お節介なおばちゃん
は世の中に存在する。
何を隠そう、私のことだ。
このお節介というヤツ。
あまりいい意味で使われることは無いように思う。
こちらもそんな意識で使ってる気がするので、対して気にもしていない。
どういうわけなのかわからないけど、なんだか「ツラそう」にしている人を放っておけないのね。
かといって、ボランティアに励んでるわけでもなく、博愛主義でも無い。
要は私の半径5mくらいに存在する人に幸せになってほしいと思ってるだけ。
だから、SNSなんかで交流する時も精一杯のコメントを!なんてことを思う。
こういうのが、マスコミさんのターゲットになるうざい大人に直結か?と思うけど、それらがうざいと思うなら、このお節介おばちゃんをお相手が避ければいいことであって、言われるほど気にしないのね〜〜。
その辺が、おばちゃんたる所以だ。
おばちゃんになるって、こういうことかも知れないと、ふと、思ったりする。
それはある時、話を聞く、ただひたすらに聞くだけかもしれないし、一緒に考えたりすることかもしれない。
考えるにあたっては、自身の経験だけでなく、これまで読み漁った膨大なビジネス書が役に立つ。
1000冊分の感想ブログには至っていないが、おおよそ500冊分くらいはあるかと思うブログか物語ってくれてる気が、ほんのちょっとだけする。
数を書くと、やや気持ち悪いが、そんな感じ。
人助けしたいとか、何かできるとか思ってるんじゃなくて、その日一日だけでも、「その人が幸せな気分で過ごせますように」と願ってるだけなんだな。
だから、お節介なおばちゃん。
今日もきっと、お節介なおばちゃんだと思う。