会いたい人にはあっておけというのをご本に書かれていたのは、林文子さんだったなぁというのをおぼろげながら思い出したぷぅコッコです。
昨日なんですけど、一日お休みをいただき、ソウルメイトとも言うべき友人に会いに行きました。
彼女の言葉で
「私たちがであったのは平成元年でしょ!」
「あれ、そうだっけ?」
え、高校の時に平成になったんじゃなかったっけ?
「いやいや、平成元年入学ってのを覚えてるもん」
と、友達。
そう、自分経歴すら改ざんしちゃうレベルのはるか昔、30年前に私たちは出会ったのでした。
そして、平成最後の4月、会いに行きました。
ずっと会いたいと思っていて、それでも「台湾に住んでるから」
「お互いに時間が取れないから」
自分に言い訳してました。
たしかに彼女は4人のお子ちゃまのお母さんで、一番下の子は3歳です。
文字通り私の短い帰国に合わせるには厳しかったかもしれない。
と、おもいかえしてみる。
台湾に住んでるから〜
みたいのはあったけど、いろいろあって私は日本に戻ってきたんですね。
今、ここ、会うべきだよね。
まぁ、ちょっと帰ってきてしばらくは忙しすぎて、なかなかに難しかったんですけどね。時間取るのが。
しかもなかなかに遠征しないと行けないと言うね。
それでも、会いたい人には会いに行こうよ。
だって、人生はいつ終わりになるかわからないから。
わからないことだらけだから、、、
だからこそ、今、その時間を作る。
まぁ、それで会いに行ったんですね。
高校生の頃からですけど、彼女はとてもキュートな人で、それが1mmもブレてなかった。
あの日、あの時、私たちは、まだまだうら若き乙女で、
高校生の頃はそんなこと思わなかったけど、高校生なんて実はみんなそうだと言うことに、気がつくのに30年とかかかるわけ。
それでも私がソウルメイトだ称する彼女は、あの頃と変わらず、キュートなままだった。
4人のお母さんで、大変じゃないわけないのに、私の話を、孫の話でも聴くかのような熱心に聞いてくれて、高校生の頃のように私のくだらない話に笑ってくれた。
昔に戻ったように、全然会っていなかったとは思えないと言うようなことは、話には聴くけれど、あるんだろうかと思っていた。
(いやいや、あるんだけどさ。他のところで体験したこともあるわけで、こわなドラマチックな表現にする必要もないんだけど。)
まぁ、ちょっと不思議な体験なのよ。
出会って話すことというと、高校生の時に戻って思い出話ししたわけでもない。そもそも、先生たちの名前も一部を除いてわすれちゃってるくらいだから。
(ちなみに共にお世話になった先生以外で彼女が覚えている先生は、私が頻繁にネタとしてモノマネしていた先生たちで、おそらくそれは先生ではなく、私のモノマネを覚えてくれているんじゃないかと言うレベル。
ネタとしてやってること高校時代も、今もあまり変わらない自分!グッジョブ!と思った瞬間である。)
昨日も話したんじゃない?
ってなくらい、緊張するでもなく、気負うでもなく。
そんなことあるだろうか。
そんなことが起こるって、高校生の頃に想像できただろうかと思う。
それで、彼女とは確かに知り合って30年なわけだけど、芯に流れているものが変わらないからこそ、そう言う素晴らしいことが起こるのかもしれないなぁと思う。
それは、高校の時の友達ならみんなそうなるってことではなく、彼女だからそうなるだろうなと。
高校の時も、大学の時も、大学院の時も、その後の社会人になっても、どこかで出会って「また会いたい人」というのは現れる。
そして、それは、もっと早く会っていたら、もっと濃密になるとかではないし、会えなかった時間があるからと言って変わるものでもなく、同じ年代である必要もなく、必要な時に必要なところで出会っているんだと思う。
全ては偶然であるわけだけれど、「私はあなたに会いたいです」というのを表現して、会いに行くってのを引き寄せないと出会えないんだよね。
今、出会う人も、もしかしたら30年後、こんな体験をする候補かもしれないわけだから。
そうやって知り合って、会いたかった人と、会ってすごす時間はものすごく短く感じられて、時間が足りないよっていつも思う。
笑わせるだけでもなく、全然違ったところで起こっていることに共感したり、人それぞれ起こってることは違うから想像力も必要なんだけど、そんなの感じさせないくらいに。たまには、刺さること言われて心で泣いたり。
(ちなみにそういう時は、帰りの電車やら、数日後の電車やらで泣いたりするので、だいぶ恥ずかしい思いしたりしてます。)
彼女にだけ教えてもらったわけじゃないけど、やっぱり、会いたい人には会いに行かなきゃね!