- 本日の万年筆 2016-08-31
- 【徒然】悔しい思いは明日の糧に!
-
2016.08.30 Tuesday台湾の日常には、日本にいたらきっと味わうことはない「悔しさ」それが滲んでいる。
日本に帰った時、今回、特に強く感じたことは、日本語をしゃべるとき、私は頭を大して使っていないんだということ。
英語を考えたり、中国語を使ったり、それだけでストレス溜まりそうだけど、これらの言語で何かを伝えようとする作業はものすごく頭を使う。
わずか、4歳児でもしゃべれそうな、もしかしたら、それ以下の子供並みの英語能力で、納得してもらえるように話そうとするなんて、普通に考えたら、吐きそうだ。
私の部署では、4ヶ月に1度程度、専門知識についてのプレゼンが回ってくる。
そもそも、その輪講のようなものは、実業務に加えた、もう1つの業務みたいなもので、今回は、非常に残念なことに、通常業務に追われ、プレゼン準備も突貫工事状態だった。
プレゼンというと、今のところはまだ中国語での発表ではなく、英語でokということになっている。
他の人は中国語で発表する。
(母語だから当たり前だね〜)
英語でokとはなっているが、所詮、英語は私にとって第二外国語。
それでいいと言われたからって「ラッキー」とは、なるはずもなく。
泣く泣く。。。いや、本当に泣いていたかもしれない。
資料を作り。
とはいえ、文献にあたる暇もあまりなく、プレゼンの資料が出来上がったのが発表2時間前。
途中昼食が挟まっていたので、プレゼンの準備もグズグズだった。
正直なところ、こんなんではプレゼンなんて無理じゃね?練習もしてないし。
ってかそもそも物理的に時間ないじゃん。。。
言い訳したくなる心を抑えるため、発表の時ように用意したアンチョコの一番上に「言い訳はしない!」と書いた。
プレゼンが始まると、割と興味深い分野だからなのか質問が飛び交う。
一応、チームで達成するってミッションなので、うちにもグループのリーダーがいて、白熱してくると、中国語になるから、リーダーが答えてくれたりする。
中国語のディスカッションは白熱するとみんな早口になるから4割ぐらいしかわからない。
英語で質問される時も、説明しようとするんだけど、ちょっとした単語が出てこない。
しばらく間をおいて理解するような感じ。
わからない、理解できないというのはものすごく悔しいことだと思う。
もしも、このプレゼンが日本語で行われたもので、全員が日本語でディスカッションしてくれたなら、リーダーの手を借りずとも、全員を論破するくらいの気概はある。。。
だけど、ここは台湾だ。
日本語で説明できることに意味はない。。。
満足に答えられない自分、
理解してくれているかわからない同僚
ディスカッションについていけない自分。
どれを取ってもカッコ悪いし、悔しい。
そして、もうこれは終わったこと。
ここから先、また4ヶ月は充電期間。
でも、この超絶に悔しい思いは消えない。
なんて不自由なんだ。
なんで、私の話はわかってもらえないんだ。
こんなに苦しいし、カッコ悪いし、悔しいことなんて、久しく感じてない。
(実は台湾では結構あるけど、日本にいたらないよね〜)
前回のはじめての発表よりも、もっと今回のが悔しい。
別にプレゼン自体は失敗だったわけでもなく、議論も活発に行われたし、悪くないじゃん。
でも、やっぱり後から聞いたら、やや誤解されてるんじゃないかな?ってところはあるし、そもそも本当にこれが私がかけられる精一杯だったのか?
もっとできることはなかったのか?
なんかすごく悔しいよ。
そんなこと言ってもしょうがないのさ、勉強するしかないんだよ。
勉強なんて、大嫌いだ。
でも、悔しいからやるんだよ。
次に同じ思いはしたくないからやるんだよ。
そういうこと!
ただそれだけ。
普段は味わうことのできない「悔しさ」はきっと明日の自分のため。
4ヶ月後は絶対にうまくやる。
そう思ってる、自分のため。
だから私はここに立って、生活する意味がある。
だからまだまだ、伸びるのだと思う。
何もつかんでないんじゃないかと思う日常に、きっとすごくヒントが隠れているんだと思う。
それにしても、悔しいわ。
- 【読書】こだわりバカ
-
2016.08.30 Tuesday
こだわりバカ (角川新書)
このご本を知ったのは、台北でのこと。
もう直ぐ帰国というおりだったのもあり、実家に送付し、連れて帰って読んだということ。
こだわりバカ
とはなにか?
バカになるほど、こだわり過ぎちゃった人とか、企業のことか?とか、いい意味でこだわりにこだわってる人の話か?と勝手に想像してましたけど、全然違いました。
「こだわり」という言葉を自社のキャッチコピーに使うバカ
ということ。
確かに、行ったことがない店をネット等で調べて、
「厳選食材によるこだわり鍋」
なんてキャッチコピーが出てこようもんなら、すげー怪しいと思うわけ。
そもそもなにが厳選されてるのか?
どこにこだわってるのかわからない。
そして、一番残念なのは、そう書いている店は、大抵なにもこだわってないし、厳選されていると思われる食材も出てこない。
あー、残念
どーなってんだ。
人が予約してくれた店なら、黙って行きますけど、場合によっては、選んだ人、自身を疑いたくなるような。。。
次にもし、この人と行くときは、私が決めた方がいいなぁ〜
いや、むしろ、その人とはもう行かないかなぁ〜
時間無駄だしね
って思っちゃうような。。。
そんな感じまで漂ってきます。
結構冗談でもなく本気で。
そんなイメージのコピーは
空気コピーと呼ばれるらしいです。
まさに空気だな。
なにも書かない方が売れるかもしれない。
これは、もしも、本当に「厳選された食材」で、「こだわり鍋」を出していたとしても、空気コピーを使う、数多のこだわってない店に埋もれて、消費者に見つけてもらえないということを表しています。
ネットの情報なんて、大したことが書いてなければ大きいところが、なんとなくよく映るようにできているわけです。まー、そういうアルゴリズムで検索エンジンとかも動いてるよね。
だとしたら、同じようなことを書いた、本当にこだわってる小さな店なんて、検索の上の方にも上がってこないし、見つけられないよね。
それでは、検索対策しましょう
とか
ささるキャッチコピーを作りましょう。
ってことじゃないと思うんですよね。私は。
キャッチコピーとか、企業理念とかって、実は自分(お店だったり、企業だったり、大学だったり)と、お客様をつなぐ最初の架け橋だよね。
ささるキャッチコピーだって、もし、本質と異なっていたり、自分の企業のことを表していないならば、意味はないんじゃないかって思うんですよね。
ささるキャッチコピーが問題じゃなくて、そのコピーとその企業に一貫性があるのかってことだよね。
それで、川徹さんのご本には一貫して、「ストーリーの黄金律」の話が出てくるんですね。
それらの説明は、川徹さんの他のご本に譲るけど、要はどんなものにもストーリーがあって、そのストーリーに、時に、人は共感してものを買ったり、評価したりするんだよ。って教えてくれるわけです。
それでね、このキャッチコピーとか、企業理念とかってのは、そのストーリーをさらにものすごく短い言葉で人に伝えるってことが目的で、それでこそ、そのお店だったり、企業だったり、大学だったりを際立たせるわけなんだな。
だからこそ、「こだわり」なんて簡単な空気のような言葉で済ませてはいけないんだよ。
その「こだわり」はなんなのか?
初めて会ったその人にも気がついてもらえるように、その人の心に届くようにつけなくちゃいけないんだよ。
この本は、軽く読んじゃうと、「こだわり」とか「厳選」みたいな誰でも思いつくコピーじゃなくて、ちょっとはひねったら?ってことが書いてあるように見えちゃう。
本を読みなれない人はそう読んじゃう人もいるのかも。
でも、違うよ。
自分が売りたいものがあるのなら
それが商品であれ
お店であれ
企業であれ
大学であれ
これまでのそれらはどんなもので、これからそれらはどうしていきたいのか?これが一発で相手に伝わんないとダメだよ!
そういうコピーを真剣に考えてね。
ってことが本の中で、ずっと言われているわけ。
じゃー、そういうコピーを作るためにはどんな言葉が使えるのか?
というのが他の企業なんかの例で見られるということ。
これってまさに、自分の売りたいもの、やりたいこと、そんなものと真摯に向き合って、苦しみながら言葉を紡げってことなんだよね。
うーん。
さて、こうやって熱く語った後に、自分のブログ等につけてるコピーを見てみると。。。どーなんやろ?と思ったり。
いま一度、自分のブログとも向き合ってみようかなぁ。
と思ったりして。
- 【徒然】しょうがない という言葉が嫌いだ
-
2016.08.29 Mondayわたしは、「しょうがない」という言葉が嫌い。
中国語では「沒有辦法」という。
半年ぐらい前、ものすごく中国語が嫌いな時期があったのね。
わかる言葉はほんの少ししかない。
この「沒有辦法」だけはよく聞こえてくる。
仕事において、そんなにも「仕方がないこと」なんて、起こるだろうか?
そんな、疑問を抱えるけど、わたしの耳にはそれ以外の言葉は入ってこない。
他の言葉、他の中国語は入ってこない。
分からないから。
分からないから、同僚が何について「仕方がない」と言っているのか聞くこともできない。
仕事なんだから、そんなに頻繁に「仕方がないことなんて起こらない。」
少なくともわたしはそう思っている。
そんなことにとらわれるのがすごく嫌だったので、仕事中は耳に常にイヤホンが突っ込まれている。
日本の大企業ではありえないことかもしれないけれど、こちらは、望まれるパフォーマンスさえ出せば、特にそんなことは気にされない。
そこは幸いなので、すっかり、仕事中はイヤホンな女として周りには認識されている。
これで無用な「仕方がない」を聞かなくて済むということ。
これは、自分に対しても同じで、「しょうがない」が嫌い。
「しょうがない」という言葉を全く使わない鉄人だ!みたいなことを言っているんじゃない。
自分に「しょうがない」ことがあるのも嫌だし、人に、こと、自分に関して「しょうがない」と伝えるのは嫌だし、苦手なんだよね。
それでも、世の中には「しょうがない」と受け入れなくてはいけないこともある。
それは自分ではなくて、他人にかんして。
ある意味では、それらはコントロールできない。
だから「しょうがない」と言って受け入れる。
じゃあ、自分のことはどうか?
あんまりうまくない性格のせいなのか、自分のできない、自分ではできない、そんな「しょうがない」をできるだけなくしたいと思ってる。
それでも理想には遥か遠く、到達してない気がしちゃう。
それもまた、ある意味しょうがない。
「しょうがない」なんだけど、「しょうがない」に負けたくない。
まぁ、負けず嫌いなんだな。
なんだかまとまらないけど、こういうことも受け入れられる日が来るんだろうか?
- 【徒然】コメントに感激してしまった
-
2016.08.28 Sunday日頃、ブログ読んでくださってる皆さんに感謝!!!
先日書きましたブログ記事にとあるコメントを頂きました。
ブログ記事はこちら
【読書】自分の時間
そのエントリーに対して以下のようなコメントを頂いたんです。
初めは万年筆で検索して、ぷうコッコ(さん)の一期一会に出会いましたが、今では、「読書」や「徒然」のほうを楽しみに拝読しております。(笑) 時にご自身の苦悩を素直に吐露され、共感することも多いので、負けるなー、がんばれーって応援しています。 本の紹介も秀逸で、その読書量にも驚かされますが、ぷうコッコ流書評がとても参考に、そして刺激になるので、今やビジネス書案内に関しての私のバイブルになっています。ありがとうございます。 毎日のようにアウトプットすること、とても大変だと思います。尊重しすぎることもなく、おろそかにすることもなく、中庸を心得て生きる、ですね。 無理せず楽しく末永く。
いやー、読んだ時、ちと頬が赤らんで、気持ちが高揚するのがはっきりとわかりました。
昨日はブログに話を聞いてくれた友人のことを書いたんだけど、その方にも、ある部分では褒めて頂きまして、大変ありがたいなぁ〜と思って、お礼の意味も含めて、学べたことを書いてみたんだよね。
これまでのブログの中でもなんどか紹介してるんですけど、ライフネット生命CEOの出口さんが、ブロガーのちきりんさんの言葉を引用したこんなものがあります。
「済んだことに愚痴をいうこと。
人を羨ましいと思うこと。
人に褒めてもらいたいと思うこと。
人生を無駄にしたければ、この3つをたくさんどうぞ。」
この中で、三つ目の「人に褒めてもらいたい!と思わずに何かをやる」ってのが一番難しい。
と、思うんです。
済んだことに愚痴をいう
ってのは結局、かっこ悪いから意外と意識してると止められる。
(たまには、もちろんいっちゃうこともあるけど、結局、かっこわり、私!ってなる。)
また、人を羨ましいと思う
ってのも、羨んだところで、結局、それは他人であって、私ではないから、時間の無駄。
(たまには、なんで自分はこうならなかったんだろうって、人をみて思うこともある。あるけど、それはいい意味で尊敬に変わったりして、またその人とは違ったところで頑張ろう!ってなる。)
だけど、この「褒めて欲しい」とか「よく思って欲しい」ってのは、なかなか克服できない。
だって、誰しも、褒められたら嬉しいじゃん。
よく思って欲しいじゃない!
だからこれって、実は頭の中から排除するのがすごく難しい。
それとは別に、私はブログを書く時、特に本の感想とか、徒然にかんしては、誰かのためではなくて、自分のために書いてるのね。
万年筆の話は初心者さんに向けてだけどね。
それだって、初心者さんに役にたったらいいけど、それでどうこうってのは今の所、思ってないかな。
この夏、日本に帰った際、出口さんと直接会う機会があった時にこの
「済んだことに愚痴をいうこと。
人を羨ましいと思うこと。
人に褒めてもらいたいと思うこと。
人生を無駄にしたければ、この3つをたくさんどうぞ。」
の話がでて、「他の人からよく見てもらいたいを止めるのが一番難しいですね〜」
と言ったら、
出口さんから「褒めて欲しくなったら、会いに来て下されば、いくらでも褒めますから」とおっしゃっていただきまして、それにも、ものすごく気分を高揚させて帰った覚えがあります。
こんな風に言っていただけることがこんなにも続くなんて、私はなんて幸せなんだろうなぁ〜って思う。
あれも、それも、これも、みんなブログ書いてたことがきっかけなんだよね。
そんなブログの中に、こんなにもストレートに、コメントいただけるなんて、ものすごく幸せなだなぁ〜って思ってます。
ここのところ、半年ぐらいは、うまく本も読めてなくて(それでも、読んではいたけど)自分の中で、何かうまくいかないことが多かったような気がするんです。
でもさ、こんなにも素敵な言葉をかけてくださる方がこうやっていっぱいいてくださるってことは、すごく、すごく贅沢だよね〜。
それだけでも、今やってることって間違ってないよね。
そう思わせてくださる皆さんに、感謝!
そして、ここから先、もうひと頑張りしようと思います!
- 【読書】たった1つの図でわかる!図解 経済学入門
-
2016.08.28 Sunday
たった1つの図でわかる! 図解経済学入門
このご本はあさ出版様より頂きました。
素敵なご本をありがとうございます。
さて、私はこのご本の著者さんである高橋さんのご本が好きです。
というのを公言しておりまして、感想にも力が入ることまちがいないです。
ではなんで好きなのか?
単純に私の思う「頭がいい」という定義に合致する情報を提供してくれるからに他ならないです。
では、「頭がいい」とは何か?
これは「複雑な事象の本質を捉え、それらを専門としない人たちにも平易な言葉で確実に伝えることができる能力」だと考えています。
その意味で、彼の本はものの本質を捉えていると私は思っています。
さて、今回のご本、冒頭、まえがきの部分が大変秀逸なのですよ。
今回も?例によって高橋さんは、担当編集者にオトサレる形でこのご本を執筆されたのだと思うのです。
担当編集者さんは必ずしも経済学に明るくはないのでしょう。
しかし、そこで自分の知りたいことをもって、高橋さんを口説き落とし、本書を作り上げた。
日本に今、いる人たちにとって、「経済学」の何が必要なのか?
ひいては、自分たちの生活にとってどの部分の知識を知れば、政府が行おうとしている経済対策を理解できるのか?
そんなことを念頭に本書を作ったのではないかと、想像しています。
本はいっぱい読むけれども、実際には、誰が企画して、どうしてこのテーマで書くのか?ってなところは本職ではないからわからないです。
それでも、このテーマに関して、高橋さんに白羽の矢を立て、実に読みごたえがあるご本に仕上げたのは、すごいな!と思うんですよ。
まえがきに高橋さん自らが担当編集者を登場させるだけはあるなと、しみじみ思いました。
さて、私は経済学士でもなければ、経済学など目指そうと思ったこともないズブの素人です。
子供の頃から、ニュースを観てましたが、ニュースに出てくる用語の一つ一つ、大人になったら理解できるのかと思ってたんですけど、結局、興味なく、調べることもなく、高校生までの間に習うでもなく(いやっ、習ったのかもしれないけど、本質が理解できてなかったので、習ってないも同じ。)ここまで来てしまいました。
円高、円安についてすら、海外から万年筆を買うようになった数年前にやっと、それなりに理解した次第。。。恥ずかしいやらなんやら。
だが仕方がありません。
それが真実ですから。
そんな中、読んだこのご本!
経済学入門としてどうなのか?ということは、先にも述べた通り、専門に学ぼうと思ったことすらないのでわかりません。
それでも、私が生活していく上で、
「インフレ、デフレって結局何よ?」
「量的緩和って、どんなことでやるとどーなるの」
「アベノミスクって言葉はわかるけど、結局何やるの?そして、その成果は?」
「マイナス金利って、なんの金利がマイナスなのよ?そもそもマイナスなんかになったら預けないやん?」
みたいな、ごくごく当たり前にニュースで言われるけど、誰に聞いてもちゃんとした答えが返ってこない事象を次々に、本当に「1つの図」のみで説明しきっていただきました。
本当に1つの図というか1つのグラフだけ。
これによって、経済学が分かった気になって、経済について語れるとかでは全然ないけど、ちょっとした国の施策を見て、自分の生活にはどんな影響があるんだろうということを考えることは十分にできると思います。
経済学を本格的に学ぼうってわけでない大人は、これで十分じゃないだろうか?
私はそんなことを思うのです。
これね、ご本の形になってるので、グラフとしては「一枚の図」で出てきちゃうんだけど、それぞれの線が「シフトする」ってのが大きな意味を持つんだよね。
だから、きっと、これはパワーポイントなんかのアニメーションになってたら、この10倍は分かりやすかっただろうなぁ〜って思ったんだな。
なかなか紙の本では難しいけど、それを補うために、二巡目は2本のマーカーを持って、机に向かって読んだらもっと理解が進むんだろうなって、ちょっとワクワクしちゃいました。
ってなわけで、
内緒ですけど、実はさっきぷぅコッコねーさんが示した
「インフレ、デフレって結局何よ?」
「量的緩和って、どんなことでやるとどーなるの」
「アベノミスクって言葉はわかるけど、結局何やるの?そして、その成果は?」
「マイナス金利って、なんの金利がマイナスなのよ?そもそもマイナスなんかになったら預けないやん?」
っての、よくわかんないんだよね〜って方は、絶対読んだ方がいい。
そして、経済学部を出た人たちに上の質問を改めてしてみてください。
私がはじめのころに書いた高橋さんの「頭の良さ」を感じることができるはず!
あっ、でも、間違っても自分が説明する方にたっちゃダメですよ。
学問としては経済学深いですから、無用な争いは避けるべきです。
「それ、違くない?」って仮に思っても、心の中にしまって、家に帰ってまたこの本を開いてください。
そうやって考えることで、もっと興味がわけば、経済学の別の入門書を読んでもいいし、どんどん興味の対象を広げたらいいんじゃないかな?
もう一回、いうけど、青字で書いたところ、一つでも疑問があれば、絶対買って読んでみて!!
これ以上わかりやすい説明は、残念ながらないよ!
それぐらい本質的なことが書いてあります!
- 【徒然】人との出会いと、今の自分を確認すること
-
2016.08.27 Saturdayわたくし、常々、台湾で働いておりまして、年間3回程度は日本に戻っております。
子供の長期休みに合わせて帰る感じですかね。
それで、子供の長期休みに合わせているんですけれども、戻ってみると結局のところ、会食が多くなりまして、、、だって日本に戻ったら、会いたい人いっぱいいるじゃん!
え?わたしはぷぅコッコさんに会えてないけど、どーいうこと?
って思われた皆さん!
ごめんなさい。
そうは言ってもそんなには長くは帰れないので、お会いできない方も出てきちゃうんです。
せっかくお誘いいただいたのに、泣く泣くお断りすることも。。。本当ごめんね。
ぼちぼち、帰国情報なんか出したりすることもある(あんまりブログでは紹介しないですけど)ので、どーしても会いたい!って方は是非、帰国前にぷぅコッコの首根っこ捕まえて、「デートしてください!」って伝えてください。
それで、このわたしの短い休みに、私自身がお会いしたい方ってのがもちろんいらして、自分でアポとって、会いに行くんですけど、そんなことやってると、休み中の夜とかみんな会食になっちゃって、なんだかなぁ〜と、栄養たっぷりとって完全に「肥えて」帰ったりします。
すでに昔からの知り合いって方だけでも手一杯、胸一杯、腹一杯!みたいな感じなんですけど(本当、ありがとう!そして、なんか今回はごめんなさいした皆さん、ほんとにごめんなさい)それでも、新しい人に会えたりするんですよ。
不思議ですね〜。
それでね、今回の休みで、お知り合いになった方とお話しする機会をいただきまして、少し自分を整理することができたかな?(え?疑問なの?それじゃだめじゃないの?)と思ったので、思ったことをブログに書くかな。
先日「自分の時間 (単行本)」というご本をご紹介しました。
関連ブログはこちら
それで、この本を読むと、自分の24時間といかに向き合うか?ということを深く考えさせられるわけです。
私は今、台湾という場所にかれこれ1年半以上いるんですけど、きっと「外国人」としてここにいる自分に対して、少し浮き足立ってるところがあるんだと思うんだよね。
知らない土地、知らない言葉、知らない人たち
から始まったのが、どんどん地上に足をつけてきてて、それでもここが「まだ、拠点にはなっていない」という中途半端な状態なので、まだ地に足が付いていない部分を、前よりももっと強く感じている。だからこその「浮き足立ってる感じ」なんだと思うんだな。
そんな中、いろいろと、「もがいているんだーーーーー!」ってことを聞いてもらったんだな。
多分、私が、お相手に言いたかったことは、「今、この浮き足立ってる私で、本当にいいんだろうか?」ってことで、それを手を替え品を替えしながら、話をした気がしますね。
時間を取ってくれた友達には感謝以外なくて、それはそうなんだけど、その話を追っていった先の今、思うことは、
今できることのすべては、この「浮き足立ってる足」を「今いるこの場所にしっかりとつけていくこと」に他ならないかな?
語学力しかり
どっちが外国人だかわからないけど、現地の方とのコミュニケーションしかり
日本にいる方とも、最近は便利なツールで繋がれますから、そんな方々との関係しかり
そうやって、もう一段「ぷぅコッコ」さんを磨くって時間をもうしばらくとる方が、もっともっと面白い人生になるんじゃないかな?って思ったね。
話を聞いてくれた友人と、こんなある種「哲学的」な問答を終始してたかというと、別にそんなことはなくて、真面目に話してたことも、教えてもらったことも、もちろんたくさん!たくさん!あるんだけど、大半は、くっだらない話に終始してたんだな。
(めっさ真面目に終始話してやろ!とかだったらごめんなさい。感覚的にはめっさ楽しくお話ししたよ!それも日本語で。)
たまにしかないですが、何か、人と話した時に、「あー、これで寝て、次の朝起きたときに思ってることがきっとやるべきことだなぁ〜」みたいな感覚が襲ってくるときがあるんだけど、今回もそんな感じで。
そして私の睡眠学習により、話が整理されたあとの結論が、「今、もうしばらく地に足がつくように進んでみたらいいんじゃない」ってことみたい。
先日ご紹介した出口さんのご本「人生の教養が身につく名言集 (単行本)」の感想で書いた三鏡の話
関連ブログはこちら
の中の、「人という鏡」の話があります。
それは、私が考えるに「得難いものである」と思うわけだけれど
話を聞いてくれた友人は
「そんなことないんじゃない?いっぱいいるよ。いるところにはね。」
と、想像するに穏やかに、にっこりしながらおっしゃっていたんです。
そうかなぁ〜
って、その時点では、思ってたんだけど、要は視点の問題で、実はお相手の言うことも、また「真なり」なんだな、と、思うに至ったんだな。
それはなんなのか?
実は李世民には魏徴以外にも、彼を諌める人は結構いて、現代に置き換えれば、上司の李世民さんに「え?それは違くないっすか?ん?」みたいに迫る人が貞観政要の中にはたくさん出てきます。
ときに、李世民は話を聞き入れ、ときには退けして、政治を行っていくんだけど、まさに「人という鏡」は、もちろん、一人は魏徴であるかもしれないけれども、それを受け入れる側の、ここで言えば、李世民が受け取ろうとするとき、魏徴だけではなく、誰もが「鏡」となりうるんですね。
これが、友人がいうところの「いっぱいいるよ」に繋がると、私は解釈したね〜。
話をはじめる前は、「え?そんな人、滅多に会わないじゃん!」って思ってたのね。
それは、何かとてつもなく大きなモヤモヤをよくわからずにぶつけてもいい人(よく考えたら、そんな人いないわな?)と勘違いしてたんだよ。
でも本質は、「何者からも学ぼう!」という姿勢によって、話をさせてもらう多くの人が「私の鏡」になってくれるんだね。
こんなに話が整理できるなんて、睡眠学習!さすがだ(いやいや、そーじゃないでしょう。)
これもひとえに、辛抱強く、手を替え品を替えして話を聞いてくれた友人のおかげです。
ほんとに、ほんとにありがとう!
今回に限らず、昔から言ってますが、何かの折、例えばセミナーなんかもそうだけど、主催者さんに対して私ができることは「ブログにアウトプットすること」だと思っていますので、とにかくブログに書こうと決めてました。
いい時間でした!本当にありがとうございました!
ってなわけで、台湾人にはもちろんならないけど、まだまだ台湾から色々吸収しちゃうよ〜!!
- 【万年筆】TWSBI ダイヤモンドAL 限定 オレンジ
-
2016.08.26 Fridayじゃじゃーん!
しばらく前に買ったけど、ご紹介できなかった一品!
TWSBI ダイヤモンドAL 限定 オレンジ
お友達のzeakさんの"静岡みかん"というインクを合わせています。
このインク、インク窓の部分から透ける感じがほんと綺麗!
(この透け感と実用性を意識して作られたと聞いてます!)
もともと、そこまでオレンジャーじゃないけど、これはかなり素敵!
この万年筆、もともと台湾のお店で買いましたけど、かなり入荷したっぽかったので、しばらくしてからお店に足を運んだんです。
日本に帰る前だったこともあって、友人に依頼されたなにがしかも一緒に買う予定で行きました。
すると、このオレンジ!
なんとのこり3本しかなくて、そよ3本とも連れて帰ることになりました。
(自己所有一本のみ!後の二本はお嫁に行きました〜)
まー、そんなことで、とにかく綺麗なのねぇ〜。
台湾でTWSBI買うと、当たり前ですが、リーズナブルです!
台湾旅行にいらした際は、お土産におひとついかが?
- 【読書】自分の時間
-
2016.08.25 Thursday
自分の時間 (単行本)
本屋さんで、しかも台北の本屋さんだよ!において、佐藤優さん推薦の帯が付いてたもんで、思わず買ってしまったご本。
まさか、こんな良書に出会えるとは。
だから本屋さんはやめられない。。。
このご本、中を読んでみるとわかるけれど、このご本が、最初に売り出されたのは1908年とも1912年とも、はたまた1920年と書かれることもあるみたい。
実はこの発売年にはあんまり深い意味はなくて(それぞれに、それを発刊年とする意味別にあるけれども、私にとってという意味でね)、要するに100年以上前の本だということ。
これまで、時間術の本はいっぱい読みましたけど、それらの概念の元となるのがきっとこのご本なんじゃないかと感じます。
これを一冊持っていれば、他の本はいらないです。
深く味わい、何度も読み返したくなるような思考を刺激する言葉が随所に見られ、それでいて、全ては簡潔に書かれているので、本自体は物凄く薄いです。
読むだけなら、おそらく1時間もかからない。
でも、そこで、この本は問いかけてくる。
朝起きるとあなたにはまっさらな24時間がある。
これは貧富の差に関係なく、絶対的に、平等に各個人に訪れる。
その贅沢なギフトを、どう使うのか?
意識して、自分を磨くために使うかどうかが最終的に人生を豊かにするということに近づく第一歩だ。
っていう、いわゆる時間術で言われることが全ては凝縮されている。
読みながら何度も唸り、その中に出てくる哲学書を早速、発注しちゃったぐらい突き刺さる言葉が並んでいたなぁ〜。
さて、日頃、ブログを書いていると、ふと、「なんでこんなことやっているんだろう」って思うことがある。
多分、私がブログを書くのに割いている時間は、皆さんが考えるそれよりも短いと思うけれど、その短い時間ですらも、1日24時間という私に与えられた時間の中で捻出するもので、ブログを書いたからといって時間は増えることはない。
では、なぜ、ここに時間をかけるのか?
それは全て自分のためで、自分の人生を豊かにするための一つだ!ということをこの本を通して再認識させられたのよね。
本を読まなくても、ブログを書かなくても、それぞれの人の毎日には、仕事があって、日々を暮らして、お酒飲んでテレビ観て寝る、ってのでも人生は過ぎていくし、生きていける。
そこに、あえて、本を読んだり、調べ物をしたり、ブログを書いたりする「自分の時間」を持つということは、私の人生を豊かにしてくれることに他ならない。
でも、「これが時間術における最高の本だよ」、とかだれも教えてくれないんだよ。
だから、遠回りしていっぱい本を読んで、最後に、神様からのギフトのように本に出会う。
そうなるためには、自分の時間の中で、本を読み、それらを味わい、考える時間が絶対に必要というわけ。
贅沢だなぁ〜。
全てはこういうところに繋がってるんだな〜。
ある種の感動があるなぁ〜。
ということで、ジンワリ感激。
もう一度読もう。
いやっ、もう一度と言わず、もちあるこう。
こんな素晴らしい本には数年に1度も会えない。
ぜひ、本屋さんで立ち読みでいいからまずは見てみて。
私は、原書の方に当たってみようかと思ってます!
(すでに入手済み!)
- 【万年筆】プラチナ プレジール限定ノバオレンジ × カーボンブラック