- 【読書】僕はイエローでホワイトでちょっとブルー
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2020.08.30 Sunday
【読書】僕はイエローでホワイトでちょっとブルー
ビジネス書じゃ無い気がしますけど、ビジネス書読書のカテゴリーにしちゃいました。
イギリスのちょっと頑張ってる普通の中学校に通ってる息子さんの日常から、今のイギリスを感じるご本かな?
帯を見ると、ジェンダーやら、いじめやら、人種の問題やらと、なんだかなんとも難しそうな感じのことが書いてあるんだけど、この日本だとまだまだ当事者じゃ無い限り遠くにありそうな言葉が、日常として「ある」様がそのまま書かれているなぁって印象だったなぁ。
日常というのはコロナウィルスなんかを見てもそうだけど、突然変わってしまうものだと思う。そういう大きなことがあると、当然のように常識だと思っていたことがいとも簡単に変わってしまう。ここ最近、誰もがそんな経験したんだけれども、このご本で紹介される日常は、まだ日本では影を潜めているような気になってしまう。本当は近くにあるけど、当事者でない限り、その目を開けてないようなそんな感覚。
当然のこととして、当事者の方は存在するし、そういうものが「存在しない」というつもりはさらさら無いけれど、社会として受け止められる度量がまだ「ここ日本にはない」ような気がしてしまう。
とはいえ、この本を読むで感じる今のイギリスだって、イギリスだって、最初からそうだったわけじゃないし、日本で想像するよりも、もっと違う方向に変化していて、それを受け入れているような、無理やりそうなっているような、そうせざるをえなあような、そんな日常が見える。
日本だって、日本の日常だって、こうやって綴ってみたとしたら、きっとイギリスとはまた違う観点かもしれないけど、いろんなことはある。
本当は、本の帯にあったセンセーショナルに書かれる問題よりも、イギリスでも深刻である格差社会の描写が、日本の現在からちょっと先の未来を見るようでうなだれたのだった。
自分と同じ目の高さで語られるイギリスの今を読んでみるのも悪くないなって思ったご本でした。
- 西澤ロイさんのリスニング・エボリューション 感想その1 気がつかなければわからないこと
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2020.06.15 Monday
コロナ禍ですが、皆さまいかがお過ごし?ぷぅコッコです。
このなんとも渋い最中、3/2から3ヶ月にわたり英語リスニングの講座受けてました。
西澤ロイさんのリスニング・エボリューション 感想その1 気がつかなければわからないこと
と、題して書くんですけど、感想がその1で終わっちゃったらごめんなさい。
さて、この話を始める前に、
今日はこんな名言をInstagramにあげました。
そう、今から書くことも、実は自分でやってみないと気がつけないことでした。
世間の皆さんがどれくらいリスニングできるようになりたいのか?ってのは私にはわからないですが、私はできるようになりたかった、いやいや、過去形じゃなくてなりたいんです!
でも、台湾でも英語で仕事してたし、それなりには聞けるんじゃない?と言われると、多分それなりには聞けると思います。
チャイニーズイングリッシュならもっと聞ける自信あります。
去年ガツガツ受けてたTOEICで、リスニングの最高点は450点です。
これ、TOEIC受けない人は知らないと思いますが495点満点ですから、これだけみると9割わかってるじゃん!ってなる。
だけど実はそんなにわかってない自覚があって、そのわかってないと思ってる感覚から、嫌なものが滲み出てて、そいつを打開したくて、今回、リスニング・エボリューションに参加を決めたというわけ。
TOEICを例にとってみると、あの試験、特殊でというか語学の試験で選択式であればみんなそうなると思いますが、必ずしも聞き取れなくてもそれなりに試験に慣れれば、点数取れます。
選択肢の中から、正解を選ぶということなんで、全部聞けてなくても、よくも悪くも点数が取れてしまうんです。
まぁ、それで、そういうことに着目してテクニックを教えてくれる英語講座なんのも結構いっぱいあります。
日本はよくも悪くも、試験で点数が取れること、というのが免罪符になるというか、そういう評価しかされないというか。。。もしかしたら私がそう思ってるだけかも知らないけど、わかりやすい指標なんだなぁ。
ほんとに、仕事ができるというのは、また別の能力のような気がするけど。
日本に戻ってきて、なかなかその辺の折り合いがつかないから、点数で示せば、会社も文句なかろうってことで、去年はTOEIC、バリバリ受けてました。
(なんちゅうか、職歴に書かなきゃいけなくてさー。)
さてさて、それは、対会社、対日本社会用にやってた、いや、やってることで、私が本来やりたいことではないというのも、試験を受ければ受けるほど思うんです。
それもなんかちょっと違うなぁ。
なんというか、ちゃんと聞き取りたいの!あやふやなまま間違い探ししたいわけじゃなくて、ちゃんと聞き取りたいの!
テストもまぁ、重要なんだけど、そうじゃなくて、映画を字幕なしで理解したいとか、もっともっと世界に友達作りたいとかそんなことなのよ。
とにかく、試験用の英語を聞き取るその先に、もっともっとやりたいことがあるわけなのね。
そんなモヤモヤがあったりするわけです。
さて、このイングリッシュ・エボリューションですが、講座の詳しい話を書いてると長くなりそうなので、それは今日はやめて、この講座を受けて、変化があったことっていうか、自分の中で勝手にしかも無意識に思っていたことに気がついた!ということについて書いていきます。
講座としてやってたことは、毎日一問の英語を真剣に聞いて、それを一生懸命数回リピートするということ。
私、結構聞けると思ってて、でもやっぱり聞こえないというか聞き取れないものがあるのねって気がついた!
ってのは普通の感想だけど、
実際、この講座を愚直にやっていたら、前回は聞き取れなかったけど、2回目は聞こえた!ってのが結構あって、正直驚いたんですよね。
驚いたってのが肝なんです。
ここが、私が心に無意識に抱いてた「こだわり」みたいなものを氷解させたところです。
どういうことかって?
私、聞き取れるものもあったので、
「聞き取れるものは、注意してもしなくてもそれなりに聞き取れるもの。
聞き取れないものは、頑張っても聞き取れないもの。」
多分、無意識に、「あー、これは聞き取れないやつだ」と決めつけてた節があるんですよ。
今は聞き取れない、ではなくて
私には聞き取れない。
それは時に少しオーストラリアのなまりが強いとか、willが入ってるのが弱くて聞き取れないとか、まぁまぁ、いろいろあるんだけれども、なんとなくそこは、ネイティブの皆さんも意識してなくて、音として聴き取れるアプローチではなくて、例えば一部聞き取れてなくても、意味がわかっちゃう的なことか?とか別のアプローチなんだろうと勝手に思っていた節がある。
まぁ、まぁ、語学は総合力なので、一部聞こえなくてもそもそもその国の言葉に精通してる人はわかるかもしれないわけ。
それで、なんというかその「見えない語学力で補完されるものであろう何か」は「私には聞き取れない」と思ってたんだと思う。
それが、言われた通り練習したら、次は聞こえるようになっている。
上の私の理論でいけば、真剣に聞いたって、次も同じように間違える。
まぁ、そういう場所がないわけじゃないけれど、そうじゃない場所が出てくる。
これが1ヶ月くらい開けた後の2回目なのに、もう自分が以前間違えたようには聞こえない。
そんなことがある。
語学試験で話される手加減された英語は、ネイティブなら100%聴き取れると言われるけれど、それは語学として総合的にわかってるから補完されるわけではなく、ほんとに聞き取れてるんだ。
と、当たり前のことを実感したこと。
大したことないようだけど、それを実感できる練習をしたことなかったわけだから、これは個人的にびっくりだったんですね。
いやはや。。。奥深い。。。
そんな根深い思い込みは、写真でつけた名言ではないけれど、やり方を教えてもらった上で、自分でやってみないと気がつかないことで、これが、この講座を受けての衝撃だったのでした。
いやー、ほんとに聞こえてるんだなぁ。。。
まぁ、当たり前だけど。
高校生の日常会話みたいに超高速で話してるわけでもないし。。。
高校生の日常会話なら、聞き取れるとか以前に日本語でもついて行かれないかも。
まぁ、どっちでもいいけど、びっくりな発見でした。
んー、気が向いたら、もうちょっと講座の詳しいこと書くかも。(書かないかも。。。はっはっは。)
- 【セミナー・勉強会】ストレングスファインダーのセッションを受けたよ。
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2020.02.15 Saturdayストレングスファインダーセッションのあとね、ピアノコンサートに行きまして「心洗われた」ぷぅコッコです。
そう、この話は多分、私の強みにつながる。思いっきり思いつきで申し込んだピアノコンサート。
「蜜蜂と遠雷」って映画でさ、松坂桃李演じるピアニストの吹き替えをやった人のコンサートが近くであるってんで申し込んだんだな。かれこれ4ヶ月くらい前。
その思いっきり思いつきの行動が「私の強み」というわけなのだが。。。
それって、どうなのよ。。。という気もしますけど、ブログ読んだら、なるほどって思うかもよ。
ということで、本日、受けたセッションの話ね。
ストレングスファインダー
ご存知かな?
私が説明をこねくり回すよりも、ググって、コピって拾ってこよう。
「ストレングスファインダー」とは、アメリカのコンサルティング会社「Gallup社」が開発した自身の強みを明らかにする自己分析ツールで、今では一般的な自己分析ツールとなっています。
ということでね、自分の強み!明らかにするのよ。
え?自分の才能?みたいなもの?
うーん、セッションやってもらってはっきりしたけど、才能というかどうかは言葉の定義によるよね。
在り方、どうであれ、自分のあり方が詳らかにされるイメージだね。
それで、まぁ、これね、今回よりも前に受けたことがあるんだけど、、、だいたい読んで、ふーん。。。って。。。
ちゃんとこのストレングスファインダーについて勉強した人とかコーチングとかしてもらうとか、そういう勉強でもすれば、活かし方がわかるんかなぁーって、前にやった時は思ってました。
今回、セッションを受けるにあたって、講師の先生から、「前の結果を共有して」って言われたんだけど、前の結果なんて、あなた、どんなだったか覚えてないし、そもそもストレングスファインダーのサイトへの入り方すらも怪しいとあって、「もう一度受けたい!」と、お願いしまして、受け直したんだね。
そうこうしてたら、前の結果も見られるようにはなったんだけど、まー、なんかめんどくさいや(よくよく考えたら170問以上ある質問にもう一回答える方がよっぽどめんどくさい。)と思って、質問に答えましたよ。
んで、まー、受けると結果が出てくるんで、素直に読んで、静かに仕舞いました。
これじゃー、強みが活かせないじゃないか!
いや本当に。
ストレングスファインダーというのはお金払って受けると、34個の項目について、ちゃんと「強み」がある順番にレポート出してくれるから、「こんなふうに見られてるんだー」とか「こういうところに気を付ければいいんだねー」って単発なことはわかるよ。
レポートも丁寧だしね。
それで、この34個はその特性から4つに分類されるんだね。
この4つを見ながら、こういうところが強みですねー、みたいな分析になるんだと思うんだけど、まぁ、読んでも、へーみたいなーって感じで。
これね、日本語に「訳」してあるんだよね。。。英文のものが。
別に訳が下手だとか言ってるわけじゃなくて、母語じゃないから、その熱量みたいなものは、伝わってこないわけ。
いや、訳してあるから母語なんだけど、そこで、何に注目すべきなのか、そんなところかな。
言葉には力というのがあってだなっ、みたいなことを問いたくなる。
いや、むしろそういう偏見を与えないための平易な文章なのか。。。
文章だけでは、なんともね。
そんな感じだから、もしかすると、セッションみたいなのを受けてもコーチ、コーチで考え方が違って伝わり方と違うかもね。
実際はどうなのか?そんなことが知りたくて、ストレングスファインダーの一つの考え方として、今回コーチングしてもらったということね。
まぁ、ビジネス書で言えば
原書と
解説本
この組み合わせ、ブログでもたまに書くけど、解説本っていいのよ。
「解説本で分かった気になる奴はアホだから!」とか「原書とあたらないとか、マジないから!」って意見があるのも重々承知だし、解説本と原書、読んでみたら、言ってることってか解釈違くない?って思うことはあると思うよ。
でもね、まずは、それでいいじゃないかって私は思う。
入り口は、解説本で、そのあと原書にあたりなおすというやり方もあると思ってる。(まー、ぶっちゃけ解説本のみってのは、最終的には避けたいけどね。)
手に取るか、取らないか
のゼロサム判定なら、
ゼロより全然いい!
で、熱く語ってるけど、ストレングスファインダーだよ。
さっきの例でいくと、先に質問の方はやってみて、読んでるから、原書のぞいちゃったけど、それだけでよーわからんから、コーチングしてもらう、とね。
その流れでのセッションを今日受けたんだけど、これがめっちゃよかったのよ。
34個の項目を4に分けてあるって話を上に書いたけど、端的に言うとこの4つはゆるーくつながりつつも、34個から順番をつけたものが散らばっていくと、自分として得意分野とか、自分として「強い」というのが際立って出てくる。
それらはさっきも言ったけど、有機的に繋がってるから、例えば特性が「ない」というか強みではないって出てきたものに対しても、実は強みと思ってる方からのアプローチは「ある」のよ。
私の場合だったら、成功したいとか、達成したい、成果出したい、というのが行動のトリガーにはならないんだけど、じゃーいつでもそういうことと無縁で生きてていいですねーみたいな生活を送ってるかって言えば、そんなことはないわけ。
私だと、チームで一人一人の個性を生かして、なにかを達成するみたいなのに強みがありそうなんだけど、その個別の人たちが成果に向かって気持ちよく仕事してもらいたい!そのためにどんなコミュニケーションができるか?とかが、私が動く動機になってて、それが軌道に乗っていったら、当然その上で、「成果も出るっしょ!」って思ってるみたいなこと。
もちろん成果を出すことは今、生きてる中ではとても重要だけど、成果が出ればなんでもいいわけじゃないじゃん。
いやいや、ここ!ここだ!
成果出ればいいじゃんが強みの人もいるってことなのよ。
それでうまくできるとか、うまく回るが「ある」
でも、私はそうじゃないってこと。
仕事してれば、仲良しな人だけってわけにはもちろんいかないけど、そんな人たちがいろいろいて、それぞれに合わせて、働いて成果が出るっね構図がとても私のハッピーなのよね。
そのハッピーの「在り方」を模索して、生きてきたから、それらが私の「強み」だということなんだね。
えー、そんなのさー、ずーっと長い時間かけて、ずっとこんな癖で生きてきてさー、強みとか言われても、どっちかっていうとそういうことがあるから嫌味言われてきたりもするわけじゃん。
「成果に貪欲でない!」
とかね。
嫌なことも言われてきたじゃん!と、言いたくなる。でも実はそれらが、「あなたが後天的にコレクションして生きていくために使ってきたサバイバル方法」というわけ。
セッションしてくれたコーチは言ってくれました。
「ストレングスファインダーで出てくるものというのは、いつでもポジティブにやってれば、才能が開いてハッピーにみたいなことではなくて、まさにそれぞれの人のサバイバルの方法が現れるのだ」と。
強みなんて生優しいことではなく、「その武器で、これまで生きてきました!」というのが現れる。
そして、強みとして出てきた項目の中には、子供の頃から持っているCoreなものもある。
それがまさに、自分の生きる環境で生き残るために身につけた「強み」なのだ。
大袈裟に聞こえるかも知らないけど、そういうこと。
だから、あまりにもありふれていて、自分にとっては無自覚になんでもないことだから、「強み」だと言われてもわからないし、才能だと言われて、受け入れられるものでもない。
才能だったとして、それでギリギリ生きてきたってだけで、そこから抜け出す何かにはならないじゃない?ってことも思う。
それで、才能とはとても思えないような項目たちは、いつ、その真価を発揮するかというと、「自分に困ったことが起こった時」ってことなんだよね。
まさにサバイバル
文字通り死ぬわけじゃないかも知れないけど、人生の選択の中には少なからず、「どうしたらいいだろうか」って、「あの時の選択が私の人生の転機だった」みたいのがあるじゃん、その時あなたが使って生き残った方法が、その「強み」って奴らなんだよね。
これ、良いか悪いかって話ではなくて、いやでもなんでも困れば困るほど、そういう方法で生き残ろうとするってことなの。
そういうことがわかったらなにがいいのかな?って聞きたくなるよね。
それがあなたにとっても、一般的にも素晴らしくいい方法なら、そのまま、また同じふうに進んでいけば、きっと才能が開くよ。
あー、そうじゃなくてって場合ね。
その時、同じ方法を辿る!
ということがわかっているとして、危機がきたらどうだろう。
ちょっと関係ないけど、地震が起きたときに逃げられるかどうかを分ける一つとして、一年に一度避難訓練をしていたかどうかってのがあるらしい。
何かあったら、この方法で逃げよう!をおさらいしてるか、してないかの違い。
何かあったらこの方法で乗り切ろう!というのはすでに「あなたの中にある」それが、普通にはわからない。
その方法を知っていたとしたら?
それをブラッシュアップすることはできる!のよ。
きたきた、これだ!いつも困ったことがあると、これだよ!って思い至ったら、違う方法を試せる。
そうやって、能力を手に入れられるチャンスが巡ってくるわけだ。
これだよ!
「強み」ってのはそういうことなんだな。
有事の際に、そいつを乗り切れる能力のことだ。
それは確かに才能かも知れない。
イメージする才能ではないとしても、人として生まれて生きてる、今、生きてるってだけで、だいぶすごいことなのよ。そう思えば、身について離れない「強み」が自分を生かしてくれていたとしたら、そりゃ確かに才能だわ。
と、ちょっと納得した?
ストレングスファインダーという題材から、そこまで有機的に2時間でコーチしてもらった感じだけど、すごいよね。
一つ一つの項目を有機的にくっつける作業ってのがまずできないし、それらがいつどこでどんなふうに役立ってるのかってのを「伝えてもらえる」ってのはすごいことなんだよ。
得だ!本当に。
ということで、皆様もお試ししてくださると、面白いことが起こると思いますよ。
特に私が今日やってもらったコーチの方を推薦。。。
コーチのFBの連絡先
そんな極上体験の後、ピアノコンサート。
どっちもすんごい思いつきで、受けてたり、聴きに行ってたりする。(あ、コーチング受けるといいよって書いてるけど、すげー悩んで申し込んだんじゃないんだ。だからこそ、お得感満載!コーチングもコンサートももらい事故くらいの適当さです。)
でも、この、「今」を「楽しそう」にするために私は思いついたことをいきなりやったりできる「強み」を持ってる!
これでサバイブしてるわけだ!
人と違うところって、こうでなくちゃね!
- 【セミナー】CILフォーラム ”Inclusive Leadership: Key For Future Japan”に参加しました
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2020.02.08 Saturdayなんかうっかり申し込んじゃったら、深く考えさせられるセミナーだった、ぷぅコッコです。
CILフォーラム ”Inclusive Leadership: Key For Future Japan”
というやつに参加してきました。
APU 立命館アジア太平洋大学が20周年を記念して、フォーラムをするってのの1回目だそうです。
あまり何もわからず、東大の入学式で祝辞を読まれて話題になった上野先生の話を生で聴けるということにワクワクしながら申し込んでしまった。
なので、内容に期待してたということもなく参加しちゃったもので、入り口で登録する際に、名刺を求められてタジタジしたりして。
(奇跡的に持ってたので、お渡しできました。)
あー、社会人としてというか、名刺を出さなきゃならんようなセミナーであったか。。。と、ちょっとドキマギしたりして。
部屋は予想していたよりも小さくて、その中に満員の人となりました。
ダイバーシティーやらインクルーシブ リーダーシップやらということが叫ばれるわけなのですが、いろんなことにラベリングしてきたのは「人間たちそのもの」で、うまくいかないいろんなことは、「人間たち」が勝手に常識としてコレクションしてきたものよね。
なんてことを思う。
ダイバーシティーみたいなことを体現できるAPUという大学の取り組みの話から、会スタートしたのでした。
でも実のところ、それもわたしはふんわりとしかわからなくて、ボケーっとしてました。
そうこうしているうちに、上野先生の話がはじまりました。
上野先生は今回
基調講演 「超高齢社会日本の課題:官民協私の連携へ向けて」
という講演をしてくださったわけですが、上野先生はそもそも、介護という社会通念を通した超高齢化社会の課題を研究されてる先生だったのですね。
恥ずかしいながらなんの先生なのかもわかってなかったので、まさか超高齢化社会から介護保険を取り巻く社会の話になっていくとは。。。びっくりしてしまいました。
介護というと、今、リアルタイムで父の介護に向き合わなくてはいけなくなりまして、去年はそれらを軌道に乗せるため、大変だったなー。
ってなこともあって、現場側として知ってることがいろいろあるわけです。
上野先生の話の中で、「介護保険は団塊世代が作った最大の功績」という話がありましたが、いやーね、これ、利用してみると、本当そうよね、と思うわけ。
社会学を学んでいるわけではないけれど、自分が社会と関わってる歴史を見るだけで、日本という国の老人というのは恵まれてるのよね、ということを感じるわけです。
介護保険で言えば、官民が連携して、地域で包括的になんて言葉で、なんとでもなんだけど、そんな言葉を使わなくても、その制度に乗っかれるような者に父がなって、実際に利用してみると、やっぱりよくできてる。
ケアマネさんがついて、月に一度、家族と話をする。
リハビリやデイの人たちは迎えに来て、連れて帰ってきてくれる。
持ち前の人間力もあるかもしれないけれど、最初は嫌がっていた父ですら、その取り組みに乗り、デイやリハビリで人と繋がり、それなりに楽しく過ごす方法が見つかる。
すごいことなのだ。
これだけ手厚くプロに見てもらえる。
やっぱりすごいことだ。
わたしは子供を保育園に預けて仕事をしてきたわけだけれど、ケアマネさんのような人がいるわけではなく、保育園選びやすべての便利な情報は自分でとりにいかなくてはならなかった。
当たり前?
そう当たり前。
でもさ、子供を産んだお母さんたちにもしもケアマネさんみたいな人が国の取り組みとしてついてくれて、月に一度でも話を聞いてくれたとしたら、何か困ったことがあったらいつでも相談できる人がいたら、と思えてならない。
その意味でも、介護保険は優れていると思う。
まぁ、そんな介護保険の話から、死ぬことの在り方の話が展開される。
みんな最後は死ぬのだということを考えた時、自分の親が自分とは別のところで元気に生を全うする。
そういう仕組みに社会がなっていければ、一人で死ぬ(当たり前だけど)、それも望んだように一人で死ねる社会となってきたというか、そういう意識改革が進んだ介護保険20年だったという話に引き込まれ、深く納得してしまった。
最後は自分の家で死にたい高齢者が施設に入って、最後は病院で死ぬのが当たり前のように思うけど、それは本人の望みではなくて、本当は家族に迷惑をかけまい、地域に迷惑をかけまいとすることの現れで。。。
家族の都合
なのだ。
でも、「高齢者がその家族と一緒にいる」というのを「望んでいるか」というと、実はそうではなくて、一人で気ままに生きていた時のままを持続できる仕組み(食事が届いて、見届けてくれて、必要な介護が受けられる)というのがあれば自分の家で、家族を気にすることなく最後を迎えられるということなんだろう。。。
なんてことを思う。
まぁ、人間は勝手なもので、元気な時のままの家に戻りたいということなんだけど、元気な時のままの家というは、「自分も元気そのもの」という前提だったりする。
そりゃそーだ、介護が必要なほど身体が効かなくなるなんて、なってみなけりゃわからない。
なってみなけりゃわからないが緩やかに楽しくできるためには、なった人をたくさん見てきた人たちがプロとして介入し、それぞれの人に合わせた「自分の死に方」の在り方を体現する以外にはないのかなと思ったりする。
そこに家族という素人は要らないのかもしれない。
それでも家族には、また別の役割がまだある。
その人となりを知り、愛情を持って接するという気持ちの部分だ。
いずれにしたって、介護でヘキヘキとしてしまった家族では愛情もへったくれもないもので、疲れきらないためにも、社会で、地域で人を「看取る」という取り組みが必要だし、そういうことに向かってやってきたんだなぁ、としみじみ思ってしまった。
こういうことを考えるきっかけとなるセミナー。。。
たまには頭をフル回転させるためにセミナーに参加してみるってことは尊いことだと思ったりした。
皆さんも是非機会があれば聴いてみてくださいませ。
- 【日々の記録】あーん、数日ブログ書けてなーい!
- 【日々の記録】朝の習慣
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2020.01.20 Monday面白がること!ぷぅコッコです。
実は私、毎日、いろんな著名人の名言を万年筆で手書きしまして、インスタ等々にアップしています。
こんな感じ。
毎日、その日にあった名言を探して、書いてアップする。
それだけなんだけど、なかなか清々しい気分になったりすることもあったり(^ ^)
万年筆とか趣味でない人にはあまりわからないかもなんですけど、この万年筆で書く時間ってのが最高に良いわけなのねー。
万年筆への愛はまた別で語るとして、万年筆でなかったとしても、手書きっていいんですよ。
別に人に見せなくていいと思うんですけど、手を動かすだけで、脳も動く感じがしない?ってね。
朝の習慣!
気が向いた時に皆さんもぜひ〜
- 【日々の記録】完全休業日
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2020.01.19 Sunday完全な休業日のぷぅコッコです。
休みは休まないと動かないのよね。
ってことに気が付かさせられている昨今。
いや、昔から知ってましたけどね。
出来ない感じなのは。
仕方ないんだよ。
思い返すと、「やればできるんだよ」みたいなことを思ってたけど、実はそうじゃないんだよね。
「やれば」って思ってるその想像上の人物は、どこかで自分の能力を超えてるんだよね。
例えば自分よりもほんのちょっと体力のある人
だったり、
自分よりほんのちょっと集中力の続くタイプだったり
自分よりほんのちょっと繊細でなくて、世の中のことが気にならないとかね。
しょうがないじゃない。
それがないのが自分なわけだから。
自分ができたところまでってことでしょ。
なんとも言えないけど。。。
気がつくのに時間が経ってしまったな。
ということで、私にとって完全休業日はとても重要なんですよ。
- 【日々の記録】中国語の授業は不安定
- 【日々の記録】不調ないろいろ
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2020.01.17 Friday本日は不調でございました。ぷぅコッコです。
不調。。。
もうこの方と付き合って何年になるんだろうか。
多分ですね、生きてる分だけずーっと付き合ってきた気がしてます。
気象の変化なんてのが絡んでくるので、なんともならないことも結構あって。
雪の降る前、なんていうのはテキメンですねー。
これは、人には伝わらないものだし、普段の元気っぽい姿からは想像できないんだと思うんで、どうにもならないでしょうねーってね。
それはそれで、他の人が考えることはコントロールできないですから。
自分本位で生きますよ!って今日も思うのでした。
そんな日でもペルヴィスと温活ヨガに行った自分を褒めようと思ってます。
- 【日々の記録】本を買わなかった日!頑張ったよ
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2020.01.16 Thursday本はまぁ、買うよね?って生活を改めようとしている、ぷぅコッコです。
わたくし、結構な読書家なので、本がない生活は考えられない!ってタイプです。
そこはまぁ良いんだけど、そんなの困らないほどに積読してしまってるわけです。
一方で家のスペースってのは決まっていて、なかなか本を置きっぱなしにできるスペースも限られる。
それで、定期的に処分したりもするんですけど、読みたい本と読めてる本の分量が合わないので減らないんですね。
特に積読。
積読について言えば、読んでなくても、その姿を目にするだけでも、脳に良い刺激がある、なんていう都合の良い研究結果を読んでは、ニヤニヤしてたわけですが、そんなことしてる場合でもないなっ!と。
それで、積読を撲滅することにしたんです。
多分できないけど、とにかく「買う!」ではなく、「まず、家にある本を読む!」にシフトしようというわけ。
今日は、用事があってコンビニに寄ったんですけどね、普段行かないコンビニだってこともあって、前々から気になってたコンビニ限定本が売ってるじゃないですか!
「あっ、これ、欲しかったやつだー」
と、手にとって、ぐっと思い返して、棚に戻しましたよ!
今日も私の手には積読してたけど、読み始めたご本があるじゃない!!
「これをまずはやっつけてからよ!」
そう思って、踏み止まれた自分!えらい!
そう、多分20冊も読めば一冊くらい買っても良いっしょ。
ってか積読どんだけあんのよ(笑)
まぁ、そんなこともあるけど、とにかく踏み止まれた自分と、積読やっつけると決めて読んでる自分、えらい!