台湾とはいえ、外国におりますゆえ、いろいろと日本から送ってもらったりすることもあるんです。
その一つに、お友達からいただくハガキとか年賀状とかお手紙があるんですけど、これ、ものすごく嬉しいのね〜
海外に渡る時に「来年からは年賀状は出しません」と一部には宣言してきたんですけど、出すことにすればよかったわよねとか思う。
まっ、とはいえ、来年も出しませんけどね年賀状は。
それでね、お手紙に話を戻します。
現代はすごく便利なツールが多いのよ。
SNSだ、メッセンジャーだ、電話で話すよりも簡単だし、大抵の場合、相手とのやりとりが楽しめるわけ。
これってすごいことだよ。
今、今は、外国にいながらにしてIP電話とかでほぼタダで通話できたりもする。
この技術確信たるや、ものすごいんだよ。
だけどね、ここで、あえての手紙ですよ。
私は、日頃、自分にとっての外国語で仕事をしてるわけなのね。
それは英語だったり、中国語だったりなんでもいいけど、少なくとも日本語ではないわけ。
ありがたいことに、そういうことで、仕事はできてるんだよね。
それは、ある意味、相手と私が共通の場所に立って、奇跡のような確率で、行われているような気もする。
ものすごく少ない語彙で無理やり、やりとりしてるので、相手がわかってくれることがむしろありがたい。
その話はまた、別ですることにしますね。
そういうことで、仕事はできるけど、やっぱり母語で何かできる場所ってすごいんだよ。
SNSとかでやりとりするということなら、中国語とか英語でも出来るから、そこはもしかすると日本語にこだわらなくてもいいのかも知れない。
もちろん手紙だってそうなんだけど、なんというかな、相手を思って書く3枚は自分のもてる言葉のたけを全部使って表現するでしょ。それをそのままではないかも知らないけど、概ね受け取ることができる。
書いちゃうと普通だけど、やっぱり、ここにいると尊いんだよ。
意思疎通できたとしても、そこは簡単な表現での言い換えの嵐で、とてもとても自分の言いたいことをそのまま表現してるんじゃないんだよ。
最低限できるということと、豊かな表現で語れるということはほんと違うと思う。
そういうことって、多分日本にいたら感じないと思うけどね〜。
母国語というのはとても尊くて、自分が伝えたいと思ったことを伝えたいように言葉を選んで伝えられる。
大事なことなので二回言いました(笑)
それが必ずしも相手に伝わるかってのはまた別の話なんだけどね。
でも、自分の思う形でなかったとしても、それは伝わると思うし。
なかなか相手を思って三枚書くってのも楽ではないのよね。
だから、そういうお手紙をもらうとすごく嬉しいし、自分も相手を思って書きたくなるものなのよね。
それは手紙の形でなくて、たった一言だけのハガキだとしても、嬉しいし、それはやっぱりメッセンジャーとかにはカワラナイナというか、カワラレナイなって思う。
こんな時代だからこそ、相手を思ったお手紙!書いてみませんか?