感じのいい人って憧れますよね。
それはそれは、素敵なことだ!
と、思って、「感じのいい人になろう」
と、そんなことに囚われてると、結構辛いよって話。
分かりきってるけど、意外と自分ではわからないことの一つに、「他の人からどう見えるかというのは、実は自分では決められない」というのがある。
そりゃー、感じいい人ってのはさ
なんとなくバンコク共通ぽいじゃないよ。
みんなに親切とか、いつもニコニコとかね。
その昔、そんなことにすんごい囚われて生きてたなぁ〜と、しみじみ思うのです。
あっ、今は囚われてないって話じゃないよ。これ。
いまもあるかもね。
それはそれとして、昔に比べると凄く楽になったんだな。
それは、世界の全員に対して「感じのいい人」でいることをやめたからかもね〜。
ある時、本を読んでいたらこんなことが書いてありました。
「全ての人に好かれたいというのは、大変結構なことではあるけれども、それは傲慢な考えではないか?」
というのよ。
え、そう?
誰にでもって、八方美人になりたいわけでは、、、
とか思うわけだけど、
冒頭書いた「バンコク共通でないかと思われる感じのいい人像」
これ、全然一緒じゃないからさっ(笑)
非常に残念なことだけど、
あなたの思ってる、実践してる「感じのいい人像」を「不快だ!」と思う人は、どんなに頑張っても、一定数存在するってこと。
マジかよ!
そう、マジなの!!
それに加えて、無理して「感じのいい人像」作ってるって人は、
それもいい感じに見抜かれちゃってる
というか見抜く人が一定数いるの。
凄く(自分にとって)良い人だったら、見抜いた時に、「無理しなくてないいよ」って声をかけてくれるかもしれない。
「えっ、いっ、感じのいい人でいるのに無理なんかしてないんだから」
と、反発してしまったりね。
あちゃー
これ以上に残念なのは
見抜く力を持ってる(自分にとって)悪い人
「あっ、この人、もしかして感じのいい人でいることに無理してるんだ。
へー、、、
でも感じのいい人でいたいのね?
ってことは多少の無理は"きく"ってことだ。ふーん。」
そんなこと思われてたりして。
どんどん利用されて
結果的に、苦しい立場に!
またまたぁ〜、そんな風になる?
なるんですよ。
だって、よほどの悪人でない限り、相手の方も気がつかずに"あなた"を追い込んでるんだから。
さらに中には、ぜーんぶ分かった上で、追い込む人もいると。
そんな悪い人が!?
そう、そんな悪い人が!?
世の中には一定数いるってこと。
これは、あなたや私が「いくら感じのいい人でいよう、素敵な人として世間に認識してもらおう」と努力しても、変わらないこと。
仕方がないことなんだね。
じゃー、感じのいい人をやめたらいいのかしら。。。
うーん、半分あってて、半分はちょっとまちがってるかな?
半導体を作るにあたって、、、
まー、半導体に限らないけど、、、
歩留まり
って言葉がある。
どんな製品でもそうだけど、
いろんな原因で、「ちゃんとした製品になりませんでした」という状況は存在する。
作り始めの製品なら、もしかしたら、デザインに問題があるのかもしれない
1000を超えるお作りする工程の中のいくつかに不具合があるのかもしれない。
それを突き詰めて、修整して、できるだけ多くの「きちんと使える製品を増やすこと」
を「歩留まりをあげる」
っていうんだけど
半導体ってのは、1000個できる材料から1000個できない産業で、最初は1000個の材料から、20個しか製品として売り出せないということもある。
その時歩留まりは2%ですわ。
これじゃー困るから、どんどん原因を突き止めて、1000個できる材料から980個作れるようにすると、歩留まりは98%
これね、高歩留まりよ!
それでも、そこまでやっても、20個は何らかの原因で動かないのよ。
これって、感じのいい人であることの認知度と似てると私は思ってる。
どんなに頑張っても1000人のうちに20人くらいは「あなたのことを生理的に受け付けない」という人が存在する。
どんなに頑張らなくて、人としてどうなの?と思う人でも、1000人のうち20人くらいは、その人のことを好きでたまらないというか、受け入れちゃうって人がいる。
んで、「感じのいい人でありたい」と、自分が思うことってのは、この歩留まりをあげる作業にちょっと似てるかなと思ってる。
感じのいい人を完全にやめるとかじゃなくて
程よい塩梅で、自分がいいなぁと思うことをするっていうのは、
1000人のうちに「自分をいいなぁ」と思ってくれてた人が200人だったのが、400人になり、600人になる。
そんな感覚かな?ってね。
人間社会はもっと複雑だわよって言われそうだけど、まーまーそんなことじゃないかなと思うのね。
だから、自分が「嫌だ」とか「苦しい」とかならないところまでは、自分の思う「感じのいい人」でいることや「いいこと」を人にしてあげるってんで全然いいし、それって、あなたのことを「感じいいなぁ」って思ってもらえる秘訣だと思うんだね。
で、どんどんやっていくと、「これ以上は無理」とか、「こんなことはしたくない」とか出てくる。
さっきの話しで、「あっ、こいつ言いなりになるわ」って見抜く人がいるって言ったけど、その人たちに気に入られないと何か問題あったのか?って考えてみると、実はそんなことないんだな。
その人達はどんなに頑張っても、あなたのことを好きにならない20人かも知れないよ。
もうさ、1000人いて600人くらいに感じのいい人じゃんって思われたらいいじゃん。
そんなもんだよ。
だーかーら、嫌なことはしない。
そんなこと我慢してまで、感じのいい人ってのやる必要ないんだよ。
「いい人やめちまえ!」
って言われるけど、そうじゃないっていうか、そんな極端じゃなくていいのよ。
感じいいままでいいじゃん!
だけど、「自分が嫌なことはしない」それを徹底するってことね。
大丈夫だよ。
誰に好かれなくても、その人はただの一人、1000人のうちの100人分とか担ってないの。
この人に好かれないとなんかだめな気ががする。。。
と思っても、その人自体はたった一人。
その人が影響力が強くて、まー20人くらいには影響でるかもね。
そうだとしても、たった20人。
大抵は、どんなに変な話を吹き込まれたとしても、それをちゃんと見抜く人もいるの。
一定数ね。
そういう人こそ、あなたの真の感じの良さをわかっている、素敵な友達かも知らない。
いろんなことを決断するのは難しいし、ましてや、「自分が我慢すれば!」って思っちゃうこともあるだろうと思う。
だけど、そーじゃないんだよ。
我慢は人のためにも自分のためにもならないの。
「感じのいい人のままで、嫌なことはやらない!」
そんな感じで生きてみると、すこーし楽になるかもしれないよ!
って話でした〜