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【徒然】見えないもの
アレルギーって目に見えないんだぜ!って思ってるぷぅコッコです。


いやいや、思ってるっていうか見えないから(笑)


最近は花粉症に悩まれてる方もいらっしゃると思うんですけど、まぁ、花粉も目に見えない(見えるほどのこともあるけど、そりゃそれでエライコッチャ)もので、でも花粉症になったことない人にとってはなんで常にマスクしてるのかなんてわからないくらい感じないこと。


私には食品にアレルギーがあって、食べたから死ぬわけではない(アナフィラキシーショックなどで速攻倒れたり、いきなり気道が腫れまくって息ができなくなったりはしない)とは言え、遅延型のアレルギー検査で反応のあった食品をたべると、ものすごく具合が悪くなる。


次の日に一日中寝込まないとダメなレベルと思ってもらうと、だいたいそんな感じ。


この遅延型のアレルギーで出た物質が全部食べられないわけではないし、反応のないものもある。


それで具合が悪くなるとか不調が出るのかどうかは、私が、私自身の身体をはって実験しなくてはいけない。


実験は簡単!
該当食品を2週間口にせず、その後、また食べてみるというのをやって、不調になるかどうかを確かめる。


概ね結論は出ていて、遅延型のアレルギー検査でかなり危険(たまには振り切ってるやつもある(笑))な物資を食べなくなって、しばらくして、「もしかしたら大丈夫かも」と、思って口にして、ことごとくひどい不調に襲われることになった。


慢性的に食べていた時は、慢性的に不調だった。
いつも眠かったし、いつも頭がぼーっとしてた。


そういうものが晴れてくるのを感じた。
アレルギーのある食品を取らなくなって。


そのかわり、口にすると一回一回の不調はとんでもなくひどいことになった。


でもそれは、私が知ってるだけで、表には見えない。



食べられないものがある。
それでも食べられるものもある。
ほんの少しだけなら、自分に不調が感じられないレベルで抑えられるものもある。


でも、それを知っているのは私だけで。
それは私のことだから当たり前だけど、他の人には当てはまらない。


どんなに聞き知った症状が同じだとしても、他人がアレルギーだ言ったら、「ここまでは大丈夫だ」なんて言えない。


その「ココ」は、私の、検体一人の結果。
それでも、その結果は、唯一私にとっては、絶対的な結果なのだ。



なんで、こんなことに!!っていつも思う。


「食べられなくて大変だね〜」
なんだけど、「食べられなくて大変」は食べなければいいので、別にいいんだけど、出されたものが食べられるものなのかどうか見極められない時の方が困ったことになる。



さて、あら、ぷぅコッコさんアレルギーで大変なのね〜
ってことを訴えたくて書いたわけじゃないんだな。


ご存知の方もいるので、「あー、ぷぅコッコさん、この食品食べられないよね」って、読みながら思ってくれた方もいるかもしれない。


でも、気がついたかも知れないけど、私は何が食べられないのかこのブログで書いていない。


実はアレルギーの話をしたいわけじゃないんだ。
そこを詳しく書きたいなら、検査の内容やら、なんやらかんやらを書き込むところだけど、それはしてない。


遅延型アレルギーってのがあるから気になる人はやってみてねって話でもない。(そういうブログ書いてもいいんだけど、そういうのはまた今度ってこと。)


ここで書きたいことは、「どんな人にも見えないことがある」ということ。


そして、その見えないことは、私の、そして、あなたの想像をはるかに超えているかも知れないということ。


自分の経験、ちょっと読んだネットの記事、そういうものでわかった気分になってはいけない。


そんなこと言われなくてもわかってる?


でも自分が経験したことは、経験として話しくなったり、経験として、人に教えたくなったり、ともすると決めつけてしまったりしてない?


同じ病気だったとしても、人はいろいろで、感じてることや、考えてること、辛さみたいなものは「見えないもの」なんだよ。


そういう「見えないもの」をすべての人がもっていて、その見えないものを抱えたまま世の中を生きている。



ちょっと嫌だなぁ
と思った時、決めつけてないだろうか
ちょっと面倒だなぁ
と思った時、本当にみんな見えているだろうか?


そんな見えないものに溢れていると、ほんのちょっとみんなが考えたら、ほんの少しだけ世の中は良くなるんじゃないだろうか。


仮にそんな世の中になったって、私のアレルギーは治らないけど、例えば友人が、私の「見えない」アレルギーのことを気にかけてくれて、いろいろ考えてくれていることを知っている。


見えないけれど、気にかけてくれようとしている。
それがとてもよく伝わる。
とてもありがたい。


それとは別に、たまには、そういう「見えないこと」が「理解できない人」いることもわかってる。


そういう時、憤るのではなく、それは悲しいことだと捉えて、それでも必要なことは伝える。


そして、今言った「見えないことが理解できない人」であると自分から見たら見える人にも、私の「見えないこと」がいっぱいあると、想像してみたらいいのかも知れない。


今日はきっとそんなことを考える日なんだなぁ、うむ。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 18:28
comments(1), -, - -
Comment
本当にそうだね。人は見えない、わからないことの方が多い。元気そうに見えて、重い病だったり、幸せそうに見えても自宅では波乱だったり。。

私も、死んでしまいたいくらい辛い事はたくさんあったし、泣いた事も星の数ほどあったよなー、、と、思い出す。

でも、テレビやら人の話やらで、他の人ももっと
苦しい事乗り越えているからがんばろ、と、励みになったり、
でも、私は私で、これって、大変だよなー、と、落ち込んだりも。
だから、人のことを、表面だけで、判断したり羨んだりしてはダメで、じぶんの家族も、住む所あって、生きて、ご飯食べられて、健康で、の、当たり前がまず、幸せに思わないとなんだよね、、、
そう、思える日と、ダメな日、落ち込む日、自己嫌悪な日、いろいろあるよー
あい, 2019/04/06 11:03 PM