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【徒然】大丈夫の魔法
意識してか、意識しておらずなのか、私は、「大丈夫」という言葉をよく使う。


何が大丈夫なのか?


それって気休めみたいなもんじゃないの?


そもそも大丈夫じゃないことなんて、いっぱいあるじゃない。


そんなことを考えたら、キリがない。




少し前のこと、慰めと励ましの違いを教えてもらった。


慰めることはいいことのようだけど、相手にとって必ずしも力になるとは限らない。


その点、励ましは、相手の力を引き出すことができるかもしれない。


そんな中、私は自分に対しても、他の人に対しても、「大丈夫」という言葉をよく使っていると思う。


これは、慰めでも励ましでもなく、一つの「承認」だと思ってる。



SNSだったり、メールだったり、対面でも。
何か悩みを抱えている人、いや、悩みを抱えていることすら、気がつかずに、苦しさを吐露してくれる人がいる。


解決策を探さなきゃ、一緒に共感してあげたほうが、、、
昔はそんなことを思ってた。


ただただ聞いてあげるということも、実はとても重要で、相手が話したいことをただひたすらに聞く。


聞いてもらった体験のある人はわかるかもしれないけど、これはとても、とても、心が安らぐものなんだと思う。


たくさん話を聞いた後でも、たった一言、SNSにあげられた誰かの苦しいの言葉にもら私は「大丈夫」って言うんだ。


これは「大丈夫?」って安否を気遣ってるとかじゃないよ。


悩みに悩んで苦しんだことは本人が一番よく分かってる、バラバラになりそうな気持ちを伝えてくれた、そのことだけで、その存在だけで、その誰かは「大丈夫」なんだよ。


だから私は「大丈夫、ちゃんと伝わってるよ。」「大丈夫、きっとうまくいくよ。」「そのままで、大丈夫だからね」って伝えるのよ。


何をしても、何をしなくても、何もできないように見えても、その存在だけで、その誰かは大丈夫なんだよ。


これまで、何度も「大丈夫」を伝えた気がするけど、それが相手に伝わっているものなのか、わたしにはわからない。


それでも伝えた相手が、ほんの少しでも「今の私で大丈夫」って思ってくれたらいいなぁと思っているし、そんな魔法がかかったらいいなってね。


だからきっと、あしたも誰かに「大丈夫」を伝えると思う。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 21:20
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【徒然】ご機嫌と不機嫌の話
お腹の風邪をひいたらしく、微熱と腹痛に困ってるぷぅコッコです。



さてさて、ご機嫌と不機嫌の話


私は、そもそもが丸顔でパンダに似てるために、常時、ご機嫌に見えるみたい。


でも、不機嫌な時はやっぱりあるもので、いやいやむしろそんなことのが多いんじゃないかなぁ?


考えてみると、その不機嫌というやつ、誰かが起因しているというのは、実は二次感情みたいなもので、そもそも、今日みたいに具合が悪いのよ。


ほんと、仕事が大してないなら休みたい感じだわ。


まっ、それでね、体調が悪いと誰かに優しくするってのはなかなかできないモンだし、普段はなんとも思わない事も、なんか言われてカチンと来ちゃったり。


あんまりいい事ないのよ。


でも不調の時はどうしようもない。


そんな時はどうしてるかというと、できるだけ人も離れる事にしてる。


私の場合だけかもしれないけど、とにかく人が近くにいるだけで疲れちゃう。


なので、
人の集まる場所には出かけないとか、
SNSもほどほどに。
(余計なコメントを書いて人を怒らせたりしちゃう事もあるし。)



という一方で、近しい人にイライラを聞いてもらったり。


セラピー的な感覚ね。


いつもご機嫌で入られればいいわけだけど、そうはいかないもので、
今日は不機嫌だ!
と、分かった時点から自分にできることをやる、というスタンスですね〜
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:32
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【徒然】なれない者に憧れない
日本にいたら私だって。。。
そんな想いがココにはある。。。


言葉に不自由してなければ、、、
私だってあの人のように
いや、それ以上に、、、
そんな想いにさいなまれる。


でも、ここは日本じゃないし
私はあの人じゃない。。。
持ってるもので勝負するしかないんだよ。。。


そうやって悔しい想いを呑み込む。。。


そうしたら明日はもっといい日になるかも知れないじゃない。


考えすぎの日は、瞑想でもして寝たらいいじゃない。


そんなもんだよ。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 20:49
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【徒然】悔しい思いは明日の糧に!その2
FBというのはとても便利で(時にウザいけど)数年前に投稿したものをアップしてきたりする。


この仕組み考えた人!
偉いと思う。


いわゆる強制的な振り返りで、自分の生き様みたいなものを浮き彫りにしてくる。


昨日のことだけど、一年前にあるブログをアップしてたよぉ〜とFBが教えてくれた。


そのブログはこちら
【徒然】悔しい思いは明日の糧に



この中には、中国語ができず、英語もなんかちょぼちょぼで、ウザウザしていつつも、それを糧にするって「決めてるんだい!」という気持ちが思いっきり綴られている。


読んで胃が痛くなる。


せっかく、そんな暑い、いや、熱いブログを振り返ることになったので、今、こうしてブログを書いている。


くしくも一年後の同じ日、そう、昨日のことだけど、私はある決断をした。

結構長いこと続けていた英語教室をやめるという選択をし、それを先生に告げた。


これは、単純に仕事が忙しすぎて(ありがたいことである)続けられないと判断したから。


考えてみると、去年はやってなかったけど、今年はやってることがある。


それは、週末、テレビでCNNを見ること。
週末は家族と過ごしているため、言語として使われるのは母語の日本語だったりする。


これ、非常に心地よい。
だけど、私の脳は大変に怠け者らしく、月曜日からは英語で意思を伝えなくてはならないことを簡単に忘れてくれる。


そう、月曜日の朝が鬼門だ。


しかも週明けってのは仕事的にも色々ある。

色々あることは、ボスからも指示が飛ぶのだけれど、その指示は当然英語で、聞き漏らすことは許されない!
にもかかわらず、私の耳は準備できておらず、「意味がわからない」(ってか聞き取れない、ってかなに言ってんの?ってなる)という事態が起こってしまう。


なんでなんだ!


と悩んだ末、週末、全く英語聞かないからだということに気がつき、CNNを聴くようになって、今に至る。


そこもある意味「悔しいことを糧」にした結果だ。


そんなおかげで、日本では全く話題になっていないタイミングで、ハリケーン・ハービーが、テキサスを通っていく様子をずっとみていた。


こんなに大変なのに、なんで日本では報道しないんだろうと思っていたけど、その被害はリアルタイムで掴めるものではなく、CNN自体もどのくらいの被害になるかわからないと伝えていたなぁと緩やかに思い出す。



そして今を思ってみる。


ここ数ヶ月振り返ると、ほんとに日本で仕事をしていた時の上司との関係と一緒だなぁと思うようになった。


上司という人たちは勝手なことをいう生き物だ。


というか、必ずしも100%意見が合うことなんてあり得ないし、「その指示は変じゃね?」ってのも当然のように存在する。


どうしても納得いかなければ論理的に説得にかからなくてはいけない時もある。
まっ、それでもやらなきゃならんというときは当然あるわけだけど。


そんな交渉を小学生英語でやるわけなのよね。
それでも、一年前に比べたらそれは単に語学力云々だけではなく、日本でも頭を悩ませていた上司とのdiscussionなわけで、こんな感じでも、やっとそこまで登ってきたんだなっ。



おう、成長してるじゃないか!
普段はあんまし気がつかないけど。


それでも、また新しい課題はある。


ここでは上司、同僚含めみんなが彼らの母語である中国語で喋る。


至極当たり前なことなんだけど、英語でできると思うとどうしてもそっちに流れてしまうものなのだ。


人間楽な方がいいに決まってる。


だけど、やっぱりそれだと、それだけだと、情報量が少ない。


そうだとすれば、中国語にもウェイトをかけなくてはならない。


そんなおり、去年から、とあるprojectのdailyのmeetingに参加することになってしまい。。。


言語は当然、中国語。


私が発表するときは英語でやっているけど、議論の流れから話に割って入らなくてはならないこともある(担当している部分があるからね〜)



これ、最初のうちはほんとに地獄のようだった。



新しいトピックス、自部門に関係することは当然情報を取らなくてはならない。
とはいえ、全部を一緒に出ている同僚ちゃんに尋ねることできず、大変困った。


それからおおよそ一年。。。


先のブログを書いたとき、まだ私はdaily meetingに参加する前だったので、今、思えば全然できてなかったな。。。


「理解できるのは4割程度」と書いていたが、
そんなに理解できていたかね?ぷぅコッコくん!?と尋ねたくなる。
まー、100歩譲って、あの話は私の超専門の話だから、ま、4割程度はわかっててもおかしくはない。


超専門以外となれば、ほぼほぼ1割くらいしかわかってなかったと思う。


それに比べると、今は通常のmeetingで5〜6割は理解できるから悪くない。


それは単に語学力ということだけでなくて、「場」を理解できたことが大きいかもしれない。
ゲームのルールがわからなければ、そもそも勝負なんてできない。


こうして書いてくると、
「オラ、相当頑張ってるやん!」
ってなるけど、
日々は、打ちのめされている。

だってどんなにいっても、まだ全部がわかるわけじゃないんだもん。
そんな日は一生来ないんじゃないかと思われるわけ。

でも、こうやって、ブログを読んで振り返ることで、確実に前に進んでいることを感じてる。



まさに「リアル、アジアで働く」を実践してて、いつの日かそれが本になって出ることもあるかも知れない。
(現時点でそんな予定はないっすけど。。。)


これまで経験を本にしたいと思ったことはあまりないんだけど、これはもしかしたら他の人の役に立つんじゃないかなぁと思っていたりする。


そんなわけで、「悔しい思いは明日の糧に!」なってるんだよ。
着実に!


だけど、日々、悔しい思いは無くならないのさっ。


それが私の「成長の糧」だってことね。


読み返すかなぁ、まさに今の私ですけど(笑)



おおよそ二年半前に書いたこのご本の感想はこちら


ええ、ええ、もうねあの時の私に言いたい。思っているよりずっとずっと語学力は大事だよ。
でも、数多のびっくりすることを経て、なんとかなるもんだわよ。
全ては「わからないことをわかりたいという好奇心」だけどね〜

知りたいという、needsが私を支えているのさっ。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 22:05
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【徒然】人生は大きいとか小さいとかの選択の連続
昨日、台風15号というのが発生したそうですが、これね、私、不思議な体質で台風の発生がわかるんだよね。


といっても、「台風発生しました!!」


みたいな軽いノリでわかるわけじゃなくて、ものすごく重たい空気が自分の周りをまとって、持っていたバッグがリュックも持てないんじゃね?ってくらい重く感じ、さらには倒れるかもしれんというめまいに似た症状におそわれるというのがおおよそ半日くらい続く。


明らかにおかしいし、明らかに病気じゃん!


と思うと、そんなに高くないアジアのどっかで台風が発生してるんだな。。。


困ったもんだ。



まー、それはいいとして、本日は選択の話。


今、私、日本とは違う外国で生活しておりまして、語学力向上のためってことで、英語と中国語の両方を習ってるですよ。


これね、大変なの。


まー、それでも続けてきたんですけど、さすがに仕事が忙しくて、で、通常の忙しさの時は、だましだまし続けてきたんだけど、半端ないんだな。
(実に仕事のあるありがたい状態ですわ。)


でも、ひとまず優先すべきは仕事ってこともあって、英語の方はしばらくお休みしようかなと思っております。



お休みしたところで、実は毎日の生活の中は英語、中国語のミックス状態なので、まー、これね、大変でっせ。


実質的なお休みにはならないんだけど、グループで体系的に学ぶ「時間」を、うまく取れないというわけ。


悔しいが仕方がない。



というわけで、決断は常につきまとう。


やるべきことは何か?

優先すべきことは何か?

そして、やめるべきことは何か?



ちっちゃなことだけど、大きな決断なのよ。自分にとってはね。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:03
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【徒然】時には直感に頼ってみよう




時には直感に頼ってみよう。



直感というのは、私の感覚ではこんなことだと思っている。
それは、自分にとって重要と思われること、今やらなくてはならないこと、そういうことをそっと心に留め置き、それらが脳内で醸成し、やがて「直感」という形で、私たちの前に現れるということ。


それは意識している日々で考えたより、長い長い時間をかけて自分の中に巣食うもの。


だからこそ、頼るべき価値があるとね。


自分の無意識、自分の潜在的処理能力をすこーし信じてみる。


それが直感に頼るということだと思う。


もしかすると、勢いづきすぎかも?ってときでもうまくいってしまうのは、そんなことなのか?と思う。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 07:36
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【徒然】うまくいかない日もあるさ
体調が悪い日ってのは面白いもんで、いろんなことができなくなるわけですわよ。


コミュニケーションがうまくいかない。

そもそも英語が聞き取れない。


中国語もしかり。


仕事にモレとか抜けとかある気がする。


こんなことじゃダメだ。


まっ、そうなんだが、そもそも昔からそんなのあったじゃねーかと思う。

今に始まったことじゃない。


うまくいかない日を乗り越えるのもまた一つ重要なこと。


と、思うけど、とりあえずゆるーく生きるんでいいかなと、思ってる。


だって出来ないもんは出来ないもん。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 18:08
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【徒然】幸せは与えたついでに分けてもらうもの
実は毎日日課として、万年筆で格言とか、その日グッと来るフレーズをノートに書いたりしてる。





よく、成功の法則の中に
「give」
することというのが言われる。


「give and take」
どころじゃなくて、
「give give give」
というわけ。



そこで、与えてばっかじゃ?
って思ったそこのあなた。


先ほどの名言を見て欲しい。


幸福は香水のようなものであると。

自分に降りかかることなく、誰かに香水をかけることはできないというわけ。


一見、相手のためにと思って行う「give」

これは、まぁ、いろんな言われ方がするけど、最終的に回り回って幸せが帰ってくるなんてレベルのことじゃなくて、実はその「give」してる瞬間
「相手に幸せになってほしい」と思ってやってると、その瞬間から、「自分も幸せになっちゃってる」のよ。


それは、お金で買えるようなものではないかもしれない。

相手がふと見せる
「笑顔」
だったり
「安堵の表情」
だったりするのかもしれない。


行動を何か起こさなければ、見ることができなかった相手の変化がある。


それを一瞬でもみられること、
相手の中から感じられること。


それが、まさに
その瞬間に降りかかってくる
「幸福」


ってやつだね。


そんなわけで、今日も良い一日を!





登場した万年筆とインク
ペリカン M1005
カランダッシュ アイデリックブルー



author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:12
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【徒然】プロじゃなきゃダメなこと
傾聴という言葉がある。


カウンセリングなんかでよく使われるのかな?
よくわかんないけど、「人の話を心して聴く」ということです。


人の話ぐらい聞けるんだからね!
って声が聞こえてきそうだけど、いろんなモノの本を読んだり、いろんな人の話を聞くと、見えてくるものがある。


傾聴というのは、難しいし、技術が必要なんだということ。


最近読んだ本
敏感すぎて困っている自分の対処法
のなかで、人生で私が辛く感じていたことは、実は私の気質が引き起こしていることで、病気だとか何かをすれば「治る」という類のものでは「ない」ということを知ったのね。


こういう特質というのは、人を癒す仕事に向いてはいるようだけど、その実、人が悩んでいること、辛いことにシンクロしすぎて、自分自身に支障をきたす可能性が高いとも言えるらしいね。


人の話を聴く
という意味においては、それらは潜在的に得意であろうと思っていたんだよね。

実際、そうなんだと思うし、誰の話も聞いてあげて共感してあげて、「大変だったね。」って、伝えたりすることはできるし、それで相手が少しでも楽になるのなら、それでもいいと思ってたんだけど、それは時として私の心の奥にまで入り込みすぎるんだな。


そうすると、今度は自分がおかしくなってきちゃう。


そこで必要になってくるのは、自分がその人から話を聞いて、自分自身がその人やその話から影響されておかしくならないか、ということを適切に判断し、時には、話を聴くのをやめて、適切な別のカウンセラーなり医師なりを紹介するということをできるようになっていないといけないっていうわけ。


先日、お昼をご一緒してくれた友人が言ってくれました。
「ぷぅコッコさんは、人を癒すという類の仕事には向かないかもしれないね。(ぷぅコッコさんの)愛が大きすぎてさ、相手はそこまで望んでいないというか、びっくりしちゃうこともあるというか、アンバランスな感じになっちゃってうまくいかないじゃないかなぁ?」

そうなのよ。
この聴くってやつもさ、こちら側の愛情というか、与えたいみたいな感情が大きすぎてもダメなんだよ。


まー、相手は相手で溺れてはくれるだろうけどね。
それこそ、聴いてるんじゃなくて、共依存というか共倒れにしかならないってことだ。



だからこそ、カウンセラーでない私は、ある程度、話を聞いたとしても、適切に専門家につないであげる、ということができないといけないんだよなぁ。。。とかね。


聴いてあげたら楽になるんじゃないかと思うことは多い。
実際、そうだって人もいっぱいいると思うんだよね。
だから、自分として「聴くこと」を止めるつもりはないけど、実はいろんな課題があるなぁと、思ってる今日この頃です。


うまくまとまらないなぁ〜
いいところまで来てると思うんだけどね〜。
考え続けるべき課題だわ。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:31
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【徒然】感じ良いことと、自分を追い込まないこと
感じのいい人って憧れますよね。


それはそれは、素敵なことだ!
と、思って、「感じのいい人になろう」
と、そんなことに囚われてると、結構辛いよって話。


分かりきってるけど、意外と自分ではわからないことの一つに、「他の人からどう見えるかというのは、実は自分では決められない」というのがある。


そりゃー、感じいい人ってのはさ
なんとなくバンコク共通ぽいじゃないよ。
みんなに親切とか、いつもニコニコとかね。


その昔、そんなことにすんごい囚われて生きてたなぁ〜と、しみじみ思うのです。


あっ、今は囚われてないって話じゃないよ。これ。


いまもあるかもね。


それはそれとして、昔に比べると凄く楽になったんだな。


それは、世界の全員に対して「感じのいい人」でいることをやめたからかもね〜。


ある時、本を読んでいたらこんなことが書いてありました。
「全ての人に好かれたいというのは、大変結構なことではあるけれども、それは傲慢な考えではないか?」

というのよ。


え、そう?
誰にでもって、八方美人になりたいわけでは、、、

とか思うわけだけど、
冒頭書いた「バンコク共通でないかと思われる感じのいい人像」
これ、全然一緒じゃないからさっ(笑)


非常に残念なことだけど、
あなたの思ってる、実践してる「感じのいい人像」を「不快だ!」と思う人は、どんなに頑張っても、一定数存在するってこと。


マジかよ!


そう、マジなの!!


それに加えて、無理して「感じのいい人像」作ってるって人は、
それもいい感じに見抜かれちゃってる
というか見抜く人が一定数いるの。


凄く(自分にとって)良い人だったら、見抜いた時に、「無理しなくてないいよ」って声をかけてくれるかもしれない。

「えっ、いっ、感じのいい人でいるのに無理なんかしてないんだから」
と、反発してしまったりね。


あちゃー


これ以上に残念なのは
見抜く力を持ってる(自分にとって)悪い人
「あっ、この人、もしかして感じのいい人でいることに無理してるんだ。
へー、、、
でも感じのいい人でいたいのね?
ってことは多少の無理は"きく"ってことだ。ふーん。」

そんなこと思われてたりして。
どんどん利用されて
結果的に、苦しい立場に!


またまたぁ〜、そんな風になる?
なるんですよ。

だって、よほどの悪人でない限り、相手の方も気がつかずに"あなた"を追い込んでるんだから。

さらに中には、ぜーんぶ分かった上で、追い込む人もいると。

そんな悪い人が!?
そう、そんな悪い人が!?
世の中には一定数いるってこと。



これは、あなたや私が「いくら感じのいい人でいよう、素敵な人として世間に認識してもらおう」と努力しても、変わらないこと。


仕方がないことなんだね。


じゃー、感じのいい人をやめたらいいのかしら。。。


うーん、半分あってて、半分はちょっとまちがってるかな?


半導体を作るにあたって、、、
まー、半導体に限らないけど、、、

歩留まり

って言葉がある。


どんな製品でもそうだけど、
いろんな原因で、「ちゃんとした製品になりませんでした」という状況は存在する。

作り始めの製品なら、もしかしたら、デザインに問題があるのかもしれない
1000を超えるお作りする工程の中のいくつかに不具合があるのかもしれない。

それを突き詰めて、修整して、できるだけ多くの「きちんと使える製品を増やすこと」
を「歩留まりをあげる」
っていうんだけど

半導体ってのは、1000個できる材料から1000個できない産業で、最初は1000個の材料から、20個しか製品として売り出せないということもある。


その時歩留まりは2%ですわ。


これじゃー困るから、どんどん原因を突き止めて、1000個できる材料から980個作れるようにすると、歩留まりは98%
これね、高歩留まりよ!


それでも、そこまでやっても、20個は何らかの原因で動かないのよ。


これって、感じのいい人であることの認知度と似てると私は思ってる。


どんなに頑張っても1000人のうちに20人くらいは「あなたのことを生理的に受け付けない」という人が存在する。


どんなに頑張らなくて、人としてどうなの?と思う人でも、1000人のうち20人くらいは、その人のことを好きでたまらないというか、受け入れちゃうって人がいる。


んで、「感じのいい人でありたい」と、自分が思うことってのは、この歩留まりをあげる作業にちょっと似てるかなと思ってる。


感じのいい人を完全にやめるとかじゃなくて
程よい塩梅で、自分がいいなぁと思うことをするっていうのは、
1000人のうちに「自分をいいなぁ」と思ってくれてた人が200人だったのが、400人になり、600人になる。
そんな感覚かな?ってね。


人間社会はもっと複雑だわよって言われそうだけど、まーまーそんなことじゃないかなと思うのね。


だから、自分が「嫌だ」とか「苦しい」とかならないところまでは、自分の思う「感じのいい人」でいることや「いいこと」を人にしてあげるってんで全然いいし、それって、あなたのことを「感じいいなぁ」って思ってもらえる秘訣だと思うんだね。


で、どんどんやっていくと、「これ以上は無理」とか、「こんなことはしたくない」とか出てくる。


さっきの話しで、「あっ、こいつ言いなりになるわ」って見抜く人がいるって言ったけど、その人たちに気に入られないと何か問題あったのか?って考えてみると、実はそんなことないんだな。


その人達はどんなに頑張っても、あなたのことを好きにならない20人かも知れないよ。


もうさ、1000人いて600人くらいに感じのいい人じゃんって思われたらいいじゃん。

そんなもんだよ。


だーかーら、嫌なことはしない。
そんなこと我慢してまで、感じのいい人ってのやる必要ないんだよ。


「いい人やめちまえ!」
って言われるけど、そうじゃないっていうか、そんな極端じゃなくていいのよ。

感じいいままでいいじゃん!


だけど、「自分が嫌なことはしない」それを徹底するってことね。


大丈夫だよ。


誰に好かれなくても、その人はただの一人、1000人のうちの100人分とか担ってないの。
この人に好かれないとなんかだめな気ががする。。。
と思っても、その人自体はたった一人。

その人が影響力が強くて、まー20人くらいには影響でるかもね。
そうだとしても、たった20人。
大抵は、どんなに変な話を吹き込まれたとしても、それをちゃんと見抜く人もいるの。
一定数ね。


そういう人こそ、あなたの真の感じの良さをわかっている、素敵な友達かも知らない。



いろんなことを決断するのは難しいし、ましてや、「自分が我慢すれば!」って思っちゃうこともあるだろうと思う。


だけど、そーじゃないんだよ。


我慢は人のためにも自分のためにもならないの。


「感じのいい人のままで、嫌なことはやらない!」

そんな感じで生きてみると、すこーし楽になるかもしれないよ!
って話でした〜


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 17:24
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