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【日々の記録】介護の話8 父の介護について深く考える1
介護という言葉が重くのしかかったぷぅコッコです。


前回の介護の話7で「介護についてのセミナー」のことを書きました。


それで、あれは、介護にまだ向き合わなくても大丈夫だけど、介護ってのも考えなくちゃね。。。と思うきっかけになってくれたら良いなということで、介護が始まる前の予備の予備知識の話でした。


さて、セミナーを受けた時、私の父は入院してました。
9月だったんで、まだ一人で車椅子にも乗れません。
多分、看護師さん二人がかりだったのが、看護師さん一人に手伝ってもらえれば、車椅子に、、、乗れない、くらいだったと思います。


リハビリは本人、すごく頑張ってました。
足のリハビリ、上半身のリハビリ、言語のリハビリを週に7日間、そう、毎日やってくださるリハビリ病院でした。


そうだったので、出ない言葉も少しずつ出るようになってました。


漢字書く練習したり
本当に頑張ってた。


足揉みもしました。
反射区への刺激は脳梗塞に非常に有効でしたので、土日のどちらかは私が、週中の1日は母が、やってました。
週二回体制です。


それでも、それでも、それでも、父は何も変わらない状態で家に戻ってくるかも知れない。
どこまで回復するかはわからない状態で参加したセミナーでした。


先にご紹介したことはセミナーで話されたことの一部で、自分の家のことを考えると、参考になったことは別にあります。


うちには、私以外に母がいます。
でも、母は介護人、介護のプロではありません。


しかも上に書いたような状態。


家族として、介護というやつと向き合う必要が絶対にあったわけです。


このセミナーで、私がそこの場に引き上げてもらい、「母に任せていてはダメなんだ。」「自分が主体的に動かないとダメだ。」ということを思わせてくれる内容でした。


ただ単に、何かの流れに乗れば、幸せに暮らせるわけじゃないんですよね。


父の状態、家族で出来ること、それらを照らし合わせて「介護マネジメント」しなくてはいけない。


介護保健があって自動的に乗っかれるのではなく、能動的に向き合うことが、父だけではなく、家族の幸せにもつながるということを思い知らされました。


セミナーで出てくるエピソードで一番印象的だったのは、
「ケアマネージャーさんは選ばなくてはいけない」
ということ。


ケアマネージャーさんが、ひどかったって話ではないです。
(いや、まぁ、そういえなくもないか。とにかくいろんな人がいるってことです。)


もちろん地域包括支援センターや市役所に行けば紹介してもらえるわけですけど、紹介してもらった人があなたの家族の幸せを全部わかってやってくれるわけではないということなんだよね。


いやいや、やってくださる方もいるかもしれなあですけど、それはラッキーなことであって、待っていてはいけないということでした。


家族にとってはどういう形態がいいのか、棚卸したうえで、希望を伝えなくてはいけないんです。


もちろんその中には、介護保険でカバーされるされないとかもあります。
でもね、そこはケアマネージャーさんに考えてもらうところで、自分は、どんな感じまでなら出来るのかすり合わせないとダメなんです。


正直「マジかよ。。。」
が口から出る唯一の感想で、それにも増して、「仕事じゃないけど、仕事並みのマネジメント求められるじゃん!」ってことを思い知らされるのでした。


ここから、私の
「介護と向き合う」
が始まるのでした。


そのスタート地点に立たせてもらったセミナーはとても意義深かった。


改めて、感謝です!


author:ぷぅコッコ, category:日々の記録, 16:52
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【日々の記録】介護の話7 知らないけど知らないじゃダメなこと
介護の話、最近書いてなかったじゃんと思ったぷぅコッコです。


父は脳梗塞で、大学病院からリハビリのための病院に移ったのは2018年7月18日のこと。


移動すらままならない
(当時、屈強な看護師さん二人掛かりで車椅子にのせてもらわなくてはいけないレベル)
そんな中、大学病院少し離れた大学病院系列のリハビリ病院に転院。
大学病院からその病院までは連絡バスが用意されていて、それに乗ってあっさり退院、入院は完了したのでした。
(私は仕事だったので、母が頑張ってくれました。母の頑張りはわからないけど、そもそもその頃みんな疲弊してるからね。)


これまで考えてもいなかった介護のこと。


介護保険ってのがあってだな、、、みたいなことなんだけど、そもそもどうしたもんかもわかんないなぁ
と思っていたところに、友人主催のイベントで、介護の話をしてくださる先生が登壇すると言うものがあり、2018年の9月の初めのころに参加させていただきました。


主催者の友人曰く、毎年開催しているそうで、先生もお話もわかりやすかった。


介護が必要ってなったらどこに行ったらいいのか
知ってます?
普通はあんまり知らない気がするけど。


市役所かなぁって。。。


まぁ、市役所でもいいんだけど
地域包括支援センターってのが
各地域にあって、そこでも相談にのってもらえるんだね。


親御さんが遠くに一人で住んでたらどうする?
お隣さんに声をかけるとか
お知り合いに見に行ってもらったりとか、なんとか本人がちょっと変だなぁと思った時に、連絡してくれる人をちょっとちょっと作っておくこと。


変化は本人の気がつかないところで少しずつ起こって、それを逆手にとって悪事を働く輩もいる。


一人暮らしのおじいちゃん、おばあちゃんの家に黒いスーツを着た人が頻繁に出入りするとかそんなのおかしいことで、高額商品を買わされちゃったりする例があるみたいだけど、そういうのは、遠くにいると察知できない。


ご近所さんが、「なんか最近おばあちゃんのところに黒いスーツの人がいっぱい来てるよ」ってのを教えてもらえるように自分を覚えてもらうこと。


もしも徘徊とかになっちゃって
最初はそうじゃなくて、道をふっと忘れてしまってということかもしれないけど、本人が対処できなくなった時、対応してもらえるように、顔写真を近くの交番に預けておくこと。


そんなことは、言われたら「そうだよね〜」って思うけど、自分では思いつかないんだよね。


うちの父みたいにいきなり脳梗塞になるってのは待ったなしだけど、いつどうやって何が進んでいくのか?本人には気がつけないものなんだよね。
もちろん、たまにしか会わない家族もね。


何かが起こる前の一歩として、今できることをしなくちゃいけない。


その覚悟のためにも、介護のセミナー利用してもらえたらいいかなぁと思います。
でも、ピンと来ないでしょ?
そう、ピンとこないのよ。
だから、避難訓練と同じで聞いておくことがとにかく大事なんだね。


それで、介護のセミナーで私自身がためになった話ってのはほかにあって、その話は次のブログで書きますね。


介護の始まりは本当、簡単ではないのですよ。


author:ぷぅコッコ, category:日々の記録, 09:59
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【日々の記録】介護の話6 覚えてないの
突然起こったことを飲み込む時、記憶がすっぽり抜けてることありますよね。ぷぅコッコです。


私が台湾から日本に帰ってきたのは去年の5月です。
6月から仕事を始めました。


父が脳梗塞になったのは6月30日です。


そこから7月18日まで大学病院にいて、そのあと父はリハビリ病院にうつりました。


大学病院にいる間、母はほぼ毎日大学病院に見舞いに行っていて、その頃、父は看護師さん2人がかりで車椅子に移動してもらって、それでもまだトイレはオムツでやる感じでした。


父は言葉が出てこないので、会話が噛み合わないことも少なくなく、母の疲弊も大きくなっていったのをかすかに覚えています。


母まで倒れてはダメなので、毎日通うのは無理だと説得し。(母が来ないというと、父が寂しがるため、母は無理していくわけですが、行ったところで、言葉の出ない父とあまりうまくコミュニケーションもできないって感じだったです。)


その2人の間に入ってひとまず母が倒れないように数日は休もうよって説得して、父にも伝えたのを記憶してます。


その頃、まだ試用期間だった私。


でも、いろんなことがあるとどうにもなりませんよね。
体がボロボロで
ある日、会社からの帰りに立っていられない感じになって、なんとか電車を待って座った帰りました。


次の日、起きたら、手が震えて「こりゃいかん」ってなりましが、試用期間だったんで、ひとまず会社に。


会社に着いたけど、どうにもおかしいので、上司に話して、会社近くの近くの大きめな病院に。


血液検査をされ、生まれて初めて点滴されました。


結果出たら、一つを除いて異常はないと。


その一つの異常は、炎症反応というやつで、病院の先生曰く、「これから熱が出るかもね〜」


うーん、その宣言困るなぁ。。。


とにかく、体の中で、なんか戦ってるのはわかったけどね。


その日は大事をとって、家に帰りました。



とんでもないことが起こって、体にいろんなことが出るってのは2、3ヶ月経ってからですからね。


そんなことを身をもって体験する感じになっちゃいました。


いやはや、困るね。


気を張るって言ったってずっとは無理だよってことを身をもって体験した感じです。



誰かが病気になったら、周りの人も普通ではいられない。
できるだけ、自分を保ちつつ、サポートしなきゃね。


author:ぷぅコッコ, category:日々の記録, 18:30
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【日々の記録】介護の話5 足揉み先生活躍
介護って名前にまだまだ違和感があった、あの日々の話です。


脳梗塞になって、リハビリ病院にうつるまで3週間くらいあったんですけど、足揉み先生でもある私と母は毎日通い、足を刺激し続けました。


これでいて毎日病院に通うというのもしんどいものではありましたけど、少しでも良くなればの思いでしたね。


奇跡的に手は上がるようになったものの、足は自分で上げられず、もちろんベッドから自分で移動することも出来ず、この間は、寝返りもうてなかったので、やってもらってました。


うむ、これが続くのか。。。
いよいよエライコッチャ感が半端なかったのを覚えています。


1週間くらいだった頃、安定した来たこともあり、SCU(脳卒中集中治療室)からは卒業となり、仕切られた4人部屋に。


その頃にはちょっとだけ、車椅子に移動させてもらえるように。。。


とは言っても、看護師さん2人がかりです。
それも屈強な男性の。。。


お着替えも自分でできるわけもなく、看護師さんが手際よくやってくれていたのを思い出しました。



幸い手が動いたので、ご飯はなんとかスプーン等を使って出来るようになっていたなぁと、ゆるっと思い出しました。

author:ぷぅコッコ, category:日々の記録, 18:58
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【日々の記録】介護の話4 お医者さんから聞いた脳梗塞の原因
最初のうちは介護って言葉を使うのもちょっと抵抗のあった、ぷぅコッコです。


土曜日に入院して、しばらくしてからですが、先生から原因についてお話がありました。


脳梗塞を起こした後、どの検査で撮られたものかよく覚えてないけれど、クビにプラークと呼ばれる動脈の壁が厚くなっちゃった部分が見つけられていて、それかもしくは心臓から血栓が飛んだのか、どちらかだという説明を最初のうちに受けました。
原因が特定されて、先生からお話いただいたのは、おそらく週も明けて次の週か、もしかするとその次の週だったかもしれません。。。ぶっちゃけ覚えてません。


今回の脳梗塞の原因は、首のプラークではなく、心臓からのものだったという見解でした。
父はもともと心臓に不整脈があり、血液をサラサラにするお薬をのんでいましたが、今回、腰の手術を受けるにあたって、血液をサラサラにするお薬をのんだままでは手術できないので、主治医の指導のもと、やめてたんですね。


そもそもかかってた総合病院の先生は、不整脈は安定しているので、もう血液サラサラの薬はやめても大丈夫です。という診断だったため、手術の後も薬を再開することはなかったんですね。


ところが、大学病院の神経内科の先生によれば、不整脈だけではなくて、父はリスク要因の高い人(糖尿病、高血圧、肥満)があったため、血栓が作られるリスクも高く、薬をやめてはいけない患者さんだったと言われました。


いや、まぁ、そうかもしれないけど、今更そんなこと言っても、なっちゃったもんはしょうがないもんで、なんともかんともと、うなだれたものです。


そういうリスクがあるので、血液サラサラにする薬は、今後も続けないといけないですねってな見解で。


やっぱり人生にはいっぱいいろんなことがあるよね〜
と、思えてならないんですね。


かといって、そもそも血液サラサラにする薬を飲んだまんまでは、腰の手術ができなかったわけですから、本当に難しいですよね。


いまいまは、よろよろしつつも、歩けるところまで回復したわけで、そこには、腰の手術も大きく関わっているということです。


なってしまったものは受け入れて、前に進むしかないんだよね。


author:ぷぅコッコ, category:日々の記録, 16:04
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【日々の記録】介護の話3 脳梗塞二日目の話
去年半年はとにかく「頑張ってた」ぷぅコッコです。


脳梗塞を起こしてから、二日目
父を見舞いにいそいそと行きました。


前日、脳梗塞の直後、右手は左右に5センチくらい動かすのがやっと、足にいたっちゃ動かないって状態だった父を見ておりましたので、回復の手助けになればと、手の筋肉がつく道具を買って病院に持って行ってみました。


製品の名前は忘れちゃいまして、検索したんだけど出てこなかった。


お医者さんからはとにかく動かすようにとのことだったので、とにかく動かしてくれればと。。。


なんとなく気持ち的にはがっつり落ちた感じで病院に行ったんですけど、なんと二日目になったら手が上がるようになったんですよね。


これ、きっと足揉み効果だよ。
間違いないね。
手が上がるようになったのは、お医者さんも驚いていたもの。


とはいえ、足はまだうまく動かせない。
なので、まっすぐの状態から、立膝のような状態に動かすのを何度か一緒にやったり、例によって二日目も部分的ではあるものの、頭の反射区を中心に押してみました。


介護の話2で書いたように、血管が詰まった後、一定の時間が過ぎると脳細胞は死んでしまうので、その部分のもろくなった血管からの出血が怖いということで、まだ集中治療な状態なんですね。


脳梗塞を起こした日
父が気にしていたのはご飯だったんだけど、土日だということもあり、まだ病状も安定していないこともあり、もちろん食べさせてもらえるわけもなく、点滴で必要な栄養をまかなってもらってた感じ。
残念ながら本人が口から食べることはできなかったのね。


二日目の今日になって父に、「今日もまだご飯もらえないみたい、お腹空いてる?」と聞くと、「空いてない」って答え。


たしかに栄養はね、多分問題なく取れていたんだと思うけど、ご飯食べたいとか、ご飯食べられるとかって、なんか重要だよねと、病院の窓から遠くを見ながら思ったのでした。


腰の手術をして入院してのがはじまりで、これから本格的にリハビリしようってところで今回の脳梗塞だから、脳梗塞だけでなくて、身体は動かない感じで。


なんともどうしたもんかと思うのでした。

author:ぷぅコッコ, category:日々の記録, 08:41
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【日々の記録】介護の話2 脳梗塞ってやつ
人間誰しも抱えてるもんですよねん。ぷぅコッコです。


前回、介護の話1で父が脳梗塞になっちまったぜって話を書きました。


その脳梗塞について、もうちょっと書いておこうかなと思ってます。


病院で、脳梗塞を起こしましたので、先生はすぐに処置を進めてくださったわけです。


脳梗塞の特効薬
t-PA療法
血栓溶解療法
ってのがあります。


みなさん知ってます?


私、専門家ではないので、詳しくはわからないですが、見つかってすぐ(おそらく3時間以内とか)であれば血栓を溶解させる薬ってのがあるんですね。


この療法に関しては、父が倒れて、その連絡を受けて、あらかた検査と治療が行われて、そのあと多分午前中に先生に教えてもらったんです。


お、父は病院で見つかったので、それの適用か?
と、思ったんですけど、担当の先生の話では、手術後すぐは使えないんですねこの薬。


血栓を解かせるくらい強力なので、万一手術をした傷から出血とかするとあっさり死んじゃうわけです。
少なくとも私はそう理解しました。


父は手術後、2週間目に入る直前でした。
なにやらネットなどを調べると、大きな手術後2週間は使えないとなってるんですね。


使えたとすると、血栓が溶ける可能性が高く、麻痺とか残らず回復する方が多いそうです。


そんないい薬があるんで、もしも「あら、なんか脳とかおかしくない?なんか麻痺ってるぞ?」とか、変だなと思ったら躊躇なく、救急車呼んでくださいね。
なんにせよ時間勝負ですよ。


父にもその薬が適用されておれば、、、と、思わないわけではないですが、先生のご判断はご判断ですので、説明に納得をしました。


それで、その薬が使えないとなると、今度はカテーテルってのの適用になるわけです。


腿にある太い血管から脳まで辿って行って、直接血栓を取り除くと言うやり方です。


これも、結構時間勝負です。
発生より8時間以内が適用だそうで、父はカテーテルによる処置を施されました。


脳のおっきな血管まで這わせて、そこで詰まってるところを取り除くわけです。


でも、カテーテルもものすんごい小さい血管まで行けるわけではないので、全部が取れるわけではないんですね。


父の場合はカテーテルの届かない細い血管であったため、カテーテルでも血栓は取れなかったんです。


ま、残念ですが、これが現実です。


まぁ、それでも落ち着いてから溶かしたり、いやいま、t-PA療法まではいかなくても、血液サラサラで飛んでったりしたらいいんちゃう?
と思うわけですが、これがそうでもないんだそうです。


脳というのは、血液が滞るとそこから詰まったこところの血管から先の脳細胞が死んでしまうわけです。


脳細胞が死んでしまったあと、無理やり血液を流す
というか、血栓がとれて流れちゃうと脳細胞が死んだ場所って、すんごく血管がもろくなってるので、脳出血になってしまうんだそうです。



そうなのか。。。
脳って、大変だなぁ。。。


その時点ではどこから血栓が飛んだのかわからなかったこともあり、また起こらないように、血栓ができたり飛んだりしないように血液はサラサラにしなきゃいけないので、血液サラサラのお薬を入れつつ、脳出血にしないように最新の注意が必要!



ってなことで、SCU(脳卒中集中治療室)での隔離となったのでした。


いやー、書き起こしてると、えらいこっちゃな。
author:ぷぅコッコ, category:日々の記録, 18:15
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【日々の記録】介護の話1
誰しも人間抱えてるものはあるよね?ぷぅコッコです。


ここ半年、いろんなことがありましたが、私の半年を説明する上で、欠かせないことがあります。


父の看病、いやいや、介護の話です。


ここまで、色々やってきました。
終わりはありませんが、忘れないように。この日々を忘れないように記録にします。


事の起こりは、父が脳梗塞を患ってしまった事です。


半年くらい前のこと。
腰の手術で入院していた父が入院から2週間、順調に回復していた入院中の話です。


もともと腰の手術で入院、手術をしたため、リハビリ病院に週明けには移ろうねと、手続きをしていた頃のお話。


夜明けにトイレに行って、トイレから立ち上がる際に脳梗塞を起こしたようです。


場所は大学病院でしたから、病院の先生方は、できる限りを尽くしてくださいました。


それでも父は、右半身ほとんど動かないという状態。


手を左右に動かすのがやっとで、あげることはできないという状態に。


種々の検査を受ける合間に父にあって、話すけれども、そもそも、父自体、自分の身に起こったことを正しくは理解できないし(脳梗塞なんて起きれば、みんなそうだと思う)もちろん説明できるわけもなく。


「大丈夫だから、大学病院の先生たちに任せよう」
と声をかけたりしました。


まー、大丈夫じゃないけど、そもそも全体いろいろパニックですよ。

もちろん、その後、今までの処置とか、これからの流れを大学病院の先生の話を聞くわけですけど、なかなかどうして人間ってのは冷静なようでいて、そんな大ごとが起こると冷静でもいられないもんだなぁ。
なんてことを逆に冷静に思ってました。


どちらかというと母のがパニックっぽかったので、それも含めて、冷静に聞いたつもりです。


父の脳梗塞に関して言うと、専門医の先生曰く、場所があまり良くなくて、右左が認識できない状態であること。
右に麻痺があること。
などを説明してもらいました。


だがしかしですよ。
専門家でもないので、できた処置、手術後であるため適用できなかった処置など聞くわけですが、「左右が認識できない」とか、感覚的にわからないんですよね。


うーん、それらを理解するのにはちょっと時間がかかるわけですが、昨日まで普通に話していた人が、先生や看護師さんの呼びかけに、半分わからなさそうな顔をして、マトを得ない答えをするわけです。


そして、彼が伝えようとしていることが私たちに伝わらない。
(病院のスタッフは父がわかってもわからなくても、話をちゃんとすすめていきます。多くの症例を診ているとはいえ、プロだなって感心するばかり。)

それで、どうやら本人は「トイレで水を流そうとして、立ち上がった時に(脳梗塞が)起こって、そのあとはわからない」ということが伝えたいのですが。。。


「水が、水が。。。」


と、うわ言で言うだけでうまく伝わないないんです。


パニクってる母はそんなものにうまく対応できるはずもなく。


そんな2人をなだめて。「(わかんないけど)わかったよ。みずって。。。」 「今、飲みたいとか?そーゆーこと?あー、そうじゃない。あ、もしかしてトイレの時の話してる?」


そうやってすり合わせしていく。


あー、そんなことやったなぁ。。。


と今、思い出します。


脳梗塞に関していうと、あんまり患者の家族が起こったその時にできることもないんですけど、、、


私、ブログで書いたことがあったかわからないけど「中国足心道」という足揉みの先生の資格を持っているんですけど。(施術もやってます。)


足揉みというのは脳梗塞を起こした方にも有効というのは知っていましたので、頭の反射区への刺激をとにかくやってみることにしました。


麻痺して感覚のない右足なので、思いっきり何回か反射区押してたら
「痛えっ」
って、父ちゃんの反応
(足の反射区への刺激は悪い部分が反応すると痛いです。)


お、麻痺してるけど反応するのか?

なんて手応えを得たりして。


ひとまず、同じ資格を持つ母と一緒に、毎日刺激してみよう!
と、決めて、どうにもやることはないので、家に帰ることになりました。



脳梗塞の連絡を受けたのは朝、6時過ぎのことで、それからすぐに病院に行き、7自前には病院についてました。それから処置があって、SCU(脳卒中集中治療室)に移され、病院の部屋を変わる手続きをして(元々は整形外科の病棟に入院してたので)私たち、母と私ですが、が病院を後にするまで、諸々の手続きやらなんやら含めて12時間くらいは病院にいたと思います。


ひとまず、人生ってのは、突然いろんなことが起こるもので、それは平等にびっくりする形でふってくるものです。


それはそうなんだけど、この経験!記録した方がいいよねって思って。


やっと少し落ち着いてきたので、シリーズで書いていきます。



ちなみに、「えー、マジか?ぷぅねーさんのお父さん、半身不随で寝たきりなのかー」
と、思った方。
安心してください。
大学病院の先生たちのケア、足揉みの効果なども含めて、ちょっとよろよろですが、自分の足で歩けるところまで回復してます。


話も普通にできます。


認知症はありません。


脳梗塞に伴う高次脳機能障害が、一部、注意障害という形でありますが、普通に喋る分にはわからないです。


ちゃんと家に帰ってきました!


というところまで本人の頑張りもあって回復してるので、安心してね。


author:ぷぅコッコ, category:日々の記録, 18:17
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【日々の記録】日本橋クルーズ行ってきました
日本に帰ってきたけど、日本は堪能してないぷぅコッコです。




日本橋ですよ!
川の方から写真撮ってます。


日本橋のところから出る「日本橋クルーズ」に行ってきました。


たまたま、日本に一時帰国してらっしゃる台湾仕事の頃の先輩と行ってきました。


そういうアクティビティに疎いわたくし、先輩のオススメのまま、連れて行っていただくことに。


とうの先輩の方は4年越しで乗れたとのことで、ご満悦でした。


こんなご時世なので、外国の方が多いのかと思いきや、そんなことなくて、がっつり日本人ばっかり。


それも驚きでしたね。


プラス、バスガイドさんならぬ、船ガイドさんがいらっしゃるんですけど、正味1時間、喋りっぱなしで頭が下がりました。


今話題の築地市場から豊洲市場にうつるための2号線を見てみたり、東京タワーもレインボーブリッジもスカイツリーも、海と川で繋がってるのね〜
と、ちょっと感心しちゃいました。














たまにはこんな日々の記録も悪くないかなぁって思います。


皆さんも是非、機会あったら試してみてください。


意外と楽しいですよ。


author:ぷぅコッコ, category:日々の記録, 14:26
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【日々の記録】万年筆でオフ会する



先日、ひさびさにブログを書いて、それに加えて、ちょこっと自分のブログを読み始めたら、止まらなくなったぷぅコッコです。


いやー、今考えると、冗長な文章ももちろんあるけど、読み始めたら止まらないじゃない。
なんか自分で書いたんだけど、自分じゃないみたいで、なんだか嬉しくなってしまいました。


さて、冒頭、万年筆の写真をあげてますけど、万年筆好きさんで集まってオフ会してきました。


わたし、人見知りで、、、
このネタはもう聞き飽きたかと思うんですけど、その人見知りネタ、自分なりに分析すると、単に人と話すのがどーのこーのと言う話ではなくて、大量の知らない人にいっぱい会うっていうシチュエーションが苦手というか、自分がイメージするほど楽しめないのね。


もちろん楽しいこともあるし、一旦、話に乗れば「めっちゃ楽しい!!」はもちろんあるけど、そんなのわかんないじゃん。


かといって、話の入りの部分で何話したらいいかわからないんだよね。

未だに。。。

こんなに年をとっても、未だに!ねっ。

しかも舞い上がってるから、何人もの人にご挨拶されると、名前とか覚えられないし。。。


で、これって数をこなせば克服できるかって言うと、そんなことなくてさ、今に至ると。


人から私を見たらどう見えるか?
「いやいや、大人数のオフ会でも楽しそうにみえましたよ?」

そーよ、誰も楽しくないっていってるんじゃなくて、そういうシチュエーションはいつまでたっても「苦手」だ。
と言ってるわけね。


まぁ、そんな話はどこにつながるかと言うと、いっぱいのオフ会より、「むむっ!この人とランチ食べたい!!」って人と少人数でゆるっとランチ、一対一かもしくは多くてもわたしのぞいて3人までってところがベスト!かな?

だって、どの人の話も楽しく聴きたいじゃない?
楽しいことは共有したいしね。

で、そんなランチが好きなのね〜
(もちろんお夕食も可よ笑)

それでまぁ、そういう人は全国、いやいや全世界にいるから、そう言う場合は、ランチの約束を取り付けてえっちら出かけていくわけなのよ。


それで、大人数のオフ会の主催とかは、そういうことを楽しくやってくれるお友達にお任せしたりしてね。


まぁ、その辺の行動力から、「人見知り」というイメージとは合わないけど、なんにせよ苦手なことってのもあるわけね。


さて、先日も本当は初めてじゃないけど、前回は、ほとんどおはなしできなかったステキなお嬢さんと是非お話ししたいわ!と思って、ランチお誘いしたのね〜。



いやー、楽しすぎましたな。



話が止まらないってのはあるのよ。ほんとにね。


もちろん趣味が合うというのはあるけど、趣味の交差点みたいなもので、自分と趣味が一緒の人が、また別の感性を持ってて、それを共有して、時には、また全然違ったところで共通点があったり。
逆に、知ってるようでも知らないこともあったり、初めてさんでもそうだし、割と頻繁に会う人でも、その人がわたしと会ってない間に手に入れた変化が見えたり、色々で面白いでしょ?



世の中にはいろんな人がいて、いろんなやり方があって、コミュニティを作って楽しむのが好きで上手い人もいれば、時間はかかるけど、小さく繋がって広げていく人もいる。


いろんなやり方があっていいと思うけど、興味があったらこちらから声かけするのも悪くないかなぁと思って生きております。


いずれにしても、冒険は自分から!


そんなわけで、日本に帰って来たので、またサクッと「ランチしてください」連絡が届くかもしれませんが、お時間あればお付き合いくださいませ〜。


author:ぷぅコッコ, category:日々の記録, 07:58
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