割と善悪と良し悪しで生きてるなぁと思ってたぷぅコッコです。
とあるプロジェクトに関わってまして、終わりではなく中間のレビューにおいて、にっちもさっちも行かなくなり、今期は未達と相成りました。
ちょっと引き継がれたのは退職者に伴う変更だったためわずか1ヶ月前。引き継ぎ状況は最悪、これをどうやって1ヶ月でおさめるんだよと、断りたいレベルでボロボロ。
まぁ、いろいろあって遅れ甚だしい中での引き継ぎで、参加してる全員が無理だと思っていたのでしょう。
まぁ、そんな事情だから、言い訳はたつ(退職者が出たから、引き継いだ人(つまりは私です)が不慣れだったから)。引き継いで人間が、『まぁ、仕方がなかった』と全てを被れば丸く収まったんでしょう。
分かりますよ。
私が別の立場ならね。
でも引き受けたからには、どうであれ一定の水準まで持っていきたいと思ってました。
結果として、ギリギリまで身を削って攻め続けましたが、最後の最後に、お願いをしていたコードはうまく動作していないことがわかりました。
改善するために浮き彫りにされた課題に対して、少なくとも関係者に啓蒙することができました。
その間、私はと言えば、寝る前に本を読もうとして、気を失ったかのように本を顔の上に置いて寝たり(文字通り顔の上)毎日のように寝言で仕事のことを話していたそうです。
なかなかに魂を削った結果が、今回は成果に繋がらなかったというのは非常に残念です。
1ヶ月前に引き継いだ時、ここまで酷い結果と、全ての膿出しができる、いや、なされると思っていませんでした。
それでも、成果が出る、成果と認識されるということと、成果が出ない、成果が認識されないということは、どうしてもすっきりしない良し悪しがあるんじゃないかと思ってしまうのです。
でも、それはそれ。
私は一介の兵隊で私が責任を取るわけじゃないんだ。
その仕事に責任はあるんだけど、それができなかったことで、誰の目にも明らかに『担当者が変わったから』という理由を、それが嘘でもほんとでも与えてしまう。
いいんだ。
立場が違えば私でもその手を使ったよ。
それは、理解できるよ。
だけど、
悔しいんだ
そんな理由の上に一人売られた感じが。(そんなつもりはないんだろうけどなっ。)
良し悪しではない道は次のチャンスがあることを良しとして、誰でも、誰の目にも、誰がみても、作り上げることができるシステムを残された時間で組み上げること意外にないだろう。
それはいいことでも、悪いことでもなくて、私じゃなくて、私から担当者が誰に変わったとしても同じ時期に成果が出るようにすること。
ルールを作る。
そういうこと。
ルールを組み上げるにはあまりにも短い時間であったということ。
いつでも、そのルール作りと戦ってて、また新しい戦いの第二幕だということ。
装置の神様は私にそれを課しているんだろうと、思っている。