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【勉強会】第二期 出口治明氏と古典を精読する会 の2回目 その3
それではまた水曜日の続きから
その1とその2は以下から
その1
その2


昔、舜、漆器を造り、禹、其の爼にゑる。當時、舜・禹を諫むるものもの十有餘人なり、と。食器のかん、何ぞ苦諫を須ひん、と。

中略

奢淫を首創するは危亡のぜんなり。

中略

所以に諍臣は、必ず其のぜんを諫む。其の滿盈に及びては、復た諫むる所無し、と。
p.157,158


昔、舜は漆器を作り、禹はその爼に彫刻を施した。その当時、舜・禹を諫めた者が十余人あったということである。食器ぐらいの小さいことでどうしてきびしく諫める必要があろうか と。

中略

贅沢に過ぎることを始めるのは、危険と滅亡の第一歩であります。

中略

それですから諫める臣は、必ず、その第一歩のきざしを諫めるものでございます。贅沢が極点に達してしまってはもはや諫める余地がございません と。
p.158


すでにこれを爲せり、と。或はいふ、業已に之を許せり、と。竟に爲に停改せず。此れ則ち危亡の禍、手を反して待つ可きなり、と。 p.159


もはや着手してしまったからといい、あるいは、もはや許してしまったからといい、けっきょく諫めによって止めたり改めたりすることはない。これでは国家ぎ危険になり滅亡する禍は、立ちどころにやってくるのである と。 p.159


ここに出てくる舜と禹は中国の理想の帝王である尭・舜・禹の三人のうちの二人であり、そんな立派な帝王ですらほんの些細な食器ぐらいのことで諌められているのです。

それは、どんな小さなことだとしても、ことの起こりはじめを見極め、その時点でなければ、諫められないとわかっているからだと述べているわけです。

これは話をする人たちが歴史を共有していることが前提にあります。

その上で人間ではだれしもやってしまう「もう、着手したからとか」「もう、許してしまったから」といった理由でやめなかったり、改めたりしないことは国家の禍になりかねないと言っているのです。


耳が痛いですよね。。。




p.160にある王珪とくつろいで語っていた一説はとても面白いです。


美人さんをはべらしながら話をする場面ですが王珪はくつろぎの時間の中、盧江王が夫を殺してその妻を奪った話を持ち出し「それは正しいとお考えですか?」と聞いています。

それを受けて太宗は「悪いに決まってるじゃないか!?なんでそんなことを聞くのか」と不思議がります。

それを受けて、王珪は次に斉の桓公の話を持ち出しててきます。

そこでは桓公が父老に「ある国の滅亡した理由は何か?」と尋ねます。父老は「その国の君は善を善とし、悪を悪としたからでございます。」との答えます。すると桓公は「そうだとすると賢君なのでは?」と父老に再び尋ねるのです。それに対する答えは「その国の君は善を善としたけれども、その善を用いることができず、悪を悪としたけれども、その悪を除き去ることができなかったと。」と述べるのです。

そこで王珪は太宗に向かい、横にはべらしていた美人について話し始めます。「その美人をおそばに置くことを非とされるならば悪を悪と知って除きさらないのと一緒ではありませんか?」と。それを受けて自ら悟った太宗はその美人を親族の元に帰させたという話です。


これかなり印象に残るエピソードですよね。しかも直球では攻めていないわけです。ロジカルに攻めつつ、最後にはロールモデル(桓公)を持ち出し、太宗自らに悟らせるという方法をとっています。

かなりの高等テクニックですね。

でも人を説得させる一つの知恵としてとても面白いです。

ぜひ、実物の貞観政要を開いて味わって頂きたい!と思います。





次のエピソードはまた少し変わっています。太宗が部下に向かって「このごろ部下からいろんなことを言ってくることが大変多くなったけれども。それを全て家の壁に貼り、出入りのたびにみていますよ。」と言う場面です。


全ての意見を採用するかどうかは別としてもどんな意見でも聞いていますという態度をとること。ここでは全てを家の壁に貼って出入りのたびにみていますよという態度であるということになります。

この公平にみていますよ!というメッセージは部下に対するフェアネスを表しているのです。


聞いてくれるとわかっているからまた言ってくれる。そういう言いやすい雰囲気を作る必要があるということを教えてくれているのです。







さぁ、今回最後のエピソードです!
長いので先ほどのもの同様に引用はしませんが、話としてはこんな感じです。


太宗さん皇帝になってしばらく経ったのでおれも他の皇帝にならって地方巡幸いわゆる顔見世興行です。にでもいこーかなと思いはじめます。

自分が住んでいるのは長安でもう一つの都である洛陽に行ってみようかな?と考えているわけです。

でも洛陽の家もちっとボロいからこの辺りで直しちゃおうかしら?

と思ったのがことのおこりです。


イメージ的には東京に住んでるけど、京都の別邸に遊びに行きたい!でも京都の別邸もちょっとボロいし直してから行ったらどうかしら?そんな感じ。

さて、ここでは張玄素がかなり直球で太宗を諫めます。

まず、天下というものは力によって勝つことではなく、神様に祈っているから頼りにできるわけでもなく、ひたすら倹約して税金を薄くすることですよ。
これで国家は永久に堅固になります。


次に人民を借り出して工事させるのがよろしくないことの一つ目。

隋をほろぼしたときに贅沢を憎んだのに、またその彫刻を受け継ごうとおっしゃるのがよろしくないことの二つ目。

金もないのに無駄遣いするのがよろしくないことの三つ目。

人民は未だ飢えて大変なのにそれに鞭をうとうというのか?というのがよろしくないことの四つ目。

おさめたとはいえ、人民はまだまだ、素直で穏やかにはなっておりませんよというのがよろしくないことの五つ目です!

とたたみかけるのです。

さらに、お金もこんなにかかります!とロジカルにダメ出し。

太宗さん的に煬帝(贅沢の限りを尽くした悪い皇帝とされていて、隋の最後の皇帝)と比べられたとあってはちょっとムッとしてるわけです。

そこで、煬帝のようだというのはわかったけれども桀紂(こちらも暴君)と比べたらいくらかマシじゃない?と聞くのですが、その最後のとりでもあっさりと張玄素に崩され、『同じです』と言われてしまいます。


ここまで言われて太宗はため息を尽きながら、まだ洛陽を修復する時期ではないと納得して、作業をやめさせます。

さらにここまでいった部下に対して、太宗にも当然あるであろう逆鱗を避けることなくレポートを提出するとはあっぱれだ!として、部下を褒めた。
という話。


実に太宗という人は大器です。


ここまでけちょんけちょんにやられても、自分の過ちを認め部下を褒める。

大した人物ですよ。

この辺りのくだりも、過去にあったことを皆が知識として共有しているという前提で話をしています。

古典のエピソードは一つ一つどれも歴史の共有できていないといろいろな話は理解ができないです。そして太宗にも部下にもその能力があるからこそ、貞観政要が輝きを増すのです。


エピソードの一つ一つをその背景、歴史まで含めて丁寧に参考書で調べ読むことによって、古典はますます私たちの力になってくれるということなのです。


とりあえず今回の精読の会はここまで(^ ^)

また次回!!


皆様の理解の一助になればと願ってやみません。


さて、次回までに私は教えていただいた参考書を読まなくてはですね。









author:ぷぅコッコ, category:セミナー・勉強会, 19:45
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