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【徒然】霧は晴れないけど、またここからはじめることにいたしましょう
時間がないと嘆く
できないことがいっぱいある!と、悔しい思いをする
そのくせ、時間があってもゲームしたり、寝たりしてる



それじゃダメだろう



と、霧の中を歩いているみたい



本当は1番助けて欲しいのは自分なのに、辛そうな人を放っておけない

この人には「慰め」が必要なんじゃないか?

そんなことを思う

私が声をかけたりしたら、元気になる(かもしれない)

何かの使命感のように、慰めの言葉をかける


でもそれで元気になるとは限らない
むしろならないことが多い
慰めの言葉をかける私自身のエゴだと思う


最近は慰めの言葉は、考えてからかけるようにした

励ましは大いにするけど、慰めは難しいの

相手の慰めになるかどうかは、その言葉だけによらないから

そんなことに気がつく



一つ霧が晴れたような気がする



でも、相変わらず何もうまくいってない。ううん、本当は他の人からみたらびっくりするほどに順調かもしれない。


だから、今も霧の中



それでも良いからまた、新しいこと、いや、古いけどできてないことを、やっていこうと思っている。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 14:11
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【徒然】少し疲れているようです
風邪が治らぬ。。。
という大悲劇に見舞われております。

そんなおり、ブヨに刺されて散々。。。


そんなどうでもいいことが続くとき、
いろんな言い方があるかもしれないけど
運気が下がってる?
少し疲れてる?
お休みした方がいいんじゃない?


そんな風に思う。


多分、友達がこう言ってきたら
昔ならきっと「少し疲れているんじゃない?休んだ方がいいよ!」


と言ったかも。


でも、自分だと気がつかない。


そして、ふと、考える。
ん?もしかして私、疲れてるんじゃない?


そういうことなら、少し休めばいいのかも。


まずは、精神的な余裕を。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:27
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【徒然】ゆっくりと馴染んでいく
どこにいても、人の基本的な性格はあまり変わらないなぁと思う。
というお話。


私は人見知りです!
というと、私を知ってる人たちは「そんなことないじゃん、初めての人とでも臆せず喋ってるの見たよ。」って印象があるかも。


だから、人見知りというのは表現として適切ではないのかも。


まー、変な人だって自覚はあるのに、初めて会う人から「変な人と思われたくない」とか「怖い人だったらどうしよう」みたいな思いが先行するんだな。


慣れるのに時間がかかる。。。
って感じかな?



台湾の人はよく「は?」って聞き返すけど、これも最初すごく苦手だった。


中国語はうまくないので
ましてや、最初は喋れないところから始まってるから
「なんか間違えたんじゃないか?」
って声が小さくなっちゃう。


でもこれね、実は聞こえてないだけ
みたいなことも結構ある。


なので、最近は怯まない。


会社の仕事を思う時、英語も最初はもっと下手だったから、相手の言ってることもよくわからない。

どう進めたらいいか?
そんな空気もわからない。。。


かなり困りました。


伝わらない、伝えられないは日本の比じゃないのにもかかわらず
日本であっても初めての人に話しかける時は緊張しているわけだから
プチパニックです。


そもそもそれが嫌なら、「台湾で働く」なんて選択をしなければいいわけだけど、選択しちゃったからしょうがない。


このように、「初めてのことが苦手」なので、あんまり旅は好きじゃない。
ただ緊張のうちに終わっちゃうんだもん。


だから数日の「異空間」よりも、外国に行くなら、そこに入り込んで、馴染んでというやり方の方がいいかなと。


ほんとに旅は緊張の連続のうちに終わってしまって、楽しめないんだよね。


困ったことだ。


めんどくさがりやだからってのもあるんだけど、それだけじゃない気がしますね。


それで、住んで見ると「都」か?という問題だけど、住んだら「慣れ」るのよ。

緊張しなくなってからってのが本番な気がします。


緩慢な毎日で本当は構わないんです。
で、毎日仕事してて、緩慢な毎日じゃんと言われたらそうですけど、仕事と人間関係の日々でもうお腹いっぱいなくらい刺激的なので、休みの時まで旅行で緊張したくないし(笑)


そうやってゆっくりとカラダに馴染んできてからが、本番かな。


そのくらいなスパンでしか物が出来ない自分が嫌だなぁと思ってた時もあるけど、本当はそれでいいんだろうなぁって今は思うんですね。


諦めではなく、スタイル。


そう、スタイル。


悪くないね(笑)
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:55
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【徒然】怒りは二次感情です
なんだか薄らイライラするなぁってことありませんか?


あーっ、きっと原因はあれだな。


なんか思い当たることもある。


でもさ、それって、なんていうか、怒るようなことじゃないんだよね。

でも、怒ってるっていうか、イライラしてる。


そんなこと。


これをちょっと分析してみたりしようかな?


怒りというのは二次感情というやつで、人が1番最初に感じる感情ではないんですよ。


人はいきなり怒らないの。


なにか、「不安だ」、「恥ずかしい」、そんな感情があった後に怒るんだね。


「嫌われる勇気」という本の中に、たしかレストランで水をこぼされてウェイトレスに大きな声をあげて怒るというか、なじってしまうってのが出てきたと思うんだけど、アドラー心理学では、怒ったから大きな声を出したという関係にはないと考える訳。


大きな声を出したいという望みがあって、その時あった「水をこぼされた」という事象を使ったと考える。


そんなはずないじゃん、こぼされて怒った「から」大きな声を出したんだよ。


だけどこれ、大きな声で詰る必要は実はなくて、静かに、クリーニング交渉をしたりすることもできるわけ。



こんなことと一緒で、まぁ、怒るってのは、怒りたい何かがあって、結果としてイライラしたり怒ったりしてるという訳。


先日もなんか「イライラするなぁ」「私なんか怒ってる気がするなぁ」ってのを思ったのね。


じゃーこれって、なんで私は「イライラ」を感じてるんだろうってのを深掘りしてみたら、この場合は「不安と悲しみ」だったんだよね。


「そんなことしなくてもいいじゃん!!」
という、私じゃない人のことを思って、このあとどうなるんだろうって不安だったり、そんなことで解決する方法を選ぶのかという不安だったり。


そういって怒ってるという状態になっちゃった私の裏には、
「そんな風に解釈しなくても、こちらは何も思いませんよ。」
だったり、
「別のやり方もできたんじゃないかと思いますよ。」
という想いがあって、
それらが、「怒り」という形で出て来てるんだよね。


あー、私はこういう相手の行動を残念だと思うし、そんな風に考えなくてもいいのにと、なんだか相手に対して、かわいそうだというか、悲しい気持ちを持っているんだな、ということがわかったんだな。


あー、ちょっと悲しいというか、かわいそうだと思ってるわけ。


一方で、相手が何を選ぶか?
「もうこのやり方しかないんだ!」

と、何かを選ぶのは、個々人の課題なの。



深く話し合う機会があるなら、
「こうも考えられるんじゃない?」
って別解を求めるというか、話し合うこともできるかも?とか思っちゃうので余計にってこともあるかも。


でも、それは全部幻想みたいなもんで、
相手の気持ちは変えられないんだよ。
それに変わろうか変わるまいが、私の課題じゃないの。


だから、そこは悲しんでもしょうがない、と。


まぁ、こんな分析みたいなことをやってると、あら不思議
えっと、何で怒ってたんでしたっけ?
ってかイライラしてたんでしたっけ?

どっちにしたって、自分ではどーにもできないやん。


それはそれとして、そういう選択をした相手を認めたらいいんじゃん。


私と考えが違えば、そういう考え方もあるね。
くらいな感じでね。


また、相手の考えが変わって、やり直したいとかなれば、それはそれで歓迎すればいいし。


すぐにはできないけど、こうやって考えることで、イライラを収めるって方法もあるのよってことね。




すべてをゆるそう!そう決めた。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:42
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【徒然】聖なる諦めのようなもの
うちの長男は今、中学一年生です。
すでに私は背を越され、なぜか体重は越されない、、、困った状態です(笑)


そんな長男は、昔から睡眠時間の短い子供でした。


ところが昨日、家帰ってみると、もう寝てるではないですか!!

家族の話だと8時前には寝ちゃったらしく、とは言え、宿題あるっしょ!ってことで、10時前くらいに起こしてみるものの起きず、私が今朝出かける5時半過ぎにも起こしてみるも起きず、結局6時半に起きて、急ぎ宿題を片付けて出かけたそうなのです。


10時間半。。。


まぁ、子供なら寝ることもあるだろう。
って思いますが、2歳くらいの時ですら、8時に寝かせると、5時には起きていた子供です。


とにかく睡眠時間が短くて、育児書には書いてないし、なんか子供寝ないし、大丈夫なんかいな!?
と思ったものです。


「保育園ではお昼寝がありますから、そんなに早くに眠らないことをあまり気にすることはないですが、少なくとも足して10時間は寝せましょう。」


えーっと、ギリ、、か、、足りてないか、、、いやでも、起きてきちゃうし、これ、どーなん?



当然事情を知らない人には責められたりもしまして、まー、そんなにいうなら代わってくれよ、寝かしつけ、、、と思ったり。



まー、そんなことで、涙に濡れた日々もあったりなかったりです。。。


育児書には書いてないことだらけだけど、それがこの子の個性なんだろうと、受け入れ、いや半ば諦めて、できることを一生懸命にやったつもりの今。


2歳の時より長く寝ちゃう長男(たまたま昨日だけですけど(笑))


それもまた、面白いなぁと思うのです。


子供を持つか、持たないか?

中には持ちたくても持てない事情がある方もいらっしゃると思うので、そこについては議論等するつもりないですが、とにかく子供を持つという体験は、自分の想像をはるかに超えた「聖なる諦めのようなもの」を体験するとともに「人生で知ることができなかったような面白さ」にも出会えることができまして、なかなか特だなぁって思うんですよね。


どうであれ「聖なる諦めのようなもの」をたくさん感じさせてくれる息子たちに感謝
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 21:21
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【徒然】少し落ち着いてことにあたること
次々にアイデアが湧いて来て、その中の少しぐらいしかできないことに日々苛立ちを感じているぷぅコッコです。


仕方ないのよ。


全部はできないのよ。


できてることもあるし、できないこともあるのよ。


なんか昔から、できてないことに目がいっちゃうけど、本当はできてることを数えなきゃね。


謙虚に教えを請い、また進む。


そうやっていると、場合によってはうまくいかないかもしれないけど、もしかしたら強烈に好きだーって思ってくれるファンの人も増えて、楽しい時間が多くなるんじゃないかなぁ?


楽しい時間が多いから、それはそれでいいんだよ。


ここ数日、いろんなことを考えた。


自分のことだけじゃなくていろんなこと。


そんな時なのに、なんかイベントごとも多くてびっくりだった。


多分、考えすぎたら、熱が出るくらいなことだったから、きっと神様が時間をそれだけに使っちゃダメだよっていってたんだと思う。


そして、最終的に思ったことは、ゆっくりと構えてことにあたること。


ひとつずつ進めばいい。


そんな難しいことじゃない。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 22:52
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【徒然】起きていることは、すべて正しい
身の回りに起きることというのは、良いこと、悪いこと、都合のいいこと、悪いこと、楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと。


いろんなことがある。


これらのことはすべて二つの考え方ができる。
どんなことでも、その「ポジティブな面」を捉えるか、「ネガティヴな面」を捉えるのか。

これらについても実はいろんな考え方がある。


そもそもネガティヴなもののポジティブな面を捉えるなんて、無理やりじゃないか?という意見もあります。


考えてみると、いろんな意見、反論も全部含めて正しいんだなと今は思います。


この「自分の身に起こること」を考えるとき、私は、私の母が言ったことを指針にしています。


それは
「どんなことでも、それが良いことでも、悪いことでも、何かしら起こることは、すべてその必要があったのだ。」
ということです。


悪いことが起こるとき、人はその必要があったなんて、思えないものだと思います。


起こるかもしれないことに怯えるのはものすごく無駄な時間です。


でも何かしら起こることは、良くも悪くも精一杯生きた結果だとしたら、何かしら、意味があって、その必要があったのだと思えば、どんなことが起こったとしても怯えなくて良いのです。


ストレスというのは面白いもので、良いこと悪いことに関わらずその「変化」に対しておこり、例えば結婚するなんて、人生で最良と思われることもすごくストレスになったりします。

それは相手がどんなに良い人であってもです。


どうしてかといえば、それらは自分の人生における大きな変化だからなんです。


同様に、これはわかりやすいですが、離婚なんてこともものすごくストレスになります。


一見悪いことに見える離婚なんかも、もしかしたら、その人の次の人生のために必要なステップで、別れた方が幸せだということもあります。


ストレス度合いだけからいくと、変化というのは良くても悪くても負担です。


それと一緒で、起こることはいいことも悪いことも、すべて自分の人生に大きく関わり、変化させるものです。


そしてその変化は、もしかしたら自分だけではなくて、自分の周りの人にとって良いことだったりするかもしれないんです。


よくないにしても、誰かの必要を満たすことかもしれない。


それって、回り回って自分に返ってくるんですよ。


だから、どんなにことも起こる変化は自分にとって必要なことだと捉えます。


たまには抱えきれないことだってあるかもしれない。


それでも、それは私の人生に必要だったのだと思うこと。
それはとても重要なことだと思っています。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 22:00
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【徒然】冷静だなぁ、仕事ですから、なにも変わらないですよ。
仕事をしてると、上司から「なんで?」と聞かれることがある。


これは、台湾に限らず、昔もあったので別に、台湾特有の事情ではない。


大抵の「なんで?」は、上司の意に沿わないということだ。


その昔は、「なんで」と言われて、私なりに思うところもあったので、戦った日々もあったり、なかったり。
(どっちなんだ(笑))


前職はまー、合併とかいろいろあって、最終的には、社風ごと変わっていったので、なんとも言えないけど、割と上司に物申すというか、フランクに「え?それは違くないっすか?」って言える雰囲気だったので、当然、自分で考えて、必要だと思ったことに、疑問を呈されたら、戦う。


という社風だった。


そして、時は流れ、そんな社風じゃないかな?って場所を経験する頃には、特に戦う必要もなく、割と惰性で仕事してもなんとかなっちゃってた。


そんな安住の地を捨てて、台湾に渡ってきたもんで、いろんなことがある。


もちろん台湾人の方々の特性もあるし、そもそも最初は、指示が半分くらいわかってなかった気がする。


単純に語学力の問題である。


そうすると「なんで?」と聞かれて、きちんと答えられるわけもなく、「なんでだろう?」「ってか、なんで今ここで私はなんでって言われてる?」って自問自答してる間に、返答がうまくできるわけもなく、「まぁ、次はこうやって!」みたいなことを言われる。


そうかぁ、なるほどね。


ある程度話がわかるようになると、社風なのか文化の違いか?そんなことで「なんで」って言われ、注意される。


あっ、これ、やっちゃダメだったんだ。


あー、そう。わかった!!


その「なんで」の意味が知りたくて、ほかの同僚に聞いたりすると、やっぱりやり方が違うみたいで、逆ギレされたり。。。


なんででしたっけ?


そんな時期もありました。


そして今。


「なんで」に対抗する。


相変わらず、意味がわからないこともあるけど、「なんで」に対して実は理由がある場合もある。


スラスラではないにしても、「その時はそういう指示で、この処置にすると決めましたよね。」


「わかった、次はやって!」


って対応になったりする。


未だにわからないこともたくさんあるけど、一度、「なんで」と投げかけられたものは、私の中で「標準作業」に認定されるので、次は、「なんで」されないというわけだ。


こういったことは、文化の違いで紐解くこともできるだろうし、人種の違いもあるだろう。


そういう論法を展開することもできると思うけど、私はそんなことを考えていない。


少し台湾で仕事をした今、だからこそ、余計に思う。


仕事をすることは、日本であれ、台湾であれ、なんら変わらない。


会社ごとに在り方が違うのは、そんなの日本もそうだ。


合併で社風が変わる姿を見れば、「受け入れるか」「受け入れないか」くらいの違いしかない。


上司も同僚も台湾人だから大変だろう?


別に、台湾人かどうかは、ほとんど関係ない。


確かに、「こうやってくれたらもっといいのに」ってことがないわけじゃない。


でも、よく考えたら、そんなやつ日本にもいくらでもいたし、日本語で喋っても、私がやってほしいことが伝わらなかった人もいる。


あからさまに女性蔑視なのかわからないけど、しょうもないことで突っかかってくる後輩もいた。


上司もそうだ。


日本にもいろんなタイプがいる。


それと同じだけ台湾にもいるというだけ。


そんなもん揺るがないのよ。


だって、たかが仕事だもん。


そんなわけで、語学の問題を超えて、もしかしたら文化の問題かなんていう、どうでもいいモヤモヤを超えて、上司との関係を考える時、


「なんで?」


には、割と冷静に、サクサク答えられるようになってますってことね。


時間はかかってるようだけど、そーでもないかも。


あんまり器用な方じゃないから、日本で転職しても同じくらいかかったんじゃないかなぁ。


なにも変わらんね〜。


ひとって、そんな風にできている。
というか、少なくとも、私にはあんまり関係ないみたいね〜。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 20:25
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【徒然】やめようと思うこと
やることリスト
ってのと
やらないことリスト
ってのなある。


やることリストにだけ集中しちゃうと、やることだらけになって辛くなってくるよなぁって常々思っております。


これって、深呼吸と一緒で、
まずはいて!その後吸うってやると、自然に空気って深く深く入ってくるのよね。


なので、やらないことリストってのがすごく重要なの。


でも、やめたほうがいいけど、そもそも楽しみだ!っていうことをやめることリストに入れると人生が貧しくなる気がするんだよね。


人に迷惑をかけちゃダメだけど
例えば自分で楽しむもの。。。


甘いものを食べるのをやめたら、寿命が10年伸びる
って事実があったとして(まっ、あくまでも仮定なので、医学的根拠等は特にありません。)
寿命と甘いものを食べる喜び。

私は天秤にかけてもいいと思ってる。


ほんの少し楽しんで寿命が短くなる、くらいの話は、人生を全うする上で、自分でコントロールして良いかなと思っていたりする。


一方で、寿命という意味で言えば、寿命が短くなる云々とはいえ、それだけでなく、現在の健康も著しく損なわれる場合、いつまで生きるかにかかわらず、今、苦しいわけだから、摂取する喜びだけに溺れて、いつも調子悪いはなんか違う気がしています。


私は去年、グルテンフリーを試したら、不調の原因が小麦粉にあることがはっきりしたので、小麦のものをやめることにしたというか、食べたら不調になるので食べられなくなりました。


それでもなくならない不調があって、それは、乳製品によるものだとわかってきたので、そちらも極力避けてます。


面白いことに、避ければ避けるほど、摂取した時のリバウンド感はハンパなく、ほんのちょっとだからと飲んだミルクティーやら、バニラアイスにやられたことも幾度となく。。。


まっ、しょうがない。


食べたい欲求だけでは如何ともしがたいものがあるということです。



で、やめることリストにこれらが載ってたかというと、まぁ、載るよね。


仕事のパフォーマンスを考えた時、これらは必須なのでしょうがないです。


さて、そんなやめることリストですが、往々にして、楽しいことを「やめる」の中に入れると、ストレス感がハンパないです。


オススメできないのね〜。


固い意志があるというタイプの人はいいかもしれないけど、そもそもそういう人は、「やめることリスト」なんてなくても、大丈夫なものだし。


そういうのがうまくできない自分はどうするかということを考えるわけなんですね。


例えば、「ゲームをやめる」


これ、書いたところで、やめるということにストレスがかかりすぎて、しょうがないので、それは入れない。


でも、通信環境の悪い新幹線の車内で、ストレスを感じながら、ゲームするのは効率も悪いし、意味がないので、新幹線の中では通信系のゲームはやらない!
と、細かく条件をつけてみたりしております。


すると、その時間は読書できるので、読書の時間が増えたり。



こんな感じで、やらないことを増やしていくことにより、時間を有効に使うってこともできるんじゃないかなぁと思い始めているのでした。


人生を面白がるためにやらなきゃいけないことはまだまだあるので、やめる→時間の確保という流れは重要だなぁと改めて思ってます。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 00:37
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【徒然】6秒では足りないけど、2ページあれば!
本日は、ぷちアンガーマネージメントの話。


怒りを感じたら、最初の6秒間を逃そう!!
という記事を読んだことがある方もいらっしゃるかも。


最初の6秒間をなんとか乗り越えれば、まぁ、イライラが緩むというか、いきなり罵倒したりするミスを犯したりはしないであろうという一つのアンガーマネージメントの方法


これね、読んだときは「ほー」って思って、怒りを感じた時に数を数えてみようとかやってみたことがあるけど、てんでダメね。


ぶっちゃけ、6秒間を我慢したとしても、怒りが消えるどころか、増勢させる感じだわよ。


未だ、「あっ?もういっぺん言ってみ?」くらい言えるくらいのばりばりの怒りは残りまくりだったんですね。


まっ、私の場合ですけどね。


別にこの手法自体を否定する気はないけど、少なくとも私には合わないというわけ。


そんなことができてもできなくても怒りは突然やって来るもんでして、どーしたもんだろうと、思ってたんですけど。。。


その後、見つけた記事で、「怒りは1次感情ではない」というのがありまして、じゃーなんだ?った話なんですけど、人は、第1の感情として、「怒り」というのを感じるわけではないんだそうですわ。
悲しい、嬉しい、楽しい、辛い、不安だ、恥ずかしい、みたいな感情と比べると、これらの感情の後に、湧いて来る「2次感情」というわけなの。


へーって思ってね。


最近、イラっとを感じると
まずはノートに、「なんだよぉ〜!!」と、その時思ったことを書くわけです。
あー、素敵なことはもちろん書いてないので、お見せはできないですけどね〜。


まぁ、そんなことやってると6秒間くらい経ってるはずだけど、別に収まらないわけ。


そこで、じゃーこの「怒り」の1次感情はなにか?というのを探しにいくんです。
自分の中にね。


時には「わからないから不安だ!」
という感情があった上で、「そんなことしなくてもいいじゃない」って怒ってるとか
「大人なのに恥ずかしい!」って思って罰が悪くて怒ってるとか

時と場合によってですけど、いろいろなんでかな?に対して答えがあるんですね。


そんな過程をノートに書いたりしてね。


例えば「わからなくて不安だ」という感情が支配しての怒りなら、わからないことをわかるようにするにはどうすればいいか?って考えたり、それでも、今すぐには無理なら、「まぁ、仕方ないか?」って思ったりする。

相手がしたことに対して「常識的じゃない!」と思って怒ったとしたら、「そもそもその常識は誰の常識か?」って考えてみたり。

「社会通念としての常識みたいなもんだろう!」って言いたくなるけど、そうであれば、「まぁ、私が持つ社会通念というやつと、お相手の持つ社会通念というやつはどうやら違うらしいぞ」、と!

で、それを声を荒げてまで怒る必要が、そもそも私たちの関係においてあるんだろうか?とかね。


そんな問答を、ノートに勝手に展開する。


もちろん6秒では全然終わらないけど、一枚が怒りに対して
「ちくしょぉ〜」って気持ちを書きなぐったとしたら、
隣は1次感情と、それに対する自分の気持ちと相手の立場の整理に使ってみる。


そんなことをやってると、
「はっ!」
「あれ、なんで私はこんなことしてるんだっけ?」
って、ふっと気がつくんだね。


「所詮、こいつは私とは別の人間だしなぁー」といきなり悟っちゃったり。


そんなことしてると、おめでたいことに、怒ってたことを忘れて、こんなことしてる場合じゃないなって思うようになります。


6秒ではどうにもならない怒りに対しては、2枚の紙で対抗してみてって話でした。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 12:38
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