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【徒然】今、ココが、幸せと思い込むことが秘訣かも!
誰かと話をしていて思うこと。
それは誰でもいいんだけど、例えば古くからの友達でもいいし、逆に誰か、初対面の人でもいい。


挨拶をして、自分の話をしてみる。


「そうですか、台湾ですか?それはすごいですね?」


すごいかな?


「言葉とかどうですか?」
「ん、ボチボチですけど、カタコトでふね。仕事は英語だし。」
「じゃぁ、英語は昔からできた?」
「いやいや、できないです。」
「またまた、、、ほー、じゃーご苦労もされたわけだ。」


んー、ご苦労されたかな?


「食べ物なんかはどうです?」
「あー、最近、小麦粉が食べられなくなって、けっこうこまってるかな?」
「え?昔から?」
「いえいえ、ここ一年くらい。」
「そりゃ大変だ。」


そうね、大変だ。


毎日、必死に生きて、今!

なので、実は人が言うほど、大変だと感じているわけでも、苦労しているわけでもない。

多分、分析すると、すごく大変だったり、また、すごく成長したこともあるかもしれない。

でもね、それはずっと用意されていたものではなくて、そうなっちゃった
と言うだけ。

未来のことはわからない。

過去のことも、実は忘れちゃってる。


「なんで台湾だったんですか?昔から行きたかったとか?」
「いえいえ、全然、たまたまご縁があって。。。」


5年後、10年後、どこにいても私はきっと同じことを言っている気がする。


10年後を見据えて、何かをする。
そう言うことが普通にできる人はすごいと思う。
すごいと思うけど、私は違うかな?


どんなに辛い日があっても
どんなに悔しいことがあっても
今日一日を生きる。
今、この瞬間
このブログ書いてる瞬間を楽しむ!


やばい、ブログ書けて幸せ!!
ぐらいなことを、別に思ってなくても
口に出してみる。
ちなみに、今は、マッサージの待ち時間で、お店の待合室にいるので、口に出したら、恥ずかしい。


まっ、家でね、そう言うのは。


私とはまた全然違う環境にいる人もいっぱいいると思う。


病気で苦しんでる人
就職が決まらなくて困ってる人
サポートを受けられない若い人


みんな、隣の芝生を見たら「青い」かもしれない。

こんな自由に生きてる私ですら
たまーに、羨ましいってあるもの。


まっ、そうだとしても どうだとしても、変わらないことがあるんじゃないかなぁ?


どんなに辛くても、苦しくても、その中に、今、生きてて楽しいこと、良かったことを1つ見つける。

それを思って、今を楽しむ。

ほんとは全然楽しくなかったとしても
「今日一日生きてて良かった」
と、口に出して言ってみる。


明日は良くなるかも
とか
来年はもっとマシかも?
そう言うのは、その時にならないとわからないんだよ。


だから、今、自分に「楽しい!」の暗示をかける。


人生はそんなふうに進むのがいいんじゃないかなぁって最近思っているのです。


なんで、こうなってるのかなぁ?
不思議だわー。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 19:12
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【徒然】ゆるすこととか、ゆるさないことととか
何か、昔から気にしてるようなことを「サクッと」言われて嫌な思いをしたことって誰にでもあると思う。


お相手さん
そうだよ、こいつは昔からこんな奴だった、また、そんなこと言ってきて

なんで治らないかな?

え?それはその人自身はそれを悪いことだなんて、一ミリも思ってないからですよ。


むしろ、
「あー、ムカつく!」
と、思う言動をする人、ムカつかせようとして言ってるんじゃないんです。

もうね、かるーく、いやいや、ある意味おもーく、本心なの。
びっくりするでしょ?


少しはいたわりなさいよ。
そもそも、お前何もやってないやんけ。
この後に及んで、なんだその言い草。
ってか、配慮するとかないの?

もしかして、バカなんですか?


まー、こんな感じで、罵詈雑言を述べようとすると、口をついて出てくるわけ。


サクッとイヤなことを言ってくるヤツ
だけでなく
悲しいかな、意見の相違により、泣き別れみたいになっちゃう人も中にはいるんだな。


そういう人に対しても、
「まぁ、そういう残念な人はもちろんいるもんだ。」
と、なんらかしらの理由を探してしまう。



本にもなっているけれど、
そういうのって、ゆるさないで、ずーっと考え続けてると、自分の体に支障をきたすことになる。


頭痛がしてきたり、お腹が痛くなったり、動悸息切れが止まらないとか、悔しすぎて眠れない!とかね。


そんな時、
いやいや、そんな人もいるんだ!
ここは嫌われる勇気なのだよ!
次こそ、ちゃんと断って、ギャフンと言わせたる!


とか、
対話がたりないんだ!
きっと、もっと丁寧に話をすればわかってくれるはずだ!

なんて、自分を納得させようとする。
ゆるさなければ、ずっと考え続けることになり、それでもゆるそうとして、「ゆるすための材料」をサーチする。


たまたま、相手が機嫌が悪かったんじゃないか?


言い方に問題はあるが、実は、的を得ていたのではないか?
(あっ、これ、陥りがちな人がいますけど、共依存関係になっちゃいますからね。特に自己肯定感の低い人は要注意です。そんなことないっすから!)


ということ!だから
ゆるそう
ってのは間違ってるんだよ!


ということに、いきなり気がついちゃったのよね。


いいんだ、理由なんて、なんでも
もしかしたら相手は本当に、やなヤツかも知れないんだ。


あなたのことを貶めるために、そう言ったのかもしれないんだよ。


それでもいいんだ。


それでもいいから、その人のことを考えないためにも、ゆるすんだよ。


自分のために!


自分が健康で、また頑張れるように


イヤなヤツだわ
の思いを捨てる

そして、理由はよくわかんないけど、ゆるすんだよ。


自分のために。


あー、ゆるすって、相手のためじゃなくて、自分からその思いを引き剥がすために必要なんだ。


憎いこと、どうにも出来ないこと、変わらない相手、そんなの考えたらきりがないほどいっぱいいるよ。


それをいちいち取り上げて、例えば誰かに愚痴ってみて、共感を得られたとしても意味がないんだよ。


その思いが残ってる限り、マグマみたいに、またフツフツと蘇り、頭痛くなったり、お腹痛くなったり、眠れなくなったりするんだよ。


だから、ゆるす!ってことでそれを手放す!


なーんだ、そういうことだったのか。


今の時間に、過去の要らない記憶を入り込ませないためのゆるす!なんだ。


全部、今の私のためか!


と、腹落ちしたんだけど、、、


ふと気がつくと、また考えてる。
お嬢さん、きちんとゆるさないからですよ。


相手がどんなにあれでも、
どんな仕打ちをされたと感じていても、
ゆるす!


それだけで明日は、だいぶ明るそうじゃない。


変わらないかもしれない失礼な人のためにくれてやる時間なんて1時間もないんだよ。


そういうことだ!
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 19:02
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【徒然】5年後のこと
変わりたいともがくと変われるらしい。


多くの人が本で書いてるので間違えなさそうだと思う。


一方で、変わらないと嘆く人もいる。


変わりたいと思い続けているのに!
とね。


これもよくよく言われることだけど、変わりたいと「思うか」「思わないか」ではなくて、変わりたいと「行動するか」「行動しないか」が大きく問題となる。


そして、自分のこと。
私は、変わりたいと思っていた。
思っていたし、行動もそれぞれでやってきた気がしてる。


でも、今いる私は、例えば5年前、変わりたかった先の私なのかはわからないんだよね。


5年前からこうなりたかったか?と問われたら、5年前は想像もしてなかったというのがポイントかもしれない。


変わるということは、変わりたいと願って行動してたとしても、思い通りにはならない。


「こう、変わりたい」
は、コントロールできないけど
「変わりたい」
というのは、行動の先にしかないよね。。。




5年後、私はどこで何をしてるんだろう。


ここ2年くらい、そんな先の想像はできなくなってしまった。
それでも、常に「変わろう」と「行動している」


そんな事実だけが私を先に進めてくれるらしい。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:43
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【徒然】感情を揺さぶられること
感情を揺さぶられることはいいことなんだろうな。


ほんとに感情的になる時、
それは、どんなことかはわからないけど、「大切なもの」を守るためなのか、壊されないようにするためか、そういうことはわからないけど、多分自分の琴線に触れることで。


もしかしたら、自分の感情や思いに蓋をしてきた事象なのかも知れないね。


先日読んだご本「「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法」の中にいろいろあったけど、脳内ネットワークに話している人の感情が入り込むって話。
自分に対する否定的な意見は全て外からのネットワークによって伝わる。
という話を読んだんですね。

実際には、脳内ネットワークが自分だけじゃなくて、他人にも影響する。
その他人からの影響度が高い人と、低い人がいるということなんだけど、なかなかに納得できる内容だったです。


自己肯定感を高めましょうという話はよく聞かれると思うけれども、この自己肯定感というやつはなぜ高い人とものすごい低い人がいるのか?不思議じゃない?


でもこれって、まぁ、いわゆる昔のトラウマに起因するモノでもあるみたい。


とはいえ、私はアドラー心理学の立場を尊重してもいるので、トラウマを完全に否定するアドラー心理学の考えと完全に一致するとは言わないけど、トラウマのせいでずっと不幸とは思わないんだよね。未来の時点で、もしかしたら、大いなる苦しみを伴うとしても、変えられないことはないと思っているんですね。


その1つの方法として、自分を他の人の負の感情から守る壁を作る暗示
とか
「他人は他人、私は私なんだ」
と言い聞かせることにより、自己肯定感を高めることは本にある通り、可能だと思う。


感情が揺さぶられる事象に会うと
ついつい感傷的になってしまったり、感傷的に言い合ってしまったりする。

感情的な部分をとられて「キツイ言い方」とか言われることもあるわけ。


それは1つの何かを守ろうとしているのかもしれないし、溜めて溜めて語り出したことによる弊害かも知れない。


それで、感情的に話してしまった後は、また、「なんでこうなってしまったんだろう」ってすごく思うんだけど、なったものはなったものでしょうがない。


どんなことだったとしても、その事実と客観的に向き合うことは重要なんじゃないかと思う。


どんなに手を尽くしたつもりでも、相手がいて、相手が何を考えているかわからない状態では、自分ではどうにもできない。わかってほしい。みたいなことがあるわけだけど、それもうまくいかないこともいっぱいあるんだな。


それはそれとして、自己を責めるのではなく、つぎはどうするか考えたらいいのか?そんな問いが続くのかも。。。


うまくいかないことなんていくらでもあるけど、仕方がないよね。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 12:19
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【徒然】一年前の投稿には必死さが伝わってくるのよね
FBのお知らせで今日は、一年前の投稿を読みました。

モヤモヤすることを文字にしてみる

誰だってそうかもしれないけど、嫌われるのは嫌よね。

そうやって初めて会う人には良くしてしまう。

たまにはそうでもない人がいて、なんか理解できない。

その人たちは、嫌われてもいいって思ってるのか、思ってなかったとしても、そのやり方しかわからないんだろうな。


一年前の悩みは、滲み出る苦しさの中から紡がれたものなんだろうな。

きっかけとして悩んでたことはなんだったのか思い出せないけど。


今はどうだろう。
別に嫌われたいとは思ってないけど、自分を表現して、「こやつとは合わないべ!」って人がいてもおかしくないよね。

それって、自分も、ある一定の相手に思っているわけで、もっと近づきたい人も、一定の距離を保つことによって、寄らず触らずで付き合える人と。

いいとか、悪いとかじゃなくて、そんなもん。



さて、最近の日常に目を向けてみる。

ブログを書くのは実はあんまり苦にならない。
好き勝手に思ったことを、次から次に文字に起こしてアップしてるだけだからね。

でも、これ、日本語だったら、いともたやすくできることが、英語や中国語ではできない。


それは、文法をよくわかってなかったり、必要であるべき単語が身についてなかったり、そんなことも大いに関係するけど、それだけじゃないと思うんだよね。


おそらく、元来もつ、照れ屋で人見知りな性格が、その一助な気がしてならない。


文章が出てこないのは、文章力がないからだ!
確かにこれは真理だけど、そんな単純なことでくくれるほど、私はこれまでコミュニケーション取ってきてないのか?と言うと、そんなこともないし、論理立てて考えれば質問もできるはずなんだよ。

それでも、真っ白!
あたま真っ白になる瞬間というのは、別のものが働いてる気がしてならない。


そういうのって、残念ながら場数を踏むしかないんだろうな。

踏んだところで、未だ人見知りや照れ屋なのは直ってないわけで、どうよ?って思ってる。


これもまた、私のモヤモヤで今日もまたそれを文字にする。


そうやって毎日を過ごすので、しばらくはいいかなぁと思っている。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 21:04
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【徒然】ゆっくり、生きよう
最近、素敵な香水を発見して、毎日ご機嫌でつけている、ぷぅコッコです。

香りの記憶みたいなのって実は大事よね〜
なんて事を思いつつ、今日はまた違う話。


わたくし、基本的にせっかちなんですよ。
サクサク物事が進まないのはダメなタイプで、それはそれでもいいんだけど、そのせっかちだということは、生活態度にももちろん現れるわけです。


生活態度に現れる「せっかち」というのは、「せっかち」というより、「ゆったり行動できない」ってことなんですね。


これはなぜなのか?


人のことをものすごく気にしてるからなんです。


「早く終わらせなきゃ!何か、見知らぬ誰かに迷惑がかかるかも知れない!」


これが「行動を早くしよう」と無意識に思う、原動力です。


まぁ、仕事なんかだと、良い方に回ることもあります。
いわゆるレスポンスを早くすることで、相手にもプラス、自分にもプラスな、いわゆる「win-win」の関係ができます。

いいね、いい感じだね。


でもね、これ、緊張度は高いよね。


日常生活でも、全く見知らぬ他人に対して、緊張してる感じだったんですね。


加えて、無類のおっちょこちょいなので、なんだかつまづいたり、財布から支払いをしようとして、小銭をばらまいたり、びっくりするほど、あるわけです。


その度に、
「しっ、しまった、早くしないと後ろの人に悪い」
「エライコッチャ、店員さんが呆れ顔で心配してるよ」


ドキドキドキドキ


もうね、書いてるだけで、体に悪そうです。


ある時、なんの本で読んだかは忘れましたが、そういう焦っちゃうシチュエーションでも「ゆっくり」動作することによって、結果的には早く解決することが多い。
みたいなのを読んだんですよ。


「ほーっ」と思いまして、実践することにしたんです。


例えば駅でチャージしようとして、どこのボタンがわからない?
小銭を、、、と、、、思ってるうちに落としちゃたりした場合


あー、後ろに人も並んでるし、もうヤバイやん!
って思うんだけど、あえて「ゆっくり」と自分に言い聞かせて、ゆっくり拾う。


そうすると、焦って何かをやるのと同じか、もしくは結果として、早く拾い集めることができるんです。


ゆっくり行動してると、「実は後ろの人が『早くしろよ、ババー』って思ってるかも!!!!!」
と、ふと不安になったりするんですけど、それも、大抵の場合はみんな何も考えてないし、考えてる人は、もっと効率の良い方に行こうと自分で行動したりしてくれるわけ。

まっ、中には、「早くしろよ、ババー」をぶつけてくる人もいるかも知れないけど、とりあえず今の所は会ったことないかな?


それだって、「ごめんなさいね〜」とゆっくり、ゆったり行動でいいかなって思ってます。


最初やり始めた当初は、本当のうまくできなくて、「あー、小銭が〜」「う〜、後ろの人が〜」「お?さらに取れないし〜」が気になりすぎてうまくできなかったんですけど、


まっ、何かをやらかしてしまった瞬間に

「うぉう、やからしてしまったぁーーーー」
と同時に
「ゆっくり!」
「そう、ゆっくり!」
「ゆっくり動いても、かかる時間は変わらない!」
と、言い聞かせて、行動する。


これをセットで続けております。


たまには、そんなゆっくり行動で、一本電車乗り遅れちゃったり、みたいなことがないわけじゃないけど、それは、ちょいとお早く行動で、解決すると。


それはまた別の話なんであれですが、
とにかく、焦っちゃう型のおっちょこちょいさん!
「ゆっくり」
めちゃめちゃ効きますので、やってみてね。


そうこうしているうちに、いつも「ゆったり、どっしり構えたぷぅコッコさんが出来上がる」と。。。


わたし、そうなってるかしら???


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 05:45
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【徒然】変わらないなんてありえないんだ
今朝、FBをパラパラ見ていたらこんな記事がありました。
今の自分を変えるためには「お説教くさい質問攻め」から身を守れ!


コンサルタントの横山さんの記事なんですけど、内容は、まぁ、リンクを読んでください。
面白いから。


その中にこんな一節が出てきます。
問題なのは、明日や明後日、来週、来月の自分が、「今の自分」と同じままか、もしくは不健全に変わっていることです。

この話のキモでもあるわけですけど、一気に変わるのを目指すのではなく、「健全に変わることを目指しましょう。」ということです。


まぁ、いきなりスーパーマンになったり、マスクをつけたらバットマンになったりすることはないわけで、非常にわかりやすいですね。


この「変わる」ということ。
上記の一節を見ながら、「今の自分」と同じままか、もしくは不健全に変わっていること。


この「今の自分」と同じ。
これって、何もしなければありえないですよね。


ってことに、読みながら気がついたんだよね。


経済学の話ではないですが、今年の100万円は、来年の100万円と価値が同じか?というと、そんなことないわけです。

例えば何か値上げされて、今年なら100万円で100個買えたものが、来年になったら99個しか買えないとしたら、その100万円の価値は「下がっちゃってる」わけです。

だって、キープしてたって、今年得られたはずの価値は得られないわけですから。

それって、100万円自体は変わってないけど、変わっちゃってるよね?



別の例を挙げて見ましょうか?
サッカー選手の三浦知良さん、キングカズですよ。
ここでは親しみを込めてカズと呼ばせていただきましょう。


彼は今年、50歳をすぎてサッカー選手で、先日は最年長で得点したという記録を更新したそうです。


さて、20年前、30歳の時も彼はサッカー選手でした。

彼は、20年変わらず、サッカー選手でいる。これは「変わっていない」ということか?
こんなの、誰だってわかるけど、違いますよね。
30歳のサッカー選手と50歳のサッカー選手、その価値は全く違う。
カラダの衰えを最小限にし、パフォーマンスを最大に引き出すというのは相当なる努力があると、誰でも理解できるんです。


そう、「今の自分」というのは、何もしなければ、維持できないんですよ。

それは、経済を見た時の周りの変化による価値の下落なのか、はたまた、自分自身の能力(体力、気力)そんなものの衰えか?

どれをとっても「今」に踏みとどまることはできないわけです。
今がどんなに幸せでもね。
その幸せの価値は、何もしなければ下がってしまうというわけね。


だから、それをネガティブと見るかは置いといて、何をしても、何をしなくても、「変わらずにいる」ことはできないのよね。


んで、どうせ変わるなら、少しでも「良く」変わりましょうということ。


別に今と違う人になりたいわけじゃないって人もいると思うんだよね。
それはそれで、いいし、実はそういう人は口には出さずとも、特に意識せずとも、自分の「衰え」を感じて、常にそれを最小にするために変化してるんだよ。

さらに今の自分と違うものになりたいなら、ほんの少しでもいいから、毎日、別のことに取り組まないとダメよね。


今を生きて、来年の自分がどうなっているかがわからなくても、それは来年や、その先にずっと続いてて、変化していく。


自分だけが変わらないなんて、あり得ないのよね。


どうせ変わるなら、今の素敵がもっともっと素敵になるように変わってもいいし、続けたものの先に今、手にしているものとは全く別のものを手に入れてもいい。


「なりたいものがなにか?」
答えられなかったとしても、変化しなきゃね〜。


うーん、、、人生って、実は緩やかな下りエスカレーターみたいなもんなんだよなぁ。。。
動く歩道だったらよかったんだけど、ちょっと自分に負荷をかけないと、ダメなんだよなぁ〜。


こういうことを考える時期なのかしら。。。


なんか昨日からシリーズみたいになってるけど、なんじゃろなぁ〜


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:44
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【徒然】なりたいものになれますか?
おっ、題名が大きく出ましたね。
「なりたいものになれますか」


果して、私のなりたかった者はなんだろうか?


小学校の卒業アルバムで、「将来なりたいもの」というのがあったけれど、私が書いたのは「パン屋」だった。


別になりたいものだったわけじゃなくて、パン屋ぐらいしか書くものがなかったんだなぁ。


その後、パン屋にはならなかったけど、パンは焼けるようになったのよね。


だけど、今はそのパンも食べられない、と。


そんなことはどうでもいいけど、小学校の時に天命を受けたようになりたいものが決まる人たちが羨ましかった。


勉強したというほど勉強したわけでもなく、なんでもなんとなくギリギリで駆け抜けて、気がついたら、海外でエンジニアする、マイノリティだったりする。


最初から目指してたのか?


いいえ、ってか、楽しそうな方になんとなく吸い寄せられたら、こうなっただけなんです。


世間で言われる
「ガラスの天井」も
「ハラスメント」も
有ったと、自分が認めたら、あったんだろうな。
でも、それで困ったことはないし、いやっ、困ったことはある。
育休を終えて、復帰したら、それまで経験したことのない仕事になって、そりゃーそりゃー苦労したな。

でも、それを踏まえて今がある。

それを乗り越えて掴んだものがある。

だとしたら、苦しくて大変だったなんて、語るまでもないよね〜。
ってか、そんな体験もなければ、なりたいものもなく、努力も大してしてない人がどうにもならないよね〜。


と思ったりする。


なりたいものはない!


でも、いつでも、こうなったらいいなぁ〜はあるんだよね。


仕事だって、もっと上手くできたらいいなぁ〜と思う。

それは今でいえば、仕事につながる人間関係もあるから、そういうのが上手く回ればいいなぁ〜と思う。

そのためには、もっと語学ができたらいいよねぇ〜って思う。

そういうことの積み重ねが、人生で、そういうことがあることがちょっと幸せなんだろうなぁ〜って思う。


それが私のなりたいものだし、そのなりたいものは、私には見えないんだよね〜。


でも、それでいいじゃない?


世界中のみんながなりたいものに、なれるわけじゃない。

でも、みんなが幸せでいることはできるんだよなぁって最近強く思うなぁ〜。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 17:42
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【徒然】頭でっかちですね〜
さほど脳みそが回転するわけではないと、自分では信じているんだけど(これがそもそも問題であって、その話はまた後日)
自分は「頭でっかち」だと思う。

知識先行で、踏み出せない。
いやいや、その割には後先考えずに行動してますけど、それは自分自身で決められるいろいろについてはね。

そうでない場合は、必ず他人が介在するんだね。
ここでいう他人とは、家族ではないという意味じゃなくて、自分以外ってことね。


そうすると、
相手はどう思う?
人は賛成してくれるだろうか?
全体最適とは何か?
大部分は賛成だとして、マイノリティはどう扱うのか?
そもそも、これは受け入れてもらえることなんだろうか?

そんなことが頭を駆け巡り、行動に移せない。

まさに「頭でっかち」というわけ。

こういうことに、ずっとずっと悩まされてきた気がしてる。

いろんな本を読むたびに良い方法はないものかと考える。

そこを変えることはできないだろうか?とね。


そんな頭でっかちな私なんだけれども、歳をとるにつれて、薄らいでいってるような気もする。


なんとなく、いろいろ考えると行動にはなかなか移せない頭でっかちだけど、いろいろ難しいことは考えずに、
「自分が、こうしたら楽しいだろうな」と思うことを選択する。
それに尽きるかもしれないと、行動している気がする。


決断というとすごいことのようだけれど、それは実は大したことじゃなくて、「多分、こっちのが楽しそうだ。」「自分に必要ならできるだろう。」くらいの心構えでいると、考えちゃうけど、考えは捨て置ける気がしてる。


まだまだたまーに、「頭でっかち」でもそのくらいが実はちょうどいいかも、とも思っているのでした。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 23:07
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【徒然】感謝の気持ちあふれる
私は何者か?
私はちゃんと生きているのか?
そもそも生きるってなんだろう。。。

そんなこと、いつも思ってるわけじゃないけど、たまーに思う。


本を読むことは「インプット」で、
ブログを書くことは「アウトプット」


私にはスケジュール帳と別に「ライフログノート」があって、そこに書くことも「アウトプット」


ブログは誰かに知られるもので、ライフログノートに書かれたものは、お知らせしない限り誰かが知ることもない。

それでもアウトプット。



じゃー、本以外のインプットは?


私にとっての最大のインプットは「人に会うこと」だと思うんだな。


昔の会社にいる頃、「自分は何者か?」を知りたくて、先輩や友人に、訪ねたことがあります。

「ぷぅコッコさんの
聴く
話す
書く
読む
の能力を5段階で評価してください。」


私のブログを知る人は、書く能力に5をつけてくれたり、
話すという能力に5をつけてくれた方もいらっしゃいました。

その中で、その当時最も近しかった先輩は
「聴く」
に5をつけてくれたんです。


「え?なんでそう思うんですか?」
と聞いたら、
「だってさ、なんでもとりあえず聞けばいいと思ってるでしょ?聞いた方が早いって」
あーーーー、思ってる!
だって知ってる人に聞いたら早いじゃん。
聞けばわかるじゃん!
ってか、技術書読むより、トレーニングしてもらった方がはるかに理解早いじゃん。

でもこれは、みんなじゃなくて、私の特徴なんだよね。

人によっては、技術書で一人で学ぶのが上手い人もいる。
そういう人にとっては、私は「異星人」だったんじゃないかと思う。


話すとか、書くの評価をもらうより、
この「聴く」を評価してもらったこと、改めてを思い出す。


この「聴く」という「インプット」

どなたかいないと、やりづらいのよ。
まーオーディオブックみたいなものもあるんだけど、そういうことじゃなくて、「実際に誰かに会って話を聴く」というのが、ものすごく有効であるというわけ。

私にとってはね。

そうやって、「会いたい人」に会いに行ったり、「会いたいと言ってくださる方に会いにいく」
そして、その時間がとってもらえる。

それってすごいことだな。


SNSで繋がっていたり、写真を拝見したことがあるってだけの方だったり、もう一度、いや、もう何度もお会いしたいと思う方だったりに、声をかけたり、逆に、かけられたり、皆さんの人生の時間のピースを少しだけ私に分けてもらう。


そうやって実際にお会いすると、
その姿に
その声に
そのオーラに
その笑顔に
その悩みに
その喜びに
触れることができて、私の知らなかった数々のインプットが増えるのねぇ。


それは、私が思いもしないことだったり、とっても嬉しいことだったり、集まってくださった方の空気感ごと私に取り込むことだったり、何気なく言ってくださった素敵な言葉だったり、その言葉に大事な気づきをもらったことを、相手に改めて伝えられることだったり

とてもとても印象的で、キラキラとした素敵なインプット、それも強烈なインプット。


時間を取って、会ってくださった皆さんが、
仕事だったり、学歴だったり、立場だったり、そういうことは関係なく、損得でもなく、
できることなら私に関わる方が、「いつも幸せでありますように」と
願うかのように
相手から私にも、「あなたが幸せでありますように」と、そんな感情を感じられるひと時を頂けること
なんて贅沢なことなんだろうと、改めてそしていつも思う。


台湾から日本に休暇で帰るとき
私はいつも少し多すぎるんじゃないかと思うくらいのお土産を抱えて、帰ってくるけど、いつも帰る頃には無くなってる、それってね、それだけ多くの方が私に会ってくれてるってことなんだよね。


なんて贅沢なんだろう。


時間が短いし、お仕事の都合がつかない方も当然いらっしゃるんだけど、そんな中、時間を取ってくださる方と、たまたま時間が合う方と、会える、なんて幸せなんだろう。


これね、ある種の「引き寄せの法則」みたいなもので、まさにサムシンググレートだと思うのよね。


そうやって、お会いした皆様
本当にありがとうございました。




うまく言えないんですけど、これは私の最高のインプットで、この出会いと、この時間が今後の私の豊かなアウトプットを支えてくれると思っています。


何度伝えても、伝わることではないかもしれないけど、本当に、本当にありがたい!


そしてそして、本当に本当にありがとうございます!


まだまだいっぱい会いたい人がいます!


突然、アポ取りに行くかもしれませんけど、その時は可能な範囲で、お時間いただけると嬉しいです。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 23:27
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