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【徒然】今、ココが、幸せと思い込むことが秘訣かも!
誰かと話をしていて思うこと。
それは誰でもいいんだけど、例えば古くからの友達でもいいし、逆に誰か、初対面の人でもいい。


挨拶をして、自分の話をしてみる。


「そうですか、台湾ですか?それはすごいですね?」


すごいかな?


「言葉とかどうですか?」
「ん、ボチボチですけど、カタコトでふね。仕事は英語だし。」
「じゃぁ、英語は昔からできた?」
「いやいや、できないです。」
「またまた、、、ほー、じゃーご苦労もされたわけだ。」


んー、ご苦労されたかな?


「食べ物なんかはどうです?」
「あー、最近、小麦粉が食べられなくなって、けっこうこまってるかな?」
「え?昔から?」
「いえいえ、ここ一年くらい。」
「そりゃ大変だ。」


そうね、大変だ。


毎日、必死に生きて、今!

なので、実は人が言うほど、大変だと感じているわけでも、苦労しているわけでもない。

多分、分析すると、すごく大変だったり、また、すごく成長したこともあるかもしれない。

でもね、それはずっと用意されていたものではなくて、そうなっちゃった
と言うだけ。

未来のことはわからない。

過去のことも、実は忘れちゃってる。


「なんで台湾だったんですか?昔から行きたかったとか?」
「いえいえ、全然、たまたまご縁があって。。。」


5年後、10年後、どこにいても私はきっと同じことを言っている気がする。


10年後を見据えて、何かをする。
そう言うことが普通にできる人はすごいと思う。
すごいと思うけど、私は違うかな?


どんなに辛い日があっても
どんなに悔しいことがあっても
今日一日を生きる。
今、この瞬間
このブログ書いてる瞬間を楽しむ!


やばい、ブログ書けて幸せ!!
ぐらいなことを、別に思ってなくても
口に出してみる。
ちなみに、今は、マッサージの待ち時間で、お店の待合室にいるので、口に出したら、恥ずかしい。


まっ、家でね、そう言うのは。


私とはまた全然違う環境にいる人もいっぱいいると思う。


病気で苦しんでる人
就職が決まらなくて困ってる人
サポートを受けられない若い人


みんな、隣の芝生を見たら「青い」かもしれない。

こんな自由に生きてる私ですら
たまーに、羨ましいってあるもの。


まっ、そうだとしても どうだとしても、変わらないことがあるんじゃないかなぁ?


どんなに辛くても、苦しくても、その中に、今、生きてて楽しいこと、良かったことを1つ見つける。

それを思って、今を楽しむ。

ほんとは全然楽しくなかったとしても
「今日一日生きてて良かった」
と、口に出して言ってみる。


明日は良くなるかも
とか
来年はもっとマシかも?
そう言うのは、その時にならないとわからないんだよ。


だから、今、自分に「楽しい!」の暗示をかける。


人生はそんなふうに進むのがいいんじゃないかなぁって最近思っているのです。


なんで、こうなってるのかなぁ?
不思議だわー。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 19:12
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【徒然】ゆるすこととか、ゆるさないことととか
何か、昔から気にしてるようなことを「サクッと」言われて嫌な思いをしたことって誰にでもあると思う。


お相手さん
そうだよ、こいつは昔からこんな奴だった、また、そんなこと言ってきて

なんで治らないかな?

え?それはその人自身はそれを悪いことだなんて、一ミリも思ってないからですよ。


むしろ、
「あー、ムカつく!」
と、思う言動をする人、ムカつかせようとして言ってるんじゃないんです。

もうね、かるーく、いやいや、ある意味おもーく、本心なの。
びっくりするでしょ?


少しはいたわりなさいよ。
そもそも、お前何もやってないやんけ。
この後に及んで、なんだその言い草。
ってか、配慮するとかないの?

もしかして、バカなんですか?


まー、こんな感じで、罵詈雑言を述べようとすると、口をついて出てくるわけ。


サクッとイヤなことを言ってくるヤツ
だけでなく
悲しいかな、意見の相違により、泣き別れみたいになっちゃう人も中にはいるんだな。


そういう人に対しても、
「まぁ、そういう残念な人はもちろんいるもんだ。」
と、なんらかしらの理由を探してしまう。



本にもなっているけれど、
そういうのって、ゆるさないで、ずーっと考え続けてると、自分の体に支障をきたすことになる。


頭痛がしてきたり、お腹が痛くなったり、動悸息切れが止まらないとか、悔しすぎて眠れない!とかね。


そんな時、
いやいや、そんな人もいるんだ!
ここは嫌われる勇気なのだよ!
次こそ、ちゃんと断って、ギャフンと言わせたる!


とか、
対話がたりないんだ!
きっと、もっと丁寧に話をすればわかってくれるはずだ!

なんて、自分を納得させようとする。
ゆるさなければ、ずっと考え続けることになり、それでもゆるそうとして、「ゆるすための材料」をサーチする。


たまたま、相手が機嫌が悪かったんじゃないか?


言い方に問題はあるが、実は、的を得ていたのではないか?
(あっ、これ、陥りがちな人がいますけど、共依存関係になっちゃいますからね。特に自己肯定感の低い人は要注意です。そんなことないっすから!)


ということ!だから
ゆるそう
ってのは間違ってるんだよ!


ということに、いきなり気がついちゃったのよね。


いいんだ、理由なんて、なんでも
もしかしたら相手は本当に、やなヤツかも知れないんだ。


あなたのことを貶めるために、そう言ったのかもしれないんだよ。


それでもいいんだ。


それでもいいから、その人のことを考えないためにも、ゆるすんだよ。


自分のために!


自分が健康で、また頑張れるように


イヤなヤツだわ
の思いを捨てる

そして、理由はよくわかんないけど、ゆるすんだよ。


自分のために。


あー、ゆるすって、相手のためじゃなくて、自分からその思いを引き剥がすために必要なんだ。


憎いこと、どうにも出来ないこと、変わらない相手、そんなの考えたらきりがないほどいっぱいいるよ。


それをいちいち取り上げて、例えば誰かに愚痴ってみて、共感を得られたとしても意味がないんだよ。


その思いが残ってる限り、マグマみたいに、またフツフツと蘇り、頭痛くなったり、お腹痛くなったり、眠れなくなったりするんだよ。


だから、ゆるす!ってことでそれを手放す!


なーんだ、そういうことだったのか。


今の時間に、過去の要らない記憶を入り込ませないためのゆるす!なんだ。


全部、今の私のためか!


と、腹落ちしたんだけど、、、


ふと気がつくと、また考えてる。
お嬢さん、きちんとゆるさないからですよ。


相手がどんなにあれでも、
どんな仕打ちをされたと感じていても、
ゆるす!


それだけで明日は、だいぶ明るそうじゃない。


変わらないかもしれない失礼な人のためにくれてやる時間なんて1時間もないんだよ。


そういうことだ!
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 19:02
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【徒然】5年後のこと
変わりたいともがくと変われるらしい。


多くの人が本で書いてるので間違えなさそうだと思う。


一方で、変わらないと嘆く人もいる。


変わりたいと思い続けているのに!
とね。


これもよくよく言われることだけど、変わりたいと「思うか」「思わないか」ではなくて、変わりたいと「行動するか」「行動しないか」が大きく問題となる。


そして、自分のこと。
私は、変わりたいと思っていた。
思っていたし、行動もそれぞれでやってきた気がしてる。


でも、今いる私は、例えば5年前、変わりたかった先の私なのかはわからないんだよね。


5年前からこうなりたかったか?と問われたら、5年前は想像もしてなかったというのがポイントかもしれない。


変わるということは、変わりたいと願って行動してたとしても、思い通りにはならない。


「こう、変わりたい」
は、コントロールできないけど
「変わりたい」
というのは、行動の先にしかないよね。。。




5年後、私はどこで何をしてるんだろう。


ここ2年くらい、そんな先の想像はできなくなってしまった。
それでも、常に「変わろう」と「行動している」


そんな事実だけが私を先に進めてくれるらしい。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:43
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【徒然】感情を揺さぶられること
感情を揺さぶられることはいいことなんだろうな。


ほんとに感情的になる時、
それは、どんなことかはわからないけど、「大切なもの」を守るためなのか、壊されないようにするためか、そういうことはわからないけど、多分自分の琴線に触れることで。


もしかしたら、自分の感情や思いに蓋をしてきた事象なのかも知れないね。


先日読んだご本「「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法」の中にいろいろあったけど、脳内ネットワークに話している人の感情が入り込むって話。
自分に対する否定的な意見は全て外からのネットワークによって伝わる。
という話を読んだんですね。

実際には、脳内ネットワークが自分だけじゃなくて、他人にも影響する。
その他人からの影響度が高い人と、低い人がいるということなんだけど、なかなかに納得できる内容だったです。


自己肯定感を高めましょうという話はよく聞かれると思うけれども、この自己肯定感というやつはなぜ高い人とものすごい低い人がいるのか?不思議じゃない?


でもこれって、まぁ、いわゆる昔のトラウマに起因するモノでもあるみたい。


とはいえ、私はアドラー心理学の立場を尊重してもいるので、トラウマを完全に否定するアドラー心理学の考えと完全に一致するとは言わないけど、トラウマのせいでずっと不幸とは思わないんだよね。未来の時点で、もしかしたら、大いなる苦しみを伴うとしても、変えられないことはないと思っているんですね。


その1つの方法として、自分を他の人の負の感情から守る壁を作る暗示
とか
「他人は他人、私は私なんだ」
と言い聞かせることにより、自己肯定感を高めることは本にある通り、可能だと思う。


感情が揺さぶられる事象に会うと
ついつい感傷的になってしまったり、感傷的に言い合ってしまったりする。

感情的な部分をとられて「キツイ言い方」とか言われることもあるわけ。


それは1つの何かを守ろうとしているのかもしれないし、溜めて溜めて語り出したことによる弊害かも知れない。


それで、感情的に話してしまった後は、また、「なんでこうなってしまったんだろう」ってすごく思うんだけど、なったものはなったものでしょうがない。


どんなことだったとしても、その事実と客観的に向き合うことは重要なんじゃないかと思う。


どんなに手を尽くしたつもりでも、相手がいて、相手が何を考えているかわからない状態では、自分ではどうにもできない。わかってほしい。みたいなことがあるわけだけど、それもうまくいかないこともいっぱいあるんだな。


それはそれとして、自己を責めるのではなく、つぎはどうするか考えたらいいのか?そんな問いが続くのかも。。。


うまくいかないことなんていくらでもあるけど、仕方がないよね。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 12:19
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【読書】人見知りで出不精だったOLがコミュニティの女王になった理由


人見知りで出不精のOLがコミュニティの女王になった理由


こちらのご本、著者さんご本人から頂きました。
ありがとうございました。

ちょっと裏話がありまして、今日はこんなところから。

4月の初め、日本に一週間ほど一時帰国いたしました。
あっ、ご存じない方のために、わたくし、現在は仕事関連のご縁で台湾で生活をしております。

ご本を頂けるというお話は事前に著者さんから頂いておりまして、これは、日本に帰った機会にサインをもらわねば!
と思っていたんです。

ところが、まー、待てど暮らせど本は届かず、ついに日本戻る日に。。。

「ぬぬっ、もしかすると、お会いした時に渡して頂けたりして!」と勝手な期待を膨らませ、日本に戻ったのです。

奇しくも今回、本書にも登場するハンバーグの会(第60回)に参加させて頂くことになっていたので、「きゃー、粋な計らいだわ!」と、ワクワクしておりました。


ところが、、、そんなことはなく、ご本はなんと「船便」で台湾に向かっていたのです。


台湾向けの船便って早ければ、2週間、遅いと5週間という期間がかかります。これは、船がいっぱいにならないと出発しないからなんですって。


きっと、5週間コースでやってきてくれたのでしょう。


そんなわけで、台湾にまで送ってくださったことにまずは感謝なのです。



実はこのご本が発売される前に、著者である薫さんは、電子書籍を発売されています。
そのときも拝読させて頂いて、ブログに認めました。
こちら
びっくりするくらい、のりっのりで書いてましたが、要は コミュニティを持ちたい人は必読だし、だけど、「薫さん以外の誰でもができることではない、彼女にはおもてなしの精神がある!だからこそ、人が集まるのだ!」ということを言いたかったわけだす。

逆に言えば、愚直に電子書籍に書いてあることをこなさないと、コミュニティは持てないし、並大抵ではないのだよ!
と、半分脅しのようなね。
ノリノリすぎてわからなかったけど、あれで、「コミュニティづくりに乗り出そう!」というのはちょっと酷な気さえしてきました。
そんな前回を経て、

今回、紙で発売されたご本を手にして、電子書籍からの流れで「コミュニティを持ちたい人」「ファンを持ちたい人」は必読なんてわかりすぎてて、書く必要もない感じだろうな、と。
それでね、じゃあ、薫さんはいったい何を思ってこのご本を書かれたのか?
そんなことを頭に置きながら、読んだんです。


薫さんが主催しているハンバーグの会
参加させて頂いた経験にも基づいて、本の内容を考えるとき、きっと薫さんはこんなことを考え書いたんじゃないかなぁって。

それは

「コミュニティをはじめる前に打ちひしがれていた薫さんと同じような『未来の薫さん』をいつでも暖かく迎えるコミュニティを作りたかったんじゃないか?」ということ。


コミュニティってね、セミナーってね、はじめて参加しようとすると緊張するよね。

ましてや、会社に希望が持てなくなって、その上で参加するセミナーなんて、書いてるだけでも泣きそうじゃない。


そんな時に、参加してる人が内輪盛り上がりしてる、「幹事万歳」みたいなセミナーやコミュニティだったら嬉しいかな?


まー、幹事にカリスマ性でもあって、「その人に会えれば満足」とかだったら、参加してる人なんて、どうでもいいかもね。


でも、そんなところで、なんとなく次から次に名刺交換した、名刺の人


次の私の人生に役に立つかな?


私は役に立たないと思うんだよね。


これが、世間で言われる、名刺交換が意味をなさない理由で、パーティーやらセミナーであって交換した名刺なんて、それだけじゃ記憶にも残らないよ。


私は日々、ブログを書いているので、セミナーに参加したら自分のための記録としてのアウトプットと、講師の方への敬意のために、ブログを書くのね。

でも、懇親会は苦手だから出ないんだよね。大抵。

時間がないってのもあるけどね。

だから、覚えてるのは講師の方と、幹事の方だけってことも少なくない。


ここで、少なくとも、参加してるってだけの人は、ぷぅねーさん覚えない可能性が非常に高い!ということがわかる。
もし、私に覚えて欲しいという人がいたら、講師をするか、幹事さんをするのが有能だとわかる。


これが一般的なセミナー。

講師の方を強烈に覚えてるいるのは当たり前だけど、まぁ、良質の会を開催してくれる幹事さんは覚えるし、次も期待するし、何か返せることはないだろうかと考える。
まぁ、それが私だとブログにアップするってことだったりもするかな。


それらの会と、薫さんの「ハンバーグの会」を比べてみようと思う。


ハンバーグを食べる2時間


隣に座った人、一緒のテーブルで食べた人、忘れないよね。
少なくとも私は、ご飯ご一緒した人は忘れない!


でもそれだけじゃないんだよ。


いつ行っても、「ここは安全だよ」って思わせてくれる雰囲気を、参加者全員が感じさせてくれる。


それは、なんでなのかな?


前回、本を読んだときは、「薫さんのおもてなしに尽きる」と、思ったんだけど、もしかしたら、違うんじゃないかなぁ。


それは、「参加した人をもてなそう」という、なんというかや「献身的な意味で成り立っている」んではなくて、前書きで、会社に希望を見出せなくなっていた薫さんが、いつ参加しても「大丈夫な場所」、そんな場所を、彼女が作り続けようとして、考えて、時には失敗して、時に大成功させて作り出した1つの結果なのかな?


これが、この本と、先だって参加したハンバーグ会を回想して、強く思ったことかな。


さて、一般的に、会の雰囲気を決めるのは幹事さんの役割が大きいと思うのです。
まー、参加して一方的に話を聞くだけなら、「こういう機会を作ってくれてありがとうございます。また、素敵な講師の会には参加させていただきます。」ってな感じだけど、それは、そういう会を幹事さんが提供したいと思ってるからかな?とかね。


それと比べると、参加者全員で作ってる感じがするんだよな。


だから居心地がいい。


みんなが楽しんでる!
これってただ単にハンバーグが美味しいからじゃないんだよなぁ〜。。。

でも、そんなコミュニティってできるものかなぁ。。。


もしかすると、これが、これこそが、この雰囲気づくりこそが、彼女の能力なのかも。



コミュニティを開催するとビジネスにつながるってな話はよく聞くけど、意外とビジネスに繋げよう!みたいなのを目的にして作ると失敗する気がするのよね。

そうではなくて、「参加した誰もが安心する場を提供する」それは、参加者だけじゃなくて、講師の方もその安心を感じる、そういう場所というのは、もう一度帰ってきたくなる、だからビジネスにつながるのかもね。


そんなわけで、うまくまとまらないけど、前回の電子書籍の時に比べると、薫さんだけが、その献身的な振る舞いだけがコミュニティの鍵なのか時には思っとけど、それは多分違うんだな。

いつでも、何度でも、いつ行っても暖かい雰囲気に包まれる、その場づくりのための献身であって、献身有りきではないんだな。

でもコミュニティを作るなら、その場、自分の作りたい場、自分が実現したい場所はどんなところなのか、強く想像してから始めた方が良いのかも。

と、しっとりと読み終わったのでした。

コミュニティ作りたいなら読むべし!
でもそれであなたのファンがすぐにできるかと言われると大間違い。

特にうまく行かないコミュニティをお持ちの方は、もしかしたらあなたの持ちたい「場のイメージが間違っている」から、うまく行ってないのかもよ。

まずは自分がずっといて楽しい場所が作れているか、ということから検証するといいのかも。


コミュニティ、始めよっかな?
ってみなさん!必読ですよ。







author:ぷぅコッコ, category:ビジネス書感想, 19:02
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オンライン英語読書会をやってみました
毎日、英語漬け、ぷぅコッコです。

友人が先日参加した英語読書会が大変面白いときいたので、「ほんなら、それオンラインでも出来る?出来る?出来るよね?」
と、半ば強引にオンラインで開催することに。


英語読書会
初めて見る(読む)洋書を手にとって
前書き
目次
あとがき
をチェックし、問いを立て、その答えを探します。
この辺のメソッドはいわゆるフォトリーディング問いと同じ感じなので、フォトリーディングのメソッドが分かるご本なんかを参照していただくとわかりやすいかも。


この講座ではフォトリーディングするわけではないですが、とりあえず前書き、目次、あとがきから本に興味を持ち、そこから問いを立てます(この本で知りたいこと、きっと書いてくれてそうなことを想定)その問いの答えとなるようなものを本から見つけ出して、参加した方と「英語で」シェアする!


という流れ。


事前に聞いてたんですけど、
全く頭に入っておらず、、、
ただ一点
「予習不要」
のコメントだけを信じて、参加したのです。


実際には、今回ご一緒してくれた友人が、以前に参加していたわけですので、下準備なしのぷぅコッコさん、
「んじゃ、やり方説明してちょ?」
って言うところから、英語ではじめました。


おそらく友人は「いやいや、事前に説明したやろ。。。」
と言いたかったことでしょう。


とはいえ、すでに頭でわかっていることも、「英語で説明する」となると簡単でもないもんで、この下準備なしなしすぎるぷぅコッコさんに、丁寧に英語で説明してくださいました。


今回、二人で実施したので、ファシリテーターはおらず、本来、リーディング5分のところを長めにとった気がしますが、いかんせんきちんと集中して読むってのが苦手なぷぅコッコさん

まー、なんて言うか、時間とったのに「上の空やね〜」
みたいな感じになりました。


それでも実は気づきがあって、
ふと、本に目を向けると、結構読めるのよね。
原書なんだけど。
「おうっ、これはもしかして、日々の英語メールのおかげか?」
と、思ったりして。


ちなみに、台湾の会社では、会社の方針で、メールは英語です。
(現場に近ければ近いほど、中国語のメールになります。)


そうやって、本来は多分読んだ後、すぐに問いを立てる流れなんだと思いますが、ぷぅコッコさんがあまりにも流れを理解していなかったために、読み取った内容をシェアする形の会話を続行したり、そんな感じで進めました。


いいことかどうかはわかりませんが、いろいろ面白い気づきがありましたね。


日頃、仕事でのコミュニケーションは英語ですけど、同僚の台湾人も私も英語は第二外国語です。
そうすると、「今、あなたが言ったことは、こう言うこと?」って自分がわかるレベルの単語に落としこんで、聞き返す癖がついてるんですね。
1時間半ずっと英語で会話し続けたために、この辺のスキルを大発揮(特にやろうと思ってたわけではなくて、自然にそうなったんだな)
これが、お相手さんには結構好評でしたね。

お相手さんは日頃、話を聞くプロを生業としていらっしゃる方ですが、英語での場合、いわゆるおうむ返し(相手が言ったことをそのまま繰り返す)ということをいつも以上にやっていたと思うとおっしゃってました。


ほー、そーだったのか!!
そー言われれば。。。
でも、自然なコミュニケーションなので気がつかんかった。

ワードプール(いわゆるボギャブラリー)がお互い少ないので、「相手の言うことを理解しよう!」ということに終始できると言うことがあるかもしれません。


私はこれを「英語で話す時の方が、より話を聞こうという姿勢になる気がする。」と感想を述べたら、

さすがプロっすね

「姿勢自体は、英語でも日本語でも変わらなくて、でも言葉数が少ないためにより洗練されるイメージだろう。」
とコメント頂きました。


あー、なるほどね。


コミュニケーションって、言語が変わっても基本的な性質は変わらないかもね。


まーそんな感じで、本来ですと、ちゃんとここまで!ってフィニッシュできるはずな英語読書会は、なんともグズグズな感じでございました。


少人数でやる場合には、少し工夫した方がいいかも。


ちなみに、私、普段英語でお仕事ですので、「英語を使う機会がなーい」とかは全然ありませんが、お相手は日本でお仕事なさってるので、「あまり英語を使う機会はないかな?」ということで、「お疲れになったのでは?」とお察ししてるところ。


日本人と英語で会話するの苦手
(すぐに文法が間違ってるだの、それ通じるのか?みたいなことを言われ続けた過去)
なんだけど、コミュニケーションはそういうことじゃないのよね〜。
いやいや、もしくは、文法やらはやはり間違ってるけど、それを超えてコミュニケーションするスキルがついたのか?

その辺は定かではない。


まっ、でも、お互いに
「面白かったね」
ってことで終わったのでよかったかもね。


ぷぅコッコさんと英語でオンライン読書会したいって方はこっそり教えてね〜。
author:ぷぅコッコ, category:セミナー・勉強会, 06:00
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【徒然】一年前の投稿には必死さが伝わってくるのよね
FBのお知らせで今日は、一年前の投稿を読みました。

モヤモヤすることを文字にしてみる

誰だってそうかもしれないけど、嫌われるのは嫌よね。

そうやって初めて会う人には良くしてしまう。

たまにはそうでもない人がいて、なんか理解できない。

その人たちは、嫌われてもいいって思ってるのか、思ってなかったとしても、そのやり方しかわからないんだろうな。


一年前の悩みは、滲み出る苦しさの中から紡がれたものなんだろうな。

きっかけとして悩んでたことはなんだったのか思い出せないけど。


今はどうだろう。
別に嫌われたいとは思ってないけど、自分を表現して、「こやつとは合わないべ!」って人がいてもおかしくないよね。

それって、自分も、ある一定の相手に思っているわけで、もっと近づきたい人も、一定の距離を保つことによって、寄らず触らずで付き合える人と。

いいとか、悪いとかじゃなくて、そんなもん。



さて、最近の日常に目を向けてみる。

ブログを書くのは実はあんまり苦にならない。
好き勝手に思ったことを、次から次に文字に起こしてアップしてるだけだからね。

でも、これ、日本語だったら、いともたやすくできることが、英語や中国語ではできない。


それは、文法をよくわかってなかったり、必要であるべき単語が身についてなかったり、そんなことも大いに関係するけど、それだけじゃないと思うんだよね。


おそらく、元来もつ、照れ屋で人見知りな性格が、その一助な気がしてならない。


文章が出てこないのは、文章力がないからだ!
確かにこれは真理だけど、そんな単純なことでくくれるほど、私はこれまでコミュニケーション取ってきてないのか?と言うと、そんなこともないし、論理立てて考えれば質問もできるはずなんだよ。

それでも、真っ白!
あたま真っ白になる瞬間というのは、別のものが働いてる気がしてならない。


そういうのって、残念ながら場数を踏むしかないんだろうな。

踏んだところで、未だ人見知りや照れ屋なのは直ってないわけで、どうよ?って思ってる。


これもまた、私のモヤモヤで今日もまたそれを文字にする。


そうやって毎日を過ごすので、しばらくはいいかなぁと思っている。
author:ぷぅコッコ, category:徒然, 21:04
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【徒然】ゆっくり、生きよう
最近、素敵な香水を発見して、毎日ご機嫌でつけている、ぷぅコッコです。

香りの記憶みたいなのって実は大事よね〜
なんて事を思いつつ、今日はまた違う話。


わたくし、基本的にせっかちなんですよ。
サクサク物事が進まないのはダメなタイプで、それはそれでもいいんだけど、そのせっかちだということは、生活態度にももちろん現れるわけです。


生活態度に現れる「せっかち」というのは、「せっかち」というより、「ゆったり行動できない」ってことなんですね。


これはなぜなのか?


人のことをものすごく気にしてるからなんです。


「早く終わらせなきゃ!何か、見知らぬ誰かに迷惑がかかるかも知れない!」


これが「行動を早くしよう」と無意識に思う、原動力です。


まぁ、仕事なんかだと、良い方に回ることもあります。
いわゆるレスポンスを早くすることで、相手にもプラス、自分にもプラスな、いわゆる「win-win」の関係ができます。

いいね、いい感じだね。


でもね、これ、緊張度は高いよね。


日常生活でも、全く見知らぬ他人に対して、緊張してる感じだったんですね。


加えて、無類のおっちょこちょいなので、なんだかつまづいたり、財布から支払いをしようとして、小銭をばらまいたり、びっくりするほど、あるわけです。


その度に、
「しっ、しまった、早くしないと後ろの人に悪い」
「エライコッチャ、店員さんが呆れ顔で心配してるよ」


ドキドキドキドキ


もうね、書いてるだけで、体に悪そうです。


ある時、なんの本で読んだかは忘れましたが、そういう焦っちゃうシチュエーションでも「ゆっくり」動作することによって、結果的には早く解決することが多い。
みたいなのを読んだんですよ。


「ほーっ」と思いまして、実践することにしたんです。


例えば駅でチャージしようとして、どこのボタンがわからない?
小銭を、、、と、、、思ってるうちに落としちゃたりした場合


あー、後ろに人も並んでるし、もうヤバイやん!
って思うんだけど、あえて「ゆっくり」と自分に言い聞かせて、ゆっくり拾う。


そうすると、焦って何かをやるのと同じか、もしくは結果として、早く拾い集めることができるんです。


ゆっくり行動してると、「実は後ろの人が『早くしろよ、ババー』って思ってるかも!!!!!」
と、ふと不安になったりするんですけど、それも、大抵の場合はみんな何も考えてないし、考えてる人は、もっと効率の良い方に行こうと自分で行動したりしてくれるわけ。

まっ、中には、「早くしろよ、ババー」をぶつけてくる人もいるかも知れないけど、とりあえず今の所は会ったことないかな?


それだって、「ごめんなさいね〜」とゆっくり、ゆったり行動でいいかなって思ってます。


最初やり始めた当初は、本当のうまくできなくて、「あー、小銭が〜」「う〜、後ろの人が〜」「お?さらに取れないし〜」が気になりすぎてうまくできなかったんですけど、


まっ、何かをやらかしてしまった瞬間に

「うぉう、やからしてしまったぁーーーー」
と同時に
「ゆっくり!」
「そう、ゆっくり!」
「ゆっくり動いても、かかる時間は変わらない!」
と、言い聞かせて、行動する。


これをセットで続けております。


たまには、そんなゆっくり行動で、一本電車乗り遅れちゃったり、みたいなことがないわけじゃないけど、それは、ちょいとお早く行動で、解決すると。


それはまた別の話なんであれですが、
とにかく、焦っちゃう型のおっちょこちょいさん!
「ゆっくり」
めちゃめちゃ効きますので、やってみてね。


そうこうしているうちに、いつも「ゆったり、どっしり構えたぷぅコッコさんが出来上がる」と。。。


わたし、そうなってるかしら???


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 05:45
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【徒然】変わらないなんてありえないんだ
今朝、FBをパラパラ見ていたらこんな記事がありました。
今の自分を変えるためには「お説教くさい質問攻め」から身を守れ!


コンサルタントの横山さんの記事なんですけど、内容は、まぁ、リンクを読んでください。
面白いから。


その中にこんな一節が出てきます。
問題なのは、明日や明後日、来週、来月の自分が、「今の自分」と同じままか、もしくは不健全に変わっていることです。

この話のキモでもあるわけですけど、一気に変わるのを目指すのではなく、「健全に変わることを目指しましょう。」ということです。


まぁ、いきなりスーパーマンになったり、マスクをつけたらバットマンになったりすることはないわけで、非常にわかりやすいですね。


この「変わる」ということ。
上記の一節を見ながら、「今の自分」と同じままか、もしくは不健全に変わっていること。


この「今の自分」と同じ。
これって、何もしなければありえないですよね。


ってことに、読みながら気がついたんだよね。


経済学の話ではないですが、今年の100万円は、来年の100万円と価値が同じか?というと、そんなことないわけです。

例えば何か値上げされて、今年なら100万円で100個買えたものが、来年になったら99個しか買えないとしたら、その100万円の価値は「下がっちゃってる」わけです。

だって、キープしてたって、今年得られたはずの価値は得られないわけですから。

それって、100万円自体は変わってないけど、変わっちゃってるよね?



別の例を挙げて見ましょうか?
サッカー選手の三浦知良さん、キングカズですよ。
ここでは親しみを込めてカズと呼ばせていただきましょう。


彼は今年、50歳をすぎてサッカー選手で、先日は最年長で得点したという記録を更新したそうです。


さて、20年前、30歳の時も彼はサッカー選手でした。

彼は、20年変わらず、サッカー選手でいる。これは「変わっていない」ということか?
こんなの、誰だってわかるけど、違いますよね。
30歳のサッカー選手と50歳のサッカー選手、その価値は全く違う。
カラダの衰えを最小限にし、パフォーマンスを最大に引き出すというのは相当なる努力があると、誰でも理解できるんです。


そう、「今の自分」というのは、何もしなければ、維持できないんですよ。

それは、経済を見た時の周りの変化による価値の下落なのか、はたまた、自分自身の能力(体力、気力)そんなものの衰えか?

どれをとっても「今」に踏みとどまることはできないわけです。
今がどんなに幸せでもね。
その幸せの価値は、何もしなければ下がってしまうというわけね。


だから、それをネガティブと見るかは置いといて、何をしても、何をしなくても、「変わらずにいる」ことはできないのよね。


んで、どうせ変わるなら、少しでも「良く」変わりましょうということ。


別に今と違う人になりたいわけじゃないって人もいると思うんだよね。
それはそれで、いいし、実はそういう人は口には出さずとも、特に意識せずとも、自分の「衰え」を感じて、常にそれを最小にするために変化してるんだよ。

さらに今の自分と違うものになりたいなら、ほんの少しでもいいから、毎日、別のことに取り組まないとダメよね。


今を生きて、来年の自分がどうなっているかがわからなくても、それは来年や、その先にずっと続いてて、変化していく。


自分だけが変わらないなんて、あり得ないのよね。


どうせ変わるなら、今の素敵がもっともっと素敵になるように変わってもいいし、続けたものの先に今、手にしているものとは全く別のものを手に入れてもいい。


「なりたいものがなにか?」
答えられなかったとしても、変化しなきゃね〜。


うーん、、、人生って、実は緩やかな下りエスカレーターみたいなもんなんだよなぁ。。。
動く歩道だったらよかったんだけど、ちょっと自分に負荷をかけないと、ダメなんだよなぁ〜。


こういうことを考える時期なのかしら。。。


なんか昨日からシリーズみたいになってるけど、なんじゃろなぁ〜


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 06:44
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【徒然】なりたいものになれますか?
おっ、題名が大きく出ましたね。
「なりたいものになれますか」


果して、私のなりたかった者はなんだろうか?


小学校の卒業アルバムで、「将来なりたいもの」というのがあったけれど、私が書いたのは「パン屋」だった。


別になりたいものだったわけじゃなくて、パン屋ぐらいしか書くものがなかったんだなぁ。


その後、パン屋にはならなかったけど、パンは焼けるようになったのよね。


だけど、今はそのパンも食べられない、と。


そんなことはどうでもいいけど、小学校の時に天命を受けたようになりたいものが決まる人たちが羨ましかった。


勉強したというほど勉強したわけでもなく、なんでもなんとなくギリギリで駆け抜けて、気がついたら、海外でエンジニアする、マイノリティだったりする。


最初から目指してたのか?


いいえ、ってか、楽しそうな方になんとなく吸い寄せられたら、こうなっただけなんです。


世間で言われる
「ガラスの天井」も
「ハラスメント」も
有ったと、自分が認めたら、あったんだろうな。
でも、それで困ったことはないし、いやっ、困ったことはある。
育休を終えて、復帰したら、それまで経験したことのない仕事になって、そりゃーそりゃー苦労したな。

でも、それを踏まえて今がある。

それを乗り越えて掴んだものがある。

だとしたら、苦しくて大変だったなんて、語るまでもないよね〜。
ってか、そんな体験もなければ、なりたいものもなく、努力も大してしてない人がどうにもならないよね〜。


と思ったりする。


なりたいものはない!


でも、いつでも、こうなったらいいなぁ〜はあるんだよね。


仕事だって、もっと上手くできたらいいなぁ〜と思う。

それは今でいえば、仕事につながる人間関係もあるから、そういうのが上手く回ればいいなぁ〜と思う。

そのためには、もっと語学ができたらいいよねぇ〜って思う。

そういうことの積み重ねが、人生で、そういうことがあることがちょっと幸せなんだろうなぁ〜って思う。


それが私のなりたいものだし、そのなりたいものは、私には見えないんだよね〜。


でも、それでいいじゃない?


世界中のみんながなりたいものに、なれるわけじゃない。

でも、みんなが幸せでいることはできるんだよなぁって最近強く思うなぁ〜。


author:ぷぅコッコ, category:徒然, 17:42
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