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【徒然】笑顔の素敵


私は写真を撮られるのが苦手です。レンズと対峙する時、笑顔になれないからです。

レンズより奥を見る気持ちでいるといいとか、誰かに笑いかけるような気持ちでレンズに向かうといいとか。いろいろやってみるけど、思ったほどの効果はないような気がするんですよ。

そもそもの素質やら美人度と言った概念は無視できないですが、そこは重要課題としては取り上げない方向で話を進めましょう。たいした美人じゃなくても幸せな顔はできるはずですし、良い笑顔は存在します。


そんな私にもこの顔は良く撮れてるなぁ〜って写真もたまーにですが、なくはナイです。(まっ、ほとんどないってことさ。。はははっ)


いわゆる家族写真のようなものをみてそう思ったんですけど、写真館で撮ったりするとまぁそれなりに撮れるというのを差し引いても、わりといい顔ができる。

それってね、きっと『その人たちと一緒にいる幸せを感じてる時』なんだと思うんですよ。

顔のつくりがどうであれ、そこ瞬間、そこで幸せを感じてることが写真に写ってるってことだね。ある意味で、やっぱり写真は真実を写す鏡なのかもねって思ったりしたのです。


おそらく、一人で写る時は超緊張してるから、幸せな瞬間ではないんだろう。


テレビに出る人でもない限り、誰かと一緒にいて幸せそうにしている自分を自分では見ることができないわけだけど。あぁ、隠し撮りでもしたらできるな。でも私に撮っている事実がわかってる時点で自然な顔にならないんだろうなって思う。

なんでそんなことを思うのか?ってことだけど、それを私はライフログに感じたりするんですよね。

私はライフログを書いていて、私の気持ちは、主にノートが受け止めています。ライフログというのは自分がどう生きているかを記すためにあるんだけど、それだけでなくていわゆる人には話せない健全でないネガティブな話を書き記すことがあるんです。すくなくとも私はね。それは愚痴るって方法もとれるかもしれないけど、そもそも相手が必要だし、愚痴れることと愚痴れないことってあるし、愚痴にはけしてできない、してはいけないような人には聞かせられない、聞かせたくない負の想いもあるでしょう。

まあすくなくとも私にはある。

それをライフログに書いているんですよ。そのノート自体は盗まれでもしない限り読まれることはないわけで、名指しで罵詈雑言を書いたとしてもあまり大きな問題はないんです。それで自分としてはそれらを書いている瞬間は冷静さも欠き、酷いことも書いている『つもり』なんです。その時点ではね。でも、しばらくして読み返すとびっくりするほどオブラートに包んだような表現をしているんです。最悪は誰に抱いた感情なのか?どんな想いで書いたものかも分からないように『無意識』に感情に蓋をしているふしがあります。いずれ読み返されるであろうことを、その時に、この感情のままに思い出さないようにとでも配慮するかのように。

私はそこまでの素をライフログにすら晒したくないんだろうと理解しています。

だからといって、普段そんないろんなことを考えて顔を作っているわけではない。そんな難しい生き方は出来てないです。そうするとファインダー越しという、『何かとして残る』を知った時にとる行動はきっとライフログと同じで、そんな時ですら、『無意識』に作ってしまうんだろうな。だから私は写真が苦手なんだろうな。おそらく写真自体が私の素を晒したものでないと『無意識』に知ってるからなのかも。

だから幸せそうな顔が出来ている自分の写真をみるとほんの少し安心するんです。

そして、私は大切な人といる時、それは家族だったり、友達だったり、会社の大切な同僚たちであったりだけど、その人たちといるときその時の素直な幸せが顔に出ていればいいなぁ〜と。そんな自然な笑顔で、一緒にいることを楽しんでもらえる人でいられたらいいなぁ〜って。その幸せそうな顔は私の心の無意識なフィルターのせいで、私自身は知ることが出来ないのかもしれないけど、せめて一緒にいる人には幸せそうに見えればいいなと、その幸せな時間の幸せな感覚を顔を通して、大切な人たちに伝わるようにとおもてならないのでした。

私はちゃんと皆さんの前で素敵な笑顔が出来ていますか?

皆さんは大切な人の前でちゃんといい笑顔ができていますか?
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 07:10
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