- 【徒然】情報が溢れてる
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2020.01.08 Wednesday情報。。。という言葉の前にうなだれるぷぅコッコです。
なんか、情報多めでぐったりです。
みなければいいわけですが、なかなかそうもいかない。
もともと多動気味なのに、結構フラフラしてるよねーと思うわけ。
まぁ、それで、むかしなら、情報に触れない時間をー、、、なんていう「何何をしない時間」みたいのを考えよう!
と思ってたわけですけど、それがまた不毛。
しない時間を意識すると、しないことが気になっちゃって、だめじゃんみたいな。
なので、「何何を絶対やる時間」を増やすことにしました。
情報は溢れてるので、それを止めることはできません。
その中で、やりたいことを選び取る時間ってのを取ると、リッチな気分になります。
このリッチな時間。
例えば私なら、万年筆とそのインク合わせの時間みたいな感じ。
ほんと、時間取れないと思ってる時はできない感じですけど、まぁ、情報もやることも溢れてるなら、ちょっとぐらいやらなくても大丈夫だよ。
それより、私だけが楽しいと思うことやらないと。
そんな心持ちなのでした。
さて、明日の絶対やる時間は何に使おうかな?
- 【徒然】デトックス
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2019.12.01 Sundayデトックス、重要です。
ぷぅコッコです。
デトックスと言いますと、世の中に溢れてるもので、でも、なかなか一人だとうまくいかないなんてこともあります。
今日はクリスタルボールを聞きに行ってきました。
クリスタルボール。。。
水晶でできているそうで、その中の構成要素のケイ素が自分の身体を形作るケイ素と共鳴して、細胞の中にまで音が届くのだとか。
音が身体の芯に訴えかけるというのはなかなかできない体験だなぁと思うんですね。
和太鼓聞いて自然に涙が出ちゃうってなのもわたしの中では一緒なイメージ。
こればっかりは生で聞かないとなんともわからない不思議な感覚なんですね。
前回は初めてだったので、場に緊張してた割には途中寝たりして解放された感ありました。
よし、今回は寝るぞって思いながら参加したんですね。
これがね、ヨガのお休みのポーズ、シャバアーサナって知ってます?そういうのをイメージして「無」になろう!そして寝ようと思っていたのに、なかなかできなくて。。。身体を流れて、包み込む音を聞きながら、、、いや、聞くというより、その音が身体を通り抜けるのを感じながら、最近起こったことがぐるぐる駆け巡る感じだったんです。
「あー、またこんなこと考えてる」
という思いを抱きながら、微睡んでると、それらがお腹の方に落ちて行って、ある時、ふっと現実に引き戻されました。
あれ、演奏終わった?
と思ったら、そうでもなくて、あの微睡みを切るような覚醒はなんだったんだろう。
そしてまた、脳は別のお題目を与えてくる。
夢なのか?寝てるんかな?
そんな時間を過ごしたわけ。
なんかこう、デトックスと言いますと、ぐわっと深くまで入り込んで、がっつり寝て、起きたらスッキリみたいなのをイメージするんだけど、そうはならない。
でも、それはそれでいいかなぁー。
お腹に落ちていく感じとか、ぱちっと目がさめる感覚とか、自分の身体の声を聞いてるみたいだよね〜。
なんてね。
デトックスぅーっていうとすごく、なんか特別な感じを受けるんだけど、自分の身体とほんの一時間くらいだけど、それだけと一緒に過ごすってことが本当はデトックスの本質かもね〜なんて思ったのでした。
けして万能感はないけれど、ステキな時間でした。
クリスタルボールが始まる前に、演者の聡子さんが教えてくれました。
今日の演奏は「ありがとう」がテーマなんだって。
「ありがとう
お幸せに
愛しています」
を唱えるといいって、教えてくれました。
良い言葉で満たされるというのはステキなことよねってのを思うと同時に忘れちゃうから、書いときたくてね。
- 【徒然】MRIの造影剤というやつ
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2019.08.16 Fridayなんか立て続けに検査受けてます。ぷぅコッコです。
そうなんですよ、この間、人生初のMRIってのを受けたんですけど、さらに詳しい検査が必要ということになりまして、本日は造影剤を用いての検査。
もうはるか多分25年は前のことだと思いますが、大腸の検査で、いや、大腸だったのかも定かではないですが、とにかく検査で、造影剤やったことありますよ。
いやっさー、普通に点滴で40分くらい寝かさせられてたと思うのよね。
それが今や、点滴ではなくて、静脈注射一本。
しかも検査してる間に、「次はお薬入れて検査します!」って言われて、造影剤が入れられる。
なんかすごいね。
もっと気持ち悪くなっちゃったりする?って思ったけど、意外と大丈夫で。。。
良いことなんだけど、やっぱりビックリ。
医学は進歩してるなぁと、しみじみおもうのでした。
- 【徒然】覗けない心の中
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2019.08.12 Mondayあつはなつい!を体現しているかのよう!ぷぅコッコです。
人の心の中は覗けないものですが、それは自分、他人問わずです。
でも、実は一番覗けてないのは自分の心であって、意外と他の人はよく見ているかもしれません。
覗けていないと思っている心の中は実は透けているものなんです。
私は大人数で人に会うのが苦手です。
それなりにこなせと言われたら、できなくないです。
でも、そもそもあまり得意でないので、単純に疲れちゃうんです。
その疲れちゃう度合いを言葉にするなら、次の日は動けないくらいです。
仕事にもならないし、他のこともできないので、文字通り起き上がれないってこともあります。
人酔い甚だしいです。
そんなもんみんなそうだよ。
まぁ、そうかもしれないです。
昔は「私、人見知りだからさっ」って言ってました。
「えー、人見知り?そうは見えないけど。」
うん、見えないと思います。
それで、大人数が苦手なのだと言うのを「人見知り」と言う言葉を使って表現していたということに気がつきました。
うーん、でもさ、本当は言葉の使い方違うかもしれないけど、それでよくない?知らない人に説明するんだし。
「誰だっていっぱいの人に会えば疲れるよ」の言葉で、はかれない色々を、あんまり知らない人に正確に伝える必要はなくない?
細かく分析して、細かく説明することができないわけではないけど、それにどれだけ意味があるのか。
とても疑問だったりする。
一方で、そんなことを伝えなくても、すごくよく、もしかしたら私が言葉で伝えたことだけでなく、その行動や、目の泳ぎ方で悟ってくれたのかもしれないと思うほど、気遣ってくれる人がいます。
ありがたいことに一人ではなく、いるんですね。
それはたまたま、彼ら、彼女らがやりたいことと、私が心地よくいられる空間が合致したのかもしれません。
偶然か?仕組まれたものなのか?緻密な計算か?そこは仕掛け人が私でないときはわかりません。
それでも、結構いろんなことをわかった上で、bookingしてくれる人がたしかにいます。
なぜそうなるのか?
なぜそうしてくれるのか?
なぜそう言うことに気がついたのか?
言語化することは難しいです。
だから、そう言うことができないという人がたくさんいたりするのも別に問題ないです。
もっと言えばそこにある空気のようなものが読めないという人がいてもいいです。
それは、それで、同じ空気を吸っていて、別に空気は読むものじゃないです。
でも、もしかすると、あなたの周りにいる誰かは、あなたが思っているよりもある一面であなたを理解しているかもしれないということです。
じゃあ、そういうのは、そういう人はどうやって探せばいいのか?
それは私にはわかりません。
それでも一つわかることがあります。
私は、私が思うおもてなしを
私は、私が思う楽しいということを
私が、やりたいと思う相手に
伝えたり、企画したりすればいいよねって思います。
そこが入り口で、もしかしたらもっと素晴らしい世界がその先に広がっているかもしれませんよ。
そんなことを思う夏休み。
いろんなところに出かけてます。
いろんな場所でいろんな時間を共にしてくれるみなさんに感謝!
- 【徒然】良し悪しでなはい、3つ目のこと
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2019.07.01 Monday
割と善悪と良し悪しで生きてるなぁと思ってたぷぅコッコです。
とあるプロジェクトに関わってまして、終わりではなく中間のレビューにおいて、にっちもさっちも行かなくなり、今期は未達と相成りました。
ちょっと引き継がれたのは退職者に伴う変更だったためわずか1ヶ月前。引き継ぎ状況は最悪、これをどうやって1ヶ月でおさめるんだよと、断りたいレベルでボロボロ。
まぁ、いろいろあって遅れ甚だしい中での引き継ぎで、参加してる全員が無理だと思っていたのでしょう。
まぁ、そんな事情だから、言い訳はたつ(退職者が出たから、引き継いだ人(つまりは私です)が不慣れだったから)。引き継いで人間が、『まぁ、仕方がなかった』と全てを被れば丸く収まったんでしょう。
分かりますよ。
私が別の立場ならね。
でも引き受けたからには、どうであれ一定の水準まで持っていきたいと思ってました。
結果として、ギリギリまで身を削って攻め続けましたが、最後の最後に、お願いをしていたコードはうまく動作していないことがわかりました。
改善するために浮き彫りにされた課題に対して、少なくとも関係者に啓蒙することができました。
その間、私はと言えば、寝る前に本を読もうとして、気を失ったかのように本を顔の上に置いて寝たり(文字通り顔の上)毎日のように寝言で仕事のことを話していたそうです。
なかなかに魂を削った結果が、今回は成果に繋がらなかったというのは非常に残念です。
1ヶ月前に引き継いだ時、ここまで酷い結果と、全ての膿出しができる、いや、なされると思っていませんでした。
それでも、成果が出る、成果と認識されるということと、成果が出ない、成果が認識されないということは、どうしてもすっきりしない良し悪しがあるんじゃないかと思ってしまうのです。
でも、それはそれ。
私は一介の兵隊で私が責任を取るわけじゃないんだ。
その仕事に責任はあるんだけど、それができなかったことで、誰の目にも明らかに『担当者が変わったから』という理由を、それが嘘でもほんとでも与えてしまう。
いいんだ。
立場が違えば私でもその手を使ったよ。
それは、理解できるよ。
だけど、
悔しいんだ
そんな理由の上に一人売られた感じが。(そんなつもりはないんだろうけどなっ。)
良し悪しではない道は次のチャンスがあることを良しとして、誰でも、誰の目にも、誰がみても、作り上げることができるシステムを残された時間で組み上げること意外にないだろう。
それはいいことでも、悪いことでもなくて、私じゃなくて、私から担当者が誰に変わったとしても同じ時期に成果が出るようにすること。
ルールを作る。
そういうこと。
ルールを組み上げるにはあまりにも短い時間であったということ。
いつでも、そのルール作りと戦ってて、また新しい戦いの第二幕だということ。
装置の神様は私にそれを課しているんだろうと、思っている。
- 【徒然】「比べないで」を自分に言い聞かせる
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2019.06.07 Friday
完全趣味で作ったラミーの色相環です。
それはそれで、記事にできそうだなぁと、思ったぷぅコッコです。
中野さんの「ヒトは「いじめ」をやめられない」というご本を読みました。
おっ、それも記事にすればいいのか。
うーん、いろんな感度が落ちてるんじゃなかろうか?と思うけど。
まーいいや。
この本を読んだからどうなのかという感想は置いておいて、人は今いる集団において、自分と近しい感じ(これも体感な気がするけど)人に嫉妬したり排除したりしようとする感じがあるわけ。
まぁ、それが多岐に渡ってるわけだけど、例えば、スーパーモデルとか、皇族とかは自分の実生活からは遠すぎて、嫉妬の対象にならない。
頑張ったところでなれないからね。
それも集団が変われば変わるもので、スーパーモデルをみて、普通のモデルさんは、自分と近しいと思っていたら嫉妬の対象になるということね。
それでね、そういうことってのは脳の中で起こっていることだから、まぁ、実は止められないのかもしれないよね。
でも、そういうことが脳で起こることによって生き残ってきたという歴史もあるわけで、一概に否定できないし、根本的には無くせないというわけ。
それを踏まえて、「私は何にも嫉妬なんてしない」ではなくて、「嫉妬してるのかもしれないな」を踏まえて「それでも比べない」を選択したいわけ。
比べるのは昨日の自分
つって、昔の人たちも言ってるんだよ。
そうだなぁ、でもできてないなぁ
みたいに凹んだりしない?
私はするんだけど、それはそもそも「結構頑張らないとできないんだぜ」って考えてみる。
すると、ちょっとだけ、力が抜けない?
最近のこと
同僚さんが会社を去ることになって、人手不足なので、今今、ぷぅ姉さん、新しい仕事をすることになったのね。
それ自体は、よくあることだし、これまで私も自分の仕事を引き継いで、会社をお休みしたり、辞めたりしてるわけなんだな。
まぁ、そうなんだけど、前任者であればうまくハンドリングできるんじゃないかなぁとか、覚えるのに時間もかかったり(結構お年寄りだしね、私(笑))ってことがある。
ちょっと大人の事情もあって私にしては珍しく必死で仕事に取り組んでいて、昨日よりも今日の方が出来たてたら、それでいいって思うことにしようって思ってるのよ。
思ってはいるけど、思ってはいるけど、冒頭の誰に対してなのか、何に対してなのかわからない嫉妬やちょっとした失望感がちょこちょこ顔を出すんだよね。
それで、それは承認欲求なのか?
まー、要は誰かに褒めてもらえればそれでなんとかなるのか?と、考えてみる
それはそれで誰かに褒められれば、嬉しいかもしれないけど、そんなことなくても、私は、私のやり方で、いろんなことを進めるからそれでいいんだよ。
ってことも、日々言い聞かせているんだね。
なんだってそうだけど、その気持ちが湧いてくるのは湧いてくるものとして、「そうなんだね」「そう思ってるんだね」って、自分の気持ちも受け止めてあげた上で進まなきゃね。
理解はしてるつもりだけど
分かっているつもりだけど
もたげるいろいろに
今日もまた言い聞かせる。
「比べないで」ってね。
さぁ、週末なので、今週は全てを忘れます!
また、来週!
- 【読書】死にがいを求めて生きているの
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2019.05.28 Tuesday
これは小説なので、ビジネス書のカテゴリーにはできないなって思ったぷぅコッコです。
この間、朝井リョウさんのインタビュー記事を読んだんです。
インタビュー記事リンク
ゆとり世代のゆとりゆえの苦しみ
みたいなことなのか?とか。
でも、彼の記事に惹かれて、小説を買うことにしました。
彼の小説
読んだことがなかったんですよ。
そもそもあんまり小説読まないし、読めない。
最近、読めるようにやってきたんですね〜。
大人になったんだね(笑)
小説とかフィクションを読んで人の人生をなぞる。
そうすることによって、自分とは違うものに触れる。
ってことがひどく苦手で、そういうものを自分から遠ざける、、、いやいや、必要ないとして近づけなかっただけなんだね。
その意味では、たしかに歳を重ねたのだろうと思う。
話題のものを読んでるとか読んでないとか、小説に関しては全然なかったし、高校の頃、やっとの事で完読した夏目漱石の「こころ」は、残念ながら、私に小説を読む楽しさは教えてくれなかっただなぁ。
こころに残ったのは苦しみだった。
その後も、友達がどうしても「良いから読んで」と言った村上春樹の「ノルウェーの森」も読んだけど、継続的な小説への興味にかられることはなかったのね。
まぁ、それで、そういうのはたくさん小説読んでる人にとっては、「もっとこっち本なら」って思うところもあるんだろうけど、そういう知見はなくて、ここまできてしまったと。
それで、この本を読んだキッカケはさっきの記事なわけです。
もちろん朝井リョウさんのことは知ってたんだけど、流行ってるからといっても読むでもなく、ここまできて。
この記事を読むまで、彼が書いてるものどころか、彼のインタビュー記事すら読んだことがなかったのね。
それで、この記事を読んだ時
この作家さんは非常に興味深いことを言うなぁって思ったんだよね。
言葉にすると平たくなるけど
素晴らしき多様性の影にあるものに注目している。
それは、第三者としてではなく、彼自身がまた、その影に絡め取られるように観察者であり当事者である。
というところに非常に惹かれたんですね。
うん、この人の本、読んでみようかなぁって。
そんな記事のことを友達と喋っていたら、小説が好きで、自身も人を引き込む短編小説(彼の短編はいつも楽しくて読んじゃうの。)を書く友人が「朝井リョウとかはうまいよね」って。
こんな面白いものを書く人が
「うまい」という作家さんなら、これはイケてるんじゃなかろうか。
ということで、その友達と会った当日、本屋さんに寄り、買って帰りました。
まぁ、それにしてもさ、分厚いんですよ。
もちろんまだ文庫もないし。
もぉ。。。
って思ったんだけど、たまたま少し時間が空いた時に開いたら、読み始めてしまった。
そしていきなり泣かされるわけです。
その涙が、また深く突き刺さるように、偽りではないけど、偽りであるかのような衝動にかられる。
ゴリゴリと音を立てるように心が揺さぶられる。
そんな感覚に、読みながら何度もおそわれます。
「待ってくれ、わたしは平成生まれじゃない、昭和なんだ。昭和だから、揺さぶられるはずない。」
そう思いながら、グワングワン、心を揺さぶってくる、言葉。
対話と対立を繰り返し、それでも逃げられない世界
若き才能を前に、私は最後の方、泣くことも出来ず、「私を生に動かすものは何か」そんなことを考えてしまった。
そして、先の友人が朝井リョウ氏を「うまい」と表現したことに、なんとも深くうなづいてしまった。
小説だから、全ての人が同じ感想を持つわけではない。
ビジネス書じゃないから、明日から使えるhow-toは一切書いてない。
フィクションだから、ありえないことが書いてある。
全部そうなんだけど、分厚い小説を閉じて、またその表紙を静かに眺める。
表題は私に生を突きつけてくる。
そういう隙間がたっぷりとある小説で、参ったなぁ。。。
ちょっと前にカズオイシグロの「私をはなさないで」を読んだ。
これも、近未来の私とは全く違う人たちの話なのに、心を小刻みに揺さぶられた。
普段、小説は読まないからわからない、わからないけど、もし、小説をたくさん読む人が「他人の人生をなぞるかのように」読んでいたとしたら、人生はもう少し豊かに、そしてもう少し人を思いやる人になるんじゃないだろうか。
いやいや、小説とは読む人の自由にできるもので、感想も人それぞれにあるの。
だから、誰が何を感じたのかは、また別だし、同じものを読んでも同じ感想にはならない。
むしろ、私はここまで生きてきて、この時、この小説を読んだからそう思うんじゃないだろうか。
とかね。
サクッと読んで、サクッと売るつもりだったのに、その小説はまだ家にある。
もしかしたら、もう一度、全てを知った上で読んでしまうのかもしれない。
素晴らしき出来上がりであったと思う。
- 【徒然】大人の遠足のススメ
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2019.05.20 Monday
大人の遠足!ありだよね。ぷぅコッコです。
昨日、ちょっと静岡まで文具店めぐりに行ってまいりました。
SNS上では繋がってるけど、実際にお会いしたことはないお二人と関東近郊にお住まいで、ちょこちょこご一緒してくださる三人プラス私という布陣です。
今回お会いするまでSNSのみで繋がってたお二人は、西の方の方なので、普段は簡単にはお会いすることができません。
そんな方にもお会いできるちょっとだけ遠出した感じの遠足でした。
ある友達は、おにぎりと唐揚げを作って持ってきてくれました。
『ぷぅねーさんはゴマが食べられるか、わからなかったから、ゴマはつけてないんだ。あと、唐揚げは素揚げにしたよ。』
と言ってくれました。
私、大人になってから食べられないものが増えまして、例えば唐揚げは小麦粉がつけてあったり、卵で繋いであったりすると食べられません。
『おにぎりと唐揚げを持っていくね』という話はもともとご本人からしてお聞きしていましたが、唐揚げは無理だろうなって思ってました。
そんな事情があるので、お気遣いに大変大変感謝したのです。
SNSではお知り合いの、昨日、初めてお会いしたまた別の方は、ものすごくいっぱいのお菓子と、先日病に倒れて、今はリハビリを頑張っている別の共通の友達のためのメッセージ帳と、さらに別の友人(画伯)が描いたA3の重たい原画集、そしてプレゼント用に小瓶に詰めたインクをいっぱい持ってきてくれました。
ものすごくいっぱいの量で、細身の彼女が持ってくるには多すぎるんじゃないかと思うくらいでした。
そこには、彼女の優しさだけではなく、彼女に託された沢山の思いが詰まっていました。
画伯の絵
気に入ったものがあれば持って帰っていいって言われたのですが、「いやー、もらえないわー」と思ってたんですけど、『プーと大人になった僕』には抗えなかったです。。。
ぷぅコッコに、ぷぅさんの絵。。。
素敵すぎます。
さらに、またまた昨日初めてお会いしたお友達は、5歳のちびっ子ちゃんを連れていらしていました。
そのちびっ子ちゃんが、また可愛くて。
うちのちびっ子は、すでにちびっ子というには大きすぎる。。。(中3と中1の男子ですからね。。。)ため、そんな天使ちゃんに会えるだけで、舞い上がっちゃいますよね。
昨日はまさに遠足だったため、結構な距離をあることになったんですけど、5歳の男の子にはなかなかに長い距離、抱っこをせがむちびっ子を抱っこしながら歩く彼女の姿がすごく眩しかった。
ふんわりとした中に、とても強い雰囲気を纏う彼女感じがとても好きでした。
(ん、告白なようになってるが、(笑))
もうお二人いらっしゃいまして、その彼女たちには、いろいろ感謝してもしたりないことがあります。
昨日だけじゃなくて、ご一緒できる時間が、それは直接会う時間だけじゃなくて、SNSを通した時間もです。
このように楽しく過ごせたのは、みんなのおかげなんだよね。
前にブログに書いたかもしれないけど、人見知りだとかいろいろあるわけだけど、やっぱりその場所の雰囲気を作ってくれるみんながいて、そこに参加できるってのがすごくいいのよ。
そういうのってすごく素敵じゃない?
欲しいと願ったからと言って手にできるわけではなく、お金を払ったからと言って買えるものではなく、だからこそ尊いよね〜と、改めて思うのでした。
今朝はとても疲れていたけれど、それは、肉体的な疲れであって、精神的にはこんなにも満たされるものかと思ったのでした。
こういう贅沢な体験の第一歩はどこにあるのか?SNSだからと、特別なことするのではなく、丁寧にお付き合いを重ねることかなって思うのでした。
いやー、まとまらないな。
でも、大人の遠足が楽しかったてってのが伝わればいいや。
大人の遠足!オススメです!
- 【徒然】言語能力は年とともに落ちるものらしい
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2019.05.17 Friday言語能力は年とともに落ちていくらしいということを聞いてぐったりした、ぷぅコッコです。
適切な言葉選びというのは、何かを論理的に説明する際に重要です。
そういうことは文節にしてしまえば簡単ですが、実践することは非常に難しい。
なぜなのか。
一つには、発信者の意図は必ずしも相手に伝わるとは限らない。
ということがある。
伝わらないなと感じた時、あなたならどうしますか?
私は説明を加えてしまうタイプです。
文章が冗長になります。
それらは実は少しの努力で改善することはできます。
その辺はテクニック的なことになるわけですが、時間があるのならば(時間は作るものですけれども)1日置いて、自分の文章を読み返すと、漢字の間違いから冗長感も含めて、リフレッシュされた状態でよく見えるようになってくるのです。
それはテクニックで、そうすれば見やすい文章を書くことは可能です。
と、よく言われるわけですが。。。わかりやすいってのは実は日々変化しているのではないかと、考えるわけです。
言語能力の衰えは経年変化による『劣化』のようなもので、新しく言われることがわからないとかそういうもの。
最近のことをどんどん忘れてしまうこと。なんてこともあるのかもしれません。
一見すると、「あー、新しいこと覚えられないよね」ってだけに思えるけど、それだけじゃないんじゃないかな?
文章の組み立てだったり、話の中で使うたとえであったり、その辺りから劣化しているんではないかと思います。
言葉は生き物なので、その時代にあった話し方、人それぞれに理解しやすい形態、ピンとくるたとえ、そういったものが全て日々刷新されてるサイクルが著しく落ちていると思う。
私の文章が伝わらないとしたら、それは、受取手の問題ではなく、やっぱり私の問題で、それは経年変化を考慮するとどんどん悪化することはもはや止められないのかもしれないです。
ここまで考えて、、、
「あー、ぷぅコッコさんが考えてることよくわからなんなぁ」
となった時、そういうものなんだろうなぁ。。。
自分でも何言ってるかわからない。
どんなに説明を加えても分かり合えないということは完全にあって、さらにそれが年を経るごとにひどくなっちゃうんじゃないかなぁ。。。
なんだか残念だが、そういうの食い止められないもんですかね。
- 【徒然】自分の中のイジワル
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2019.05.07 Tuesday長い休みで身体が錆びついてます。ぷぅコッコです。
意図的なイジワルというのはね、わかってやっているから、底意地が悪いけれども、自覚があるわけなんだな。
自覚があるってことは自分で選んでるわけで、まぁ、そこまで大げさでないとしても、「わたしは今からイジワルします!」ってのを感じて、イジワルしてるわけです。
うわー、こうやって書くと、とてもイジワルな人よね。
でも、自覚があるってのは良いことです。
なんで?
なんでかというと、いつでも止めることができるからです。
もちろんね、イジワルしてるぜってわかって、イジワルしてるってとても性格悪いでしょ。
やめたらいいじゃないってことはあるかもしれないけど、そうわかっていても優しできない、ともすればイジワルしちゃうってことはあるわけですね。
いつしか、「これは自分にとってよくない事だな!」と、止めることができる。これが自覚してるってことの強みです。
さて、実はもっと恐ろしいタイプのイジワルもあります。
自覚なしってやつね。
自覚がないってのは恐ろしくて、どこまでもエスカレートするし、止めることが自分では難しいというのが特徴です。
ちなみに自覚があると思ってたイジワルが無自覚なものに変化してしまうこともあります。
それが一番やばいやつか?
いやいや、イジワルすると思ってやってたから気が付けるかもしれません。
この、無自覚なタイプのイジワル
いろんなところで顔を出します。
無意識の差別意識
無意識の優越感
逆に無意識の劣等感
無自覚に自分を攻撃してることもあります。
その手のイジワルはなかなかやめられません。
えー、そんなことないよぉ〜。
あ?そう?
たとえば、日本語が上手な外国の方に見える人に「日本語お上手ですね〜」って言っちゃったりしません?
その人、実は日本人で小学校から日本の学校で日本語しか喋れない人かもしれないですよ?
少なくとも、日本人に見える方で、どんなに日本語が上手くても、「日本語お上手ですね〜」なんていいませんよね?
言ってもいいけど、褒められてると捉える人はいないかなぁって。
別にイジワルするつもりではないけど、それってイジワルになっちゃうこともあるってことです。
だから言っちゃダメか?
っていうと、そんなこともないかもしれない。
でも、そういうの頭にあるかどうか?
そういう全てが無自覚のイジワルにつながっているかもしれないわけです。
わたしはいつも感じがよく、そんなことは無いはず!
って思ってるとしたら、それは違うんだよなぁって思う。
どんな発言でもどんな言い方でもイジワルになってしまうことなんて、いくらでもあるんだよ。
そして、それは知らないうちに自分の中にもね。
だからほんのちょっとだけ、立ち止まって、「これって無意識のイジワルかなぁ」なんてことを考えてみる。
そういうことを考えられることが実は重要かもねってこと。