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【徒然】拙い日本語、拙い英語、拙い中国語
語学は才能か?努力か?才能はなさそうだけど自分なりに努力してますぷぅコッコです。


拙い日本語


日本人なのになんか文書を書くとき、「すみません、日本人なのに文章が上手くなくて、それでもお付き合いください。」なんてことを書いてはじめてしまったりする。


そう、自信がないのよね。
とか、
例えば、ブログとかでもそうだけど、「こんな感じで書いてるけど、この文書恥ずかしいと思わないのかしら?」と思われるんじゃないか?と、自分が思って予防線を張るように書いてみたり

なんていう、心理状態かなと思うわけ。


そうやってはじまった文章が、はちゃめちゃだったり、読めなかったりすることは日本人が日本語書いているという状態ではあんまりなかったりするんだよね。


でも、冒頭にそう書いてあれば、なんとなく「あー、自信がないのかな?」とか「あー、うまくないと思ってるんだね」という、ことが刷り込まれて読みはじめるのよね。


どんなにステキな文章を書いたとしても、受け取り方は相手次第だというのに。
どんなに言葉を尽くしても、自分の伝えたいことが100%伝わることはないのに。
それなのに「私の文書は拙いです」と、先入観を与えている。


昔は全然気にならなかったし、なんなら謙虚さの証、ぐらいなことを思っていたんだけど、最近はちょっと違和感があるなぁって思う。


一方で外国語、第2外国語なんてのを思った時、そもそも「日本語の拙い」なんてことがレベルにならないくらい「拙い」のだ。


いつも、伝わったか?
ということに気を配らなくてはならない。
そもそも意味が通る文章を書けるかどうかだってかなり怪しい。


本当のところは、それが「拙い」文章なんだと思う。


それで、「英語うまくないから」「中国語、ほんのちょっとしか話せないから」と言い訳してたけど、そんなことは相手も織り込み済だし、そんな理由で何も話さないよりバリバリはなした方がよほどよい。
そして、拙かろうがなんであろうが喋らなくてはならないときはいくらでもある。


「どういうこと?」ってなる場面もいくらでもある。


そこではじめて「英語うまくなくてごめん」「拙い英語ですみません」の出番なのよね。


ある程度できるようになっても「やっぱり拙い」「拙い言い回ししかできない」から卒業できる日はやってこない。


だったら、いいじゃないか。
「拙い」ままで。
英語も中国語も加えて日本語も、あえていうなら母語ってやつも。


そのままの「拙い」で、それでも伝えたいことがあって文章を書くなり話しはじめるなりする訳だから。


わざわざ、「私は拙い日本語しか書けないですから」って言い訳しなくていいじゃないか。


伝わるかどうかなんて、「拙い」とは全く別のところにあるんだよ。


拙くない文章が書ける日はやってこないし、拙くない文章でも伝わらない文章なんていくらでもある。


本当に大切なことは、「拙い文章云々」ではなくて、「できるだけ自分の思いを伝えられるか」ってことよね〜。


なので、「私の文章は拙いです」からは脱出しよう!
とはいえ、宣言する必要はないけど、「拙い文章」であると言う謙虚さは忘れずに、忘れないけど大胆に!
そんなことかなぁと思ったりする。


日本語難しいなぁ、何書いてるかよーわからくなってきた。


これも、「私の文章が拙いからです。」ということで、お許しを!
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 09:27
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【徒然】笑顔の練習
日々の忙しさに、大暴発、、、まだしてません。ぷぅコッコです。


私、多動な人なので、自分からも引き込んでいろいろ忙しくなっちゃうこともしばしばですが、それだけではなくて、疲弊した日々を送ってます。


そうすると、笑顔が失われるんですね。
困ったもんです。



笑ってる場合じゃない時は、笑えなくてもいいじゃないか!
たしかにそんなことも言えるような気もしますけど、なくなっちゃうと、どんどん疲弊しちゃって、余計にダメージがたまってきます。


日々の忙しさもさることながら、昨今の台風銀座も体調に悪影響。
ついには耐えられず風邪を引きました。


どーなってんだこれ。


ってことなんですけど、こんな時、ずずーんと落ちていかないために、やってみよう!
というのが笑顔の練習です。


文字通り練習


笑顔になれるアクティビティをしましょう、とか言うんじゃなくて、あくまでも練習。


人は1日に何度か鏡見るでしょ?


その最後に、口角を少し上げて、笑顔を練習してみる。


それだけでOK。


そんなんじゃ気分も晴れないし、変わらないんじゃない?


まーまーまーまー
騙されたと思ってやってみてよ。


一説には、口角を上げてにっこり顔を作るだけで、脳が騙されてくれるって話もある。


ってことは、にっこり笑顔を練習するだけで、ちょっとしあわせな感じに思えちゃったりする、、、かもしれないってことね。



とは言っても、今の忙しさも大変さも変わらないじゃない。


うん、おっしゃる通りだね。
変わらないと思う。


それでも、大変さが変わらないなら、笑顔で乗り切った方がいいと思わない。


だって、同じなんだもん。
仏頂面で乗り越えても、笑顔で乗り越えても。


お、鏡だ、よし、笑顔の練習だ!
って思うだけで、1日は明るくなるかもよ!


今、大変なのー
(お天気に反応しちゃうタイプの人はまさにそうだと思うけど)
って人


鏡見てる顔は結構怖い顔してるので、「笑顔の練習」
効きますよぉ〜
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 08:14
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【徒然】オフ会で教えてもらったこと
万年筆で書くことと、万年筆で書く楽しみをみなさんに伝えたいぷぅコッコです。


この間、万年筆好きさんのオフ会に参加しました。





これはその時に食べたローストビーフとローストポーク


いやー、最近ね、個人的なことでいろいろ疲弊してまして、オフ会とか大丈夫かいなと思ったんですけど、楽しいことって体にいいのね。


とてもリフレッシュさせてもらっちゃいました。


覚えてくださってる方もいらっしゃると思うんですけど、万年筆初心者さんのためのブログを書いてたんですね。


で、まぁ、最近は書いてなかったと。


今回のオフ会で、一緒に参加してくださった方の中に、太字の万年筆に挑戦することにしたけど、うまくかけないことがある〜
っておはなししてくださった方がいたの。


別に万年筆の講座とかではなくて、ただのオフ会の流れで聞かれたことに答えてた感じなんだけど、書かせてもらうとすごくするする書ける。


でもご本人はかすれる時があってってお話になる。


そして、あまりにもうまく書けないから、調整してもらった方がいいのかなぁって。


こんなお悩み
私も昔持ってたなぁって思い出しました。



ペン先が紙にあたって、インクが流れ出す。
そうやって書けるようになるって本当に単純なことなんだけど、できないって時がある。


万年筆というのはワガママな筆記具なので、出荷検査してるはずでも、ちょこっといろんな部分、いろんな部品が噛み合ってなくて、うまくかけないってのは存在するのね。


で、万年筆好きさんだと調整に出すって言ってペン先を診てもらうことがあるんだけど、そういうことでなくても、上に書いたインクの供給がうまくいかないってことはあるのよ。


紙にペン先がうまくあてられてないんだね。


細字の万年筆というのは紙に当たるところが小さいので、割とおこりづらいけど、太字になればなるほど、うまくいかない時はあったりするのよね。


そこで私は思う。


その一番最初の悩みにアプローチできないだろうか?



そう、万年筆の書き始めは、ペン先が紙にあたってインクが出てることを確認すること。


当たり前に出来そうなそんなことをちょっとだけやる余裕の3秒


それだけで格段に良くなるし、癖のようなものも少し強制されたりする。


それは、当たる部分がうまくわからない万年筆初心者さんにしかおこらないこと。
(ここでいう万年筆初心者さんって万年筆をいっぱい持ってるって人でもいるんだよぉ〜)


でも、これで万年筆がつまらなくなってしまうなんて、寂しいじゃない?


でもそれは調整してもらえばなおるものでもなく、また、調整してもらってもおこっちゃうのよ。


だって、最初の3秒を知らないから。

ひねって書いてる自分の癖をわかってないから。


そんなもん。





太字の3秒とはそんなこと。



こういうことをちょっと3年くらい前まで、結構書いてきたんだよね〜私。
でも、その役割って実は終わらないのかも。


だって、新たに万年筆の魅力に引き込まれる人たちはあるわけだから。


そうだったなぁ〜
って、そんなことを思い出させてもらったんだよね〜。


すごく良い会だよね〜。


私も太字がうまく使えなくて、困ったことがあった。


インクがうまく流れでなくて書けないペンでなんとかして書こうとして、強く押し付けたりしてた。


そうじゃないのよ。。。


その昔、仲良くなった万年筆の大ベテランさんが「私は基本どんな角度でも書けるよ。手が勝手に合わせに行く感じだね〜」
っておっしゃってたのを聞いて、「すご〜い!!」って思ってたけど、今は私もそれできるなぁ〜
とかね。


書くことが好きで、伝えることがあるならば、それがどんなに小さくても、どんなに些細なことでも、どんなに小さな範囲にしか届かなくても、書いたらいいかもね。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 14:07
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【徒然】スルー力を身につける
いやー、人生に色々迷子なぷぅコッコです。

まー、それは置いといて。


スルー力について考えてみます。


私、割といろんなことが気になっちゃうタイプで、ガチャガチャしてることが嫌いなんですね。


そんな折に、「プライドが高くて扱いづらい人」なんてのに出会うと最悪です。

これはある一定の個人のことではなくて、そうだな、例えば初対面なのに「俺ぐらいのレベル」になると感がムンムン話からしてくる人とか、「あたい、特別だから感」が吹き出しちゃってる人とかね。


聞いて見ると、「え、もしかして、この人特別なの?すごい人なの?」とか思っちゃったりするわけですけど、メッキみたいなもので、ぺりぺり剥がれたりするのよね。


冷静になってみれば、「メッキじゃねーか?」ってわかるんだけど、その場では固まっちゃうので、その場を全部持ってかれちゃう感じね。


それでまぁ、そんな時はスルー力ですよ。


ストレートに反論したくなる自分抑えて、かといって無視するでもなく。。。
あっ、お付き合いする必要のない初対面の人とか、電車で出会った感じの悪い人とかはそのまま無視でいいっすよ。


かといって、媚びるわけでもなく、なんか相手に上手を取らせないなんてことを思うわけです。


それにはスルー力が必要。


ここでいうスルー力とは
相手の話を実質聞かないでやり過ごすという意味ではなくて、自分の思考、「そうだ、こんなこと言われた、今すぐ対応しなきゃ、大変なことになっちゃう」と、いう、自分の頭で考えてることをスルーです。


まー、今すぐ対応しなくても、今すぐ下手なこと言っちゃわなくても多分大丈夫だし、ほんとになんかおおごとなら、私が動かなくても、動ける誰かはいるもんなのよね。



さて、ここで、その一時的な思考をスルーして、向かうべきは自分の感情

イライラしている
ムズムズしている
モンモンとする
悲しい気持ちになる
どうなってるのかわからない
カラダがかゆい
涙がでる
肩がガチガチだ


といった自分の反応
こころの中にあるものにアクセスするんですね。


すると、
「ガーン!!」ってなっちゃったな、私

を味わった後に
「うーん、でも、よくよく考えたら、あの人偉いわけでもないし、仮に偉かったとしても、付き合って媚びへつらうことはないかも。」


とか気がついたりすることもあるわけ。


一呼吸置いて
「おっしゃってることは理解できます」とかなんとか、前置きをしつつ「でも、私はこんな感じがいいと思います。」
をはじめて口にするということね。


アンガーマネジメントで言えば、怒りを鎮める6秒間だし
他には深呼吸ってのをいう人もいるよね。


それらは全て「相手に対してどうこう」ってんじゃなくて、自分が一時的に想像しちゃってる相手が自分にいうのではないか、やってくるのではないかという未来(ほんとはそうなるとは限らない)に対して反応しちゃってるのよね。


だから、そこをスルー
それで、私は今、これを言われて何を思う?

にアクセス


そんなためのスルー力を磨こう。。。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:42
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【徒然】石の上にも三年問題
昨日は、日本に帰ってきてお久しぶりの先輩にお会いしておりました。


私、台湾に3年住んでたんですけど、いろいろ質問されることに対して、多少考えること、伝えたいことみたいなことが出てくる。


そうわずか3年だけど
されど3年なんですね。


「3年なんて、あっという間すぎて、何か自分の中に残ってるんだろうかと思うことがありますよ。」


すると先輩は答えます。
「仕事が変わって、悩んで「もう嫌だ、もう無理だ」って言ってた時に、「3年頑張ってみなよ」って言ったでしょ?」


そうだ、「そうだ!それだ!言われたーたしかになんだかわからないけどなんかなった気がするわ」


そう、その仕事を私は今もメインでやっている。



近年は、若い人に「3年頑張れ」なんてナンセンスだと言われる。


時代の流れもはやいし、そもそも頑張ったところで何にもならないかも。


とかね。


そう、何にもならないかもしれないし
望んだ結果は得られないかもしれない


しかも「3年頑張らなくては『いけない』」訳では決してない。



何が正しいとか
何が間違っているとか


選択しない誰かを正しいか間違っているかの二元論で『さばく』ようなことはあってはいけない。


でも、まー人間のコミュニケーションはそうなってて
「言うことを聞かない」
とか
「伝わらない」
といっては嘆くわけ。



だけど、ここに一つ事実がある。


3年間やってみたと言う実績


それを誰かに伝えることはできるんじゃないだろうか?


そこから先、相手が続けるか、やめるかみたいなことを含めて、それは「相手のチョイス」なのであって、私は責任を持たなくてもいい。


そんなことかなぁと思った夜でした。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 10:48
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【徒然】日本帰るよん




ものすごくいろいろありまして、語ると長いですが、決めたのは超速効で、3年ちょっとの台湾生活に別れを告げることになりました。


関東圏に戻りまーす。


3年ってあっという間なのよぉ〜
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 21:50
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【徒然】ケータイ機種変しましたよ
台湾には3年いるんですけど、台湾に渡る直前、ちょうど日本でSIMフリーケータイが買えるようになった頃ですわ。


台湾で入手するのは大変だ(という気がしてた)ので、日本で、しかもアップルストアでその当時出たばかりのアイフォン6プラスを買って、握りしめて、台湾に渡ったのです。


その後、苦楽を共にすること3年。
一度のバッテリー交換を経て頑張ってくれました。


アイフォン6プラス

sもついてない。

今や売ってもいない。。。


それで、今回、アイフォンXにするか、3秒だけ悩みました。


これまで機種変といえば最新機種を買ってきたじゃないか!!


の思いが交錯しましたけど、いかんせん高いよね。


MacBook買えちゃうよ。


だってメモリーは64じゃ足りないんだもん。


64の次は256しかないし、ありえないでしょ。


ということでね、256のアイフォン8プラスにしましたよ。


アップルストア銀座店でご購入ですよ。

今回の一時帰国で。


ちなみに台湾で買うよりお安く買えます。
円安(最近ちょっと上がってきたけど。。。)だからよ。


為替問題で、いろいろ損してますけど、まー、それは良いです。
得してることもあるだろうちゅうことで。


それで、アップルストア銀座店に行きますと、まだアイフォン6Sプラスもアイフォン7プラスも売ってるじゃん。


アイフォン6プラスで性能についてはなにも文句なかったんで、揺らぎましたよ。


え、え、安い方にしちゃう?
どーよ?
みたいな(笑)


実は今回の機種変、苦楽を共にしたアイフォン6プラスさんが、いきなりSIMを認識しなくなったり、いきなり電源落ちしたりと、「え?これって電池変えてもダメなやつじゃね?」みたいな不具合が続いてたことによるもの


とにかくアイフォン自体を新しくしないとまずいなと。


どーでも良いけど、いきなりケータイが死ぬと、生活に支障が出ますからね。
(いろんなことを依存してるからね。)

まぁ、ケータイが死ぬにまかせて、仙人のような生活をするというのももしかしたらいいかもしれませんけど、そうもいかないもんでね。


で、そんなことで変えようとしてるので、最新機種じゃなくてもいいし、使い慣れた機種のがよくない?って。


だがしかしですよ。。。


そこは、、、やはり、、、決めてきたし、、、と、ブルーのシャツを着たアップルストアのスタッフさんに「アイフォン8プラス欲しいですけど、、、」って言ってみたりして。


というわけで無事に、一時帰国ちうであったことも手伝って、免税でゲットしてきました。



アイフォンXを買わなかったということで、アイフォンXのラインナップにはないゴールドにしときました。


機種変するといろいろやらなきゃいけないことが多くて困ってますが、これまた致し方なし。。。


とりあえずこの3年ご一緒したアイフォン6プラス
台湾生活を一緒に頑張ってくれてありがとね。

author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:06
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【徒然】皆様に感謝を!
今日は
2018年3月27日
私、誕生日です。


すごい時代で、朝、わたしがSNSを開いたら、誕生日メッセージを下さった方がいらして、それで誕生日だと気がつきました。


年末からここまで
いろんなことがありまして、今も続いてるけど、こんな年になるとそんなもんかなぁって思ったり。


先日、日本にちょこっとだけ帰って、エネルギーをもらったり。


思うことは、変化は自分で起こさなきゃねってことですかね?


世の中は変化が早いので、なんともかんともですけど、その変化についていくみたいなことだけじゃなくて、自分から積極的に変えることが必要なのかも。


そんなわけで、今日という日を味わうことにします。


色々なことに気がつかせてくれるステキなみなさんに、感謝を!


いつも読んでくださってありがとうございます。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:14
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【徒然】当たり前と常識を疑う
当たり前と常識を疑う。


この手の話は、人によっては耳タコですよね〜。
だって、素晴らしき成功本とか、素晴らしきビジネス習慣本をざっくり10冊も読めば、半分くらいのにはそれっぽいことが書いてあるもの。


元来、私、素直な性格なもので。。。
そうか、常識を疑うのか?
ふむふむ、当たり前を疑う、なるほどね〜
やってきました。


そうね、今、台湾にいるってあたりで、なんというかな、その常識ってやつとは戦ってきたかもね。


それを人は「波瀾万丈」と呼ぶのかもしれないし。
わたしのことを「破天荒」だと思ってる人もいるかもね。


それがあってるとか、間違ってるとかそういうことではなくて、そう感じた人がいたなら、そうだろうと思う。


世間的には、「常識だ」と言うことを疑ってみるというのはいいことだし、そのままの解釈でやってきて、ここまできたんだと思ってはいる。


思ってはいるけど、実はその「常識を疑う」というのは、もっともっと深いところだったのかも、思い始めているんだなぁ。


Authentic leadershipの基礎講座に出た時からだろうか、わたしの中でちょっと変わり始めているのね。


当たり前のことだけど、「人の考えていることはわからない。」
話を聞いたらわかるのか?
話を聞くと、わかった気になるでしょう?
例えば、家族が病気で大変だ。
という話を、詳しく聞いたりすると、すごくわかった気になって、「辛い時があるよね」って励ましたり、「そういう時はこんな食品がいいらしい」と、自分の経験をシェアしてみたり。
そんなことをしてみると、なんだか「ものすごくわかった気になる」んじゃないかなぁ。


少なくともわたしはそんな風になってたのね。


それら、「傾聴」であり、「共感」(ここでいう共感は一般的な意味での共感で、実はこれって同調に限りなく近いね。)


でもどんな病気の人でも、どんな状況にあったとしても、本人が思っていることを100%知ることはできないし、知れたとして、どの感情がどう動いて、相手がどう感じるかというのは相手のものであって、わたしのものではないのね。


だとすると、「相手の考えていることを理解する」なんて所詮無理なのね。


そこにたって、「当たり前」や「常識」を疑わなきゃいけない。



さて、当たり前だけど、外国は日本とは違う「常識」の中にあって、その中で、わたしは外国人というわけ。


そこはまー、いいんだけど、日本で言われる忖度とは、また違った忖度は存在する。


それがいわゆるここでの常識


そこはわたしのわからない世界で、一から学んだいろいろがある。


まさに、わたしにはわからないことだらけ。


それで、このどこかの「常識」
どっちが正しいとか、どちらが絶対的に間違ってるとか、そういうのはないんだね。


文字通りない、と思う。


日本だったら、、、
と思うのと同じくらい
台湾だったら、、、
がもうすでにわたしの体に刻まれてるし、どっちにもいいところとうまくできないなってところがある。


そういうことを比べても意味ないのね。


さらに、そこを理解しないまま、走って生きてきたので、これまで一時帰国等で日本に帰る際に、台湾に戻りたくないなぁという感情が湧いたこともなかったんだな。
(生きるのに必死すぎてそんなことを言ってる時間もなかった。)



今回、日本に一週間ほど帰ったんですけど、
「あー、台湾戻りたくないわー」
って最終日に思ったのね。


自分でもびっくりなこの感情は何か一つの理由があってそれが嫌でとか、そんな単純なことではなくて、本当にお初でお目にかかった、うちから出るもので。。。


これが、もしかして、いわゆるホームシックなのか?


と思っちゃったくらい(笑)


と、ここでいろいろ書いてるけど、「そうかぁ、外国で暮らすって、そういうのもあるよね〜〜、わかるぅ。」とかは違うんだよ!と言いたいのね。


冒頭の「当たり前」と「常識」を疑うはまさにここ。


100人の人が外国に行ったら100人の人の獲得する「当たり前」と「常識」が生み出される。


100人の外国に行かない人たちが持ってる「当たり前」や「常識」はある面で似ているかも知れない(国民性とか地域性みたいなものからね)
そこをでなければ、その「当たり前」と「常識」をある程度みんながわかってくれるはず。
だから、そこから外れるとイライラしちゃうのね。


でも、それだって、人それぞれで捉え方は違っているからやっぱりお腹の中にある「当たり前」や「常識」は異なるんだよ。


本当に疑わなくてはならないのは「世間で言われるところの常識」ではなく、「自分が持ってしまった常識」なのよね。


それを疑う。


疑った上で、それに従うもよし。
気が乗らなければ、新たなる「常識に身を委ねる」もよし。


その上に立つと、人はいつも変化してるのねってことに気がつかさせられるんだな。


まーそんなわけで、ビジネス書どれだけ読んでもここに立つまでにものすごい時間がかかって、かつ、その全ても「わたしが経験したことから総合的に展開すると、、、」ということで、どんなビジネス書にも載ってないわけだわ。。。


困ったもんだ。


今回、また台湾に戻るにあたって、結構深く感じたことでした。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 05:57
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【徒然】感情があることを認識する
自分の中に、いろいろな感情がある。


喜怒哀楽の話を昨日書いたけど、うまくいかないことがある時や、自分ではどうにもならないことがある時って、どうしても感情のふれが大きくなる。


これ、昔は良くないことだと思ってた。


理性的に、冷静に。
感情に流されず。
そんなこと。


これが良いこと


それで、
感情的である
思いに任せて物事を行う
感情を爆発させてる


みたいなことは悪いこと


そんな区分け。


昨年の秋頃、NVCという概念の基礎を勉強してみた。


そこで言われていることは、今まで感じてきたことと全く違っていて

感情を無視する社会では立ちゆかないんだと言う。


そうか、そうかもしれない。


そうかも知れないを、「そうなんだ!そうだったんだ!」にかえる8回だった気がしてる。


でも、簡単に引き戻される。
現実は、やはり「感情優先」は認められないし、そもそもそういうことでもない。


アドラー心理学が一時期流行ってて、今はどうかわからないけど、とにかくその頃、アドラーさんの本を読んで、「そうだな」と納得して、その後。


アドラーさん曰く
概念を知ってから自分の中に定着するまでに20年はかかると言っていた気がする。


おいおい、60歳になっちまう。


と思った。


でも、なんでも「概念」ってのはそういうものな気がする。


わかった
という状態から
それらが常に自分とともにあって、常にそんな考え方ができるようになる。


そこまでには何年もかかるんだ。


不思議でもないけど、それは事実よね。


かっこいいことを書いてみたり、かっこいいことを喋ってみたりして、そういう在り方をしているとなんかできてるような気がするけど、そうじゃない。


自分ではコントロールできないことですぐに引き戻される。


そんなもんなのかも。


でも、それはそれで、
むしろ「それも、あること」として
そこからまたはじめればいいかな?


それが浸透させるプロセスんだろうな。


なんとなく今の「モヤモヤ」も、抜ける時には、なんとかなるんじゃないかな?


うーん、、、


書いてて思ったけど、やっぱり疲れてるなぁ。。。
寝るか、休むかした方が良さそうだわ。。。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:21
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