少し前から思っていたことですが、私にはわからないことがいっぱいあります。
人の気持ちを察することが得意だと思ってました。
彼が、彼女が、考えることを考えて、先取りして動くことが「得意だ」と思ってました。
こうした方が喜ぶだろうと思うことをやってきました。
そんなの嘘だ!
と、最近のぷぅねーさんのブログから思う方もいるかもしれない。
もしかしたら、実際の知り合いの方でも、「そーなの?そんなことないじゃん、私はそんな風にされてない!」って人もいるかも。
変わったんだと思うし、変わってる途中なのよ。
得意だと思ってる、「察すること」をするうちに、ちょっとイヤなことがある。
でも、我慢する。
相手はこう思ってる「はずだから」、私はそういう察することが「得意だから」きっと、喜ぶことを続けていたら。。。
相手に伝わって、きっとハッピーになる。
そんなの嘘だ。幻想に過ぎない。
だから今度は自分の嫌だと思うことを伝えようとする。
感情的になっちゃう。
相手は私からそんなこと言われたことがないから、ビックリする。
怒り出す人もいる。
怒られると怖いから、また「察するのが得意な自分に戻って」いろんなことを押し殺したりする。
何かがおかしい
何かが狂ってる
そう思うけど、うまくいかない。
同様に人が考えてることを「ネガティヴ」に捉えていた。
「きっとあの人は私のことを好きじゃないだろう」
「こんなこと言う私を気に入らないだろう。」
「ほらっ、ムカついてる感じの顔してる。」
そのままだと嫌だから、精一杯の勇気を持って、また話しかけてみる。
意外と普通の顔してる。
「あれ?」
そっか思い過ごしだ。
そんなことを繰り返してきた。
中には、本当にムカついてて、話したらさらに怒られて近づけなくなったりする人もいる。
「やっぱりそうじゃん」
でも、確率的にはそんなに高くない。
私が他の人を「察するのが得意?」って、ほんとか?
思い過ごしな気すらしてくる。
実際、顔色を伺ったり、相手が喜びそうなことを言うのはきっと得意なんだと思う。
でもね、相手が考えていることは、最終的には「わからない」んだよ。
相手に接するとき、察しないと「嫌われる」と思って怖い。
でも、そんなこと実は「誰も」望んでない。
同様に、人が抱える問題は聞いてみると「なんでそんなことに悩んでるんだろう」と思うこともある。
きっと話しやすいからなのもあるだろうけど、「吐露」されることも少なくない。
でも、本当は私にはわからないんだ。
って思うことも、よくよくある。
それぞれの事情は異なるから、答えなんてすぐに見つからないし、相手は軽い気持ちで言ってることが、全く理解できないこともある。
それでも、それを喜ばせるような言葉を探す。
それもかなり一生懸命
大抵は、喜んでやってるけど、
どっかで苦しくなる。
苦しくなるところが来たら、やめればいいんだけど、
やめられないの。
「怖いから」「嫌われるかもしれないから」
そんな悪循環なのよね。
こう言う経験は、ある人と、ない人がいて、ない人にとっては、「そうなの?」程度の話で、逆に経験のある人にとっては「心がえぐられる」ような話だったりする。
同じ話を聞いても、「心に響く人」と「心に響かない」人がいる。
そして、それは「話し手にはわからない。」
自分が聞き手になったとき、「ものすごく共感できる話」と「え?そうなの?」って単純に思うような、でも相手は深刻そうだしって混乱する話もある。
一生懸命、答えを、相手が喜ぶ答えを、、、
って思うけど、そんなのわかんないんだよ。
だって、そもそも相手が言ってる「意味」が理解できないんだもん。
そう、「わからないこと」なんだよ。
私にはね。
どうしても理解できない物理の法則なんて実はいっぱいあるけど、そこに存在している。
それで、私は困ってないし、生活もちゃんと回る。
それと一緒。
言われたことがわからなくても、「相手にとってそれは非常に重要なこと」
だけど、私にはわからない。
だけれども、存在している。
ここに答えはない。
ただ、そう言うことがあると、認めるだけ。
こう言う事情で大変なんだよ。
って言ってくれた人の事情が「自分の中で全く意味がわからなくても」それは、そこに存在する。
私にはわからないから、精一杯察していこうと思うけど、「根本がわからない」から無理なんだよ。
それでもそれはそこに存在する。
それでいいのよ。
分かろうと努めることは悪いことじゃない。
でも、全てがそうできるなんて、全てを理解できるなんて、そんなの傲慢じゃない?
「そうなんだ」
と、認めるだけでいい。
そんなの当たり前じゃん?
そう、当たり前。
みんな、誰だって「わからないことがある」でも、それを「認めることはできる」
そう言うことなんだよ。
わからないけど「嬉しそうだね」
わからないけど「悲しそうだね」
わからないけど「悩んでるんだね」
わからないけど「あまりそう言う話は好きじゃないから、私は、話すのやめるね」
わからないけど「そうなんだね(そこに存在してるんだね)」
人間は自分のことが一番わからないと言われるけど、実はそうじゃないんだ。
心の中をのぞいてみたら、もっと深く対話して、わかる日がやってくるのは「自分自身のみ」
「人間は自分のことが一番わからない」と言われる意味は、「他人が受け取る自分のことは一番わからない」が正解。
そう、他人が考えてることはわからないから。
外に私がどう見えているかは私の内側からはわからないから。
そう言うこと。
それでもそれは、存在している。
まずは存在を認めるだけで、かなり一歩前進じゃない?って思う。
だから、わからないことはいっぱいあるけど、それを認めることで、いいかなって思ってます。
誰にとっても、ほんとは分かり切ってることかもしれないけど、多分、こうやって書くことで、頭が整理されることもいっぱいあるんだよ。
ってね〜。
長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。