わからないことが多いぷぅコッコです。
月曜日の朝一、ニュースで最初に見たものは、「人身事故で(自分が乗るべき)電車が運転見合わせ中」だというお知らせでした。
自宅勤務に切り替えようかと、会社に連絡のメールを出した。
終日自宅勤務にとも思ったけど、やっぱり今日の会議はFto Fでやりたいから「午前中だけ自宅勤務にして、午後から行きます。」
そうこうしているうちに、運転見合わせ区間が変わり、少し遅れるか?くらいで行けそうだとわかった。
またメールを出して、「見合わせ区間が変わったから、やっぱり行きます」とメールを書いた。
一連の流れのように会社に向かってるのが今。
月曜日、朝一の人身事故。
事故かもしれないけど、月曜日、会社に行きたくなくて、自分で選んじゃったのかな?
実際のところはわからない。
でも、自分にできることは会社に向かうかどうかみたいなことで、それ以上に思いが至らないんだよなぁって。
ファクトフルネスという本を読んだ時、思っているより、世界は良い方向に向かっているということに思いをはせることができた。
日本を含めたいわゆる先進国はファクトフルネスの世界ではレベル4と呼ばれる。
うろ覚えではあるけれど、全てをひっくるめて、一日、32ドルは使える人たち。
1ドル110円として、3520円、一ヶ月を30日とすると、105600円。。。
うーん、最高レベルだと言われてる。
(これ以上の生活をできているということで、ここから先は青天井なのです。)
けど、日本だったら、この値段で全て賄うのは結構厳しいよね。
でも、それは世界で言うところの貧困ではないから、相対貧困と言われるらしい。
いろんなことが発達して、便利になってるはずなのに、「生きづらい」のはなんでなんだろう。
先日読んだ記事、「なぜ弱者を助けなくてはいけないのか?」というヤフー知恵袋への質問だった。
ヤフー知恵袋の回答は見事で、
人類は成長戦略の一つとして、「繁栄する(子を産み育てる)」を選択していて、今後適者生存を考えた時、出来るだけ多くの種を残すというのが繁栄につながるということで、今は弱者に見える人でも多く残していくという戦略を社会としてとっているというわけ。
実際のリンクを貼った方が納得感が高かった気はするけど、すでにどこのリンクか、わからなくなっちゃって。
まぁ、要するに強者が生存するのではなく、適者が生存するというのは間違いないんだな。
いま、弱者に見える人が将来にわたってどういう風に適応していくかはわからないし、今、強者に見える人も、いつ、そうで無くなるかはわからないのね。
これはダーウィン先生も言ってくれておられます。
まさに適者生存!ですよ。
そこで、私は考えた。
弱者を生かすためとかそういうことでなくて、社会はより多くの人を残すということを行なっているんだなぁって。
そうか、それはわかったけど、じゃあ、「社会が良い方向に向かった」としても、「私が幸せ」とか「あなたが幸せ」には繋がらないんだなぁって。
すると、どんなにステキな社会だとしても、「私の幸せ」とは関係ない。
ほんとは関係あるんだけど、だって、少なくともレベル4の生活をしているわけだから、それが幸せというもんだろうと言えなくもない。
戦争もとりあえずは今のところないし、(これから先、ないかどうかはわからないけど。)
暖かい布団で眠れて、温かい食事がとれて、水を汲みに行く心配もない。
それで、満たされないのは、もはや「自分の心の問題」じゃない。
あるもので満足できなくて
なにかと比べて自分を卑下して
自分は無力だと嘆くのは
全部自分じゃないか。
今、感じるのは、いかに「自分を自分で傷つけている」のかってこと。
それは、誰に何を言われたとしても、誰に何をされたとしても、誰が何をしていなかったとしても。
「自分の中で、自分を傷つけてるんだなぁ。」
もう、そういうわからないことと戦うのはやめたらいいとすごく思った。
でも、どうやってやめたらいいのか、わたしにはまだわからないんだよね。