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【徒然】話せるってことはいいことだよ。基本的にはね。
私はカウンセリング等をなりわいにしてる訳じゃないですけど、聴き役にまわることも少なくないです。

先日、友人が言っていました。
「ぷぅコッコさんは否定しないもんね。」
そこに、その友人は私の「優しさ」を感じてくれているんですって。


そうか、そこは「優しさ」なのか。。。
ふむっ。


一方で、こんな感じなんで、サイコパスとは言わないけど、平気で嘘をついたり、なんか、まぁ、悪意があるということを無意識に、もしくは意識的に、かつ巧妙に隠して近づいてくる人とかにも簡単に騙されちゃうというか、困らさせらてしまう。


これは一時期、私が悪いんだと思ってたんだな。


なんというか、手を尽くしすぎてしまうので、言葉は悪いけど「つけあがらせてしまう」という訳。


そういう自分じゃダメだよなぁ〜


とかそんなことを考えてたなぁ。


時は過ぎて、今の話。


そこからずっと考えてるけど、なんというか、私にできること、例えば「まずは頭から否定せずに話を聞くこと」これは、変わらないというか、変えちゃいけない、、、違うな、変われないんだね。


「人の話を聞くこと」
って単純に面白いでしょ?
だって、自分ではない人の考えだから、自分では思いつかない訳で。

そんな面白い機会を、へんに意識し過ぎて閉じちゃうのはもったいないじゃない。


でもね、これまでを考えると、平気で嘘をつく人に寄り添って話を聞いても、どこかで「なんか変じゃない?」って思ってるシーンがあるんだよ。


これまでは、その「変じゃない?」と感じる部分について、「相手はいい人で、変と考える自分がおかしい」と思って、半ば深みにはまってたんだけど、私は、人を警戒するんじゃなくて、その「なんか変じゃない」って感覚にもっともっと敏感に、そこを否定することなく、付き合う必要があるんだと、思ったんだよね。


その「変だなぁ」ってことって、実はSNSな時代には見えやすいんだよね。


何気ない投稿を読んだ時、「どうしてこの人はこういうことを話すのかな?」って違和感のある人がいるとするでしょ。


もちろん投稿についてはスルーし、過剰反応しないのは当たり前だとして、心地よくいられないなら、「距離とれ」ば、いいってことね。


それで、これは特に、SNSだと顕著ではあるんだけど、「自分を表現する」という名のもとに、対面で対峙するよりもより、いわゆる「地」がでるよね。


ということがわかってる人は、まずまず、そういうSNSの場面でも変なことはしないんだけど、それでも、「あれ?」って思うことがでてくる。


それは関係が密になるからで、その自分が「あれっ?」って思うことを無視しちゃいかんのね。


まさに、そこは人の話を聞いてる場合じゃなくて、自分自身の声を聞かないといけないんだな、と、気がつかさせられる。


そういう意味では、全て自分自身に責任があって、いわば、「知っていたのに悪に手を染める」ってのは自分の問題だけど、そんなことと一緒なんだな。


書いてみるとびっくりだけど、そういうこと。


いろいろありまして、一時期、人と知り合ったりするのが怖いなぁと思っていたこともあったのね。


だって、「私は悪人です」って顔に書いてある人はいないから。


そして、「心から悪人」も世の中にいるにはいるけど、大半の人は「悪人」だから何かやる訳じゃなくて、自分の「正義のもと」にいろいろやる訳だから。


それに対して、「常識的に間違ってる」とか「普通はしないはずだ」から、「何か私が悪いんだ」というのは、違うんだな。


そもそも「常識的」も「普通」も自分の中のものであって、他人には当てはまらないのね。


じゃーその時思った「常識的に、、、」ってヤツが、無視しちゃいかん違和感なのよね。


少なくとも、「私の常識と、相手の常識は相容れないものである」と自分がみとめて、自分がその人との関係をどうしたいのかを、自分に問うべきなんだな。


おっとっと、題名との乖離がすごいな。


えっと、話せるっていいことなんだよ。
それで、私にだけじゃなくて、人のことを悪く言ってくる人がいるんだけど、それはそれでいいんだ。


それが愛のあるイジリなのか
そもそもイジメのようなものなのか
それとも、勘違いなのか?


ゆっくり聞いて、意見を交わして、それでも「違和感」が抜けないなら、付き合うべきではないし、それでも付き合いたいならば「そういう言い方は良くないと思ってる」ということをはっきり伝えなくちゃね。


そういうことに、勇気を持たなきゃ。


いろんな言い方はあるんだと思うけど、「話をすること」
は、それ自体は、いいことなんだよ。


じゃあ、他人を不快にするようなことをいうのは良くないということがあったとして、言わないようにすればいい!
ってのは実は違うんだよ。


言ったっていいし、言われた時に、耐えたり、そう意味じゃなかったかもとか、自分で決めちゃダメなんだよ。


そこは、自分が、そういう話をする人と一緒にいることを良しとするのかどうかというだけかな。


ほんとに、嫌われる勇気じゃないけど、人生には、「勇気が必要」だねぇ〜。


誰かに決めてもらうんじゃなくて、
誰かが嫌だと言ってたからじゃなくて、全てはあくまでも、私と、お話をする相手とのことで、それ以外は「ない」。


そして、違和感を感じたことを世間の常識(と思ってること)に照らし合わせて他人に聞くのではなく、自分にたずねる。


自分はこの先どうしたいのかをね。


そんなことを今は考えてるかなぁ。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:46
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