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【徒然】プロじゃなきゃダメなこと
傾聴という言葉がある。


カウンセリングなんかでよく使われるのかな?
よくわかんないけど、「人の話を心して聴く」ということです。


人の話ぐらい聞けるんだからね!
って声が聞こえてきそうだけど、いろんなモノの本を読んだり、いろんな人の話を聞くと、見えてくるものがある。


傾聴というのは、難しいし、技術が必要なんだということ。


最近読んだ本
敏感すぎて困っている自分の対処法
のなかで、人生で私が辛く感じていたことは、実は私の気質が引き起こしていることで、病気だとか何かをすれば「治る」という類のものでは「ない」ということを知ったのね。


こういう特質というのは、人を癒す仕事に向いてはいるようだけど、その実、人が悩んでいること、辛いことにシンクロしすぎて、自分自身に支障をきたす可能性が高いとも言えるらしいね。


人の話を聴く
という意味においては、それらは潜在的に得意であろうと思っていたんだよね。

実際、そうなんだと思うし、誰の話も聞いてあげて共感してあげて、「大変だったね。」って、伝えたりすることはできるし、それで相手が少しでも楽になるのなら、それでもいいと思ってたんだけど、それは時として私の心の奥にまで入り込みすぎるんだな。


そうすると、今度は自分がおかしくなってきちゃう。


そこで必要になってくるのは、自分がその人から話を聞いて、自分自身がその人やその話から影響されておかしくならないか、ということを適切に判断し、時には、話を聴くのをやめて、適切な別のカウンセラーなり医師なりを紹介するということをできるようになっていないといけないっていうわけ。


先日、お昼をご一緒してくれた友人が言ってくれました。
「ぷぅコッコさんは、人を癒すという類の仕事には向かないかもしれないね。(ぷぅコッコさんの)愛が大きすぎてさ、相手はそこまで望んでいないというか、びっくりしちゃうこともあるというか、アンバランスな感じになっちゃってうまくいかないじゃないかなぁ?」

そうなのよ。
この聴くってやつもさ、こちら側の愛情というか、与えたいみたいな感情が大きすぎてもダメなんだよ。


まー、相手は相手で溺れてはくれるだろうけどね。
それこそ、聴いてるんじゃなくて、共依存というか共倒れにしかならないってことだ。



だからこそ、カウンセラーでない私は、ある程度、話を聞いたとしても、適切に専門家につないであげる、ということができないといけないんだよなぁ。。。とかね。


聴いてあげたら楽になるんじゃないかと思うことは多い。
実際、そうだって人もいっぱいいると思うんだよね。
だから、自分として「聴くこと」を止めるつもりはないけど、実はいろんな課題があるなぁと、思ってる今日この頃です。


うまくまとまらないなぁ〜
いいところまで来てると思うんだけどね〜。
考え続けるべき課題だわ。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:31
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