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【徒然】聖なる諦めのようなもの
うちの長男は今、中学一年生です。
すでに私は背を越され、なぜか体重は越されない、、、困った状態です(笑)


そんな長男は、昔から睡眠時間の短い子供でした。


ところが昨日、家帰ってみると、もう寝てるではないですか!!

家族の話だと8時前には寝ちゃったらしく、とは言え、宿題あるっしょ!ってことで、10時前くらいに起こしてみるものの起きず、私が今朝出かける5時半過ぎにも起こしてみるも起きず、結局6時半に起きて、急ぎ宿題を片付けて出かけたそうなのです。


10時間半。。。


まぁ、子供なら寝ることもあるだろう。
って思いますが、2歳くらいの時ですら、8時に寝かせると、5時には起きていた子供です。


とにかく睡眠時間が短くて、育児書には書いてないし、なんか子供寝ないし、大丈夫なんかいな!?
と思ったものです。


「保育園ではお昼寝がありますから、そんなに早くに眠らないことをあまり気にすることはないですが、少なくとも足して10時間は寝せましょう。」


えーっと、ギリ、、か、、足りてないか、、、いやでも、起きてきちゃうし、これ、どーなん?



当然事情を知らない人には責められたりもしまして、まー、そんなにいうなら代わってくれよ、寝かしつけ、、、と思ったり。



まー、そんなことで、涙に濡れた日々もあったりなかったりです。。。


育児書には書いてないことだらけだけど、それがこの子の個性なんだろうと、受け入れ、いや半ば諦めて、できることを一生懸命にやったつもりの今。


2歳の時より長く寝ちゃう長男(たまたま昨日だけですけど(笑))


それもまた、面白いなぁと思うのです。


子供を持つか、持たないか?

中には持ちたくても持てない事情がある方もいらっしゃると思うので、そこについては議論等するつもりないですが、とにかく子供を持つという体験は、自分の想像をはるかに超えた「聖なる諦めのようなもの」を体験するとともに「人生で知ることができなかったような面白さ」にも出会えることができまして、なかなか特だなぁって思うんですよね。


どうであれ「聖なる諦めのようなもの」をたくさん感じさせてくれる息子たちに感謝
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 21:21
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【徒然】少し落ち着いてことにあたること
次々にアイデアが湧いて来て、その中の少しぐらいしかできないことに日々苛立ちを感じているぷぅコッコです。


仕方ないのよ。


全部はできないのよ。


できてることもあるし、できないこともあるのよ。


なんか昔から、できてないことに目がいっちゃうけど、本当はできてることを数えなきゃね。


謙虚に教えを請い、また進む。


そうやっていると、場合によってはうまくいかないかもしれないけど、もしかしたら強烈に好きだーって思ってくれるファンの人も増えて、楽しい時間が多くなるんじゃないかなぁ?


楽しい時間が多いから、それはそれでいいんだよ。


ここ数日、いろんなことを考えた。


自分のことだけじゃなくていろんなこと。


そんな時なのに、なんかイベントごとも多くてびっくりだった。


多分、考えすぎたら、熱が出るくらいなことだったから、きっと神様が時間をそれだけに使っちゃダメだよっていってたんだと思う。


そして、最終的に思ったことは、ゆっくりと構えてことにあたること。


ひとつずつ進めばいい。


そんな難しいことじゃない。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 22:52
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【徒然】起きていることは、すべて正しい
身の回りに起きることというのは、良いこと、悪いこと、都合のいいこと、悪いこと、楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと。


いろんなことがある。


これらのことはすべて二つの考え方ができる。
どんなことでも、その「ポジティブな面」を捉えるか、「ネガティヴな面」を捉えるのか。

これらについても実はいろんな考え方がある。


そもそもネガティヴなもののポジティブな面を捉えるなんて、無理やりじゃないか?という意見もあります。


考えてみると、いろんな意見、反論も全部含めて正しいんだなと今は思います。


この「自分の身に起こること」を考えるとき、私は、私の母が言ったことを指針にしています。


それは
「どんなことでも、それが良いことでも、悪いことでも、何かしら起こることは、すべてその必要があったのだ。」
ということです。


悪いことが起こるとき、人はその必要があったなんて、思えないものだと思います。


起こるかもしれないことに怯えるのはものすごく無駄な時間です。


でも何かしら起こることは、良くも悪くも精一杯生きた結果だとしたら、何かしら、意味があって、その必要があったのだと思えば、どんなことが起こったとしても怯えなくて良いのです。


ストレスというのは面白いもので、良いこと悪いことに関わらずその「変化」に対しておこり、例えば結婚するなんて、人生で最良と思われることもすごくストレスになったりします。

それは相手がどんなに良い人であってもです。


どうしてかといえば、それらは自分の人生における大きな変化だからなんです。


同様に、これはわかりやすいですが、離婚なんてこともものすごくストレスになります。


一見悪いことに見える離婚なんかも、もしかしたら、その人の次の人生のために必要なステップで、別れた方が幸せだということもあります。


ストレス度合いだけからいくと、変化というのは良くても悪くても負担です。


それと一緒で、起こることはいいことも悪いことも、すべて自分の人生に大きく関わり、変化させるものです。


そしてその変化は、もしかしたら自分だけではなくて、自分の周りの人にとって良いことだったりするかもしれないんです。


よくないにしても、誰かの必要を満たすことかもしれない。


それって、回り回って自分に返ってくるんですよ。


だから、どんなにことも起こる変化は自分にとって必要なことだと捉えます。


たまには抱えきれないことだってあるかもしれない。


それでも、それは私の人生に必要だったのだと思うこと。
それはとても重要なことだと思っています。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 22:00
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【徒然】冷静だなぁ、仕事ですから、なにも変わらないですよ。
仕事をしてると、上司から「なんで?」と聞かれることがある。


これは、台湾に限らず、昔もあったので別に、台湾特有の事情ではない。


大抵の「なんで?」は、上司の意に沿わないということだ。


その昔は、「なんで」と言われて、私なりに思うところもあったので、戦った日々もあったり、なかったり。
(どっちなんだ(笑))


前職はまー、合併とかいろいろあって、最終的には、社風ごと変わっていったので、なんとも言えないけど、割と上司に物申すというか、フランクに「え?それは違くないっすか?」って言える雰囲気だったので、当然、自分で考えて、必要だと思ったことに、疑問を呈されたら、戦う。


という社風だった。


そして、時は流れ、そんな社風じゃないかな?って場所を経験する頃には、特に戦う必要もなく、割と惰性で仕事してもなんとかなっちゃってた。


そんな安住の地を捨てて、台湾に渡ってきたもんで、いろんなことがある。


もちろん台湾人の方々の特性もあるし、そもそも最初は、指示が半分くらいわかってなかった気がする。


単純に語学力の問題である。


そうすると「なんで?」と聞かれて、きちんと答えられるわけもなく、「なんでだろう?」「ってか、なんで今ここで私はなんでって言われてる?」って自問自答してる間に、返答がうまくできるわけもなく、「まぁ、次はこうやって!」みたいなことを言われる。


そうかぁ、なるほどね。


ある程度話がわかるようになると、社風なのか文化の違いか?そんなことで「なんで」って言われ、注意される。


あっ、これ、やっちゃダメだったんだ。


あー、そう。わかった!!


その「なんで」の意味が知りたくて、ほかの同僚に聞いたりすると、やっぱりやり方が違うみたいで、逆ギレされたり。。。


なんででしたっけ?


そんな時期もありました。


そして今。


「なんで」に対抗する。


相変わらず、意味がわからないこともあるけど、「なんで」に対して実は理由がある場合もある。


スラスラではないにしても、「その時はそういう指示で、この処置にすると決めましたよね。」


「わかった、次はやって!」


って対応になったりする。


未だにわからないこともたくさんあるけど、一度、「なんで」と投げかけられたものは、私の中で「標準作業」に認定されるので、次は、「なんで」されないというわけだ。


こういったことは、文化の違いで紐解くこともできるだろうし、人種の違いもあるだろう。


そういう論法を展開することもできると思うけど、私はそんなことを考えていない。


少し台湾で仕事をした今、だからこそ、余計に思う。


仕事をすることは、日本であれ、台湾であれ、なんら変わらない。


会社ごとに在り方が違うのは、そんなの日本もそうだ。


合併で社風が変わる姿を見れば、「受け入れるか」「受け入れないか」くらいの違いしかない。


上司も同僚も台湾人だから大変だろう?


別に、台湾人かどうかは、ほとんど関係ない。


確かに、「こうやってくれたらもっといいのに」ってことがないわけじゃない。


でも、よく考えたら、そんなやつ日本にもいくらでもいたし、日本語で喋っても、私がやってほしいことが伝わらなかった人もいる。


あからさまに女性蔑視なのかわからないけど、しょうもないことで突っかかってくる後輩もいた。


上司もそうだ。


日本にもいろんなタイプがいる。


それと同じだけ台湾にもいるというだけ。


そんなもん揺るがないのよ。


だって、たかが仕事だもん。


そんなわけで、語学の問題を超えて、もしかしたら文化の問題かなんていう、どうでもいいモヤモヤを超えて、上司との関係を考える時、


「なんで?」


には、割と冷静に、サクサク答えられるようになってますってことね。


時間はかかってるようだけど、そーでもないかも。


あんまり器用な方じゃないから、日本で転職しても同じくらいかかったんじゃないかなぁ。


なにも変わらんね〜。


ひとって、そんな風にできている。
というか、少なくとも、私にはあんまり関係ないみたいね〜。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 20:25
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【徒然】やめようと思うこと
やることリスト
ってのと
やらないことリスト
ってのなある。


やることリストにだけ集中しちゃうと、やることだらけになって辛くなってくるよなぁって常々思っております。


これって、深呼吸と一緒で、
まずはいて!その後吸うってやると、自然に空気って深く深く入ってくるのよね。


なので、やらないことリストってのがすごく重要なの。


でも、やめたほうがいいけど、そもそも楽しみだ!っていうことをやめることリストに入れると人生が貧しくなる気がするんだよね。


人に迷惑をかけちゃダメだけど
例えば自分で楽しむもの。。。


甘いものを食べるのをやめたら、寿命が10年伸びる
って事実があったとして(まっ、あくまでも仮定なので、医学的根拠等は特にありません。)
寿命と甘いものを食べる喜び。

私は天秤にかけてもいいと思ってる。


ほんの少し楽しんで寿命が短くなる、くらいの話は、人生を全うする上で、自分でコントロールして良いかなと思っていたりする。


一方で、寿命という意味で言えば、寿命が短くなる云々とはいえ、それだけでなく、現在の健康も著しく損なわれる場合、いつまで生きるかにかかわらず、今、苦しいわけだから、摂取する喜びだけに溺れて、いつも調子悪いはなんか違う気がしています。


私は去年、グルテンフリーを試したら、不調の原因が小麦粉にあることがはっきりしたので、小麦のものをやめることにしたというか、食べたら不調になるので食べられなくなりました。


それでもなくならない不調があって、それは、乳製品によるものだとわかってきたので、そちらも極力避けてます。


面白いことに、避ければ避けるほど、摂取した時のリバウンド感はハンパなく、ほんのちょっとだからと飲んだミルクティーやら、バニラアイスにやられたことも幾度となく。。。


まっ、しょうがない。


食べたい欲求だけでは如何ともしがたいものがあるということです。



で、やめることリストにこれらが載ってたかというと、まぁ、載るよね。


仕事のパフォーマンスを考えた時、これらは必須なのでしょうがないです。


さて、そんなやめることリストですが、往々にして、楽しいことを「やめる」の中に入れると、ストレス感がハンパないです。


オススメできないのね〜。


固い意志があるというタイプの人はいいかもしれないけど、そもそもそういう人は、「やめることリスト」なんてなくても、大丈夫なものだし。


そういうのがうまくできない自分はどうするかということを考えるわけなんですね。


例えば、「ゲームをやめる」


これ、書いたところで、やめるということにストレスがかかりすぎて、しょうがないので、それは入れない。


でも、通信環境の悪い新幹線の車内で、ストレスを感じながら、ゲームするのは効率も悪いし、意味がないので、新幹線の中では通信系のゲームはやらない!
と、細かく条件をつけてみたりしております。


すると、その時間は読書できるので、読書の時間が増えたり。



こんな感じで、やらないことを増やしていくことにより、時間を有効に使うってこともできるんじゃないかなぁと思い始めているのでした。


人生を面白がるためにやらなきゃいけないことはまだまだあるので、やめる→時間の確保という流れは重要だなぁと改めて思ってます。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 00:37
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【徒然】6秒では足りないけど、2ページあれば!
本日は、ぷちアンガーマネージメントの話。


怒りを感じたら、最初の6秒間を逃そう!!
という記事を読んだことがある方もいらっしゃるかも。


最初の6秒間をなんとか乗り越えれば、まぁ、イライラが緩むというか、いきなり罵倒したりするミスを犯したりはしないであろうという一つのアンガーマネージメントの方法


これね、読んだときは「ほー」って思って、怒りを感じた時に数を数えてみようとかやってみたことがあるけど、てんでダメね。


ぶっちゃけ、6秒間を我慢したとしても、怒りが消えるどころか、増勢させる感じだわよ。


未だ、「あっ?もういっぺん言ってみ?」くらい言えるくらいのばりばりの怒りは残りまくりだったんですね。


まっ、私の場合ですけどね。


別にこの手法自体を否定する気はないけど、少なくとも私には合わないというわけ。


そんなことができてもできなくても怒りは突然やって来るもんでして、どーしたもんだろうと、思ってたんですけど。。。


その後、見つけた記事で、「怒りは1次感情ではない」というのがありまして、じゃーなんだ?った話なんですけど、人は、第1の感情として、「怒り」というのを感じるわけではないんだそうですわ。
悲しい、嬉しい、楽しい、辛い、不安だ、恥ずかしい、みたいな感情と比べると、これらの感情の後に、湧いて来る「2次感情」というわけなの。


へーって思ってね。


最近、イラっとを感じると
まずはノートに、「なんだよぉ〜!!」と、その時思ったことを書くわけです。
あー、素敵なことはもちろん書いてないので、お見せはできないですけどね〜。


まぁ、そんなことやってると6秒間くらい経ってるはずだけど、別に収まらないわけ。


そこで、じゃーこの「怒り」の1次感情はなにか?というのを探しにいくんです。
自分の中にね。


時には「わからないから不安だ!」
という感情があった上で、「そんなことしなくてもいいじゃない」って怒ってるとか
「大人なのに恥ずかしい!」って思って罰が悪くて怒ってるとか

時と場合によってですけど、いろいろなんでかな?に対して答えがあるんですね。


そんな過程をノートに書いたりしてね。


例えば「わからなくて不安だ」という感情が支配しての怒りなら、わからないことをわかるようにするにはどうすればいいか?って考えたり、それでも、今すぐには無理なら、「まぁ、仕方ないか?」って思ったりする。

相手がしたことに対して「常識的じゃない!」と思って怒ったとしたら、「そもそもその常識は誰の常識か?」って考えてみたり。

「社会通念としての常識みたいなもんだろう!」って言いたくなるけど、そうであれば、「まぁ、私が持つ社会通念というやつと、お相手の持つ社会通念というやつはどうやら違うらしいぞ」、と!

で、それを声を荒げてまで怒る必要が、そもそも私たちの関係においてあるんだろうか?とかね。


そんな問答を、ノートに勝手に展開する。


もちろん6秒では全然終わらないけど、一枚が怒りに対して
「ちくしょぉ〜」って気持ちを書きなぐったとしたら、
隣は1次感情と、それに対する自分の気持ちと相手の立場の整理に使ってみる。


そんなことをやってると、
「はっ!」
「あれ、なんで私はこんなことしてるんだっけ?」
って、ふっと気がつくんだね。


「所詮、こいつは私とは別の人間だしなぁー」といきなり悟っちゃったり。


そんなことしてると、おめでたいことに、怒ってたことを忘れて、こんなことしてる場合じゃないなって思うようになります。


6秒ではどうにもならない怒りに対しては、2枚の紙で対抗してみてって話でした。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 12:38
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【徒然】話せるってことはいいことだよ。基本的にはね。
私はカウンセリング等をなりわいにしてる訳じゃないですけど、聴き役にまわることも少なくないです。

先日、友人が言っていました。
「ぷぅコッコさんは否定しないもんね。」
そこに、その友人は私の「優しさ」を感じてくれているんですって。


そうか、そこは「優しさ」なのか。。。
ふむっ。


一方で、こんな感じなんで、サイコパスとは言わないけど、平気で嘘をついたり、なんか、まぁ、悪意があるということを無意識に、もしくは意識的に、かつ巧妙に隠して近づいてくる人とかにも簡単に騙されちゃうというか、困らさせらてしまう。


これは一時期、私が悪いんだと思ってたんだな。


なんというか、手を尽くしすぎてしまうので、言葉は悪いけど「つけあがらせてしまう」という訳。


そういう自分じゃダメだよなぁ〜


とかそんなことを考えてたなぁ。


時は過ぎて、今の話。


そこからずっと考えてるけど、なんというか、私にできること、例えば「まずは頭から否定せずに話を聞くこと」これは、変わらないというか、変えちゃいけない、、、違うな、変われないんだね。


「人の話を聞くこと」
って単純に面白いでしょ?
だって、自分ではない人の考えだから、自分では思いつかない訳で。

そんな面白い機会を、へんに意識し過ぎて閉じちゃうのはもったいないじゃない。


でもね、これまでを考えると、平気で嘘をつく人に寄り添って話を聞いても、どこかで「なんか変じゃない?」って思ってるシーンがあるんだよ。


これまでは、その「変じゃない?」と感じる部分について、「相手はいい人で、変と考える自分がおかしい」と思って、半ば深みにはまってたんだけど、私は、人を警戒するんじゃなくて、その「なんか変じゃない」って感覚にもっともっと敏感に、そこを否定することなく、付き合う必要があるんだと、思ったんだよね。


その「変だなぁ」ってことって、実はSNSな時代には見えやすいんだよね。


何気ない投稿を読んだ時、「どうしてこの人はこういうことを話すのかな?」って違和感のある人がいるとするでしょ。


もちろん投稿についてはスルーし、過剰反応しないのは当たり前だとして、心地よくいられないなら、「距離とれ」ば、いいってことね。


それで、これは特に、SNSだと顕著ではあるんだけど、「自分を表現する」という名のもとに、対面で対峙するよりもより、いわゆる「地」がでるよね。


ということがわかってる人は、まずまず、そういうSNSの場面でも変なことはしないんだけど、それでも、「あれ?」って思うことがでてくる。


それは関係が密になるからで、その自分が「あれっ?」って思うことを無視しちゃいかんのね。


まさに、そこは人の話を聞いてる場合じゃなくて、自分自身の声を聞かないといけないんだな、と、気がつかさせられる。


そういう意味では、全て自分自身に責任があって、いわば、「知っていたのに悪に手を染める」ってのは自分の問題だけど、そんなことと一緒なんだな。


書いてみるとびっくりだけど、そういうこと。


いろいろありまして、一時期、人と知り合ったりするのが怖いなぁと思っていたこともあったのね。


だって、「私は悪人です」って顔に書いてある人はいないから。


そして、「心から悪人」も世の中にいるにはいるけど、大半の人は「悪人」だから何かやる訳じゃなくて、自分の「正義のもと」にいろいろやる訳だから。


それに対して、「常識的に間違ってる」とか「普通はしないはずだ」から、「何か私が悪いんだ」というのは、違うんだな。


そもそも「常識的」も「普通」も自分の中のものであって、他人には当てはまらないのね。


じゃーその時思った「常識的に、、、」ってヤツが、無視しちゃいかん違和感なのよね。


少なくとも、「私の常識と、相手の常識は相容れないものである」と自分がみとめて、自分がその人との関係をどうしたいのかを、自分に問うべきなんだな。


おっとっと、題名との乖離がすごいな。


えっと、話せるっていいことなんだよ。
それで、私にだけじゃなくて、人のことを悪く言ってくる人がいるんだけど、それはそれでいいんだ。


それが愛のあるイジリなのか
そもそもイジメのようなものなのか
それとも、勘違いなのか?


ゆっくり聞いて、意見を交わして、それでも「違和感」が抜けないなら、付き合うべきではないし、それでも付き合いたいならば「そういう言い方は良くないと思ってる」ということをはっきり伝えなくちゃね。


そういうことに、勇気を持たなきゃ。


いろんな言い方はあるんだと思うけど、「話をすること」
は、それ自体は、いいことなんだよ。


じゃあ、他人を不快にするようなことをいうのは良くないということがあったとして、言わないようにすればいい!
ってのは実は違うんだよ。


言ったっていいし、言われた時に、耐えたり、そう意味じゃなかったかもとか、自分で決めちゃダメなんだよ。


そこは、自分が、そういう話をする人と一緒にいることを良しとするのかどうかというだけかな。


ほんとに、嫌われる勇気じゃないけど、人生には、「勇気が必要」だねぇ〜。


誰かに決めてもらうんじゃなくて、
誰かが嫌だと言ってたからじゃなくて、全てはあくまでも、私と、お話をする相手とのことで、それ以外は「ない」。


そして、違和感を感じたことを世間の常識(と思ってること)に照らし合わせて他人に聞くのではなく、自分にたずねる。


自分はこの先どうしたいのかをね。


そんなことを今は考えてるかなぁ。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:46
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【徒然】楽しそうに仕事しなぁ〜
出口さんがお悩みに答えてくれる、「教えて出口さん」のコーナーで見つけた、質問から考えたこと。

出世コースを外れてしまいました

これね、若い男の人のお悩みかと思ったら、二児のお母さんの話だったのね。


復帰して8年、残業できないから出世コースを外れたと。。。

ほー、、、

出世ってなんですかね?

大手銀行のことはよくわかりませんが、大手半導体業界ですと、ウルトラウーマン(子供がいても、残業も出張もする)という方は確かに出世してらっしゃいました。

あっ、でも、日本の企業って大手になればなるほど、女性に大きなチャンスはないですから、まぁ、そこそこ課長やら部長やら、なって事業部長レベルですわね。

さて、その出世してた先輩方を見て、何を思ったか。


私には出張は無理だな、残業もできないなぁ、子供いるし。
(大先輩方にももちろんいました。)


2人目を出産して、復帰した時には仕事が大きく変わりました。

やったことがない仕事で
(半導体って細分化されてるので、専門が、もうほんと専門になっちゃう。)
まぁ、できんわけですよ。
最初はね。


もう、そんなの笑うしかないじゃん。


残業できなくても、クオーターで課される目標とか、他の人と同じ数なのよ。


ぶっちゃけどーしろと。。。


いろいろ思ったなぁ、その当時。


その昔、先輩とお昼を食べていて
「もしさ、今、ぷぅコッコが一週間FABに出張できたとしたら、何する?」


「あー、完全に夜中まで働きますね(笑)」


「だよね〜(笑)」


こんな会話です。



確かに残業できなくて、煮え湯を飲んだ(気分)の時もなかったわけじゃないです。


でもさー、しょうがないじゃん。
そんなの。
「自分で残業しない」って決めたんだから。


でもさー、それで評価が下がるとか思ったことないです。


あー、それはぷぅコッコさんがいた会社が、たまたまそうだっただけでしょ。


いやー、どーだろ。
べつにそーでもないんじゃない?


その期にやるべしって言われた仕事も
上司と一緒に立てた目標も
こなしてましたからね。


それで、仮に評価されないのであれば、残業しても同じです。


と、思ってました。


出口さんにお悩みを相談された方の上司は「(残業だけでなく)他の評価もあるだろう」
とおっしゃっそうですが、それを相談者は、取り合ってもらえていないと捉えたようですね。


あー、そうなの?


私がお人好しですかね?


それこそ、その方の上司の言う通り、「他の評価もあるだろう」と私は思いますよ。


出世かどうかはわからないけど、誰かに評価されるってことは「運」みたいなもので、持てるものが同じでなければ、勝負できない場所ならば、こっちから先に降りて差し上げたらいいんじゃないですかね。


大丈夫ですよ。
そんなことにだけでこだわってる会社
相談者さんが思う通りの評価しかしない会社なら、そのうち、世界では戦えなくなりますから。


亜種として生きることに躊躇してると、ロクなことにならないです。


それで、まぁ、実際この人が言うことも一通りはわかるんだよね。


そりゃ残業できれば!!って、そう思うよ。


他部門の先輩から
「いやー、ぶっちゃけ、今、君が残業までできたら、焦るやつたくさんいると思うよ。」

あーそーですか、残業してなくても、そこそこ勝負できるくらいにはいけてますか。

残業できれば、ぶっちぎれると、ほほー。

これ、聞いても役に立たんな(笑)

残業できないし。


でも、そこで思考を止めちゃダメじゃない?

何も思い通りにいかなくても、せめて、後輩たちのために笑って仕事したらいいんじゃん?


そんなふうには思えないだろうかなぁ。


と、怒ってるっぽく書いてるけど、実は一時感情は、「悲しみ」だったのよね。


社会ってものすごくいっぱいの普通の人と、歴史に名を残す、ほんのちょっとの凄い人でできてる気がするのね。


認めるのはしゃくかもしれないけど、社会に名を残すほどの凄い人じゃないと気がついたら、どれだけ日々を「普通の人として」いかに「楽しく過ごすか」が鍵じゃないかなぁ?


相談者さんが出口さんのお答えを見て、自分が楽しめる方向に舵を切ってくれることを願ってなりませんでした。


舵を切りすぎて、もはや何者なのかもわからなくなってるぷぅコッコさんはどーしたらいいもんだか、と思えてなりません。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 18:26
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【徒然】記録の必要
日記は書けた試しがないけど、ブログは何気に書いてるぷぅコッコです。

いやー、記録!
重要だわ。


日々のことって忘れちゃうんだよね〜。

FBに上がってくる過去の記録を見るたびに、半ば新鮮に「あっ、そう、そんなことが!!」って思うもの。


うちの上の息子さんは、なんでも、いいことしか覚えてないんだって。

いいなぁ。。。

私はなんでかわからないけど、いいことより、悪いことの方がよく覚えてる気がするなぁ。


悪いことというよりは、例えば怒られたことだったり、傷つけられたことだったりあんまりいいかんじしないわよね〜〜。


だからこそ、その時々で書いた良いこと、素敵な習慣を再び目にする瞬間とか、時間がすごくいいなって思う。


FBでいろんなものが上がってくるたびに、私が忘れちゃった色々を思い出させてくれるかんじなんだよね。


これは、書き貯めないとダメで
書き続けないとダメなんだなって
思った。


ブログは書けば上手くなるものではないと私は思ってる。


上手くなるというのは、自分が持ってる能力ではない能力が開花するかんじで現れるもので、それって書いてるだけだ状態で獲得できるものじゃない気がするんだよね。


それでも書くのは何故なのか?


上手くなるということではなく、
私も含めた多くの人に向けた
私の感じたことであり
記録なんだよね。


それはうまい、へた、関係なく、いろんな人に備わった力であり、それを活かすためには記録し続けるしかないのよね。。。


なんてことを改めて思いまして、ブログもぼちぼち真面目に更新しなきゃねって思ってまーす。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 18:43
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【今日の一言】自分の心が正しいと思うことをする。
エレノア ルーズベルトさんの言葉にこんなのがある。

Do what you feel in your heart to be right ? for you’ll be criticized anyway.


あなたの心が正しいと思うことをしなさい。どっちにしたって批判されるのだから。





自分としては正しいと思うけど、そうしたら、別の誰かに嫌われるかも、とか、傷つけてしまうかもなんてことを思ったりすることがある。


それとは別に、私としては正しいと思うけど、本当にやって大丈夫だろうかと躊躇することがある。


アドラー心理学における「嫌われる勇気」ではないけれど、どんなに素晴らしいことでも100%の人に受け入れられることはない。


9割支持されたら、相当すごいんじゃないだろうか?

そういう意味では、残り1割は批判をしようと臨戦態勢でいるとしてもおかしくはないと思う。


逆に、どんなに世間からみておかしなことだとしても、全く支持者がいないということはない。


凶悪な事件起こした人と獄中結婚する人がいるけれども、まさにそんな感じじゃないかと思う。


そして、もしも、自分が正しいと思ったことをやらなかったとしても、批判されないとは限らない。



結局のところ何をやっても、何をやらなくても、一定数の人は批判する準備ができている。


そんなもんだと肝を据えて、構えて、自分の心が正しいと言っていることを行うことは、重要なことだと思う。


私は、心が折れそうになると、この言葉を書き、勇気をもらう。


そして、これを何度か口ずさみ、いろんなことにあたることにしてる。


もしも、批判されても、大丈夫。

だって、私の心には背いていないのだから。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 22:44
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