今年、息子2号が小学校を卒業しまして、小学生ママを卒業したぷぅコッコです。
自分の息子2号が卒業したこともありますが、卒業、卒園などが気になる季節です。
それぞれに子どもたちは頑張った。
そして、『おめでとう』
そう、どうであれ、めでたいのだ。
どんなことがあっても、なくても、本人にとってはあんまり良くない時間だったとしても、素晴らしい時間だったとしても、いずれにしても何かを『卒業』するというのはすごいことなんだと思う。
まぁ、そういうことは、大人になってしかわからないことで、子どもたちは無事に『卒業』『卒園』を迎えて、多くの方に『おめでとう』と言われて、それで良いのだと思う。
そこで、まぁ、子どもはそうなんだけど、ここに至るママさんやパパさんも実は『卒業』だし、『卒園』なのだ。
日本はいろいろある、いろいろあるから、実は一筋縄でいかなかったことは、子どもたちだけではなく、親にもあったはず。
それは自分の子どものことだけではなく、そこに属することで、友人になった人がいたり、それとは別に対立したり、勝手のわからない組織に翻弄されたり、素晴らしい先生方との出会いがあったかと思ったら、「そりゃないよ」って先生にもであったかもしれない。
それも、これも、実は子どもがどこかに入学、入園して、経験して、積んできたことだと思う。
子どもが卒業する、卒園するだけの時間、そこに至るまで、同じだけの時間を、費やしてきたんだと思う。
仕事をしてたり、仕事をしてるわけじゃなかったり、そんなに子どもに対しても学校に対しても何をしたわけでもない。
そんなことを思ったりするかも知れない。
それに、子どもが卒業したからって、ママやパパを「頑張った」って言ってくれる人はいないと思う。
自分で考えたら、
『こうもできたかもしれない』
『こうしたほうが良かったかもしれない』
『あの時、こうしておけばよかったのかもしれない』
のオンパレードか、それを超えた上での、『ほっ』とした感なのかもしれない。
でも、それについて、『頑張ったね』
って言ってくれる人はいない。
いいじゃないか!
言われても。
『頑張ったね』って。
何に使うともわからない資料に、子どもの名前を書きまくって
それなのに、持っていかない子どものランドセルにそれらを突っ込んだり
「明日、習字で新聞紙いるんだよね」
ってめっちゃ夜中に言われて、コンビニまで新聞紙買いに行ったことも
子どものことで、自分よりも明らかに一回りは下ではないかと思われる先生に怒られたり
書き始めたらきりがない。
そんな伝説が終わって『ほっ』とするだけではなくて、それだけ、頑張ったんだと思う。
形はみんな違うかもしれない。
男の子なのか女の子なのかでも悩みは違ったかもしれない。
自分が思ってるほど、子どもに手をかけられなかったということもあるかも知れない。
いっぱいの思いがあるけど
褒められることなんて一つもないのかもしれないけど、
『頑張ったん』 だよ。
だから、一日くらいは
子どものためだけでなく
ママやパパ自身のために
『卒業おめでとう』
『卒園おめでとう』
『とっても、とっても頑張ったね』
って言おうよ。
ということで、頑張ったママさん、パパさん!
『卒業おめでとう!頑張ったね』
まー、そうなんだけど、終わりじゃないんだよね。
少なくともうちの子どもはまた入学するんだわ。
さて、また、何に使うかわからん書類に名前書きからはじめなきゃ(笑)