告をうったことが直接売り上げに寄与した?
「因果関係」があるのか?

もしくは、広告をうたなかったとしても、景気がいいので、売り上げは同程度に上がったのか?


広告には一定の投資が伴うのだから、もちろん効果が出てくれないことには意味がないし、もし、広告をうたなくても、売り上げが自動的に上がるような環境が揃っているなら、そもそもその投資分が「無駄じゃないか?」そんなことを思います。

いわゆる投資効率みたいなやつね。

じゃーその効率ってやつを知るために、「この投資、この場合は広告がどれほど売り上げに寄与するのか?」ということを知るためには、どんなデータを取ればいいのか?

もしくはすでにある過去のデータから「正しく」広告の効果を示すためにはどうすれば良いのか?


そんなことを丁寧に教えてくれている構成になっています。


ざっくり読んだ感想として、なんとなくエンジニアの端くれにいる私としては、「そりゃそーよね、当たり前じゃない?」と思うことも、実験の前提としてあるわけだったりします。


だけれども、これが「人に関わること」になると、じつに難しい。


実験の手法、やり方は一緒でも、
例えば「喫煙における肺がんの発生率」を喫煙の有無で差があるかどうか?
ということが知りたいとして、
ランダムに人をピックアップして、
「あなたは、喫煙してください。」
「あなたは、喫煙しないでください。」
と言って、好きに選別し、肺がんが起こるかどうか?それを比率にして直接比較するという実験データを取ることは「できない」のですよ。


人をランダムにピックアップして、実験することはできないんです。

人は一人一人、統計上の数字ではなく、生きておるわけで、そんなことに進んで参加してくれる人はまーまーいないわけね。


そこがものすごく難しい。


では、今あるデータから「なんとなくそうっぽい」ものは、事実として正しいのか?と言われると、実はそんなこともない。


その関係は「相関関係」なのか?それとも原因と結果のはっきりした「因果関係」がそこにあるのか?手持ちのコマから証明しなくてはいけない。


そんな検証が絶対的に必須です。
ということを説いているのです。


何かの施策を行なったとして、それがどんな効果があったのか?もしくはなかったのかということを「正しく」検証するというのは、かくも大変かと。。。


高校時代、証明問題に苦しめられた私としては苦々しい思いがしたんですね。


さて、今の時代はビッグデータだ、AIだといろんな技術、技法が増えてきて、「なんとなく確からしい」けれども、全く因果関係がない、つまり、周りの環境が変わってしまったら、同じことをやっても同じ結果が得られる保証がないということは実はめちゃくちゃいっぱいあるんだけど、この「なんとなく確からしい」がすごく危険なんだよね。


そこをもう一段、掘り下げて、「これは本当に因果関係があるのか?」を考える癖をつけるというのが、本書の狙いなのではないかと思ったりしてます。


重要なことだけど、なかなかできないよね。


こういう社会実験ではなくて、通常の科学実験やらなんやらですと、一生懸命に「これと、これの因果関係を明らかにして」なんてことが染み付いてるはずなのに、こと、自分の生活になってみたりするとすっかりそんなことは忘れて、「なんとなく確からしい」と思うことに踊らされていることなんて、いくらでもあるなぁと、本を読みながら「いたたたたた」と思ったのです。


例えば、うちの息子さんたちは、「ゆとり教育」が終わってから学校に入った世代なので、自分たちが勉強した頃とあまり大きく違いもないくらいには勉強させられております。


ゆとり教育が終わったと知って、自分の子はゆとり教育じゃないと知った時、正直、「良かったなぁ〜」と思ったんです。


でもね、とかく「ゆとりはダメだ」みたいな論調しか世間にはないんだけど、そんな壮大な社会実験みたいなことをしておきながら、「ゆとり教育」によって得られた「正の遺産」に関する検証はなされていないよなぁと思うんですよね。

本当は効果があるはずでしょ?


それは必ずしも学力で測れることじゃないかもしれないけど。


そんな風に、せっかくデータはあるのに、検証は?
と、思う時、相関関係に惑わされることなく、正しい答えを導き出すのは、簡単ではないよね〜と思う。


そして、仮に正しく検証したとして、社会全体としては、よくなることが証明された施策だとしても、それらの恩恵を個人として受けられるかどうかは、また別の話しだったりする。


みんなが幸せになる方法ってのはなかなかに難しい。


それでも、「より多くの人を今よりも良くする」ということは、できるのかなって思ったり。


つくづく、簡単ではないなと。


それでも、逃げちゃダメよね。


少なくとも、今言われていることは、「本当にそんな関係にあるのかしら?」と疑ってみるってのがこの話の入り口かもね。


頭の体操みたいな感じで、オススメの一冊でした。


今更ながら、「相関関係と因果関係って、言葉は知ってるけど、意味がよくわからないのよねぇ〜」って方!
必読です!!












author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 20:30
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【徒然】成長とか成長しないこととか
きっと成長というのはいろんな毎日をこなすことで、ジリジリと伸びていくということと、それとは別にいきなり、強い刺激によってショックを受け、それを乗り越えることで、グッと伸びるってことがある。



それって、人生を進んで、生きている間中ずっと続くものなんだろうと思う。



日々はびっくりする事の連続だけど、その先にしか、答えはないのかもねぇ。



3月11日という日にとても感慨深いなぁと、しみじみ思うのでした。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 08:45
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【読書】自分を責めずにはいられない人


自分を責めずにはいられない人 PHP新書



「罪悪感」という言葉
とても胸に刺さります。


いつもなんとなく「罪悪感」がついて歩くんですね。

何かうまくいかないことがあると、「自分のせいじゃないか?」
ってね。

もっと若い頃というか、小さい頃はいろんなトラウマからなのか、いい子でいれば褒められるからなのか、まぁ、原因はいろいろあるけど、何かうまくいかないことは「全部、自分に関係があって、自分が頑張らないからうまくいかないんじゃ?」なんて思ったことも。

誰かとコミュニケーションをとって、自分が思っているように「何かをしてもらう」、とか、コミュニケーションして意見を擦り合わせて、自分も相手に促されて、「妥協点を見つける」みたいな作業というのは、物凄く楽じゃないんですね。

もしも、自分で全てできるなら、それが楽に決まってるわけです。

でも、他に人が一人でもいれば、そうはいかない。

んでもって、協力してもらうってなことになれば、ますます大変。


そんな対人関係を思う時、何かうまくいかないのは、「自分のせいじゃないか?」って思ってしまうことがあるわけです。

これは対人関係だけに限らずに、自分として目標が達成できないような時にも起こって、いつもイライラを抱えているような気がするんですね。


それで、本書を開くと、「罪悪感というのはある程度誰にでもあるもので、それ自体が悪いのではなく、それを無意味にずっと持ち続けてしまうところに問題がある。」といったことが書かれているんです。


あー、確かにね。


明らかに自分がやらかしたことに対して、「罪悪感」を抱くのは普通のこと。

だけど、朝電車に乗って、目の前で化粧してるお嬢さんが眉毛を描いてる時に、いつも電車が揺れるところに差し掛かり、お嬢さんの眉毛が歌舞伎調の変な形になって、お嬢さんがイライラしていたとしても、それは私のせいではないわけ。

それは当たり前だけど、
実は、「そこは揺れるって毎日乗ってる自分は知ってた」わけで、教えてあげたら、あのタイミングで眉を書かなかっただろうとか。。。

いやいや、そうだとしても、それは自分のせいではないので、罪悪感を感じる必要はないわけなんだな。


そんな人いないっしょ?
って思うけど、追い詰められたり、日々が罪悪感だらけになると、そんなことも起こっちゃったりするかも。


そんなちょっとちょっとの罪悪感を日々、払拭していくというか、対応していく必要があるわけなのよね。



それで、本書を開くと、「罪悪感」を感じがちなシチュエーションや、鬱にまで発展するような「罪悪感」の実例がいくつも取り上げられているのです。


それ自体は、別にあまり珍しくもないというか、端的に、幼少期に毒親っぽい人に育てられたせいだとか、完璧主義が問題だ、とか、いろいろ出てくるんですけど、読みながら「まーそうよね。」って思うわけです。


そこは、とりたてて何か言うこともないけど、実は本書のポイントは第5章 罪悪感との向き合い方以降にある気がしてます。


この中で、自分の中にはどんな「罪悪感があるのか?」と言うのを明らかにしていくというか、気がつくためのステップがあるんですね。


ちょっと引用しますね。


罪悪感に気づいたら、次は自分が何について罪悪感を覚えているのか突き止めなければならない。罪悪感の内容をできるだけ分析することによって、必要な距離を置けるようになり、罪悪感に圧倒されずに済むはずだ。
そのために、自分自身に投げかけてみるべき質問を列挙しよう。

1.何のことで私は自分を責めているのだろうか?
2. どういう「落ち度」が私にあったのだろうか?
3.周囲の人も私を責めているのだろうか?それとも、自分で自分を責めているだけなのだろうか?
4.誰かを裏切るようなことを私はしただろうか?
5.もっと別の言い方やふるまい方を私はするべきだったのだろうか?
6.だとすれば、そういうふうに私がしなかった、あるいはできなかったのはなぜだろうか?
7.私は何を恐れているのだろうか?うまくやれなかったことだろうか、それとも他人に不快な思いをさせたことだろうか?

というふうに。



ここを読んで、早速、これを普段使ってるノートに書いてみたりして。


私のことを分析するなら、他人に対する要らぬ「罪悪感」と自分ができないことに対する要らぬ「罪悪感」というのがありまして、それって、ひとえに、完璧主義が祟ってるわけです。


いや、頭では完璧なんて無理!
と、思いつつも、「理想の私」はもっともっとすごい人で、もっともっといろいろできちゃうはずだ、と!

それと、現実とのギャップは「私の頑張りが足りないからだ」と思ったりしちゃうわけです。


でもね、そもそも「私は完璧なのか?」「その理想の私とやらは果たして現実に即した目標なのか?」そんなことを思う時、本書の表現を借りれば、随分と傲慢だというわけです。


あっ、確かにね。


「私って、そんなにすごいやつでもないじゃん!」ってのを、まず認めるところからいかないとダメなんだよね。


これね、書いてみると、簡単なことのようだけど、実は私は何年もこんなことと戦い続けているんです。


「私はもっとできるはずじゃないか?」からの「罪悪感」

そんなこと思わなくても、「十分やってるよ!!」って人に言ってもらってもダメなのよ。


自分で認めて、自分で修正しないと。


そういうことを認識させてもらうという意味で、私にはすごく意味のある読書だったなと、思っています。


万人にオススメするわけではないですが、言い知れぬ私のような「罪悪感」に悩んでいる方は、誰にお知らせする必要もないので、こっそり手にとってみてくださいませ。


もしかしたら、無意識にうまくいかなかったいろんなことに少し光をさしてくれるかもしれませんよ。





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author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 06:26
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