感情を揺さぶられることはいいことなんだろうな。
ほんとに感情的になる時、
それは、どんなことかはわからないけど、「大切なもの」を守るためなのか、壊されないようにするためか、そういうことはわからないけど、多分自分の琴線に触れることで。
もしかしたら、自分の感情や思いに蓋をしてきた事象なのかも知れないね。
先日読んだご本「
「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法」の中にいろいろあったけど、脳内ネットワークに話している人の感情が入り込むって話。
自分に対する否定的な意見は全て外からのネットワークによって伝わる。
という話を読んだんですね。
実際には、脳内ネットワークが自分だけじゃなくて、他人にも影響する。
その他人からの影響度が高い人と、低い人がいるということなんだけど、なかなかに納得できる内容だったです。
自己肯定感を高めましょうという話はよく聞かれると思うけれども、この自己肯定感というやつはなぜ高い人とものすごい低い人がいるのか?不思議じゃない?
でもこれって、まぁ、いわゆる昔のトラウマに起因するモノでもあるみたい。
とはいえ、私はアドラー心理学の立場を尊重してもいるので、トラウマを完全に否定するアドラー心理学の考えと完全に一致するとは言わないけど、トラウマのせいでずっと不幸とは思わないんだよね。未来の時点で、もしかしたら、大いなる苦しみを伴うとしても、変えられないことはないと思っているんですね。
その1つの方法として、自分を他の人の負の感情から守る壁を作る暗示
とか
「他人は他人、私は私なんだ」
と言い聞かせることにより、自己肯定感を高めることは本にある通り、可能だと思う。
感情が揺さぶられる事象に会うと
ついつい感傷的になってしまったり、感傷的に言い合ってしまったりする。
感情的な部分をとられて「キツイ言い方」とか言われることもあるわけ。
それは1つの何かを守ろうとしているのかもしれないし、溜めて溜めて語り出したことによる弊害かも知れない。
それで、感情的に話してしまった後は、また、「なんでこうなってしまったんだろう」ってすごく思うんだけど、なったものはなったものでしょうがない。
どんなことだったとしても、その事実と客観的に向き合うことは重要なんじゃないかと思う。
どんなに手を尽くしたつもりでも、相手がいて、相手が何を考えているかわからない状態では、自分ではどうにもできない。わかってほしい。みたいなことがあるわけだけど、それもうまくいかないこともいっぱいあるんだな。
それはそれとして、自己を責めるのではなく、つぎはどうするか考えたらいいのか?そんな問いが続くのかも。。。
うまくいかないことなんていくらでもあるけど、仕方がないよね。