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【読書】僕はイエローでホワイトでちょっとブルー



【読書】僕はイエローでホワイトでちょっとブルー


ビジネス書じゃ無い気がしますけど、ビジネス書読書のカテゴリーにしちゃいました。


イギリスのちょっと頑張ってる普通の中学校に通ってる息子さんの日常から、今のイギリスを感じるご本かな?


帯を見ると、ジェンダーやら、いじめやら、人種の問題やらと、なんだかなんとも難しそうな感じのことが書いてあるんだけど、この日本だとまだまだ当事者じゃ無い限り遠くにありそうな言葉が、日常として「ある」様がそのまま書かれているなぁって印象だったなぁ。


日常というのはコロナウィルスなんかを見てもそうだけど、突然変わってしまうものだと思う。そういう大きなことがあると、当然のように常識だと思っていたことがいとも簡単に変わってしまう。ここ最近、誰もがそんな経験したんだけれども、このご本で紹介される日常は、まだ日本では影を潜めているような気になってしまう。本当は近くにあるけど、当事者でない限り、その目を開けてないようなそんな感覚。


当然のこととして、当事者の方は存在するし、そういうものが「存在しない」というつもりはさらさら無いけれど、社会として受け止められる度量がまだ「ここ日本にはない」ような気がしてしまう。


とはいえ、この本を読むで感じる今のイギリスだって、イギリスだって、最初からそうだったわけじゃないし、日本で想像するよりも、もっと違う方向に変化していて、それを受け入れているような、無理やりそうなっているような、そうせざるをえなあような、そんな日常が見える。


日本だって、日本の日常だって、こうやって綴ってみたとしたら、きっとイギリスとはまた違う観点かもしれないけど、いろんなことはある。


本当は、本の帯にあったセンセーショナルに書かれる問題よりも、イギリスでも深刻である格差社会の描写が、日本の現在からちょっと先の未来を見るようでうなだれたのだった。


自分と同じ目の高さで語られるイギリスの今を読んでみるのも悪くないなって思ったご本でした。


author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 13:39
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【読書】9月1日母からのバトン



最近、本の感想がうまく描けないなぁ、と、手を止めたくなるぷぅコッコです。


9月1日に亡くなる子が多いって知ってました?


私の友人はこの9月の悲劇を止めるべく、立ち上がり活動をされています。


命を守る週間を勝手に作りました。


そして、今回読んだご本も、子どもたちの命を守るために書かれたものです。


9月1日に亡くなる子が多い理由は
その日が、学校が始まる日だからです。


大人だって、ゴールデンウィークやお盆のお休みなど、長くとることができる会社なら感じたことがある「行きたくない」


場所に違和感を感じちゃう。


そういうことはある。


それで、子どもたちは、苦しい大人もだけど死を選んでしまう。


樹木希林さんは生前、「どうせみんないつかは死ぬんだから、若い今じゃなくてもいいじゃない」って趣旨のことを言われていました。


でも、今じゃなきゃ!
と思わせる何かは存在するんだと思う。


どうしてそうなってしまうんだろうかって思う時、なんとも不都合な自分の周りの世界が全部だと思ってしまうんだろうなぁ。


大人もそういうものに落ち込むことはあるし、抜け出せない人も抜け出せなかった人も知ってる。


だから、簡単に「死なないで」って言えない。


「行きたくなかったら学校は行かなくてもいい。」
これは一定の規格に当てはまれない子どもに言えることで、それはいじめとも限らないんだなぁってなことも思った。


giftedと呼ばれる一種の天才の子達も居場所はないのかぁ、とかね。


学校が人生の全てになってしまっていて、そこに合わないというのは死活問題になっちゃってる。


例えばそこがサバンナの真ん中のコミュニティだったら、そこから抜け出すと死んでしまうので、まぁ、生きるためには抜け出さないという選択しかないんだけど。
人の思考はあたかもサバンナの真ん中にいるように動いてしまっているなぁ、と思う。


実はそんなことないのにね。


でも、人生にはいつも、「期待と諦め」が伴う。


そこを出てもいいことがあるとは限らない。だから、「簡単に出ていいよ。」って大人が言えない、大人でも言えない、大人だから言えないのかもしれない。


ある時、死を選ぶというのはすごく重い決断だと思う。


でも、ずっと死にたいと思ってるのも、しんどいから、本当なら今日死のうと思っていた子は、今日誰かの一言で死ななかったら、死ぬって選ばなかったら、もしかしたら明日から生きられるのかもしれない。


だから、冒頭つけたリンクや、このご本を応援する。


応援するけれども、どうやったらいいのか、ほんとはよくわからない。


それを止めるものは、言葉なのか?


ほんとは、子どもの話を聞いてくれる大人が、ほんとに普通に仕事している大人が増えたらいいんだと思う。


社会は、大人と子どもに別れちゃってる錯覚を覚えるけど、ほんとはそんなことないよね。


親でもなく、学校の先生でもなく、学校にいるカウンセラーでもなく、ふつうにいる大人。


いろんな大人に無防備に話をすると、トンチンカンな答えが返ってきたり、たまには怒られたりする。
これはハズレだ。
でも、世の中は半分くらいハズレでできてる。


そこの先を抜けると、ものすごく理解してくれる大人が現れたりする。


そういう場が教育現場だけじゃなくて必要だよね〜とか、やんわり考えるのでした。


実はこのブログ、書くのをトライするのは2回目。


前回のもきっと描きたかったメッセージは一緒だけどうまくいかなかった。


だから、全部消して、書かないでおこうかと思った。


私が書いたって、あまりにも無力じゃんって思うから。


それでも、このもやもやした気持ちのまま、この本終わらせてはいけないと思っている。


何もできないかもしれないけど、私は、まず活動を始めた人たちを応援したい。


author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 06:59
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【読書】いつも人間関係に振り回されてしまう先生へ



このご本、著者さんである栗田正行先生から頂きました。


少し前に、こんなブログを書きました。
できる教師のTODO仕事術


これも先にご紹介した栗田先生のご本です。


この中でわたしはこんなことを書いています。

どんなに大きな組織で、どんなに偉そうな役職が付いていたとしても、もちろん仕事は異なりますが、マネジメントしてるのは、10人そこそこです。

それに比べて、教師の方というのは、少なくとも1クラスで30人から40人とか相手にしてるわけです。

それだけでも、あなたの仕事を誇ってください。

そして、マネジメントするのは、30人から40人の子供たちと、さらにその親御さんです。

合わせたら100人超えるわけですよ。



子供と親御さん含めて100人を超える人たちをマネジメントする立場にあるわけです。


それは先生たちが意識するしないに関わらずです。


そして、今回のご本で、「おっと、マネジメントというか関わりに気を使わなくてはならない人たちは、まだいたじゃないか。。。」


そう、同僚もしくは上司、部下と言った別の先生方です。


なんとなく、その人数の多さにクラクラしますね。




さて、当然ですが、子供たちも親御さんもそれぞれに一人の人間として多くの個性を持っています。


自分が担当する教科が得意な子どももいれば、当然そうでない子どももいる。


それだけでなく、家庭の事情から、学校でやっていくのが厳しいという子どもや逆に学校という場所でやっとバランスを保っている子どももいるわけです。


多かれ少なかれ、そう言った人間たちを扱わなくてはならないお仕事の先生方ですが、このご本を読むと職員室の中は、ものすごく普通の会社のにおいがします。


ご本を読むと分かりますが、困ったさんに悩まされるのは、なにも一般の職場だけにあらずなのね。。。そんなことを感じます。


幸い一般のサラリーマンというのは、本人がどう思うかは別として、その職位によらず、偉い人なんてのはいないに等しい。


職位というのはあくまでも役割ですからね。


徳を積んだからそうなったとか、実はそういうものではないんですね。


言うたら、全部とは言わないけど、だいたい偶然です。


まぁ、この手の話
ぺーぺーのお前が何を言う!とお叱りを受けそうですが、どこまで行っても、それは変わらないです。


それと比べると、先生という職業は、意識しているしていないに関わらず、「未来をになう子供たちを育てる」という大きな仕事の中にいらっしゃいます。


その先生たちが、まさか子供たちと向き合うのとは別で、職員室で他の先生たちと、別の仕事に振り回されて疲弊してるなんて。


そんなことあってはダメでしょ。


それで、ビジネス書なんかを見てみると、この「人間関係について語る本」というのは実はいっぱい出ています。


だから、このブログの読者さんは少なくともいくつかは手に取ったことがある方が少なくないはず。


例えば「嫌われる勇気」なんて本は、ベストセラーになってますから、普段、本を読んだりしない人でも、たまには読んでるかも知らないですよね。


「嫌われる勇気」みたいなご本を読むと、一定の知見が得られるわけです。


だけど、先生たちは、そういう本に触れる機会があるだろうか!ということをふっと思います。


いやいや、読んでいないんじゃ(まぁ、たしかに機会はないんじゃないかと思ってますが)とか、そういうことを言いたいんじゃなくて、先生たち自身が「自分たちはそういうビジネス書とは関係ない」と思われているんじゃないか?
ってことです。


教育者ですからね。


でも、一般の企業に勤めちゃってる私からすると、このご本に出てくる職員室の様子、先生方の関係性はまさに一般のお仕事でも同じなんですよ。


だから、ほんとはビジネス書を読むと、拾える知識がいっぱいある。


だけど、このブログすら、先生方に届くとは思えない。


そして、最大の問題は、そんな時間はもはや先生方には残されていないだろう。


人は、「もしかしたら役にたつかも」ということをするとしたら、余裕のある時しかないのよ。


そして、先生たちにはきっとその余裕はないでしょう。


それでも彼らは、本当はすごく真面目で、子供達を教えることに、子供達の人生を支えるサポーターとして、素晴らしくありたいと思っているはずです。


たまに事件で取り上げられる先生もいるけど、それは、社会で一定数が犯罪を犯すように、同じような割合か、もっと少ないと思います。


少なくとも私の出会った先生方
それは、私の学生時代という意味ではなくて、社会人になってからね。
教育に携わっている多くの人が、子どもたちのことをただただ考えて、彼らが生きられるようにと願っているんです。


だけど、いろんなものに邪魔されて、叶わないことがいっぱいある。


本当は煩わしい職員室の困った先生も悩んでるけど、もっともっと、どうやったら子どもたちにわかりやすい板書をできるかを悩んでいるかもしれない。


そうやって本屋さんを覗いた時に、その教育関係の棚で、この本に出会って欲しいと思うんです。


一生懸命に子どもに向かっているのに、それ以外の職員室でのことがうまくできない人たちはいるでしょう。
でもそれは、実は子どもなんて存在が見えもしない一般の会社でも、うまくできない人たちはいるんです。


そんな職員室なんて小さな大人の世界のことがうまく回さないというだけで、子どもたちに対する気持ちを切らして欲しくないなぁと言うのが本音です。


まぁ、教育というか学校というのはいろいろあるわけで、先生は教えるだけじゃなくて、親にも対応しなくてはいけなくて、さらに職員室はミニ企業で、上長がいて、他にもいっぱいやることがあって。。。


スーパーマンの集団なんだろうか。


そんなことを思ったりもする。


ただ、人間がいる限りどこにいっても悩みはあります。
教職で、特に職員室でうまくできない人はそこを離れたからといって、幸せになれるわけでもないです。


社会は同じですから。


そうであれば、先生たちが見に行くであろう本屋さんの棚にこのご本があるのは大変に意味のあることなんじゃないかと、すごく思ったという話でした。


今、この本を必要としている先生たちに。


そして、ふと、子どものことが頭いっぱいで、もっと子どもに教育することに熱心な先生が本屋さんで、これをチラ見して、それでも苦しくなっちゃってる原因の人に人間関係がないかどうか?今一度考えるキッカケになって欲しいです。


栗田先生!
ご本ありがとうございました。
先生たちもこんなふつうの人間関係での取り回しに悩まれてるのね!ってものすごく勉強になりました。


こんなことに悩んで、教職を離れる先生が少しでも少なくなるように、悩める先生方に届けと、願っています。


author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 07:05
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【読書】ぼくたちが選ばなかったことを、選びなおすために。



このご本、お友達がブログを書かれていて、それで知ったのよね。


私のこれから書くブログ読むより、多分ご本の内容はこちらのが詳しいので、ぜひチェックしてね。


お友達のブログはこちら

その後、別のお友達にも推薦されて、、、
2人のお友達から推薦されたんだから、読まなきゃよね。
って事で、いつも通り安定の紙の本を買いました。
本屋さんで!


あー、なんか読む前からなんか内容しってたなぁと思ったら、先に書いたお友達のブログ読んでたからでした。


さて、私は例によって感想に終始しよう。内容にちゃんと言及することはないのかって?それは、まぁ個々人が読むかに委ねようじゃないかというスタンスね。


この著者さん、多発性骨髄腫というなんというか、根治が難しいガンである。


実は本の途中で放射線治療が効いて、ガンが消えたってこともあるみたい、それでも、それは痛みがきえた?和らいだ?程度の話で、余命宣告をされた時間が減ったり、完全に治りましたなんて未来のないものらしい。


ガンになった人という意味でいくと、うちの母はガンになった。そして、もうガンを切ってから多分もう20年くらい生きている。


舌癌になった友達もいる。
その友達はブログを書いてくれている。


この著者さんもそうだけど、私の母も、舌癌になった友達も、ガンだと診断がつくまで、なんか壮絶な感じで。


うちの母は違和感を感じてから、どんどん膨らむのに1ヶ月とかからなかった。


検査をしてくれた医師が、大腸ガンの可能性を早々に否定できるだけの検査をしてくれて婦人科に紹介してくれなければ、卵巣癌というやつで、あっという間に死んでいたと思う。


私が今、歩んでいる人生は少なくとも絶たれただろう。


舌癌になった友達は、水も自分で飲めなくなる状態になって、病院で舌癌の診断を受ける。


詳しいことはブログを読んでもらう方が良いと思うので、リンク貼っちゃう。


舌癌のお話のリンク


そして、今回の著者さんも、壮絶な痛みに耐えて、やっとガンが見つかり「やっぱりな」と書いている。


とにかくカラダの内側で起こってることが普通ではない状態になるのか。。。ガンというやつは。。。


と納得する。


そして、その壮絶な痛みの中、「自殺を考える」


この著者さんは、自殺を思いとどまった理由を、「実は生き物というのは簡単には死ねないということを知っての行動だった」と書いている。


そう、人は簡単に死ねないのだ。


今は買えるかわからないけど、その昔、「完全自殺マニュアル」なる本があり、私はベッドの後ろの私しか見れない棚の中にお気に入りのCDとともに入れていた。


自殺を考えているかいないかに関わらずそんな本、開けっぴろげで置いておけるわけもなく、「なんで、そんな本持ってるんだ」と誰かに聞かれても、答えに困るので、お気に入り棚に入れて、「私以外の人は触らないで」ってしてたわけだ。


その中には、淡々と、自殺の方法が書いてある。


そう、いつの日か自殺を考えたら、痛くない方法、ぽっくり逝ける方法を選びたいじゃないか(これは、賛否両論あるだろうけど、自殺をするということ自体について、議論したいわけじゃない。)だから、調べたんだよ。


いつの日か本当に実行したくなった時、確実に死ねて、一番辛くない方法を。


結論から言えば、辛くない方法も痛くない方法も基本的にはない。


多分一番それに近いのは首吊りだけど、それだって、美しく死ぬことはない。(糞尿を垂れ流し、そういう姿を発見する誰かに見せることになる。)


飛び降りたり、薬のオーバードーズなんてのもあるんだけど、下手をすると死ねずに、見つかって、助かってしまうのだ。


それはそれで、不幸じゃないか。
本人は一時的であろうが、痛みに耐えかねてだろうが、自殺しようと思っていたわけだから。


そう、そういう「簡単に死ねないという事実」と天秤にかけて「自殺しないを選ぶ」というのは完全にあって、この著者さんが書く、「人は簡単に死ねない」は本当にその通りなのだと改めて思った。


著者さんは、自分のガンをいろんな人に説明するのに嫌気がさして、ブログにガンを公表する。


それはそうである。


何人に聞かれたんだろう、同じ話を何回したんだろう、そんなことを思う。


私が、ガンになったり、難病になったりして、どうにもならんということが確定したら、このブログに書こう。


そして、このブログ読んでくださいって言うことにしようとそんなことも思った。


著者さんが、そう言うことをブログに書くと、自分とは直接には関係にない人、実際は同じガンだというわけでもない人たちからの感謝の言葉が届いた。


なんでだ?
それは、自分が苦しい立場にいると言うことを言えなかった人たちからの苦しい告白だ。


そのブログにコメントとして届いたものやメッセージとして届いたものは、この本で公表されているわけではないけれど、きっときっと、感謝を述べた人たちは、自分の辛い思いを書き綴ることができた、そして、それについてなんの評価も、「頑張れの言葉」も、「頑張らないからだ」の言葉も、「逃げればいい」だの、「なんでそんなことをで悩んでるの」といった、相手は何気なく言ってるつもりの強い言葉が返ってこない場所に書けたという、そんな感謝の気持ちだったんだろう。


著者さんは、それを汲み取って、そうやって感謝を書いてくれた人のインタビューをして、本を出すことを心に決める。


このご本、友達のブログを読んだ印象や、ご紹介いただいた感じでは泣ける本かと思っていたけど、実際には読んでいる間中、泣けなかった。


前回、スタートアップに奮闘する経営者の話は人がひくほど泣いたのにである。


たまにそういう本はある。
涙を流してデトックスに使おうと思っていた本ほど、涙も出ないし、いい意味でもよくない意味でも泣けないし、もう一段遠いところから冷静に見守ってしまう。


自分のこととして捉えられないから?
いや、どちらかというと、もっともっといっぱい考えたからだと思う。


いろんな人の話に泣けない上に、淡々と読み進む自分にはまるで心がなくなったのではないかとたまに思ったりする。


このご本の中で、著者さんは家族というもののあり方について書いている。


共通のメッセージがあるとしたら、一つは「家族」ということかもしれない。


家族の選び方
家族は、家族というものですら、選び直していいんだという。


全てのつながりは、実は自分で絶たない限り絶たれることはない。


それは良い家族の場合でも、虐待だの、不全だのの家族の場合もだ。


決して勝手に切れたりしないのだ。


その決断をするのは誰あろう自分以外にいない。


いつも、いつかは捨てられると思っている人なら、安心していい。
捨てられないよ。
もしも、捨てられるとしたら、自分で、捨てられるように仕向けているんだよ。


だから、ほんのちょっと相手と自分のことを信じるだけでいいかもしれない。


でも、辛い環境にいて、どんなに捨てて欲しいと願っても、捨てられることはない。絶対に。


とても残念だけれど、その逃げられないスパイラルから救ってくれる人なんていないのだ。


自分で選び直す以外にない。


そういうことが書いてある本だった。


そして、ガンになって、彼はその繕っていたものがはぎ取られるように人間関係が変わる。


生き方が変わる。


そして、そういう全然違うけど、同じような体験をした人たちを取材する。


親がとか、生まれた環境がとか、いじめにあったからとか、自分のガンのせいで家族がバラバラになってしまったとか、生まれる環境も選べないのに、親をみなくてはいけないのかとか。。。


「すべき」のオンパレードを
どうにか繕ってきた「果たしている」感じをはぎ取られる
そんな体験に思えた。


ガンにならなくても、どんな体験をしていても、していなくても、「自分が選べるのだ」と言いたげだと思った。


決して幸せだと言えない一面と
最高に幸せなのに、余命宣告されているという状況が文章から読み取れる。


自分が選べずに産み落とされて、選び直したい家族と
自分が選んで産み出した家族とを思い、取材した他の人たちの状況にも目を向けて絞り出すように言う
「選び直せる」と。


もしかすると著者さんとは逆で、自分で選んだ家族が最悪で、もともと何も知らずに家族になった人たちが素晴らしいってこともある。


どの家族も、友人も、周りにいる人すらキラキラしていて、選ぶも何も最高だという人生の人もいるかもしれない。


逆に産み落とされた家族も
自分の選んだはずの家族も最悪だよって人もいるのかも知れない。


どんなに状態だろうがどんなに辛かろうが、どんなに幸せで最高でも一つだけ誰だってわかっている不文律がある。


そう、どんな人でも
「選び直すことは可能だということ、そして、それはあなたの代わりには誰もやってくれない」ということだ。


その一つのメッセージを伝えたくて、このご本を書かれたのではないかと思う。


著者さんがガンであることも、ご家族と離れがたいほどの思いでいることも、逆に親対しての思いもすごくあることはわかる。


わかるけど、それに肩入れしようと思わない。
ガンになって不幸だとも思えない。
ガンになって繕えなくなったことも理解はできるけど、それもそうだろうなと思うくらい。
ご両親のことも決してよくは書いてない、それについても不幸でしたねとも思わないし、逆によかったですねとも思わない。


全ては、誰だってあり得ることで、あまりそれらに肩入れすることがなくなってしまった。


だからきっと泣けなかったのだと思う。


それでも私は、逃げることを思いつきもしなかったという誰かに、自分と同じ境遇の人はいて「選び直していいんだ」ということに気がついて欲しい。


誰とも知れない顔がわからない人と、実は顔も関係もわかる人からも、傷つけられたとしたら、それはあなたのせいではないし、それを「選び直してもいいんだ」ということに気がついて欲しい。


そういうことを知らせたくて、著者さんは本にしたんだと思う。


だから、どこにいるかわからない「選び直せなくて困っている人に」届くように、いっぱい拡散されたらいいと思う。


そういうことにを切に願う本だった。





author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 18:15
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【読書】クレイジーで行こう!



ある朝、母が言った『なんかおはよう日本でね、アメリカの水道管を検査するってのをAIでやってる人がいるんだって、言ってるよ。日本人なんだって。』


うん?うん。えっと、なんだっけ?


なんかちょこっと調べて、『あー、この本作った人、知ってるわー、今度、本買ってくるよ。』


母は『じゃー読み終わったら、貸してね。』


そうそして、私は、その本をいま、読み終わったの。


実はこの編集者さんを私は知っている。


五年前に遡る。
仲良くしている日経BPの営業さんが、『ぷぅねーさん、海外で仕事されるんですよね。最近出たご本なんですけど、ぜひ読んでください。』


と言ってプレゼントしてくれたのだね。


「アジアで働く、今はその時だ」の感想


その時、渡された本を編集したのが今回のご本と同じ編集者さん。

ブログ読んで、改めて、まじかー台湾、渡って一週間の時点で読んでるわけかーちょっとその頃のことを思い出したりする。



編集者さんも直接お会いしたことがあって、知っているんだけれども。
それで、まぁ、上のアジアの本の頃、もし私が本を書くときがあったら是非編集をお願いしたい1人だわーと、やんわり思ったのを今でも思い出す。
(ちなみに、本を出すと言った予定は全くございません。はははっ。)


ここで、冒頭、母の言葉に戻る。
そうだ、この人、、、この人の本、、、あの編集者さんが作ってたご本の人だ。


本が出てから少し経っていたので、大きな本屋さんに行って、平積みされたりはしておらず、しかも、表紙イメージは結構かわっていたので、本のイメージは焼きついていたものの、題名が思い出せず、著者さんの名前も思い出せず、なんとなく『水道管、AI、おはよう日本』みたいなキーワードで適当に検索して、著者さんを見つけて、今度は本の検索をして本屋さんで買う。
みたいなことになったわけ。


発売された時に、すぐ買っておけばよかったやん。
と、少し後悔した。





このご本、なんか見た目、ビジネス書っぽくないでしょ。
このイメージだけ、すごく残ってて、『そうだよ、ビジネス書の棚で、らしくない本探せば見つかるんじゃない?』と思ったけど、結局、行った本屋さんが大きな本屋さんで、そんなことは叶わずだったり。


なんとも言えない気分で必死に探しました。


いやー、編集者さん買いを推奨してる私的には、編集者さんで検索できる方式でお願いしたいレベルだったりする。


さて、ここまで、本の内容に触れてないけれど、激動の1000日間が実は私の台湾での仕事の期間と丸かぶりで、それもあって、随分と心の動かされる本だった。


ビジネス書、結構読んでるんで言いますけど、だいたいなにかがうまくいって本を書いてる経営者さんたちは、多かれ少なかれ、『成功したのにはわけがある』と書くんです。


バタバタしてたり、すごく苦しんだ経験の先にある『うまくいったこと』だけが浮き彫りにされて、そこに向かって最初っから一直線でしたという物語になる。


これ、みんなそうなってる。
なぜなら、後からそれを思い返して書いてるから。


それが悪いというんではなくて、そういう本になっちゃうのを散々読んだ挙句にこの本を読むと、『違う』というのがわかるし、その違いを出すということを目的に連載されたものが編集されて本となって出ているので、本当に違うの一言。


連載してたって書いてあるのに、なんで私はこの人の話を全然知らなかったんだろうと思ったら、同じ頃、この著者さんである経営者さんと同じように、規模は全く違えど、私は台湾で戦っていたんだった。


著者さんの略歴にもあるけれど、著者さんが作ったフラクタという会社の株式の過半数を栗田工業に売却し、資本業務提携をした2018年5月30日、私は台湾から日本に戻ってきていて、しかも古巣の企業に再就職(戻れるようにしてたわけじゃなくて、完全に辞めたんだけど、ご縁あって、入れてもらったと言うね。最近、流行りの出戻り社員)し、6月1日から仕事をはじめるという直前。


そんな感じの私がこの本を読んで思った感想が『ほかの成功物語とは違う』ということ。もちろんテレビで取り上げられたことはすごい功績で、すべては成功の元にあるんだけど、そうだと思って読んでたら、心が動かされて、通勤の中央線と横浜線で、意図せず涙が止まらなくなることが何度もあったわけ。


それは、『ぷぅねーさんが感受性豊かなんですね』とかいうことではなくて、時に自分と重ねて、時に自分とは重ならない大きな次元での悩みと情熱が、文章から伝わってきたからに他ならない。


だから、やっぱりほかの成功物語とは違うってことになる。



面白いことは、ほかにもある。


経営者の方のご本は、先に言った通り、たくさん読んでいたりする。
こんなブログ書いちゃうくらいなので、結構、まぁ、経営者さんに関わらず、本の著者さんも知っているんだけれど、実は本を読んで、『ムッチャこの人に会いたい』と思う人はあんまりいなかったりする。(いやー、ほんとすみません。)


本が出来上がる過程において、編集者さんの役割みたいなのが大きかったりして、むしろ編集者さんで選んで買うとハズレ少ないみたいな変な知識だけが増える。


思い返してみると、経営者でこの人に会いたいと、本を読んで強烈に思ったのは、元ライフネット生命の出口さんで、それ以来ものすごく久しぶりに、読んで数ページで『あっ、この人に会いたい!』と思ったのよね。


強烈に思ったものの、忙しい経営者さんであるので、べつに本を売るためにプロモーションしたり、セミナー開いたりしなくて、きっとこのマシンラーニングとも言えるツールを武器に『製品を売る』そして、アメリカ、世界のインフラを整えると言ったことでもっともっと有名になるはずで、その戦場はまた日本にはなくて、なかなか難しいかもしれないなぁと思いつつ。
まぁ、会いたいと言い続けたり、思い続けたら会えるかも知れないと密かに思ってるわけだったりする。


会いたいと思わせるほど、この人にはなんでこんなに強い言葉で語りかけるんだろう。


ジェットコースターのように脳に響く言葉の数々で本を離せない。


そんな本、お行儀の良い経営者では書けないし、本が刊行されたタイミングを考えても、成功が約束された後に、振り返って書いたのでは書けない。


さながら規模が違えど、私が台湾でガツガツやって、時に悩んでいた頃に重なる。


そして、また、思い出したように目頭を熱くしたことがたくさんこのご本の中にあった。


読みながら、この本はそういう海外の人と、現地で仕事したみたいな体験をしたことがない人にも、この熱さのままで届くんだろうかと疑問に思ったり、途中、要所要所出てくる要の言葉は、アメリカでの彼の仕事を鑑みると、日本語であろあはずもなく、ほんとはどんな英語で語られたことなんだろう?むしろ英訳版が読みたい!と思ったり、大変忙しい本だった。


その中でも文字通り号泣した言葉がある。
それは著者の加藤さんが語ったことではなく、一緒に会社を切り盛りしていたラースさんが語った言葉だった。


日本のどこかにいる、変わった人を
「情熱ある人たちを、どのように集めるか?」についてだ。話の発端は、ランチを食べながら、「なぜ、このシリコンバレーには、こんなにも情熱のある人たちが集まるのか?」とラースさんと話したことだった。


そして、ラースさんは言う
「もし目の前にいる人たちに情熱があると思えなかったとしても、加藤さんがガッカリする必要はないよ。情熱のない人たちを、情熱のある人たちに変えることは難しいんだ。

ただ、日本にも、加藤さんのように変わった人、情熱を持った人がきっといる。もともと情熱のない人たちに火を点けてまわってもダメだ。そうじゃなくて、既に日本のどこかに存在する。変わった人たち、情熱のある人たちを探すんだ。
加藤さんが、情報を発信する、誰かと話をする。もし相手が変わった人であれば、その人に情熱があれば、きっと気づく。向こうから寄ってくるさ。そう言う人を仲間にするんだ。そうすれば日本発でも、きっとシリコンバレーで戦うことができるはずだ」



ここを読んで、勝手に台湾に行って、家族の事情で日本に帰ってきて、古巣の大企業に再就職した私は、中央線で号泣する。


仕事をしながら、情熱が感じられないと、窮屈な思いをしていたところだった。


スピード感が足りないし、指示が緩かったら誰も聞かないじゃん
って言いながら、走っていた。
それでも大企業で、私にはaccountabilityがなかった。
だから、それを持ってる人に懇願する。でも、そこに響かないのだ。


なんでだろうって思ってた。


ここで、情熱がない人にたちに火をつけてまわってもダメだと、また私もラースさんに諭されたような気がした。


うまく立ち回れない自分を思って泣いたんだと思う。
でも、そうじゃなくて、関わってる人の中に、情熱のある人を探そう。情熱を感じでもらおう。私がやりたいと思っていることをちゃんと、、、それはなにも日本の企業の事なきを良しとする人たちのためじゃなくて、その先にいる、優秀なの担当者たちに、伝えよう。
全部やって、それでもどうにもならなかったら、選択肢はいっぱいあるじゃないか。


それでも、任されたからにはこの製品を形にしたいんだ。。。


と、言う思いが溢れたんだろうと思う。
中央線で、多分周りの人がひくほど涙を流していたと思う。
(よほど苦しいのか、これを書いてるスタバでも結構人がひくほど泣いている。まぁー誰も気にしないから、まぶたが少し重くなるくらいでなんとかなるだろう。)


そうか。
情熱を持たない人に火をつけてまわってもダメなのか。


なかなかに私もラースさんの言葉に救われた思いがした。


そんな感じで、必ずしも著者の加藤さんが語ったことではない場合でも、彼とはまったく違うけれど、多くの言葉が刺さり、時に台湾を思い、時に家族を思い、時に今いる日本の企業を思った。


家族のことがあると人生はなかなか自由にはならない。だけど、それがなんだろうか。サラリーマンだから、何ができるんだよって思いもある。それでもスタートアップにしかできないのと同じくらい、大企業にしかできないこともある。


そこにいる、本当は情熱を持つ人たちに、働きかける。何度でも、何度でも。


そんなことを思った。



そんなジェットコースターにでも乗っているような読み方をしていたので、他の本とは本当に異なる良いものを読ませてもらった。


この熱気はどこからくるのか、ずっと不思議だった。


でも、謎は後書きで解ける。


もともと成功物語を書こうとしたのではない。
成功したから、後付けで本を書いたわけではない。


私はその連載をまったく知らなかったけど、リアルタイムで連載し、その時起こっていることを包み隠さず書いた。


そのことがこの熱さとなっていて、それが、彼の伝えたかったことで、それは、少なくとも、私にはすごく伝わる本になってた。


最終的にうまくいったことを後から振り返ると、こんなことまでやって頑張ったよって成功の法則を描きたくなる。


でも、ほんとは違う。
悩みながら、変えていった仕組み。
その仕組みを作り上げる時、絶対うまくいくと思ってない。どちらかというと、後悔にも似た、どうしてもっと1日でも早くこれに気がつけなかったんだろう?どうしてもっと早く確信に変わらなかったんだろう。
いつも祈る気持ちで結果を待つ。


でも、それは、その時に起こっていることで、その時必死なことで、その時でないと書けないのだ。


だから、この本は尊いと思う。


スタートアップの成功物語が知りたい人ではなくて、情熱を持って何かに取り組んでて、そのことに祈る気持ちでいる全ての方に届いたらいいと思う。


まさに、クレイジーだ!



author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 16:10
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【読書】一緒にいると楽しい人、疲れる人



悟りを開いてるんじゃないかというように常に笑っていて、怒ったところを見たことがない方とお仕事を一緒にさせていただき、心がほっこりしたぷぅコッコです。


私もあんな風になれたら、とちょっとは思いますが、私はあんな風にはなれないです。


時には笑い、時には笑わせ、時には泣いて、時には怒って、時にはイラついて、それをあらわにしながら仕事をしています。


どんなに攻められても、いや、責められても笑っているとうのは私にはできないです。


できないので、何もしないのか?
という話になるんですけど、完全にこれを受け入れて生きてるわけでもないです。(受け入れないと生きていかれないし、根っこは変わらないし、変わらないなぁと思ってます。)


だから今日ご紹介するご本も買ったんですね。


他の本を買いにいって、書店のディスプレイにやられた感じで買いました。本屋さん好きなので、そういうのはよくあります。


一緒にいて、楽しい人ってどんな人?


一緒にいて、疲れる人ってどんな人?


ってのを実例も交えて語ってくださる語り口はとても読みやすいです。


本当にね、全く意味がわからないけど疲れさせてくれる人がいるなぁとか
特定の誰かは一緒にいると、いつも楽しいけど、なんでだろ?
ってことが、気になる方は読んで下さると良いと思うんです。


あっ、〇〇ちゃんはこうやって盛り上げてくれてる。だからすごく楽しいんだねとか


そんな気づきがあると思うのです。


じゃーぷぅねーさんはどうなるかって言うのを考えてみると、やってることも書いてあるし、あーそうなるよね〜ってことは結構あるわけです。


それで、もちろん私がやってないような提案ももちろんある。


だからといってそれが明日の人生にすぐさま役に立って、感じいい人になっちゃう!という瞬発力と体力はもう残っていません。


残っていないのはあくまでも私の瞬発力と体力ですから、 20代、いや30代ならまだいけますから!


ぜひ試してみて。


そういう瞬発力はもうないのに、じゃー読んでもあんまりかな?って思うでしょ。


違うんです。


私はご本の中に、私の糧となるパワーフレーズを探してるんです。


今回もちゃんと見つけてます。


人の目を気にしすぎる人

「人が自分のことを気にしている」と考えるのは、"思い過ごし"なのです。


「自分がどうしたら好かれるか?」と我が身を心配するよりも、「相手をどう好きになるか?」と人のいい部分を見ようとするほうが、よっぽど関係性は良くなります。



人の目を気にしすぎる。


これね、昔から癖なんです。
あっ、でも、これ、なおらないけど、極力気にしないようになることはできます。


「人は自分(あなた)を気にしている」なんてほぼほぼ起こりません。


自分を考えてみてください。


誰かに恋をして見つめてしまうって経験は、おそらくだれにでもあるけど、それが一度に20人とか30人とかなったりしないでしょ?


そんなの気になりすぎたら生きていかれないし。
(そういう方もゼロではないかも知れないですが、それはまた別の話。)


そう思ってみると、「普通」に何かご一緒する方のことでも案外なーんにもみてないです。


あなたがジャニーズに所属するアイドルだというなら別かもしれませんが、そんなことない普通の人だったら、大丈夫!意外とだーれも気にしてません。



だから誰かに見られてるかもしれないという妄想、そこは克服できるんですよ。(努力はもちろん必要ですけど。)


それでも、好かれたい!と思うのが人の常です。


だけど、その部分を「相手をどう好きになるか?」に注ぐってすごく良くないですか?


これは好きな人はもちろんだし、ふつうに接してる人ももちろんそうだし、 気に入らないって人のこともです。


そう、好きにはなれないかもしれないけど、 いいところ探すこと はできます。


人間ですから、どんなに嫌な奴でも、尊敬できるところ、良いところ、良い意味で自分には真似できないところを持ってます。


だから そこをみる、そこを探す、そこを褒める。


そうだよ。
そうしているうちにあなたは 楽しくて感じのいい人 になっていくんですよ。


そんなもんじゃない。


あぁそうだなぁって思わせてくれる言葉を見つけると嬉しくなりますよね。


それがご本を読む醍醐味だなぁとまた、しみじみ思ったりするんです。


人ですから全員を好きになるなんて無理です、でもちょっとだけ、ほんのちょっとだけ人の良いところを見る!って決めたら人生は何倍も何十倍も幸せになります。


と、まぁ、これだけによらずいろいろステキなことが書いてあるので、チェックしてみてくださいね。


特に悩んでる方は参考になると思いますよ。





author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 07:10
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【読書】仕事で「敵をつくる言葉」「味方ができる言葉」ハンドブック




友人がSNSで紹介してたので買っちゃいました、ぷぅコッコです。


私、実は社内に敵だらけなんですよ!
って自覚してる人っています?
ちなみにぷぅコッコさんは全員敵だとも思わないし、まぁ、でも私のやり方とか嫌いな人は一定数いるよねって思ってる感じです。


そう、「会社は敵だらけだぜっ!」って自覚してる人に読んでほしいよね、こういう本。
って思うわけです。


そうなんだけど、結局のところこういう題名のご本を手にしちゃう人というのはどういう人かというと
「敵を作るかも知れない」
思ってビクビクしちゃっている人 です。


そう、「自分でそう思ってる人」が購入するんじゃないかと思います。


でもね、実際に手にとってくださる方というのは、そういうことを気にしてるくらいだから、敵を作る言葉を言っちゃってる人というのは実は少ないです。


読み終わると「私、6割くらいはちゃんとできてる、よかった」みたいなことを思ったりする。


どちらかといえば、言われちゃったことがあって、それを言った人のことを「ずっと恨みに思ってるぜ」って人はいるかも。


敵を作る言葉の項目を見て
「あー、これ言われて傷ついたわー」
って思う項目もあるかもね。


私、だいたいできてるし、 むしろ、読んでほしい人にはなかなか伝わないものである。
と思っちゃうわけです。


なんともスッキリしないじゃないか。
じゃーどうすればいいんだ!



そう思いながら、もう一度ご本を眺めてみると、このご本の中でこんな図が出てきます。





なるほど、この本で言うところの目指すところはこの真ん中のところってわけ。


そこで、ふっと思う。
私はビジネスパーソンとして、この真ん中を目指しているのかな?
とね。


中庸でバランスのとれている人
というのはとても仕事しやすいですよね。


忖度とまでは言いませんが、配慮してくれるわけですから。


まぁ、そうなんだけど、まるっと全部読んだところで思い返してみて、そこそこやってるけど、これ以上にガツガツ知識をあげてって、そこを目指すと、果たして幸せになるだろうか?ってことを考えちゃいました。


それで、私はこの著者さんとはちょっと考え方が違っていて、ここを目指すってのは、なんというかいかにも日本的だなぁと思っているんです。


だからこの本読まなくて良いって話ではないです。


実はこのご本の使い方
別にあると思ってます。


そう、「敵をつくる言葉を言ってしまっているかもしれない」と思って買ったあなたです。


自分が言っている表現の中で「敵をつくる言葉」に分類されているものがあったら、その項目を熟読してみてください。


あなたが使う言葉によって、いろんな人から、「そう思われている」ということを客観的に知ることができます。


例えば、、、 「僭越ですが、、、」
と、結構使ってるなぁって思いあたったとします。


すると、その項目にはこんなことが書いてあります。
「私は組織の中で立場をわきまえています」という体裁を整えるためにこんな言い方をするのでしょう。
立場が低いという劣等感、でも実は自分のほうが実力派ある、という屈折した優越感、なのに自分の意見は十分に反映されていないという不満、しかしこれが得意で誇りを持っているというひそかな自信・・・複雑な感情がミルフィーユ状に重なった結果、非常にねじれたコミュニケーションの形となって現れるわけです。
こういったストレートでない言い方でなされた提案に対して、「あなたのおっしゃる通りです。ぜひそうしましょう」という前向きな合意形成は、なかなか得られません。



なんとまぁ。
私、そんなことを思って使ってないです。
私が思ってるか、思ってないか。
そこが問題ではないんです。


どんな言葉も聞き手が、発信者の意図を100%組んでくれるなんてありえません。


ここで重要なのは、「そんな感じに受け取ってしまう人がいる」という事実です。


マジか、思ってないのに。
と、後からどんなに説明してもわかってもらえません。


そういうラベルをその言葉によってつけてしまったからです。


自分を決めるラベルというのは、自分でもつけてしまいますけど、発した言葉から相手がつけるものもいっぱいあります。


そして、自分がつけるラベルと他人がつけたラベルは必ずしも同じものではないのです。


ということで、何も考えずに発言して、勝手に恨まれたら困るよね、だから中庸にって話ではないんじゃないかなぁって。


無下に他人を傷つける必要はないですが、発言することによって相手にある印象を与えて、仕事を円滑に運ばせるということも可能性としてはあるわけです。


先に挙げた「僭越にながら」という言葉でも、必ずしもダメだとは思いません。


組織と場合によるんじゃないかと思ってます。


でも、それがマッチする組織にいないんだったら、もしくは、そう発言して、本書に書かれるようようなメッセージを受け取っちゃう可能性があるならば、発言する前に、ほんのちょっとだけ考えるってのが重要です。


本書に関して言うと、発言する前の心構えのようなものの部分が最初に出てきますが、そこを参考にしてほしいなって思いました。


「私、あんまり該当すること言ってないわー」
って安心するんじゃなくて、 項目の一つ一つにある言葉と、そこから与える印象を読んで、「自分が考えることが全てじゃないわー」という感じ取ってほしいです。


敵を作らないために言ってるのにうまくいってないぞってのが、きっと見つかるはずです。


とは言え、大抵の場合、この手のご本は読んでほしい人には読んでもらえないです。


敵をつくる言葉を頻繁に言っちゃう人が思い当たるし、周りにいるからプレゼントしよう、、、
とかじゃなくて、
それを聞いたとしても、無駄に恨んだり、落ち込んだりしないように、脳内変換レベルとかになると良いよね〜
なんてことを思ったりします。


明日から実践
というよりは、
今一度、自分の使ってる言葉が与える印象を再確認するのに使ってください。

というのを踏まえて読んでみると、また別の風景が感じられるかもしれませんよ。


author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 15:36
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【読書】できる教師のTODO仕事術





先生はやってません。ぷぅコッコです。


知ってる人は知っている、知らない人は全く知らないことだと思いますが、
私は先生はやってません。


ではなぜ、「できる教師のTODO仕事術」なのか!?


そう、このご本、著者さんにいただいたんです。
マロン先生、いつもありがとうございます。


教師じゃないから、自分関係ないって思った方、いやいやいや、このご本ビジネスマンにももちろん効きます!


このご本を読んだ先生や、先生でない人も、思うはずです。


「私にはできない、私には無理だ。」


そう、マロン先生のTODO仕事術、マロン先生の11年間が詰まってる本ですから、簡単にはできない。
ましてや全部はできない。
そもそもできない。


いやいや、いいんですよ。それでも。


今、できてなくてもいいんです。


このご本を手に取った先生は、自分も「できる教師」になるために、そのヒントを得るために購入したんだと思います。


そう、だから、今できてない自分と比べて、「できない」なんて思わなくて良いんです。


中には、「TODOリストなら、もうやってるよ」って思った人もいるかも。


でも、そうだとして、マロン先生と同じくらい活用できてるかしら?TODOリストを。


ここで問われているのは、TODOリスト作るだけでなく、それを「きちんと」こなすこと、それができるってことだと思うんですね。


考えてみると、教師というのは大変なお仕事です。


私は割と大きな企業に勤めているんですけど、そこらのえらいおじさん達を思う時、ライフネット生命の創業者である出口さんのお話を思い出します。


部長さんとか、課長さんとか役職はいっぱいあるんですけど、それぞれはまぁ多くても10人くらいの部下を相手に仕事してるわけです。


部員が30人だとしても、部長さんが直接全員をマネジメントしてるわけではありません。


10人満たない課長さんをマネジメントしてるんです。


そして、その課長さんたちもまた数人をマネジメントしてます。


どんなに大きな組織で、どんなに偉そうな役職が付いていたとしても、もちろん仕事は異なりますが、マネジメントしてるのは、10人そこそこです。


それに比べて、教師の方というのは、少なくとも1クラスで30人から40人とか相手にしてるわけです。


それだけでも、あなたの仕事を誇ってください。


そして、マネジメントするのは、30人から40人の子供たちと、さらにその親御さんです。

合わせたら100人超えるわけですよ。


それだけで、私なんかは目が回っちゃうわけですが、そうしたら仕事も尋常じゃない量のはずなんですよ。


だからこそ、この教師のためのTODO仕事術があると思ってください。


そしてできるところから真似しましょう。


真似ってのは凄いことで、バカにならないです。


だって、ここに至るまで10年以上も練りに練ったやり方を惜しみなく教えてくれてるわけです。


それを真似するだけで、10年分の得ですよ。


そして、真似して合わないなぁ、と思ったものはあっさりやめてほかのやり方を試してみたらいいです。


仕事していると
「これ、なんのためにやってんだよ」って仕事ありません?
ゴールはちゃんと見えていますか?
その仕事意味は?


それらは教師であるとかないとかあんまり関係ないです。


そしてこのマロン先生は教師をしておられながら、異業種の交流会に参加されたり、ビジネス目線でも先生たちを見ている人です。


そんな人、あんまりいないから貴重なんですよ。


先生たちのことはあんまりわからないので、とりあえず一旦、置いといたとして、


でも、「これって先生のためのご本でしょ?」って思った方。


たしかにそうです。
このご本の中には、ビジネスの現場では出てこない先生ならではの具体例ももちろん出てきます。


でもね、基本のところは変わらないです。


でもほら、ビジネスマンだったら、なんとなくTODOリストとか作って仕事してるし、なんて思いました?


作っただけで、それ、こなせてますか?
日々それを眺めて、新しいTODO加えて首が回らなくなってるとかありませんか?


そういうところがあるなら、是非読んで欲しいです。


え?自分にはそんなことない?
あー、そういう人は読まなくていいわけですよ。
運用できてるわけだし、きっちり仕事も定時で終わって帰ってるわけだから。


そうじゃないとしたら、何かヒントがあるんじゃないかと、思いません?


それで、まぁ、本はいっぱいあるんで、合うものを読めばいいって言われるわけですけど、なかなかどうして合うご本なんて見つからないんですよ。


私も結構、本読んでるんで、思いますけど、これ、先に教えてくれたら他の本は読まなくてよかったなぁっていう超絶いい本はあるんです。


でも、その本に一冊会うために多分50冊くらい読まないといけない。


あるけど、そこまでやりたくないから、私の読者ブログとかを読んでくださってる方もいらっしゃると思うんですね。


そういう方に効くご本なんです。


ビジネス書とか読んだことないけど、仕事も終わらなくて困ってるよ。
そういう人に効くんです。


そして、本を開いてみると、冒頭の「私にはできない」って思ってしまう。


いやー、そこは「できない」って思うんじゃなくて、「まじ、こんなやり方あんの?やってみよ」って面白がってください。


そこが入り口です。


一年、一年違ってきます。


きっと、5年後、10年後、今の自分からは想像できない場所に立っているはずです。


なんかよくわからないけど、台湾に行って仕事してしまったぷぅコッコさんが言うんだから、間違いないよ(笑)



ということで、何やったらいいのかわかなーいって、困ったビジネスマンにもちゃんと効きます!





これは、頂いたご本とご挨拶文と、著者さんからのプレゼントです。


さて、このご本を頂いた時に一緒にプレゼント!
ご本の中にも出てくるA7のノートです。


開けた瞬間に 「なんだろこれ、めっちゃ可愛い!」
と、思いました。



そしたら、それが本の中に出てきます。


マロン先生、毎日持ち歩いて、TODOリスト作っておられて、しかも今までの11年で進化をとげながら、55冊です。


55冊ですよ。


いやいや、50冊超えるって、普通のビジネスマンではいませんよ。


普通じゃないビジネスマンでもそんなに書いてる人を私は知りません。


だから効くんですよ。


先生でなかったとしてもね。


このプレゼントはたまたま入ってたわけじゃなくて、意図があったのかぁー
と深く納得したんですね。



ちょっとビジネス書とか読んでるんだよね〜
って人よりもむしろ、ビジネス書とか読んだことないけど、仕事こなせなくて困ってるんだよね〜
って人に読んでもらいたいです。


マロン先生的には、先生たちに読んでほしいということだと思うんですけど、私は先生たちのお仕事はわからないです。


でも、先生たちは、さっきも書いたけど、大きな企業の部長さんや重役さんたちより、ずっと大変な仕事についていることを誇ってください。


その先生方のお仕事がマロン先生のご本で少しでも効率良くなるようにと願ってやみません。


そして、先生ではない、私たちは、ちょっとそのお仕事効率化の恩恵に預かっちゃいましょう。






author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 22:00
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【読書】AI vs 教科書が読めない子供たち





天才というのは、時代時代で偶然に生まれるものだなぁと思っているぷぅコッコです。


AIの可能性という意味で、東大に合格するというのを目指して学習を続けていたAIというかプロジェクトがありまして、その話が綴られているご本です。


東ロボくんというこのAI(と呼ぶのが適当なのかはよくわかりませんが、その辺の厳密な定義もご本に出てくるので、チェックしてね。)は、東大に受かるレベルには達しなかったもののmarchレベルであれば、合格点に達したものも学部によってはあったみたいなので、すごいですよね。


おっとこれは、AIに仕事が奪われる時代か?とか、AIの方が人間より賢くなっちゃうというシンギュラリティが起こってしまうという話なのか?と、ちょっとSFチックにもすぐ思ってしまうわけですけれども、少なくとも今の技術の上でのシンギュラリティはあり得ないというのが数学者であるところのこの著者さんの主張なわけです。


なんでそうなのか?ってのは、ぜひご本を読んでほしいわけですけど、学習させて正解を導き出すという現在の方法を用いると
「バナナが好き」

「あなたが好き」
の「好きの違い」をどこまで言っても認識できないというわけ。



人間ならわかるよね、常識だよね?と曖昧に思ってることについて、
では「常識とは何か」というのを教え込まなくてはいけないわけなので、たしかにことは簡単ではないですね。


とはいえ、AIがものすごく得意なことある。


ほんとは人間が得意なこととAIが得意なこととかをすみ分けて、共に生きていく未来を描きたいわけだけど、そうはいかないわけで、、、総合的にそういうことが人間の仕事を奪っていくわけです。


たとえある種の仕事が奪われたとしてもそれでも、人間にしか出来ることを仕事すればいいじゃないという話なんだけど、どうやら、ことはそんなに簡単じゃない。


現代の子ども?いや、大人もじゃないかと思うけど、教科書の文章が読めていないというではないですか。


いやまぁ、それがどう繋がっていくのか?って聞きたいと思うけど、まぁまぁ、はやまらないで!


この先生、そういう調査もやってらっしゃるらしいです。


そして、調査に使われたのは、全て、文章をきちんと読んで、考察すれば、わかる問題です。


間違った答えを導き出す出すのは、
読んでないか
読めてない
ということになる。


きちんと読めばわかる!といのは、たしかに、間違いないです。


でも間違える子ども(大人もですが)いっぱいいます。
そして、全ての問題に、正しく正解できるかってところだけを取り上げると、東大、京大、旧帝大と言ったかなり偏差値の高い大学の学生に限っては、正解率の分布が、その他の大学や高校生やら中学生と比べて特徴的に違うことがわかります。


まぁ、それで、このご本の中では、読めない子供たちが、いわゆるペーパーテスト受けずに大学入ってなんてことで、心配はしてるわけですけど、読解力をあげる方法については解がないってな感じで、、、


それでも訓練をすれば正しく読めるようになると書いてあったり実例も出してくれているんですけど、なんともすっきりしない。



本の中で、明言されているわけではないですが、個人的には、旧帝大に余裕で入っちゃう系統の人しか生き残らない未来じゃんと言われているようで、なんか寂しい感じになってしまったわけです。


教科書を読めない子どもたちの章を読みながら思っていたことがあります。


あー、これ、TOEICで長文読むときの私の実力に似てるなぁって。

何かっていうと、ちょっと文が複雑になると理解できなくなるってやつですね。


ある特定の単語を知らないがために、その文の全体像がつかめない。
だから正解できないんです。


正しく読めてないっなことです。


あー、それが、日本語でも起こっちゃってるというね。



母国語まで読めてなかったらダメじゃんって思うわけだけど、そういうことになっちゃってるのかもって思います。


かといって、昔の人が必ずしも読めてたとは言えないんじゃない?ってことも思ったりして。


少なくとも読解力のためには、精読が必要だし(日本語の話しね、まぁ、英語だって一緒だけどさ。)みたいなことが書かれていたけど、それでもAIと対して変わんないところでつまづいちゃう人がいて、そういう人たちはAIに仕事奪われちゃうねって暗に言われているような気分になりました。


現状で、この本を否定するわけではないんだけれども、AIに関して言えば今の延長上にシンギュラリティはないのかもしれないけど、、、


これまで世界にはいつの時代も偶然に天才が生まれています。


そのまだ見ぬ天才が今、まさにその問題を別の角度で解く方法を確立しつつあるかもしれないので、シンギュラリティは絶対には起こらないとは言えないかなぁというのが一つ。


「バナナが好き」というのと
「あなたが好き」というのを
正しく理解して解答できるAIが現れたら、そりゃー世界はひっくり返るよね。


読解力の話も実は、AIが常識を理解する方法が鍵で、その方法を使えば人間の読解力も上がるって相関があるんでないかなぁと思うわけ。


ただ、そこに相関があったとしても、そこを分岐点として、AIの方が先に進んじゃう気がしてますけど。


そして改めて思うわけです。
読解力は多読と精読の組み合わせよね〜。。。みたいな。。。




author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 17:41
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【読書】これなら書ける!大人の文章講座





たしかにこれなら書けるかも知れない!と思わせてくれました!
一気読みしちゃったぷぅコッコです。


このご本を知ったのは上阪さんのFBのポストでした。
発売になってるかどうかもわからず、「買います!」とコメントして、アマゾンで予約しました。


あっ、これから買う方はぜひ街の本屋さんで!


そういうことはさておき、アマゾンで予約すると、当たり前ですが、ご本が届いてくれるわけですよ。
ありがたい時代です。


「湧き出る何かを文章にしたい!」という人は意外といっぱいいるんですよね。


ぷぅコッコさんはブログ書いてるのに、そういうのないんですか?と聞かれたら、きっと、あるんですよ。


まさに湧き出るという感覚で。


それで、それこそ、ブログなんて書いてるので、書くことに抵抗感はないんですね。


でも、書くことに抵抗感がある人と言うのはいらっしゃるわけです。


書くことに抵抗感はあるけど、「湧き出る何か」を書きたいと思ってる人ってのは実はいっぱいいるんですよね。


構成を考えて、何度も読み返して、それで、ブログにアップしないというかできないという話を何度も聞きました。


大人が文章を書く。


例えばweb媒体に載せて読んでもらう。


それはどういうことなのか?


そういうことに困ってる人には、どんなものを勧めたらいいのか?


そんなことの答えが詰まってるご本なんですよ。


このご本を読んで、「そうか、みんなは整った素晴らしいものを書きたい」と思っていたのか!
と、思いました。


私は自分のブログを書く時に、整った素晴らしいものを書いてるつもりはありません。


多分、そんなことを意識したら書けなくなっちゃう。


それでも、例えばご本の感想だったら、この本をどんな人に読んで欲しくて、どんなご本なのか、刺さる部分はどこなのかということを「伝えたい」と思って書いています。


いろんなほかの記事もそうですが、「伝えたい」という思いがあって書いているわけです。


実はカッコいい文章でもないし、語彙も豊富ではないことは自分で十分にわかってるわけです。


そんなことを思いながらこのご本を読むと、
おわりにで書かれている通り
「文章は単なる道具でしかない」「うまく書く必要なんてない」「話すつもりで構成」すればいい
というメッセージが書かれているわけです。


「そうは言っても、書けないんだよ!」
って言いたくなるあなたに、全ての答えが用意されています。
この本の中にね。


日本語として文章が洗練されていて、素晴らしい小説家のような惹きつけるものを書ければ、それはそれはステキなことかもしれない。


でもね、それは時として必要ないかもしれない。


「なんだよ、稚拙な文章だなぁ」と思われたとしても、ポイントを押さえて書くあなたの文章が、あなたの想定した読者に届くかもしれない。


その時、そうやって読者にとどけたいとと思ったとき、必要なことがこのご本の中に詰まっています。


誰に聞かなくても、読めば「書くということへの」勇気がもらえるかもしれないし、
「そうか、ここに気をつければ、書けるのか!」
と思って欲しい。


サラリーマンっていうか、大人って、文章で伝えなくてはいけないことっていっぱいあるんですよ。実は。


でも、学校の時に習った作文って役に立たないんですよ。


400字詰め原稿用紙二枚の誰が書いたか分からん文書って、人は読んでくれません。


そして、仕事なんかでは、書かなきゃいけないシチュエーションにおいて、下手くそでも、泣きながらでも書くわけです。


でも、それ以上に、ビジネスとか関係なく伝えたいことがあるのに、
「うまくできない」とか
「カッコいい文にならない」
って人にぜひ読んで欲しいんです。


今はSNSの時代なんで、自分のことを全く書きたくない人って、もしかするとこの時代、いないんじゃないかな?って思うんですよね。


誰にも言わないけど、「いいね」が欲しいって人、結構いますよね?


どうせ書くなら、カッコよく
って思っちゃうけど とかそういうことは取っ払って、たとえカッコ悪くても、伝えたいと想定した「あの人」に伝えるためには、書くしかないんですよね。


もどかしい思いを持っている人ほど、今一度、このご本を開いて、自分の今と比べて欲しいと思います。


きっとあなたが欲しいと思っている答えがこの中にありますから!


というわけで、「書けない」ってことに悩んでる人がいたら、教えてあげよう!って思ってます。


さて、このブログは「書けないあなた」に向けたブログで、私自身がこのご本でで刺さったことはまた別のことです。
(上に書いたことも、そうか、みんなはこのことに困っていたのか、という意味で刺さりましたけれども。)


まぁ、その話は別のことで、別のブログが書けそうです。


そうやって伝えたいことがあったら「書いてみる」ということのキッカケに、このご本がなったらいいなぁって思ってご本を閉じました。


書きたい人も
そうでもない人も
一度読んだみると、ヒントがいっぱいですよ。





author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 19:58
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