- 西澤ロイさんのリスニング・エボリューション 感想その1 気がつかなければわからないこと
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2020.06.15 Monday
コロナ禍ですが、皆さまいかがお過ごし?ぷぅコッコです。
このなんとも渋い最中、3/2から3ヶ月にわたり英語リスニングの講座受けてました。
西澤ロイさんのリスニング・エボリューション 感想その1 気がつかなければわからないこと
と、題して書くんですけど、感想がその1で終わっちゃったらごめんなさい。
さて、この話を始める前に、
今日はこんな名言をInstagramにあげました。
そう、今から書くことも、実は自分でやってみないと気がつけないことでした。
世間の皆さんがどれくらいリスニングできるようになりたいのか?ってのは私にはわからないですが、私はできるようになりたかった、いやいや、過去形じゃなくてなりたいんです!
でも、台湾でも英語で仕事してたし、それなりには聞けるんじゃない?と言われると、多分それなりには聞けると思います。
チャイニーズイングリッシュならもっと聞ける自信あります。
去年ガツガツ受けてたTOEICで、リスニングの最高点は450点です。
これ、TOEIC受けない人は知らないと思いますが495点満点ですから、これだけみると9割わかってるじゃん!ってなる。
だけど実はそんなにわかってない自覚があって、そのわかってないと思ってる感覚から、嫌なものが滲み出てて、そいつを打開したくて、今回、リスニング・エボリューションに参加を決めたというわけ。
TOEICを例にとってみると、あの試験、特殊でというか語学の試験で選択式であればみんなそうなると思いますが、必ずしも聞き取れなくてもそれなりに試験に慣れれば、点数取れます。
選択肢の中から、正解を選ぶということなんで、全部聞けてなくても、よくも悪くも点数が取れてしまうんです。
まぁ、それで、そういうことに着目してテクニックを教えてくれる英語講座なんのも結構いっぱいあります。
日本はよくも悪くも、試験で点数が取れること、というのが免罪符になるというか、そういう評価しかされないというか。。。もしかしたら私がそう思ってるだけかも知らないけど、わかりやすい指標なんだなぁ。
ほんとに、仕事ができるというのは、また別の能力のような気がするけど。
日本に戻ってきて、なかなかその辺の折り合いがつかないから、点数で示せば、会社も文句なかろうってことで、去年はTOEIC、バリバリ受けてました。
(なんちゅうか、職歴に書かなきゃいけなくてさー。)
さてさて、それは、対会社、対日本社会用にやってた、いや、やってることで、私が本来やりたいことではないというのも、試験を受ければ受けるほど思うんです。
それもなんかちょっと違うなぁ。
なんというか、ちゃんと聞き取りたいの!あやふやなまま間違い探ししたいわけじゃなくて、ちゃんと聞き取りたいの!
テストもまぁ、重要なんだけど、そうじゃなくて、映画を字幕なしで理解したいとか、もっともっと世界に友達作りたいとかそんなことなのよ。
とにかく、試験用の英語を聞き取るその先に、もっともっとやりたいことがあるわけなのね。
そんなモヤモヤがあったりするわけです。
さて、このイングリッシュ・エボリューションですが、講座の詳しい話を書いてると長くなりそうなので、それは今日はやめて、この講座を受けて、変化があったことっていうか、自分の中で勝手にしかも無意識に思っていたことに気がついた!ということについて書いていきます。
講座としてやってたことは、毎日一問の英語を真剣に聞いて、それを一生懸命数回リピートするということ。
私、結構聞けると思ってて、でもやっぱり聞こえないというか聞き取れないものがあるのねって気がついた!
ってのは普通の感想だけど、
実際、この講座を愚直にやっていたら、前回は聞き取れなかったけど、2回目は聞こえた!ってのが結構あって、正直驚いたんですよね。
驚いたってのが肝なんです。
ここが、私が心に無意識に抱いてた「こだわり」みたいなものを氷解させたところです。
どういうことかって?
私、聞き取れるものもあったので、
「聞き取れるものは、注意してもしなくてもそれなりに聞き取れるもの。
聞き取れないものは、頑張っても聞き取れないもの。」
多分、無意識に、「あー、これは聞き取れないやつだ」と決めつけてた節があるんですよ。
今は聞き取れない、ではなくて
私には聞き取れない。
それは時に少しオーストラリアのなまりが強いとか、willが入ってるのが弱くて聞き取れないとか、まぁまぁ、いろいろあるんだけれども、なんとなくそこは、ネイティブの皆さんも意識してなくて、音として聴き取れるアプローチではなくて、例えば一部聞き取れてなくても、意味がわかっちゃう的なことか?とか別のアプローチなんだろうと勝手に思っていた節がある。
まぁ、まぁ、語学は総合力なので、一部聞こえなくてもそもそもその国の言葉に精通してる人はわかるかもしれないわけ。
それで、なんというかその「見えない語学力で補完されるものであろう何か」は「私には聞き取れない」と思ってたんだと思う。
それが、言われた通り練習したら、次は聞こえるようになっている。
上の私の理論でいけば、真剣に聞いたって、次も同じように間違える。
まぁ、そういう場所がないわけじゃないけれど、そうじゃない場所が出てくる。
これが1ヶ月くらい開けた後の2回目なのに、もう自分が以前間違えたようには聞こえない。
そんなことがある。
語学試験で話される手加減された英語は、ネイティブなら100%聴き取れると言われるけれど、それは語学として総合的にわかってるから補完されるわけではなく、ほんとに聞き取れてるんだ。
と、当たり前のことを実感したこと。
大したことないようだけど、それを実感できる練習をしたことなかったわけだから、これは個人的にびっくりだったんですね。
いやはや。。。奥深い。。。
そんな根深い思い込みは、写真でつけた名言ではないけれど、やり方を教えてもらった上で、自分でやってみないと気がつかないことで、これが、この講座を受けての衝撃だったのでした。
いやー、ほんとに聞こえてるんだなぁ。。。
まぁ、当たり前だけど。
高校生の日常会話みたいに超高速で話してるわけでもないし。。。
高校生の日常会話なら、聞き取れるとか以前に日本語でもついて行かれないかも。
まぁ、どっちでもいいけど、びっくりな発見でした。
んー、気が向いたら、もうちょっと講座の詳しいこと書くかも。(書かないかも。。。はっはっは。)
- 【セミナー・勉強会】ストレングスファインダーのセッションを受けたよ。
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2020.02.15 Saturdayストレングスファインダーセッションのあとね、ピアノコンサートに行きまして「心洗われた」ぷぅコッコです。
そう、この話は多分、私の強みにつながる。思いっきり思いつきで申し込んだピアノコンサート。
「蜜蜂と遠雷」って映画でさ、松坂桃李演じるピアニストの吹き替えをやった人のコンサートが近くであるってんで申し込んだんだな。かれこれ4ヶ月くらい前。
その思いっきり思いつきの行動が「私の強み」というわけなのだが。。。
それって、どうなのよ。。。という気もしますけど、ブログ読んだら、なるほどって思うかもよ。
ということで、本日、受けたセッションの話ね。
ストレングスファインダー
ご存知かな?
私が説明をこねくり回すよりも、ググって、コピって拾ってこよう。
「ストレングスファインダー」とは、アメリカのコンサルティング会社「Gallup社」が開発した自身の強みを明らかにする自己分析ツールで、今では一般的な自己分析ツールとなっています。
ということでね、自分の強み!明らかにするのよ。
え?自分の才能?みたいなもの?
うーん、セッションやってもらってはっきりしたけど、才能というかどうかは言葉の定義によるよね。
在り方、どうであれ、自分のあり方が詳らかにされるイメージだね。
それで、まぁ、これね、今回よりも前に受けたことがあるんだけど、、、だいたい読んで、ふーん。。。って。。。
ちゃんとこのストレングスファインダーについて勉強した人とかコーチングとかしてもらうとか、そういう勉強でもすれば、活かし方がわかるんかなぁーって、前にやった時は思ってました。
今回、セッションを受けるにあたって、講師の先生から、「前の結果を共有して」って言われたんだけど、前の結果なんて、あなた、どんなだったか覚えてないし、そもそもストレングスファインダーのサイトへの入り方すらも怪しいとあって、「もう一度受けたい!」と、お願いしまして、受け直したんだね。
そうこうしてたら、前の結果も見られるようにはなったんだけど、まー、なんかめんどくさいや(よくよく考えたら170問以上ある質問にもう一回答える方がよっぽどめんどくさい。)と思って、質問に答えましたよ。
んで、まー、受けると結果が出てくるんで、素直に読んで、静かに仕舞いました。
これじゃー、強みが活かせないじゃないか!
いや本当に。
ストレングスファインダーというのはお金払って受けると、34個の項目について、ちゃんと「強み」がある順番にレポート出してくれるから、「こんなふうに見られてるんだー」とか「こういうところに気を付ければいいんだねー」って単発なことはわかるよ。
レポートも丁寧だしね。
それで、この34個はその特性から4つに分類されるんだね。
この4つを見ながら、こういうところが強みですねー、みたいな分析になるんだと思うんだけど、まぁ、読んでも、へーみたいなーって感じで。
これね、日本語に「訳」してあるんだよね。。。英文のものが。
別に訳が下手だとか言ってるわけじゃなくて、母語じゃないから、その熱量みたいなものは、伝わってこないわけ。
いや、訳してあるから母語なんだけど、そこで、何に注目すべきなのか、そんなところかな。
言葉には力というのがあってだなっ、みたいなことを問いたくなる。
いや、むしろそういう偏見を与えないための平易な文章なのか。。。
文章だけでは、なんともね。
そんな感じだから、もしかすると、セッションみたいなのを受けてもコーチ、コーチで考え方が違って伝わり方と違うかもね。
実際はどうなのか?そんなことが知りたくて、ストレングスファインダーの一つの考え方として、今回コーチングしてもらったということね。
まぁ、ビジネス書で言えば
原書と
解説本
この組み合わせ、ブログでもたまに書くけど、解説本っていいのよ。
「解説本で分かった気になる奴はアホだから!」とか「原書とあたらないとか、マジないから!」って意見があるのも重々承知だし、解説本と原書、読んでみたら、言ってることってか解釈違くない?って思うことはあると思うよ。
でもね、まずは、それでいいじゃないかって私は思う。
入り口は、解説本で、そのあと原書にあたりなおすというやり方もあると思ってる。(まー、ぶっちゃけ解説本のみってのは、最終的には避けたいけどね。)
手に取るか、取らないか
のゼロサム判定なら、
ゼロより全然いい!
で、熱く語ってるけど、ストレングスファインダーだよ。
さっきの例でいくと、先に質問の方はやってみて、読んでるから、原書のぞいちゃったけど、それだけでよーわからんから、コーチングしてもらう、とね。
その流れでのセッションを今日受けたんだけど、これがめっちゃよかったのよ。
34個の項目を4に分けてあるって話を上に書いたけど、端的に言うとこの4つはゆるーくつながりつつも、34個から順番をつけたものが散らばっていくと、自分として得意分野とか、自分として「強い」というのが際立って出てくる。
それらはさっきも言ったけど、有機的に繋がってるから、例えば特性が「ない」というか強みではないって出てきたものに対しても、実は強みと思ってる方からのアプローチは「ある」のよ。
私の場合だったら、成功したいとか、達成したい、成果出したい、というのが行動のトリガーにはならないんだけど、じゃーいつでもそういうことと無縁で生きてていいですねーみたいな生活を送ってるかって言えば、そんなことはないわけ。
私だと、チームで一人一人の個性を生かして、なにかを達成するみたいなのに強みがありそうなんだけど、その個別の人たちが成果に向かって気持ちよく仕事してもらいたい!そのためにどんなコミュニケーションができるか?とかが、私が動く動機になってて、それが軌道に乗っていったら、当然その上で、「成果も出るっしょ!」って思ってるみたいなこと。
もちろん成果を出すことは今、生きてる中ではとても重要だけど、成果が出ればなんでもいいわけじゃないじゃん。
いやいや、ここ!ここだ!
成果出ればいいじゃんが強みの人もいるってことなのよ。
それでうまくできるとか、うまく回るが「ある」
でも、私はそうじゃないってこと。
仕事してれば、仲良しな人だけってわけにはもちろんいかないけど、そんな人たちがいろいろいて、それぞれに合わせて、働いて成果が出るっね構図がとても私のハッピーなのよね。
そのハッピーの「在り方」を模索して、生きてきたから、それらが私の「強み」だということなんだね。
えー、そんなのさー、ずーっと長い時間かけて、ずっとこんな癖で生きてきてさー、強みとか言われても、どっちかっていうとそういうことがあるから嫌味言われてきたりもするわけじゃん。
「成果に貪欲でない!」
とかね。
嫌なことも言われてきたじゃん!と、言いたくなる。でも実はそれらが、「あなたが後天的にコレクションして生きていくために使ってきたサバイバル方法」というわけ。
セッションしてくれたコーチは言ってくれました。
「ストレングスファインダーで出てくるものというのは、いつでもポジティブにやってれば、才能が開いてハッピーにみたいなことではなくて、まさにそれぞれの人のサバイバルの方法が現れるのだ」と。
強みなんて生優しいことではなく、「その武器で、これまで生きてきました!」というのが現れる。
そして、強みとして出てきた項目の中には、子供の頃から持っているCoreなものもある。
それがまさに、自分の生きる環境で生き残るために身につけた「強み」なのだ。
大袈裟に聞こえるかも知らないけど、そういうこと。
だから、あまりにもありふれていて、自分にとっては無自覚になんでもないことだから、「強み」だと言われてもわからないし、才能だと言われて、受け入れられるものでもない。
才能だったとして、それでギリギリ生きてきたってだけで、そこから抜け出す何かにはならないじゃない?ってことも思う。
それで、才能とはとても思えないような項目たちは、いつ、その真価を発揮するかというと、「自分に困ったことが起こった時」ってことなんだよね。
まさにサバイバル
文字通り死ぬわけじゃないかも知れないけど、人生の選択の中には少なからず、「どうしたらいいだろうか」って、「あの時の選択が私の人生の転機だった」みたいのがあるじゃん、その時あなたが使って生き残った方法が、その「強み」って奴らなんだよね。
これ、良いか悪いかって話ではなくて、いやでもなんでも困れば困るほど、そういう方法で生き残ろうとするってことなの。
そういうことがわかったらなにがいいのかな?って聞きたくなるよね。
それがあなたにとっても、一般的にも素晴らしくいい方法なら、そのまま、また同じふうに進んでいけば、きっと才能が開くよ。
あー、そうじゃなくてって場合ね。
その時、同じ方法を辿る!
ということがわかっているとして、危機がきたらどうだろう。
ちょっと関係ないけど、地震が起きたときに逃げられるかどうかを分ける一つとして、一年に一度避難訓練をしていたかどうかってのがあるらしい。
何かあったら、この方法で逃げよう!をおさらいしてるか、してないかの違い。
何かあったらこの方法で乗り切ろう!というのはすでに「あなたの中にある」それが、普通にはわからない。
その方法を知っていたとしたら?
それをブラッシュアップすることはできる!のよ。
きたきた、これだ!いつも困ったことがあると、これだよ!って思い至ったら、違う方法を試せる。
そうやって、能力を手に入れられるチャンスが巡ってくるわけだ。
これだよ!
「強み」ってのはそういうことなんだな。
有事の際に、そいつを乗り切れる能力のことだ。
それは確かに才能かも知れない。
イメージする才能ではないとしても、人として生まれて生きてる、今、生きてるってだけで、だいぶすごいことなのよ。そう思えば、身について離れない「強み」が自分を生かしてくれていたとしたら、そりゃ確かに才能だわ。
と、ちょっと納得した?
ストレングスファインダーという題材から、そこまで有機的に2時間でコーチしてもらった感じだけど、すごいよね。
一つ一つの項目を有機的にくっつける作業ってのがまずできないし、それらがいつどこでどんなふうに役立ってるのかってのを「伝えてもらえる」ってのはすごいことなんだよ。
得だ!本当に。
ということで、皆様もお試ししてくださると、面白いことが起こると思いますよ。
特に私が今日やってもらったコーチの方を推薦。。。
コーチのFBの連絡先
そんな極上体験の後、ピアノコンサート。
どっちもすんごい思いつきで、受けてたり、聴きに行ってたりする。(あ、コーチング受けるといいよって書いてるけど、すげー悩んで申し込んだんじゃないんだ。だからこそ、お得感満載!コーチングもコンサートももらい事故くらいの適当さです。)
でも、この、「今」を「楽しそう」にするために私は思いついたことをいきなりやったりできる「強み」を持ってる!
これでサバイブしてるわけだ!
人と違うところって、こうでなくちゃね!
- 【セミナー】CILフォーラム ”Inclusive Leadership: Key For Future Japan”に参加しました
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2020.02.08 Saturdayなんかうっかり申し込んじゃったら、深く考えさせられるセミナーだった、ぷぅコッコです。
CILフォーラム ”Inclusive Leadership: Key For Future Japan”
というやつに参加してきました。
APU 立命館アジア太平洋大学が20周年を記念して、フォーラムをするってのの1回目だそうです。
あまり何もわからず、東大の入学式で祝辞を読まれて話題になった上野先生の話を生で聴けるということにワクワクしながら申し込んでしまった。
なので、内容に期待してたということもなく参加しちゃったもので、入り口で登録する際に、名刺を求められてタジタジしたりして。
(奇跡的に持ってたので、お渡しできました。)
あー、社会人としてというか、名刺を出さなきゃならんようなセミナーであったか。。。と、ちょっとドキマギしたりして。
部屋は予想していたよりも小さくて、その中に満員の人となりました。
ダイバーシティーやらインクルーシブ リーダーシップやらということが叫ばれるわけなのですが、いろんなことにラベリングしてきたのは「人間たちそのもの」で、うまくいかないいろんなことは、「人間たち」が勝手に常識としてコレクションしてきたものよね。
なんてことを思う。
ダイバーシティーみたいなことを体現できるAPUという大学の取り組みの話から、会スタートしたのでした。
でも実のところ、それもわたしはふんわりとしかわからなくて、ボケーっとしてました。
そうこうしているうちに、上野先生の話がはじまりました。
上野先生は今回
基調講演 「超高齢社会日本の課題:官民協私の連携へ向けて」
という講演をしてくださったわけですが、上野先生はそもそも、介護という社会通念を通した超高齢化社会の課題を研究されてる先生だったのですね。
恥ずかしいながらなんの先生なのかもわかってなかったので、まさか超高齢化社会から介護保険を取り巻く社会の話になっていくとは。。。びっくりしてしまいました。
介護というと、今、リアルタイムで父の介護に向き合わなくてはいけなくなりまして、去年はそれらを軌道に乗せるため、大変だったなー。
ってなこともあって、現場側として知ってることがいろいろあるわけです。
上野先生の話の中で、「介護保険は団塊世代が作った最大の功績」という話がありましたが、いやーね、これ、利用してみると、本当そうよね、と思うわけ。
社会学を学んでいるわけではないけれど、自分が社会と関わってる歴史を見るだけで、日本という国の老人というのは恵まれてるのよね、ということを感じるわけです。
介護保険で言えば、官民が連携して、地域で包括的になんて言葉で、なんとでもなんだけど、そんな言葉を使わなくても、その制度に乗っかれるような者に父がなって、実際に利用してみると、やっぱりよくできてる。
ケアマネさんがついて、月に一度、家族と話をする。
リハビリやデイの人たちは迎えに来て、連れて帰ってきてくれる。
持ち前の人間力もあるかもしれないけれど、最初は嫌がっていた父ですら、その取り組みに乗り、デイやリハビリで人と繋がり、それなりに楽しく過ごす方法が見つかる。
すごいことなのだ。
これだけ手厚くプロに見てもらえる。
やっぱりすごいことだ。
わたしは子供を保育園に預けて仕事をしてきたわけだけれど、ケアマネさんのような人がいるわけではなく、保育園選びやすべての便利な情報は自分でとりにいかなくてはならなかった。
当たり前?
そう当たり前。
でもさ、子供を産んだお母さんたちにもしもケアマネさんみたいな人が国の取り組みとしてついてくれて、月に一度でも話を聞いてくれたとしたら、何か困ったことがあったらいつでも相談できる人がいたら、と思えてならない。
その意味でも、介護保険は優れていると思う。
まぁ、そんな介護保険の話から、死ぬことの在り方の話が展開される。
みんな最後は死ぬのだということを考えた時、自分の親が自分とは別のところで元気に生を全うする。
そういう仕組みに社会がなっていければ、一人で死ぬ(当たり前だけど)、それも望んだように一人で死ねる社会となってきたというか、そういう意識改革が進んだ介護保険20年だったという話に引き込まれ、深く納得してしまった。
最後は自分の家で死にたい高齢者が施設に入って、最後は病院で死ぬのが当たり前のように思うけど、それは本人の望みではなくて、本当は家族に迷惑をかけまい、地域に迷惑をかけまいとすることの現れで。。。
家族の都合
なのだ。
でも、「高齢者がその家族と一緒にいる」というのを「望んでいるか」というと、実はそうではなくて、一人で気ままに生きていた時のままを持続できる仕組み(食事が届いて、見届けてくれて、必要な介護が受けられる)というのがあれば自分の家で、家族を気にすることなく最後を迎えられるということなんだろう。。。
なんてことを思う。
まぁ、人間は勝手なもので、元気な時のままの家に戻りたいということなんだけど、元気な時のままの家というは、「自分も元気そのもの」という前提だったりする。
そりゃそーだ、介護が必要なほど身体が効かなくなるなんて、なってみなけりゃわからない。
なってみなけりゃわからないが緩やかに楽しくできるためには、なった人をたくさん見てきた人たちがプロとして介入し、それぞれの人に合わせた「自分の死に方」の在り方を体現する以外にはないのかなと思ったりする。
そこに家族という素人は要らないのかもしれない。
それでも家族には、また別の役割がまだある。
その人となりを知り、愛情を持って接するという気持ちの部分だ。
いずれにしたって、介護でヘキヘキとしてしまった家族では愛情もへったくれもないもので、疲れきらないためにも、社会で、地域で人を「看取る」という取り組みが必要だし、そういうことに向かってやってきたんだなぁ、としみじみ思ってしまった。
こういうことを考えるきっかけとなるセミナー。。。
たまには頭をフル回転させるためにセミナーに参加してみるってことは尊いことだと思ったりした。
皆さんも是非機会があれば聴いてみてくださいませ。
- 【セミナー】出口治明 連続講義「古典を読めば、世界がわかる」第一回に参加しました。
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2018.10.09 Tuesday久々のセミナーで、ワクワクしましたぷぅコッコです。
あ、久しぶりだと思ったけど、そんなことないなぁー、ブログにし損ねたセミナーでたわ、なんてことも思い出しつつ、ツラツラ書いています。
どのくらい前でしたかね、出口さんがFBのTLでご紹介されていたんですよね。
日本に帰ってきちゃったこともあり、これは行かなくちゃねってなわけで、勇んで申し込んだのでした。
こちら光文社さんが、最終的にご本にされるみたいで、録画?もされてたりするし、おそらくライターさんも入ってる感じのセミナーですので、きっときっと、5回目まで終わったあかつきには、素晴らしいご本になるものと思われます。
ってなことがあるんで、わたくし、ブログにしなくても、そのうち、もっと洗練された形で、世に出てくれるものと思いますが、せっかく参加したし、参加記録をブログにするのは趣味みたいなもんだし、つい最近、ブログの良さというか、ブログ書きたいわーみたいなのにも目覚めたので、書いていきたいと思います。
私の務めている会社から、護国寺という光文社さんのあるところまで行くのって結構時間かかりまして、それは問題ないんですけど、定時に出ればギリ間に合うか?と思ってましたが、幸か不幸かグループミーティングは長引き、安定の遅刻となって、10分くらい遅れて会場入りでした。
会場に入りますと、まぁ、すでに講義はじまってるわけでした。
まず、何故、今、古典なのか?
というそもそもの話につながる話題がなされていました。
その前に、「おいしい生活」ってのを考えるとき、あー、ここでいうおいしい生活ってのは、お金もあって、仕事もあって、ハッピーラッキーみたいなものをざっくり想像すればいいかな?
そういう生活をするために必要なものってのを考えると、
「知識」×「考える」
で、成り立ちそうだな、と。
イノベーションってやつは、いわゆる既存知の掛け算みたいなものだけれども、ここでいう、既存知ってやつ、知ってるのはいいけど、誰でも思いついちゃうようなものだと、あんまり意味がなくて、イノベーションではないっしょ?ってことになる。
そう、このイノベーションを生み出すために必要な既存知は、その距離感ができるだけ離れてる方がいい。
そんな「知」を達成するには、ダイバーシティよね〜なんて話が飛び出すんですね。
私ごとですけど、つい3、4ヶ月前まで台湾で暮らしておりまして、ダイバーシティと言うよりは、彼らにとっては私が外国人でしたけど、まー、日本だと得られない「知」が私の中に溜まったと思いますね。
これを掛け算してなにかを起こせば、おいしい生活か?
とか思うけど、それはまた別の話で、そのイノベーションを起こすためには、「既存知」ってのだけでもダメで、「考える」ってのも重要だよ。
じゃー、知識はいいけど、「考える」の方は?いわゆるセンスってやつですか?
いえいえ、そうじゃないのよ。
これまで散々、人間は考えてきてて、それこそ数多の天才たちがその方法を後世に伝えてくれているわけ。
そう、それが古典から学べることで、その「考える」を真似るところからはじめてみましょうよ!ってオススメね。
知識はちょっと距離の遠いところからも取り入れ、考えるは、先人の真似っこで、ってのの先にイノベーションがありそうだ。
あー、なんかすごい天才ってことじゃなくても、なんか生み出して「おいしい生活」できそうじゃない?
まーまー、それはさておき、その「考える」の先生が古典だということなんですね。
そして、この古典というやつ。
素晴らしいことに世界中で読まれてますから、読んでるだけで、世界中の人と世間話が弾んじゃうかもしれないというステキなおまけ付きです。
これは、既存知の距離をとるという意味でも、重要ですよ。
共通の言語を持つことはすごく重要だけど、同じ日本語を喋る日本人だって、なんも話すことないよね〜って人いるでしょう?
逆に、共通なのは、どちらも第2外国語で学んだ英語だけだよってなっても、趣味のことなら、ものすごく盛り上がっちゃったり!
私は万年筆を趣味にしてるけど、そんな話題でがっつり世界とつながりますからね。
まっ、そんなもんです。
これが下地で、これが古典を学ぶ理由なんだな。
さて、古典というと、難解だというイメージが強いですよね。
ごめんなさい、今回、光文社さんのダーウィンの「種の起源」が1回目の題材だと知ってたんだけど、読んでません。
でも、今回のご本は
「今、息をしている言葉で」翻訳されているそうでして、読みやすい?のかもしれないです。
(すみません、よんでないのでわからないです。)
古典というのは昔からあるわけですけども、日本のものであっても、なかなか文語体のものを読むのはしんどいです。(日本語を学んでるんだから、読めばという話もあるかも知れないですけど。。。日本語学者でもあるまいし、そんな事こだわらなくてもいいでしょう。)ましてや、海外のもので、格式高い昔の日本語にされてるものというのは、なかなかに厳しいかもしれない。
と、考えると、「今、生きてる言葉で」訳し直してくださってるというのは、とても素敵ですよね。
それでもわからないところは出てくるかもしれないけど、ま、それはそれとして、エッセンスをいただこうじゃないですか。
なかなか本題のダーウィンの「種の起源」に入らないですけど、この辺りから行きましょうか。
出口さんが曰く
ダーウィンさんという方、大変立派な人であるという印象を受けたそうです。
遺伝子学等がない時代の話ですので、証明されてないことも少なくはなかったはずです。
でも、「わからんものはわからん」と、きちんと言う姿勢と、それはそれとして、膨大な実験データからのロジカルシンキングにより、真理に近づくわけです。
いやー、サイエンティストですね。
頭が下がります。
そんなダーウィンさんが言う自然淘汰は正しいそうですし、進化の過程を考えたとき、生き残るものってのは。。。
強いものでも、大きいものでも、賢いものでもなくて、「変化によく適応したもの」だ。
ってことなんですね。
ぶっちゃけ
「運と適応」
ってことなんですね。
え?そんな偶然な?
そうそう、そんなもん。
あー、でも、運って引き寄せられるとも言われるしー、なんて思ってみたりもしますが、そんな運を引き寄せられるなんて、そりゃー少々傲慢な考えではないですかね?
ってなことも思うわけです。
とはいえ、この「運と適応」ってやつ
所詮偶然だから、なにをしなくても、来る人にはくるし、来ない私には来ないんだわ!
って決めるのもいかがなものですかね。
棚からぼた餅
ってありますけど、あれって、ぼた餅の落ちてくる棚の下にいないと、ぼた餅には有り付けないわけ。
もしかしたら、ぼた餅の落ちてくる棚の下には他にもライバルがいて、ぼた餅は一個かも知れない。
いち早くぼた餅を手に入れるためには、素晴らしい瞬発力で、誰よりも口を大きく開けて、取りに行く必要があるのかも知れない。
そういう「運とか適応」って、前を向いてるだけでもダメで、後ろの棚にあるかも知らないから360度警戒して、見つけ次第動けるように、体が出来るだけ自由に動く、もっといえば、考えなくても動いちゃうみたいに環境を整えとくってのも大事ってことなんだね。
そう思うと、先行き不透明でも、それって、そもそも今、どーのこーのではなくて、生物の進化そのものが先行きなんていつも不透明なんだよね。
その中で、今に適応していく力を持ってるものになりましょうよ!
って事で、現代でも、驚くほどマッチする不変の真理なのかもしれません。
他にも、話は盛りだくさんでしたが、とりあえず、今回のセミナーの話はここまで。
まずは光文社さんの種の起源、、、を、、、と言いたいところですが、出口さんが合わせて読みたいと推薦してくださった薄くて優しいご本があるので、そっちから読もうかなっと。
- 【セミナー】プレゼン研修受けてきました
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2018.07.24 Tuesday今日は珍しく、会社主催の外部研修って事で、プレゼン研修受けてきました。
普段なら、どんな研修だったのか、主催者さん合わせて詳しくお知らせするところですが、今回、会社主催って事で、参加者も社内の人間に限られるので、ちょっとその辺は割愛します。
さて、プレゼン研修ですよ。
いろんな研修、自分でお金を出したものも含めて色々受けたけど、がっつりなプレゼン研修、プレゼンの「やり方」にフォーカスして、ガツガツ演習もあるタイプのものはなかったかな。
今回、プレゼンを作成して
実際に発表して、
さらにフィードバックいただいて
プラス、ビデオ撮影もってな事で、やらせてもらいましたが、、、
このプレゼンビデオ撮影ってのがめちゃめちゃ強烈なんですよ。
とってはもらったものの、自分で見る気は本当にはなかったんだけど、見る時間を取られてしまったので、見たんでふよ。
いやーね、フィードバックも頂いたけど、「あんなに怖い顔でプレゼンしてたの?」って、驚きました。
本当びっくり。
勘弁してほしいわー。
でもこれ、めっちゃめちゃ役にたつね。
自分を客観的に見るとか、ありえないもの。
とはいえ、もう一度やろうと言われたら、いやだとは思う。
でも、本当に必要ならまたビデオ撮影するかも。
それくらい有効で、かつ、これは使える!ってな事を思ったのでした。
- 【勉強会】基礎編 Authentic Leadership講座 第4回に参加しました。その2
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2018.04.12 Thursday【勉強会】基礎編 Authentic Leadership講座 第4回に参加しました。その2
さて、昨日の続きから、前置きなしで書きますので、気になっちゃった人は以下のリンクから、昨日の内容チェックしてね。
リンクはこちらから 基礎編 Authentic Leadership講座 第4回に参加しました。その1
人間というのは一つの空間で
その中はエネルギーで満たされてる。
でも、私たちはいつも「思考」が働き、考えている。
思考の中には「ダメ」と「OK」しかない。
悲しいとか、嫉妬は「ダメ」
優しいとか、慈しんでるは「OK」
そういう判断なしで感じる?
感じるなんてとんでもない!
感じたらとんでもないものになっちゃうよ。
だから「感じてはいけない」と思ってるんだな。
そんな空間は「思考」には感じられないし、そもそも見えないですから、空間はなきものとされています。
普通にしてたら、そのエネルギーには「繋がれない」んです。
だから、「真実は世界の中にしかない」と思わされてるし、外の世界で生きるためには適応しなくちゃね!
って生きてる。
でも、エネルギーはあって、体で起きる全ての「反応」は「イノチ」がまさに命がけで起こしてるということ。
だから、何か感情が動いた時に、ひたすら内側に「感じ」にいく。
ひたすら感じる体験を重ねる。
一般的には、どんなに醜いと思われている感情にもいい悪いはなくて、私の中の真実はそのエネルギーの中にしかないし、それを感じにいって、体験することしかない。
すると、「あぁ、これだ」
ってメッセージが伝わってきて、自然と涙が出る。
みたいになる。
これがプロセス。
エネルギーを感じにいって「感じれば」いい。
簡単でしょ?
できる気がするでしょ?
よし、わかった、できると思う。
そう、この時まで私はそう思ってました。
「理解してるのよ。」
前日書いたブログのはじめ、「今日は疲れてるから、出るのをやめようと思った」と書きました。
実はそれより少し前、2週間くらい前かな。
エンパシーしてもらって、私の中の「感情的な安全性」というニーズが満たされていないということをエンパシーしてくれる人と突き止めました。
そこに至るまで、さまざまな思考の邪魔が入ったけど、エンパシーしてる人が連れていってくれた感じです。
おお、よかったよかった。
でもそれは回遊魚のように、それに近づきたくなくて、その周りを回ってた。
それは思考に邪魔されてたってこと。
そして、今日この日まで、私はその「感情的な安全性」というニーズに繋がれていなかったんです。
は?って思うでしょ。
いろんな理由をつけました。
一人じゃ繋がらないから、人に繋がってもらう手伝いをしてもらおうともしました(実現しなかったんですけどね。)
ここでいう手伝いってのは今回の受講者さんが体験した「ニーズ体感ワーク」です。
みーちゃんの話が続く中、はたと気がつきます。
「思考が邪魔してる。」
時間がないから。
疲れているから。
別の理由があるから。
そんなことしてる場合じゃないのよ。
これって、、、、、
合理的な理由があるから無理だっていってきたけど、全力で「思考」が邪魔してるのか?
今朝、「今日は疲れてるから出るのをやめよう」これこそ、回避行動なんじゃないか?
強制的に引き離しにかかる思考の力はここまで強いものなのか?
愕然としました。
私が私のエネルギーに繋がらないと満たされないニーズがある。
あるにもかかわらず繋がりに行かないから、「なにかがない」という状態のまま
ここまで怖がるって。。。
なんなの?
繋がっちゃったらすごく良くないことが起こっちゃう。
そう、思考は、頭は、「考えてる。」
すごく大事なことに気がつかさせられて、ぼやっとしてる中、みーちゃんの話は続きます。
(同時進行で、体の中に反応が起こったわけですね〜)
そう、こんな感じで思考は邪魔してくるのか!?
感じようとして「でもやっぱりあの人が悪いじゃん」って思考が邪魔してくる。
そんなレベルじゃないじゃないか。
邪魔されてもつながる。
どうでもいいから、感じにいくを、こんなにも繰り返さないと、そこまで全力で邪魔してくるんかい?
ってね。
そうやって、自分の「イノチ」とつながる。
そこが全部の入り口。
その自分の持つ「イノチ」につながって、自分への信頼感が上がると、なにごともシンプルになっていく。
例えば、相手がいる場合も、なにか言われことに対して「なにかを言われたから、悲しくなった。」いやいや、その人が言った事実はあるけど、それが、あなたに直接作用して「嫌だ」と思わせてるわけではないのよ。
(いやいや、そうとしか思えないでしょ。だって、そういう世界に住んでるからね。)
なにか言われたこと。
それによって自分のイノチが反応してる。
それを感じる、ひたすら感じる、その先にイノチがくれる「自分の真実」がある。
それと同じように相手にも、エネルギーがあって、「なにかをいう」というのは、その相手のエネルギーが「言わせてる」そのエネルギも丸ごと感じで、自分の真実を開示する。
というのが、本当の意味でのNVCのコミュニケーションなんだなぁって。
今回、本当に腹落ちしたんですね。
私のエネルギーに、
私のニーズはなんなのか
感じて、感じて、感じた先に私の真実がある。
それはすごく怖いことだから、思考も文字どおり命がけで邪魔してくるのね。
こんなにもか?
ちょっと感じにいって、うまくいきませんでしたとかいうレベルじゃないじゃん。これ。
愕然とするとともに、でも、つながれば、少なくとも思考の信じている「素晴らしく恐ろしいものだからつながってはダメだ」のメッセージからは解放されて、不安や恐れといったものから解き放たれるんだな。
このエネルギーというやつ。
自分だけが満たされればOK
とはならないらしく
その包む雰囲気、その場そのもののエネルギーを満たしにいこうとするらしい。
自分にもエネルギーがあって
相手にもエネルギーがある。
そのエネルギー同士を感じる。
もしもコンフリクトがおこるなら、自分の中の真実を相手に開示する。
なんて、壮大なプロジェクトだ。
なんでここまで私はそれを知らずに生きてきたんだ。
もったいない。。。
ここで改めて
あー、思考が邪魔してくるってのも別にあっていいなぁ。
すんなり繋がれたらどんなにいいかと思うけど、簡単じゃない。
でもそれはそれでいいんだ。
それでも繋がり続けた先に自分の「真実」というかニーズがあるんだなぁ。
それを知ってれば恐れずに繋がりにいけばいい。
そういうことなのか。
と、もう、この辺が、参加してたzoomのチャットに感動しすぎて「今日参加してよかったです。やっとわかったんです!つながったよ」みたいな興奮気味のコメントを入れたあたりです。
さてさてさて。
この日、受講者の皆さんは、「ニーズ体感ワーク」をしてらっしゃいまして、これね、6期でやった時に、初めて自分の中のエネルギーに触れて、これはすごいなと思ったんですよね。
で、その後、自分のニーズと繋がりに何回もいって、いろんなニーズを見つけました。
以前「生命・生活の維持」というニーズを感じにいったことがあります。
満たされないと、頭痛とか吐き気がしてきて、満たすためには「寝ろ」みたいな感じが自分の中にあることを知ってます。
面白いことに、疲れすぎている時とか、頭痛、吐き気がしてきて、「あぁ、疲れてるなぁ、でも忙しいからしょうがないよね?」じゃなくて、明らかにこのエネルギーが満たされてないことがわかるんですね。
「あー、私、これ、知ってるなぁ。これは、透明なプラスチックのヘルメットみたいなやつだ(あ、これ、私の中の生命・生活の維持のニーズの形です。)」
。。。
「あぁ、生命・生活の維持のエネルギーだわ。ベッコリ変形しとる。。。寝なきゃダメじゃないかこりゃ。。。」
と、満たしたいので、自分の行動の中のからできることを探します。
仕事を早めに切り上げて家に帰って早く寝たりね。
どんどん考え方がシンプルになる。
そんな感じで、このニーズ体感は誰かがお相手でいる方が繋がりやすい(導いて貰えるからね)けど、自分でも繋がれます。
ということで、みなさんがそれぞれ体感ワークをしてる時間に私は、思考が怖がって回遊魚していた「感情的な安全性」につながることにしました。
思考に邪魔されてもつながるんだ!!
って決めて繋がりにいきましたら、繋がれるもんだね。
すごいなぁって。
怖がって全力で逃げてたのに。
繋がるだけで、満たされるんだなぁ。。。
言葉で伝わったのかはわからないけれど、この会に出て本当に良かったなぁって言う不思議な時間でした。
考えててもあんまりうまくいかないので、ひとまず、どうであっても、というか、どういうこともあっていいし、それでも、その上で自分に繋がりにいくってのが重要なんだなぁ。。。
ジーン。。。
という余韻があるところで今日はおしまい。
(明日には続きません。)
- 【勉強会】基礎編 Authentic Leadership講座 第4回に参加しました。
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2018.04.11 Wednesday【勉強会】基礎編 Authentic Leadership講座 第4回に参加しました。
私が前回参加していたのは、6期で、今回のは7期の4回目
前回出られなかったのよね。
ということで、参加!って表明をしていたんですね。
参加表明したのはいいんだけど、実はここのところ一ヶ月ものすごくいろんなことがあって単純に疲労がたまっていたので、これは、参加よりも、断念して次回のがいいんじゃないだろうか?と。。。
私には活動に参加するより休息が必要だ!
と、朝、思ってたんですよね。
本来だと、声出し可能なカフェとかで会に入るんですけど、こりゃ無理だなと思い、聞くだけって事で、移動しながら参加させてもらいました。
会に入ると、チェックインと言ってみんなでこれまでの学びの一言コメントみたいなのをやるんですね。
私はオンラインで繋いでるので、その声はイヤホンから聞こえてくるわけですが、皆さんの声が遠くから聞こえる感じで、結構苦労してました。
この遠くに聞こえる問題
なんのことはない、イヤホンの仕様というかセッティングの問題で、出力音量抑えられていたことに後から気がついて、「こ、これだったのか!!理由は!!」と、会の中盤に気がついたんですね。。。
最近、機種変してイヤホンが常にBluetooth接続になったんで、その弊害がこんなところに、、、くぅぅぅぅ。
まぁ、それは置いといて。
受講生の皆さんの言葉を聞いていると、「何かあったときにちょっと立ち止まれるようになった」という嬉しい変化と、「それでもまだ掴めていない」「もっとこんなシーンで使いたいのに、そこには至っていない」という、「もどかしさ」のようなものが伝わってくるんですね。
そーなの、そーなの!
私もそう思うよ。
ってか、そうだったよ。
ってか、今、まさにそうだよ!みたいなね。
さらに、不思議なことにみんながすごく「思考の言葉」で喋ってるなぁって伝わってくる。
「脳に汗をかいて理解しようとしてる」
感じと表現するのがいいかな。
これ間違いなく私もやってましたけど、実は「感じる」ってそういうことじゃないんだよなぁって。。。
6期で受講してた時は「日本人はみんな真面目だなぁ〜」みたいな感想だったんだけど、あ、違うなこれ、私も含めてみんな頭で理解しようとしてるな。
やってみたことってのを解釈して表現してるからこうなるだなぁって。
イヤホンセッティングのおかげさまで遠くに聞こえるみんなの声を聞きながら、そんな「場」を感じてました。
チェックインの話を書いてるだけで普通にいつものブログ分くらいは書いた気がしますが、続けますね。
人間というのは「ある1つの空間」でその中に「様々なエネルギー」が詰まってる
という考え方というか感じ方というか事実があります(抽象的な意味ではないんですけど、それは実際に自分で体感しないと、実感できないので、そんなもんだと思ってもらえればいいかな?)
それで、そのエネルギーというのは
「感じることができる」
というか、「感じることでしかわからない」んですね。
一方で、脳を使った「思考」「考える」ということをものすごい時間してきていて、脳はまさに、臓器の頂点な感じすらあるわけですが、その「思考」の中では「このエネルギー」は存在しないことになっちゃってる。
なんでかというと、脳にはこのエネルギーを「感じるすべがない」からなんですね。
私たちは日頃の「よく考えて行動することが良いこと」と思わさせられてるんですね。
無意識に、これまでの社会との繋がりとか教育とかを通して、そうあるべきだと思い込んでいるわけです。
まさに、「その瞬間、何を考えているかが真実だ」と言うわけ。
おやっ?エネルギーの話はどこにいきましたっけ?
そうです、人間は空間でエネルギーで満たされてるなんてことは考えてもわかるわけがないんですね。
だって、それを無視して、社会に適応するというミッションを背負って生きてて、誰もこれまでにそういうものですった教えてくれないですから。
まさか、自分の中にさまざまなエネルギーがあるなんて想像もしないということです。
だけど、「エネルギーはある」ので、それはなんらかの形で私たちに信号を送っていて、それをどういうわけか受け取っちゃう。
この時、脳はどんな感じで受け取ってるかというと「快か不快か」のいずれかで受け取ってて、
「不快を快にしたい」もしくは
「不快を避けたい」
と行動するし、この「不快はなんで起こってるんだ?」と解釈しようともするわけなんですね。
その解釈の果てに「〇〇さんが〇〇と言ったから、私は不快になった」とかそんな感じ。
待って待って、その不快の解釈、合ってますか?
実は自分の中のエネルギーが必死に伝えようとして感じたことを「不快」と捉えて、まさか、自分の中にエネルギーがあるなんて、思ってもいないし、そんな見えないもんを感じるなんてことをやったらものすんごく悪いことが起こるかもしれないでしょう。
いやいや、受け入れられないですね。
と、思ってるかどうかのプロセスもなしに、「私の中に不快にさせる要因は皆無ですから、私の解釈によれば相手のせいですよ。」
と、思って生きたら社会の仕組み的にも倫理的に行動できてるし、素敵だ。
素晴らしく効率的だしね。
ってのを優先すると、世界はそれなりに平和です。
でも、自分は置いてけぼりなんですよね。
だって、内側のエネルギーはなかったものにしてるわけですから、これ、どーしたらいいんですかね?
ということで、自分から感じにいかないとわからないし、
「不快だ!」って信号を送ってるのはなんなのか、自分の中のエネルギーを感じないことにはわからない。
ということなんです。
昨日の講座、出てよかったなぁって、「そういうことだったのか!!」って思ったって話ってのがあるんですけど、それはちょっと、また明日書きます。
昨日の受講生の皆さん、ニーズ体感ワークでやって、感じてくださった通り、「エネルギーは自分の中にあります。」
一緒に面白がりましょう。
ってことで、明日に続きます。
- 【勉強会】エンパシー・スーパービジョン
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2018.03.28 Wednesdayあらかじめお断り、本日のブログ、割と自分の備忘録のために書いているために、途中、理解できない部分や、共感できない部分が存在すると思われますが、そちらは、あまり深く考えずにスルーしてください。
昨夜、authentic leadership講座に付随するエンパシー・スーパービジョンのエンパシーされる人をやってきました。
エンパシー、、、どこかで説明を書いたかもしれないですけど、人に話を聞いてもらい、共感を得ながら、深く自分の命とつながるということです。
それってなんだ?
イメージしやすいので、書きますが、カウンセリングの被験者で、まぁ、話を聞いてもらう側をやりましたって話。
(実際はもっと、すごいんだけど、伝わりづらい。。。(笑))
わりと頭でっかちなので、authentic leadership講座の基礎編で、「よし、理論は理解した!」「ん、ならできるはずだ」みたいなことを思うんですけど、何事も、練習しないとうまくなりません。
それは洋の東西を問わず、authentic leadershipの大天才がいたとして、そんな人でもです。
で、昨日のは上級コースのみ方々の練習の場みたいなところで、私はエンパシー体験の方を積むためにエンパシーしてもらう側として参加しました。
このエンパシーというやつ。
実は上級コースに友人がいるので何度となくお願いしていて(この場合は自分も練習したりしてる)その度に発見はあるのね〜〜。
でも、昨日のは、講座主催者の方が実際にエンパシーしてる様子を見ながら、アドバイスしてくれる会で、私はもちろんエンパシーする側ではなくてされる側なんだけど、とにかく、これまでの経験から自分の「命」に向き合いたいと思って参加したのよね〜〜。
まー、それで詳しく書くのはどーなんだって事で、詳細は明かしませんが(ブログ読者には、私のくるしい胸の内はダダ漏れな気もするけど(笑))いろんな問題があって、雇用だったり、家族だったり、で、自分的にはやってるつもりなのになんかモヤモヤするんだよね〜〜。
ってところから話が始まりまして、おあいてしてくださった方が、私が言ったことから必要な部分を繰り返してくれて、こういうことが欲しいんじゃないか?というのをひたすらフィールドバックしてくれるわけです。
お相手さんは初めておはなしした方ですが、すごく心地よく引き出してもらった感じあります。
もうね記憶がないくらい喋りまくった気がして、正確には覚えてないですが、問いかけられることに対して、自分がどう反応したか、感情が動いたかってのは覚えていて。
例えば、「それってもっと主体的にしたいってこと?」とか「配慮かな?」と問いかけられるんだけど、頭で考えてたら、そうかもって思うことに、体が、体の内側がNOを出すんだよね。
「いや、主体的ではあると思う」とか「うーん、自分で決められないことが多いけど、配慮はされてるんだと思う」とか、、、でも、もやもやするんだ。
そうすると、どんなタイミングだったか覚えてないけど、「怖いから近づきたくない」って感じる、、、を多分口に出したのよね。。。
それをリフレクションされる
「怖いから近づきたくない」
そうなんだよ。
時間があれば、自分につながってって言う、そんな時間が欲しいとかじゃなく。
もしも時間が欲しいなら裂けばいいのよ。
時間なんてどんなに大変な時でも作れるのは知ってる。
じゃーなんでだ?
ってなった時に、怖いから近づきたくないんだよね。
そのなんらかしらある、自分の中のエネルギーにね。
だから、「こんなこともあんなこともあるから、大変でしょ〜だから近づけないんだから〜」って言う言い訳を必死にやってるんだね。。。
回遊魚のようだ(笑)
生きるために必死に泳いでますからね、中心部のほんとは近づきたいエリアに近づかなくても、私は頑張ってますから、うんうん!みたいな。
それで避けてきた物は何か?
と言うところで
「それは感情的な安全ですか?」
って問いかけられたんだと思うけど
(どう言われたかは覚えてない)
「あ、それだ。。。」
と体が反応するんだね。
不思議なんだけど、
「そーかも知れない」
「そーゆー考え方もできますよね」
とかじゃなくて、
完全にそれ!
ってのが体の内側からくる感じ。
今回はその言葉を言われた瞬間に文字通り「胸熱」になりました。
(きっとこの辺にエネルギーあるんだね。)
で、すごく気分が良くなって
なんと言ったらいいかな
内側にあるエネルギーの方が「やっと見つけてくれたー」みたいな興奮状態でしたね、これ。
(そのあとしばらく遠足前の子供みたいに眠れないみたいな感じ)
で、私の回のエンパシーは終わり。
でもすごく貴重な体験をさせてもらった。
もうずっと、体からは呼びかけられてた気がする。
でも、自分だけじゃ繋がらなかった。
そんな意味でもすごくありがたかったなぁって思う。
おあいてしてくださったゆうくんが「なんかシャブみたいな感じで」って繰り出してくれた細かいジャブが効いてきて核心に。
面白すぎるね。
さて次は、「感情的な安全」というニーズと実際につながらないとなぁ〜
一人じゃ怖いんですけど、これ。
ってなってるのが今。。。
主催のみーちゃん、エンパシーしてくれたゆうくん、そしてエンパシー・スーパービジョンに参加してくださった皆様に感謝です!
- 【勉強会】基礎編 Authentic Leadership講座 第1回に参加しました。
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2018.02.05 Monday【勉強会】基礎編 Authentic Leadership講座 第1回に参加しました。
ちょっと前ですけど、最終回参加したって書いてたじゃーん!って方、このブログの読者さんで、かなりの通ですね。
そうなんです。
基礎編は実は私、一度参加してまして、それは6期だったのね。
んでもって、7期が開催されて、実は6期の時の1回目の4回目は残念ながら、ほぼ参加できてないという事情があったので、今回、7期の皆さんと一緒に1回目と4回目だけ参加しようと思いまして、参加してるということなんですね。
安定のzoom参加でして、まぁ、アジトに行けたらいいんですけど、いかんせん外国に住んでるもんで、zoom参加できるというだけでもありがたいことです。
そんなわけで、めちゃめちゃ楽しみにしてましたのに、まさかの緊急対応で帰れず。。。
前回と同じじゃないか。。。
と、なかば絶望しながらも、なんとか、聞きたいところは聞けたかな?
ということで、さらりとまとめします。
ちょうど、「NVCの前提と意図」の説明がはじまる前に入った感じなんですけど、いやー、ここがね、聞きたかったんですよ。
うん。
前回参加した時は、zoomも初めてだし、遅刻するし、もうさー、「申し込まなきゃ良かった」くらいのことを思ったわけです。(いや本当に。)
がーん、1回目ちゃんと出られなかった、もうだめじゃん!みたいな。
子供か?って感じですけど、完全に浮き足立ってまして、思い出しても恥ずかしい。
そんな風になってる人が7期の皆さんの中にいるかはわからないですが、「うーん、ニーズってなんだろう、欲とは違うのか?共感できる?感情に。。。よくわかんないよぉ〜」ってなってる方、安心してください。
8回続けて参加してると絶対掴めると思うので。素晴らしいです。
で、それらを受けて、の「NVCの前提と意図」いやー、染み込みますね。
なんで、よりにもよってまた遅刻なのかという問題はありますが、「そうそう、うんうん」っていちいちうなづく感じです。
ニーズは誰にでもあって、その満たし方は違うということ。
テロリストはなぜ爆弾を仕掛けるのか?
こういう問いにパッと答えられる人はいないし、理解できないって思っちゃう。だけど、彼はなんらかしらそうしなければならない理由や背景があって、その奥には彼らのニーズがある。
そして、そのニーズを満たすための手段として、爆弾を仕掛けることを選んだというわけ。
だったら、それが許されるか?
なんか理由があればいいのか?
そんなことを考えちゃうけど、そーじゃない。
やったこと自体は許せない。
あなたがあなたのなにかのニーズを満たすために使った手段は許せない。
だけど、あなたがなんのニーズを満たそうとしたのか、そのニーズ(なぜそうしたのか?)には繋がれる。
この繋がれるってのが、許すとか、許さないとかそういう次元じゃなくて、何か悲しいことがあったとか、そういう感じが一人一人違うけど、私も持ってるし、あなたも持ってるよねって、共感できる。
ニーズというのは、誰にでも共通であるものというのことなわけ。
ではではそのニーズとやら、どんなもんなのかってのは、これからやってくことになると思うんだけど、さまざまなニーズがあって、それらは層になってる。
これね、今だから思うけど、本当そうだなって。
例えば、「食べ物」のニーズってのがあったときに、「何かを食べたら満たされる」というニーズだとして、とにかく食べたら満たされるんだよ。
それが、食べても食べても満たされないって、おデブさんの陥る罠みたいになってるけど、それって、もうニーズじゃなくて欲なのよ。
「食べ物」ってニーズだけじゃなくて、「つながり」だったり、「承認」だったりっていろいろある。
色々あるものは、全部、方法は無限大で、満たすことが可能なの。
え?でも満たさないのがあるって。
そうそう、そう思っちゃう。
それは、社会がそうなっちゃってるから。
もうほんとは全ての人を満たせるだけの資本みたいなものは多分あるんだよね。
だけど、社会は不公平だから満たせない。
というか、全ての人のニーズを満たすストラテジーってのは存在しないらしいんだな。
つーか、ほんとはあると思うけど、ひどく、達成しづらい。
例えば去年生み出された利益というやつ、いろんなものがあるんだと思うけど、とある統計によると実にその82%は上位1%の人の懐に。
そして下半分に属する人たちの資産は増えてない。
ってことがあるらしい。
こんだけ偏ってたら、「食べ物」ってニーズすら満たせない人がいるのは容易に想像がつくし、資源はあるけど満たしづらい世の中ってのはわかりやすいかなと思う。
じゃーひとまずこの講座に参加してる日本人なら「食べ物」ニーズは満たされてるな!としても満たされてないもんがいっぱいある。
世の中はパフォーマンス評価だから、「あなたは何々ができるから愛される」みたいな指標。
それに一番こだわっちゃってるのが自分自身で、ともすると
「私は何々ができないから愛されない」なんてことにまで思いが及ぶと。。。
なんか幸せじゃないないなぁ。
でもしょうがないじゃん世界がそうなんだもの。
いやいや、そーではなくてね。
自分は「なんでそう思っちゃってるのか?」
そこにはどんなニーズがあって、どんな思い込みをしてるために満たせないのか。
(何々すべきとか、何々じゃなきゃダメだとか、そういうのは思い込みで、実は取っ払うことができる!筈だ!これがストラテジー無限大というわけなの。)
なーんていう、自分のニーズに繋がる旅みたいなもんなんだよね〜。
うんうん。
と、深くうなづいたりして。
それにしても、なんでこう、毎回、仕事で参加できないのか。1回目だけ。
どーなってるだか。
久しぶりにNVCの世界観に触れて、とてもしあわせな時間でした。
いつの日か対面クラスで受けられたら良いなぁと思ってます!
- 【セミナー】ご縁とご恩と手帳と心の使い方の話
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2018.01.04 Thursday昨年の12月初旬頃のこと。
私の友人で、コンサルタントで、カウンセラーで、研修講師でマルチな活躍をしている米倉剛さんが一般向けにセミナーするということがありました。
米倉剛さんのサイトは
こちらから
そのセミナー、実は、どうしても彼が研修講師をしている姿を見たいと望みが私にありまして、それも、私の友人で、一般セミナーを主催されている薫さんにお話しさせて頂いて、実現したものなのですよ。
一般企業で引っ張りだこな研修講師の方のお話ってはなかなか聞けないもので、私、それが聞きたい一心でお願いに上がったというわけ。
それで、研修姿は見たことなったけど、きっと一度彼の話を聞いたら、ファンになる人がいるんじゃないかなぁと思って、
これらを「ご縁」に、今後も薫さんの会で米倉さんのセミナーが開かれて、いつの日にか、ぷぅコッコが日本に戻った時に、参加できる感じに育ってたら嬉しいよね〜
なんてことを妄想してたんだなっ。
そしたらさ、実は薫さん、マネーの会というコミュニティをお持ちでして(さすがコミュニティの女王!)そのサイトで、なんと、早速、米倉剛さん(以下親しみを込めまして、ヨネゴーと呼びます)が先日行ったセミナーの録画を観られるというじゃーないですか。
(録画の閲覧は有料会員さん向けに常に用意されているコンテンツの一つです。)
ってことは、私のように海外にいても、そのセミナーにアクセスできるという!画期的なシステムなのよ!
そんなマネーの会は
こちらから
ここまで実現しただけでも感激すぎて、仕方なかったんだなぁ。
ジーン。。。
しばし余韻に浸りたい気分。。。
で、今回その録画をご好意で観せていただいたんですけどね。
最初は冷やかし程度(と言っては失礼だけど)話のタネに、流し見しようと思って見始めたのよ。
だって、掴み部分とかはヨネゴーそのものだから、なんといっても友人なんでね、なんというか、掴みの手の内は知ってるわよ!みたいな気分。
ところが、話が進むにつれて、いやはや、興味深いじゃないですが、すっかりがぶり寄りで見始めて、「あれ、今んところちょっとわかんない。」みたいなのはなんなら巻き戻して観ちゃったわよ。
もうそんなことに至った自分がびっくり。
そんなわけで、
「そのセミナーに出られた方のがきっとグッとくる!セミナーまとめ」
を書いていきたいと思います。
研修講師を生業にしてるだけあって、掴みは、まー、技をいっぱい持ってるわよね〜〜。
そこはぶっちゃけどっちでもいいのよ。
このセミナー
「心のくせを活かした手帳術」
ってな感じの題名がついてるんだけど、手帳術って言っても、
実はこういう「手帳がいいですよ」とか、
「プロジェクトまとめるならガントチャートがいいです」とか、
「ブランクリンプランナー活用セミナー」
じゃないのよ。
ぶっちゃけどんな手帳使ってもいいんだよ。
極論では。
そんなもん、ほぼ日の毎日の格言は好きじゃないから、EDITにしようとか、
マンスリーだと、使いにくいなら、ちょっと分厚くなるけど、ウィークリーかなとか、
なんだっていいんだよ。
問われていることは?
そこにあなたは「何を書いていますか?」
そこにあなたは「何を書けていないですか?」
手帳を使って記録した先、「あなたにはどんなゴールが待っていますか?」
それらを意識して、「手帳を書いていますか?」
ということなんだね。
そんなこと、考えたことあります?
さて、ぷぅコッコさんは長年、手帳迷子でしてね。
とにかくいろんな手帳を試してるし、いろんなペンも試してるし、「心地よいものは何か」ってのを実は追求してる。
世の中で、手帳術を提唱されている方の本とかセミナーとかも、いい感じにそんな感じが多いよね。
どの手帳がいいですか?
って問いだけなら、ぶっちゃけ一般的なことは、この私レベルでもかなり語れると思うんだな。(ほら、万年筆マニアだし、それなりにこだわってんのよ。)
でも、本当に必要なことはそこじゃないんだよ。
もちろん、そういう紙質とか書き心地みたいなものにこだわれば、自分が必要としてる、「自分の中の何かの必要」とか「自分の中の心地よさ」みたいなファクターは多分満たされるんだな。
でも、使うからには、ただ単に「予定を書きました」「予定こなしました」終了ってのだと、なんか惜しい。
なんか悔しいじゃない。
その昔、ブログはストックメディアだって話をしたことがあります。
ブログを書く意味は何かってのは置いといて、
SNS等との最大の違いは「振り返りができる」ところだよね。
この振り返りが半端なくすごいのよ。
やってみると、わかるけど。
いやいや、やってみないとわかんないけど。
それで、ブログほど大々的でなくていいんですけど、って方も、 それと同じことを「手帳にも求めてもいい」んじゃない?
そして、求めてるのに「なんかうまくできない」「なんだかスッキリしない」という人の、「それってなんでなんだい?」ってのに深くアプローチしたいわけ。
実はそこ、「紙質の問題ではない」んだよね。(まっ、あたりまえですけどね。)
ってことに気がついて欲しいというのが、セミナー講師であるところのヨネゴーのメッセージよね。
実際に出られた方は「その場所の雰囲気」を感じておられたんだと思う。
「そうなんだよ、手帳を書くことで、私は昨日の私と、違う新しい私に成長することを望んでいるのよ!」っていう、ことに気がつけるように場の雰囲気を作っていってたんじゃないかなぁ、と。ヨネゴー氏がね。
そんなことを推察してますけどいかがかしら?
だから、ライブと録画では少し印象が違うんじゃないかとは思うけど、
その場にいた方が、掴みとった
「自分の中での達成感」
「これまで疑問に思わなかったけど、なんか欠落してる感覚」
「手帳ってもっと可能性がある?って感覚」
そんなことに気がつけたら、概ね参加した意義があったんじゃないかなぁって思います。
現代は、なんでも「効率的に!」ってので動いてると思うけど、実はこの効率ってやつ、これだけでは、人間は立ち行かないところに来ているんじゃないかと、私は思っていて、日本は、なんか上手いこと言ってないんじゃないかなぁと、うっすら感じているんだよね。
そういう、「感覚」って実は、自分の中に溜めてると、澱のようなものになって、腐っていくんじゃないかなぁって思う。
セミナー前半、ヨネゴーが言っていたことで「いいなぁ」と思ったのは「誰でもいいから、聞いてもらう」「誰でもいいから壁打ちしてもらう」ってところ。
澱を溜めないこと
これって、実は日本社会に必要だと私は思ってる。
溜めないようにするには、やっぱり出すしかないんだよね。
かといって、愚痴ればいいのかとか、それってどうやってやるのよ!
って方。
ちゃんと講師がいるじゃないか!
ヨネゴーに個人セッションをお願いして聞けばいいのよ。
いやいや、むしろ、ヨネゴーが聞いてくれ!と。
私の澱をプロヨネゴーとして払ってくれ、と!
そんな機会に使ったらいいと思うんだよね。
なんでもそうだけど、言われたことがピンとこないという時
「初めて出会った感覚なので、わからない」
ということは、往々にしてあると思う。
そんな時は、そこで出会ったことを足がかりにして、ガシガシ質問する。
それこそ出会ったことが「ご縁」だからね!使わないと。
うーん、考えてみると、そんな貪欲な感じなんで、私自身はブログとか書いてるんだろうな、うん。
出会ったが最後、とにかく食らいつくってのがいいのよ。
あっ、ちなみにぷぅコッコさんは特に個人セッションやってません。
でも、希望があれば、スカイプセッション(有料)で考えるわよ!
もしもお話ししたい!ぷぅねーさんに聞いてもらいたいぞ!って人がいたら教えてください!真剣にスカイプセッション考えます。
まーまー、そこは置いといて、私も実は手帳術に悩める一人だったりするのよ。
だってね、例えば私の友人はこの間、手帳術の本を出していましたけど
あっ、そのご本の感想は
PDCA手帳術から
ヨネゴーセミナーちょっと消化不良って方には意外と、こっちのがグッとくるかもね。
まぁ、そんな友人の手帳
実際に見せてもらいましたけど、ものすごいのよ。
何がって、「完璧」だわよ。
これやれば、成長できるかもって思ったけど、やってみて挫折したのよ。
ブログにも書いたけど、挫折よ。
それで、人は「そんな小さなことにとらわれる」ということに気がつくわけ。
書いていれば成長できたはずの自分と、今の自分を比べて、残念だと思っちゃう。
でも、それは「取らぬ狸の皮算用」なのだよ、おねーさん!
と、あの日の私に言いたい。
ヨネゴーのセミナーがあまりにも鮮やかなすべり芸であったが故に、気がつかなかった人もいるかもしれないけど、セミナーの中でヨネゴーは「記録することが大事」っていってるんだよね。
そう、記録することは大事。
じゃーどうやるのか!
いきなりインスタで見た、ステキなバレットジャーナル書くことにした。
三日で挫折!
って当たり前なんだよね。
インスタで人気って、もうさ、肩書きはなくてもプロなんだよ。
それは、セミナーでも触れられてたけど、バッティングセンターでいきなり140km/時の球に対峙するようなもんよ。
打てないって!いきなりは、、、
だって、プロじゃないんだから。。。
そしたら、当たり前だけど、とりあえず100km/時で打てるかしら、まだ早いか?速いか?早いか?
みたいになるわけ。
当たり前だけど、「そーじゃん!」ってこと。
「大きな目標を定める」←セミナー内だと、前半最後と後半初めに時間かけてやってた石積みの人、特にCの話
「大きな目標を小さな目標に分解する」←石積み職人の崇高な理念はいいけど、大きな目標になればなるほど、抽象的。だから、日々こなせるゴールに書き換えて小さくこなすこと
「とにかく記録する」←ブログ=ストックメディアじゃないけど、記録してないもんは振り返れないので、とにかく目標に向かって何をやったかを書く
「いきなりプロを目指さない」←200ページのビジネス書も、初めの一ページから。毎日一ページ読めば、200日、なんと一年以内に読み終わるよ。
そんぐらい小さな日々の目的でもいい。
というのができることで、
今まで脳科学だなんだかんだ、最悪だと根性論的に言われてきたこともなんかもあるけど、確からしい気がするだけで、実は検証されたエビデンスがない。
ぶっちゃけ思い込みだけで効果はないってこともあるのよ。
だから、「心のくせ」
なんか素晴らしいやり方というより、自分のできることを確実にこなすことだよね!
なんてことも高速で盛り込まれてたよね。
そう「とらわれなくていいのよ。」
とらわれは、バーチカルにするかレフトにするか、紙質はどうか?ノートの値段は?
そんなことだけじゃない、ありとあらゆることであって、それは書き方もそうだし、人それぞれよ。
だけど、「ゴールに向かって記録することに、手帳を使ったらきっと、人生が開けるんじゃない?」ってのがこのセミナーのメッセージだよね。
ん?そんなこと言ってたか?
ヨネゴーが高速すぎてわからなかった?
そーでしょう笑
そういう人は、薫さんのマネーの会に入って復習してね。
もちろん、このブログみて、観てみたいってなった方も、サイトから相談してみてちょ。
(いつまで観られるとかはぷぅコッコは関与してないので、コメント欄で聞かれても答えられないっす)
そんなマネーの会は
こちらから
メールで問い合わせもできますよぉ〜
メール:moneykai77@gmail.com
わからないことは臆せず聞きましょう!
これを読んで、ヨネゴーに壁打ちしてほしい
とか、ぷぅコッコさんはそんなこと言ってるけど、本当にそうですか?
って聞きたい人は、ヨネゴーに個人セッション申し込んでね。
(コメント欄で聞かれても、私はヨネゴーじゃないし、セミナー録画から私が感じ取ったことをピックアップしただけなので、お答えできません。)
そんなヨネゴー氏のサイトは
こちらから
そんなぷぅコッコさんと熱く語りたいぜ!って人だけ、私のアドレスにメッセージください。
ヨネゴーセミナーに触れて、面白がってくださる人がいっぱいいるそんな機会、そんな「ご縁」になってくれたらいいなって、思いました。
セミナー主催してくださった薫さんと、セミナー講師を快く引き受けてくれたヨネゴーに感謝!
このブログがせめてもの「ご恩返し」になればと思って止みません。
ではではみなさん、いつの日か、ヨネゴーセミナーでお会いしましょう!