RSS | ATOM | SEARCH
【勉強会】第二期 出口治明氏と古典を精読する会 の2回目 その1
【勉強会】第二期 出口治明氏と古典を精読する会 の2回目 その1

さて、2回目です!
今回は中野!
また終業後向かいましたらギリギリでした。
まっ、仕方ない。


さて、貞観政要を読みこなすのには中国の歴史を知ることが先決ということで、出口さんから参考書を教えていただきました!

まずは講談社 中国の歴史 全12巻
中国の歴史 全12巻セット (全集 中国の歴史)

唐の時代まではだいたい12巻の半分くらいまで読むとよくわかるとのことです。

早速、私、一冊目だけ発注してみました。


もうひとつは塚本青史さんの
煬帝 (上) (日経文芸文庫)
煬帝 (下) (日経文芸文庫)

李世民(上)玄武篇
李世民(下)貞観篇

煬帝と李世民は物語になっているそうです。こちらも気になりますが、小説仕立てはちょっと読める自信がないなぁ〜。


そんなわけではじまった今回の会も
濃かったです。

そして今回は懇親会にも参加させていただいたんですけれどそれも濃くって。。。楽しすぎました。

私は出口さんのお話を聴きたいって一心で参加申し込みをしたんですけれども、その他にも素晴らしきお仲間にもお会いできてすごく良かった。



さて、今日もまとめ書きます。
今回は前回に比べてもさらに濃いのでロングランになりますよ。多分ね。

p.149より
古人云う、危うくして持せず、顚して扶けずんば、則ち將た焉んぞ彼の相を用ひん、と。

古人が言いました、『〔盲人が〕つまづきそうなときに手を取ってやらず、転んだときに助け起こしてやらないくらいなら付き添いなどいらないではないか』と。

付き添いとは困ったときに助けるためにいるでしょ?

だから何もしないなら何でいるの?

と部下に例えを用いて言っているのです。


その後の節で
朕が悪を匡救すべし。終に直言して意に忤うを以て、すなはち相責怒せざらん、と。 p.149


我の悪いところを正し救うべきである。どこまでも、直言して我が意に逆らったからといって、たやすく怒って責めとがめるというようなことはないであろうぞよ」と。 p.150


リーダーは万能ではないのだから、とにかくきちんとだめなものはダメといってよ。(だけど言いづらいだろうから)何を言っても、たとえ逆らったとしても怒らないって言っておくよ!

これは口に出して何度も言うことが非常に大切だということを太宗自身がよくわかっているということのあらわれに他なりません。




ここで、とはいえ、部下に言われっぱなしに全てを聞くなんて。。。『上司だぞ!おれって思うと、プライドだったり、偉いのに。。。』って思ったりしてしまいがちだけれども、そもそも上司だ部下だといってもそれは機能の一部であると考えれば上下の関係ではなく完全にフラットな関係として捉えることが出来ます。


例えば、人間で言うと頭があって手足があってとなるわけですが、必ずしも頭が偉いと言うわけではなく、それぞれ頭には頭の手足には手足の役割がある。

それと同じと考えるわけです。


ただ難しいのは例えばプロジェクトリーダーであればうまくいかなかったら腹を切る!という機能を有しているわけでそんでもって好き勝手言われるのもなんかちょっと損してる気はする。


なかなかこのような機能であるということを認識しにくい背景には日本の年功序列も大いに関係しているようです。


偉いと勘違いさせてしまう土壌があるということですね。


端的にいってしまえばプレイヤーとして優秀な人が必ずしもマネージャーとして優秀なわけではないのです。このように万能がない以上、一つ一つの機能が発揮されることと偉いえらくないとはなんら関係がないってことになるようです。







このような考え方が昔の人にできるのはなぜか?


人間は1万3000年前から何も変わっていないからに他ならないのです。


進んだのは技術だけで人間の本質は変わっていないということで、それがゆえにこの貞観政要が今でも生き生きとその姿と存在感を私たちに示していると言えそうです。


これはストラディバリウス(バイオリンの名器ですね)を思うとわかりやすいです。300年がたった今でもストラディバリウスを超えるバイオリンは生み出されないとのことですが、それは人間の能力に大きな違いがないすれば300年前にたまたま天才が産まれたという話なだけ。


その意味では太宗も現代に生きる人も足元におよばない大器であったことは疑いようのない事実と言えるのかもしれません。





さて、次節で部下に対しても自分のようにたとえ、(下のものに)諌められたとしてもよくよく聞き入れなさいと言っているのです。


とはいってもまだこの時期はきちんとした省庁が存在するというところまではいかず、その後、宋の時代あたりで
美しく整備されるという感じだったようですのでイメージ的には元老会議みたいな感じ!

実は私、これはあんまりピンとこなかったんですけど(歴史知らずなもので)ようは唐の創成期ですからスタートアップの主要人物の会議みたいな感じだったのかなぁ〜って思ってます。




この節に
極諫せんことを欲す。 p.151

遠慮なく徹底的に我を諫めてくれることを希望している。 p.152

極諫 ということば漢字がいかにそのことば自身を表現できるかというのを表している事例と言えるかもしれません。




ここで森 有礼という明治政府の初代文部大臣のエピソードの話がありました。
森 有礼 wikipediaリンク

かれは義務教育を英語で行おうと言い出すのですが、それはその当時例えばrepublicといった言葉の概念が日本には無いからそのまま教えた方が良いだろうという考え方からだったのです。


しかしながらこれはことバンク 共和
『〈共〉国の伯爵の〈和〉という人物が,諸侯たちの奉戴を受け天子のつとめを代行したのだという。』このことを表しているということだからじゃあ共和と訳せばいいじゃないか。と次々に漢字によって造語が作られるわけです。



この造語能力の高さこそ漢字の持つそこしれない力なんですね。


それを味わい尽くせる古典、面白いですよ。

さて、全く進んでないけど、これ以上長いのは無理なので今日はここまで。

今回もロングランで行きます!
しばらくお付き合いください。






author:ぷぅコッコ, category:セミナー・勉強会, 18:00
comments(0), -, - -
Comment